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フシノカミ  作者: 雨川水海
シナモンの祭壇
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シナモンの祭壇10

 リイン夫人が、我らの計画書を真面目に審議してくださっている間にも、日々は過ぎていく。


 私は、朝の日課にしている武芸鍛練のために、寮館の庭に足を運ぶ。

 アーサー氏やレイナ嬢からは、計画書の件で文官肌に見られているためか、意外だと言うお言葉を頂戴している。

 私もそう思わないではないが、農民兼猟師見習いをしていた身としては、椅子に座りっぱなしで体が鈍らないか、恐くて落ち着かないのだ。

 ジキル君はいまだに、「一発どつかせろ」と私を追い回してくるため、次に会う時のためにも体力は維持・向上したい。

 私は理不尽な暴力には絶対に屈しないのだ。


 それに、朝と夕に私が一定時間部屋を空けると、アーサー氏が助かると思う。着替えとかあるからね。

 実はこちらが主目的で、鈍る鈍らないは建前だ。

 どうせ軍子会の実技で、嫌と言うほど体を使うことになるだろうから、最終的には鋭くなる。


 私が庭で準備運動をしていると、運動用のラフな格好のマイカ嬢も出て来た。


「おはよう、アッシュ君」

「おはようございます、マイカさん。今日もよろしくお願いします」

「うん、こちらこそ」


 朝から明るい笑顔のマイカ嬢は、今日も元気だ。

 なお、建前で朝の鍛練をしている私と違い、マイカ嬢は完全に自主だ。


 元々、クライン村長から武芸の基礎は習っていたそうだが、例の熊殺し事件から本気で取り組み始めたと聞いている。同じことが起きたら、私と一緒に戦うのだと宣言してくれた。

 その心意気には感動を覚えたが、私は二度とあんな危険な真似はしたくない。

 あれだって状況が許せば逃げたかったし、逃げられないとしても弓矢を使って安全に撃退したかった。


 ともあれ、村にいた頃から、マイカ嬢は毎朝毎夕の自主鍛練をしている。

 その腕前は、基礎を見た感じ今期の軍子会でもトップクラスだ。この年頃だと、女性の方が発育が良いこともあるだろうが、男女混合でのトップ争いに参加している。


 なお、私はマイカ嬢に全く勝てない。

 私の腕前は、軍子会全体から見ても、中の下といったところだろう。

 アーサー氏から、「これで熊とどう戦ったのかな」と疑問視されたので、「これで熊と戦う気はありませんよ」と微笑んでおいた。


 私が殺し合いの場で、正々堂々向き合って同じ条件で戦うものか。

 今のところ、私の最大の武器である毒物をありったけ使うに決まっている。あの一件の反省を踏まえ、手札も増やしてある。


 久しぶりに、頭の中で毒物調合について考えつつ、準備運動からの走りこみをこなす。

 その後は、マイカ嬢と向かい合って、軽く型の稽古だ。


 私の構えた木槍に、マイカ嬢の木剣が打ちこまれ、二人の奏でるリズムが始まる。

 今世での武芸は数学的な捉え方をされており、中々洗練されているように思う。

 農業において一定の水準がたもたれたように、武術においても一定の水準が維持され続けたのだろう。

 食すことと同じく、戦うことも生命活動においてありふれた状態なのだと歴史が語りかけてくるようだ。


 例えば、剣の上段攻撃で言うと、剣を振りかぶって一つ、振り下ろして二つ。

 これで、剣の上段攻撃は二動作と捉えられる。

 これに、間合いで一歩踏み込む必要があれば一動作を足して、三動作となる。


 対して、防御側は三動作以下の行動であれば防御が成功する。

 基本的に、防御側は間合いを詰める動作が省略される上、防御動作は攻撃に対して構えるだけなので有利になると考えられている。


 数値が低ければ安全、高ければ危険となり、高い場合は後退が推奨される。

 さらに勘案要素として、攻撃側は主導権を握りやすいので、先制効果として一動作分の有利を加算される。

 防御側は、防御が成功した場合、相手の勢いを流して体勢を崩せば次の反撃時に一動作分の有利を得る。


 このように、今世の武術は数値化した理屈で作られている。

 なので、型稽古では、攻撃側の初動からカウントを始め、一・二・三とリズムを取って防御行動を合わせる。

 防御行動で攻撃側の体勢を崩し、反撃を加える。これで攻撃側と防御側が交代し……と、慣れて行くと、踊るように攻守を繋げていくことができる。


 私とマイカ嬢は、二人きりでこの稽古をしてきたので、すっかりお互いの呼吸に慣れてしまい、基礎の型なら体力が切れるまで打ち合える。

 訓練用の木槍がぶつかる音が、心地いいリズムを刻む。

 マイカ嬢は、汗を浮かべながら唇をつり上げるように笑っている。恐らく、私も同じような表情だろう。


 なにをしても受け止めてくれる安心感。

 互いの思考が繋がったような一体感。

 別々の体なのに、一つの意志で動いているかのような気さえして、不思議な高揚感に包まれる。


 つまり、楽しいのだ。

 本物のダンスなんかも、この感覚が好きな人がいるのだろう。


 どんな楽しい時間でも、体力は有限だ。

 息が切れてくると、動きが鈍ってくる。マイカ嬢と繋がっている視線で、今日はここまで、という同意が結ばれる。

 同意に従い、私の放った突きをいなし、マイカ嬢が鋭く踏み込む。

 木剣が、私の首筋に突きつけられ、稽古が終了する。


「ありがとうございました」

「ありがとうございました!」


 クライン村長の教え通り、お互いに礼を交わすと、第三者の拍手が届けられた。

 息を弾ませながら振り返ると、ジョルジュ卿だった。


「見事な型稽古だった。基礎の型とはいえ、あれほど息があったものは中々お目にかかれない」


 実技の教官も務めるジョルジュ卿に褒められ、マイカ嬢は弾けるように喜んだ。


「ありがとうございます! ふふ、アッシュ君とはすごく相性が良いんです」

「付き合いも長いですから、息が合わせやすいですね」

「だよね!」


 私も同意すると、マイカ嬢の機嫌がさらに良くなる。

 ジョルジュ卿は、精悍な顔つきの目元を嬉しそうに緩める。


「あの様子を見れば、クライン卿の手腕もうかがえる。衰えていないようだ」

「父をご存知なのですか」


 敬意がたっぷりこもった口調に、マイカ嬢が見知らぬ他人を褒められたような顔になる。


「ああ、君の父上は、この都市では有名人なのだ。私もまだ幼かった頃に眼にして、憧れを抱いたものだ」

「父は、一体なにをしたんですか……?」

「知らないのか? ならば教えてあげたいところだが……君の父上の活躍は語りだすと長いからな」


 苦笑するジョルジュ卿は、何やら用事があってここに来たようだ。

 考えてみれば、朝食前の時間に、教官が寮を訪れる理由はない。


「ジョルジュ卿はなにかお急ぎのご用事ですか?」

「うむ。今日の講義の予定だが、軍の仕事が立て込んでいて、無理そうなのだ。すまないが、自習になる。そのことを伝えたくてな」

「そうですか。わかりました。私達の方で連絡を回しておきます」

「頼めるか。助かる」


 これくらいお安い御用だが、しかし、この人は本当に忙しいな。

 イツキ氏もそうだが、やはり真面目に仕事をしている管理職は、スケジュールがぎっちりのようだ。


 これはいかん。これでは、いつまでも将を射られないではないか。それはいかん。


 そう思ったので、私は忙しない従伯父殿に踏み込んでみる。


「ジョルジュ卿、自習内容として、ジョルジュ卿のお仕事を見学してみたいのですが、私になにかお手伝いできることはありますか?」

「む、しかし……」


 ジョルジュ卿の表情は渋い。未経験者が入っても、教えるだけ手間が増えるというのは、よくわかる。

 確かにそれは否定できない。

 それでも、今までの講義内容から、ジョルジュ卿は備品の管理、兵站業務に関わっており、それが忙しいのだと推測している。備品数の確認と書類整理くらいなら、少し教えてもらえれば手伝える自信がある。


 というのも、村長家で少しお手伝いしてきた経験があるのだ。

 今世の数学的知識水準からすると、私は相当に高度な域に達していると評された。


「荷物運び程度ならお役に立つでしょうし、計算もできます。お邪魔になるようでしたら、大人しく神殿で本を読んでいますが……お手伝いできるようなら、一度だけと言わず、時間を見つけてお手伝いするようにします」


 さり気なく、読み書き計算できますよと、今後も継続的なお手伝いにうかがいますよとアピールしてみると、ジョルジュ卿の表情が明るくなる。


「そういえば、アッシュ君は読み書きも計算もできるのだったか。ヤエ神官が、今まで見た中で一番の才能と褒めていたな」

「それは褒めすぎかと思われますが、一通りはできます。一度、試させては頂けませんか」


 ジョルジュ卿は、少し考え込む様子を見せたが、その前の会話でほとんど決めていたようで、すぐに頷いて見せた。


「わかった。なんだかんだで、アッシュ君との会話の時間も取れていなかったからな。お願いしよう」

「勉強をさせて頂くのですから、お願いするのはこちらの方です。よろしくお願いいたします」


 ジョルジュ卿の伝言については、マイカ嬢にお願いして、私はさっさとジョルジュ卿の仕事へとついて行くことにする。


 別れ際、マイカ嬢が、「ほどほどにね、ほどほどだよ!」と釘を刺してきた。

 備品管理や書類整理で、そんな大暴れできるわけがないじゃないですか。

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― 新着の感想 ―
[一言] できないはずの大暴れに期待しています(笑)
[一言] ふらぐがたったー
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