シナモンの祭壇6
都市生活が始まって、十日が過ぎた。
神殿の蔵書は(うれしいことに)まだまだ尽きる気配はないが、肥料について必要な知識が集まって来た。いくつか実用的な肥料の作成方法がわかったのである。
優秀なるヤエ神官やアーサー氏の手助けのおかげである。
「さて、ここで問題が明確になって参りました」
「はい、なんでしょうか、アッシュ君」
食堂で、テーブルに両肘をついて重々しく切り出した私に、マイカ嬢は楽しそうに付き合ってくれる。
流石は幼馴染であり、同門の姉妹弟子である。私のことをわかっていらっしゃる。
もっとも、わかっているのは私も同じだ。
マイカ嬢を喜ばせるため、ヤック料理長が出汁を取った後の鶏がらを譲り受け、鶏がらにわずかに残っていたお肉をかき集めてテーブルに出してある。
いや、出汁を取って煮込んだ後のこれがまた美味しいのだ。手間暇がかかる割に量が少ないが、こうしてちょっとしたオヤツにするとご馳走になる。
マイカ嬢が、嬉しそうにぱくついている。
よしよし、一杯お食べ。そして、どうか手伝っておくれ。
「まず、都市神殿での文献調査は、順調に成果を上げています。他の方のお力ももちろんありましたが、マイカさんには特にお力添えを頂いたと感じています。ありがとうございます」
「アッシュ君の役に立てたなら、良かったよ。えへへ……」
誠心誠意お礼を述べると、マイカ嬢はとろけるように頬を緩める。
村での勉強の成果が、都市でも通用して嬉しいのだろう。
「その成果なのですが、畑にまく肥料、その作成方法がいくつか判明しました。私としては、早速作って、できたものから実験を開始したいと考えています」
「うん。村の実験畑と同じことをするんだよね」
「その通りです。そして、ここで問題です」
肥料を作るための材料集めから、肥料の作成設備、保管場所などなどの確保といった、肥料作成段階での問題が一つ。
そして、実験するための畑がない、という肥料作成後の問題が一つ。
「つまるところ、私達はこの都市では部外者であるため、動き始める前に様々な人物の協力が必要になるのです」
「そっか。村だと、あんまり考えなくても良かったもんね」
「ええ、早い段階から村長のご協力を頂けましたからね。色々と便宜を図って頂きました」
マイカ嬢と仲良くなれて、本当に良かったと思う。
私みたいな怪しい子供の提案を真面目に聞いてくれたユイカ夫人には、何度感謝しても足りないくらいだ。
どんどん感謝するので、ばんばん協力してください。
「そこで、まずは協力者を探すところから始めようと思います。この留学の目的の一つでもある、人脈作りですね」
「うん、すごく大事なことだと思う」
マイカ嬢も力強く同意してくれた後、こてっと首を傾げる。
微笑ましい仕草とは裏腹に、マイカ嬢の思考は現実的だ。
「でも、具体的には、どんな人に、どうやって協力者になってもらえば良いのかな」
「そこが難しいところなのですよ」
この寮生活で作りやすい人脈は、同年代の子供達だ。
これはこれで次代を担う非常に大事な人物達であり、彼等との交流は将来役に立つことになるだろう。が、それは次代の話であり、現在の私の目的には直接関わって来ない。
もちろん、寮生活で仲良くなって、その親御さんなどの現在を担っている世代へ取り次いでもらうということも、一手段として有効ではある。
「ただ、将を射るために馬を射るのはちょっと遠回りですよね」
「えっと、将を射んと欲すれば、まず馬を射よってやつだっけ。目的のものを手に入れるために、その一つ手前のものをまずこなそうとか、そういう意味の」
「ええ、そうです。マイカさんは、記憶力が良いですよね」
「ありがと」
マイカ嬢は、嬉しそうにはにかんだ後、切り替わるように真顔になった。
「で、アッシュ君は、いきなり目的のものを手に入れたいってことなんだね。こう、獲物の心臓を鷲掴みにする感じだね」
「なにやら物騒な例えですが、大体あっているでしょうか」
狙えるものなら、将を一撃で仕留めたい。馬を射る労力と資源が惜しい。
大体、馬がかわいそうじゃないですか。馬は死んだら肉と皮にするしかないが、生きていれば移動手段にも労働力にもできる。
もちろん、最後は肉と皮だ。
「流石はアッシュ君だね、発想がすごい」
「ありがとうございます?」
ただの貧乏性か、面倒臭がりの可能性も高いと思うけれど?
「まあ、ともあれ、肥料作成にはなるべく早く取りかかりたいのです。調べたところ、肥料の完成までとても時間がかかってしまうようですから、本当に、可能な限り早い方が良いです」
簡単なものでも一ヶ月で、本命と目論んでいるものは数年もかかってしまうらしい。
ちょっと生き急いでいる今世の私には、とてもではないが足踏みしていられない。手段を選んでいる時間がない気がしてきた。
手段、選ぶ必要ある?
「アッシュ君? なんかまた勢いついてきている気がするよ?」
「む、そうですか?」
自覚はないが、マイカ嬢が言うなら、そうかもしれない。
行動に移る時は気をつけよう。近道と思ったら、遠回りになってしまったというのは良く聞く話だ。
「ええっと、そんなわけで、軍子会の皆さんとももちろん仲良くなりますが、その外側での人脈が必要だと思われます。幸いなことに、この都市の領主代行殿とはすでに接点があることですし」
「あ、将を射る気満々だ……」
当然です。総大将をアンブッシュからのワンショットキルでクリアです。
なんて目論んでも、そこまで上手くはいくまい。
領主代行殿は非常にご多忙の様子で、付け入る隙がないのだ。
向こうも姪であるマイカ嬢と歓談したいようだが、それもままならない様子が見られる。そんなところに、マイカ嬢を盾に乗りこんでも、上手くいかない可能性が高い。
忙しい時の憩いの場で、仕事の話を聞きたい人間はおるまい。また、周囲からも、身内びいきという負の印象を抱かれる。
まあ、身内に仕事を斡旋するのは、今世の社会では当たり前だとされているので、あまり気にしなくても良いかもしれないが。
いずれにせよ、領主代行のイツキ氏への直談判はまだ早い。
となれば、外堀を埋めて、いざその機会を得た際に、有無を言わせぬ説得力をこしらえておくべきだ。
「おぉ、アッシュ君が馬から射る気だ」
「将を直接射抜けぬ以上、致し方ありません。まずは矢の届く範囲から、仕留めましょう」
上手く行けば、流れ矢が将に当たるかもしれないので、ばんばん射撃可能範囲に射っていこうと思う。
「それで、結局どこから始めるつもりなの?」
「それなのですが、現在、すでに私達が持っている人脈は、ヤエ神官とヤック料理長、それにアーサーさんとレイナさんを含めて、四人と考えて良いでしょう」
そうだね、とマイカ嬢は鶏がら肉を食べつつ頷く。
「この四人からやや離れて、私の血縁とマイカさんの血縁として、バレアスさんとイツキ様ですね。この二人は絶賛ご多忙中につき、しばらく接触は期待できません」
「ふんふん」
「以前、レイナさんとお話をして判明しましたが、この寮館の管理を任されているのは、レイナさんのお母様なのだそうです」
レイナ嬢の母上は侍女で、領主一族付きの秘書兼官僚のような存在だ。
そのため、将来母親の跡を継ぐべきレイナ嬢自身も、他の軍子会の面々より学識に秀でているようだ。両親の職を抜きにしても、仲良くしておきたい人材だ。
そんなレイナ嬢自身と親睦を深めておいて、彼女の母上に接触を試みる。
そして、寮館の庭の一部の借用許可、及び家庭菜園の一部で実験する許可を獲得するのだ。
「当面はこれを主たる目標として、都市生活を満喫していきたいと思います。いかがでしょうか」
「うぅん……。正直、それが良いかどうかとか、他に良い手があるかどうかとか、よくわからないから、何とも言えないんだけど」
さもありなん。
私だって、これが最善手かどうかわからない。白状すれば、頭の中はぐるぐる回って懊悩中だ。
「でも、アッシュ君はいつもやってきたもんね。今回だってできるよ。あたしも、できることがあれば目一杯協力する」
「ありがとうございます。そう言ってくれると思っていました」
マイカ嬢は、人を発奮させるのが上手いと言うか、良いところで後押ししてくれる。
ずっと手助けしてくれたマイカ嬢から応援されると、ほっとしたり、やる気が出たりする。若くしてユイカ夫人の片鱗が見える。
「マイカさんは素晴らしい女性ですね」
そんなやり手な夫人の愛娘は、顔をみるみる真っ赤にして席を立つ。
「ま、まま、まかせてよ!」
「はい、頼りにしていますよ」
「よ、よーし! 早速レイナちゃんに話に行く? 絶対味方に引き入れてみせるよ! いざとなったら断れないように弱味の一つや二つ……」
中々面白い冗談だ。後半で声を潜めた辺り、芸が細かい。
ひょっとしたら冗談ではない可能性も否定できないくらい真に迫った演技だ。
「マイカさん、落ち着いて。大丈夫ですから、ね? ちょっと勢いつきすぎていますよ」
安易に人を脅迫するのはいけません。
「そ、そう? でも、絶対失敗しちゃいけないと思って」
「失敗したくはありませんが、そう前のめりにならなくても、いけるはずですよ」
一般的にいって、脅迫は最後の手段だ。
もちろん、紳士を目指す私は脅迫なんてしないし、するつもりもない。
脅迫に聞こえるかもしれないことは、時々囁きますけれどね。
脅迫よりも先に実施するべき、有効な手段がある。
「ちなみに、マイカさん。ここは調理場ですね」
鶏がら肉を食べ終えたマイカ嬢の目が、何かを察して輝く。
その輝き、欲望充填率は百パーセントと表示が出せそうだ。
「はい、そうですね!」
「こちらに、ヤック料理長から分けて頂いた小麦粉があります」
「はい、小麦粉ですね!」
「他にも、クリーム、砂糖、ジャム、蜂蜜、リンゴがあります」
「あります!」
乙女心ご期待の通り、別腹のお時間です。
流石は都市、手に入るものが農村とは比較にならないほど多い。まるで別世界だ。
このサキュラの都市圏に、果樹を中心に栽培している農村があるらしく、リンゴや渋柿、桃やイチゴなどが流通している。
「本日は、これらの材料を使って、レイナさんを説得するためのお土産を作りたいと思います」
脅迫するより先に、利益供与を試すべきだ。その方が穏便に物事を運べる。
一部では、これを賄賂と呼ぶらしい。
「はいっ、お土産の効果を予測するために、説得力の評価は必要だと思います!」
自分も食べたいという気持ちを、建前で華麗に包装したその論法は、ユイカ夫人仕込みだろうか。実に頼もしい成長っぷりだ。
私も食べたいので、その建前に当然だと頷いておく。
「成功の見込みのないものを持ちこんでは、印象を悪くしてしまいますからね。入念な評価をお願いいたします」
「やったー! 材料からして、できるのは甘い物だよね? 何を作るの?」
「本日作るのは、クレープというお菓子です。薄平パンの甘味版ですね」
ガレット自体は、比較的ありふれたレシピだ。
発酵させなくとも、また少量の小麦粉でも作られるので、農村でもお祭りの際に作られる。都市だと、さらに手軽なレシピとして知られている。
ただし、それはご飯としてのガレット、生地が塩と水で作られた代物の話だ。
生地に牛乳や砂糖を混ぜた、甘味用のものはヤック料理長も知らなかった。砂糖やジャムは、ふっくらした発酵パンに用いられるのが一般的らしい。
砂糖まぶした揚げパンとか。
揚げパンも美味しいだろうが、油っぽかったり、甘さが単調だったりするだろう。
くっくっく、そこに不意打ちの別物スウィーツを叩きこんでやろうというわけですよ。
生地の淡い甘味、砂糖や蜂蜜の強い甘味、ジャムやリンゴの酸味の利いた甘味、この三種の甘味が奏でる味覚のハーモニーに、果たして冷静を保っていられるかな?
「アッシュ君がその顔をするっていうことは……これは期待できるね!」
え、私、どんな顔してた? 涎でも垂れていましたかね。
口元を拭いつつ、私は早速マイカ嬢に指示を出しつつ、調理を始める。
前世らしき記憶では、それほど料理上手ではなかったのだが、農村での日々の生活で大分研鑽された。
特に小麦粉から生地を作るなんて、前世ではやったこともなかったというのに、今では粉を触っただけで、求める生地の堅さに必要な水分量を感覚で割り出せるようになった。
村では、穀物の粉食は主流ではなかったが、原材料だけは山ほどある。暇を見つけては自分用に各種穀物を粉にして、食卓に並べようと奮闘したものだ。
この都市では、川の流れを利用した水車の力で製粉が行われているので、小麦粉が手軽に手に入る。ぜひ、水車の技術を学んで、村にも水車を作りたい。
都市では手を伸ばしたい場所がたくさんあって楽しすぎて苦しいです!