シナモンの祭壇9
切れ味鋭いとは、こういう口調を言うのだろうなと感じた。
レイナ嬢のお母様が、初対面で放った言葉に対する感想である。
ようやく、目的であった寮の責任者への面会が叶ったのだ。
今世の親世代の例にもれず、レイナ嬢のお母様も若い。二十代後半、三十代には届いていないように見える。
レイナ嬢との血筋を確かに感じさせる顔立ちをしていて、切れ長の眼つきに、抑揚の利いた表情が、いかにも仕事ができる人物という印象を振りまいている。
人によっては威圧感を覚えるくらいだ。
そんなレイナ嬢のお母様、リイン夫人が、やはり抑揚の利いた業務用の音声で述べたのだ。
「うちの娘と、仲良くしてくれているそうですね」
上っ面の言葉をはぎ取れば、紛れもなく威嚇である。
リイン夫人は、私がレイナ嬢を籠絡したものと警戒しているらしい。
正解。
もちろん、それを素直に口にはしない。リイン夫人の人柄によっては、過剰反応される恐れがある。
「はい。同じ村で育ったマイカさんと同室という繋がりで、親しくさせて頂いております」
「ユイカ様のご息女ですね。そのマイカ様とも、親しいとか」
「小さな村の同い年ですから。それに、教会で一緒に勉強していましたので」
にこやかに応じているのだが、リイン夫人の警戒は解けない。
やはり、都市の侍女として政務に携わっていると、海千山千の相手と丁々発止のやり取りがあるのだろう。
この十一歳の身から醸し出される胡散臭さを感じられるようだ。
「レイナやマイカ様とお付き合いしているのは、あくまで偶然だと」
「巡り合わせが良く、この場にいられるものと思っています」
マイカ嬢と同年代でなかったら、この留学の機会を逃したことは間違いない。二歳くらいまでの上下幅でないと、参加できないらしい。
リイン夫人が尋ねたいのは、そういったことではないとは知っている。
夫人は、テーブルの上のお菓子、クレープ第二弾をほっそりした指でつまむ。
「では、このようなお菓子を差し入れることも、全く他意はないと言うのですね」
ずばっと聞かれてしまった。
当たり障りのないことを言っても良いが、曖昧な返事は悪印象をつけられそうだ。かといって、あまり嘘はつきたくない。
リイン夫人が、ある程度清濁併せのむ人柄であれば、積極的にここにいたるまでの思惑を白状した方が、良い印象だと思う。
どの程度まで濁を許せるか、少し探ってみよう。
「質問を返すことは失礼とは思いますが、どの程度をもって、他意と判断すればよろしいでしょう」
「アッシュさんは、どの程度を思い浮かべましたか」
さらに質問で返されてしまった。迂闊に言質を与えないつもりだ。
ちょっと緊張してきた。
「例えば、不慣れな土地にやって来て、友人がいないという状況です。知らないことばかりの状況で、色々と知っているだろう人物と親しくしたい。この程度の思惑は、誰もが当然持ってしまうと思います」
私が首を傾げて反応をうかがうと、リイン夫人は抑揚の利いた表情のまま、頷いて理解を示してくれた。
多少の人間味は許可されるようだ。勝機が見えたので、一気に攻め入る。
「こちらのお菓子は、私にとっては少々値の張る材料で、それなりの手間をかけて作っています。何の見返りも期待せず、気前よく振る舞っているとは、胸を張っては言えませんよ。少なくとも、友好関係を築きたい、人脈を得たいという思惑は入っています」
「まずは、良いでしょう。全く他意はない、などと言われるより、よほど信用できる返答でした」
それだけか、と抑揚のない眼差しで問うてくる。
リイン夫人も綺麗な人だから、迫力がすごい。ちょっとぞくぞくしてくる。
ユイカ夫人もそうだけど、私が出会う年上の女性は皆さん美人で眼福だ。贅沢を言わせてもらえば、他の人に恋をしていなかったり、人妻でなければなお嬉しいです。
まあ、今世の十一歳の体だと、相手にならないだろうけど。
リイン夫人は、中途半端な誤魔化しがお嫌いなようなので、正直に白状することにした。
「レイナさんだけと人脈を得るつもりなら、確かにこれほどのお菓子は必要なかったかもしれません」
「では、目的はなんです」
私は、持って来ておいた計画書を、リイン夫人の視線の中に差し出す。
「こちらを実行したいのです」
「農業、改善、計画……? 第一案?」
リイン夫人の表情が揺らいだ。
凛々しい美人のきょとんとした表情が可愛い。
ギャップは破壊力だ。力みと脱力の差が瞬発力を生むのと一緒だ。
「大事なご息女に物を見せびらかせて近づき、不快にさせてしまったことはお詫び申し上げます。ご理解を頂きたいのは、ご息女をたぶらかすつもりも、あなたへの悪意も、この都市に仇なすつもりもございません」
内心とは別に、真面目な顔で誠実な音程を発する。
こちらも本心なので、演技ではない。人間とは奇妙な思考をする生き物の名なのだ。
「私はただ、こちらの計画を進めたい一心です。こちらの計画をまとめる作業には、レイナさんにもお手伝い頂いております。軍子会の目的が、子供の勉学のためであるならば、ぜひ私達の成果に対する評価採点をお願いいたします」
リイン夫人が、未知の物体に接するごとく慎重に、計画書を手に取って眺め始める。
計画書の目的と概略が、序文に記されているので、そこだけでも読み終えればどんなものかはわかる。
「詳細については、後日でもお時間を作ってお読み頂ければと思います。お菓子を目の前にして読むのは、少々不似合いな内容もございますので」
下から出てくるものについて読みながらでは、美味しい物も色あせると思う。
そんな気遣いの台詞に、リイン夫人は言われたことを理解しそこなったように視線を私に向ける。
「せっかく作ったものですので、できるだけ美味しく食べて頂きたいなと思ったのですが?」
「そ、そうですか……。そうですね、せっかくのお気遣いですから……」
リイン夫人が、計画書をテーブルにおいて、眉間を押さえて天井を仰ぐ。
「軍子会から出てくるはずのないものが……なんでここにできてしまっているの……どうしよう、どう処理したらいいの……」
とりあえず、甘い物を食べて元気をつけたら良いと思う。
気合を入れて計画書を読んでもらえれば、リイン夫人に期待している動きについても盛り込んであるから。
マイカ嬢とレイナ嬢の助言の賜物だ。
リイン夫人が読んだら、そうやって頭を抱えるだろうと彼女達は見抜いていた。
どうも、前世では粗削りな大学生のレポート程度の計画書も、今世では一流の領域にあるそうだ。
「どうして、こうなったの……」
たぶん、あなたが理性的だからこうなったのです。
感情的に、娘に近づくな、これは賄賂だ、とくれば私に太刀打ちはできなかったはずだ。
理性をもって話し合おうと思い、私と向き合った時、あなたは敗れていたのだ。それくらいにはこの計画書は作りこんである。
真面目なリイン夫人は、「軍子会の勉強の成果」と差し出されたものを、真面目に評価する以外の態度は取れなかっただろう。
真面目だと損することが多いですよね。でも、そんな人だから、私も好意を持って接することができるのです。
悩み疲れた顔で、リイン夫人はクレープに手を伸ばす。
「おいっしいぃ……なにこれ、すごい美味しいわ。すごい。美味しい」
流石は親子。声のトーンは大人らしい淑やかさがうかがえるが、台詞が似ている。
皆で幸せになりましょうよ。