シナモンの祭壇4
都市の神殿の書庫は、いくらかは書庫の名に相応しい規模になっていた。
それでもまだ図書室レベルで、今世での書物の貴重さがうかがえる。
前世の図書館という設備が、いかに膨大な資源と高度な技術に支えられていたのか。少しだけ考えこんでしまう。
今世にも、その規模の図書館を増やしたいものだ。
そのためにも、まず潤沢な食料を確保しよう。
食料は全ての基本、文明の高度を決定する土台だ。
この土台が広くなければ、小さなピラミッドしか作れない。
早速、ヤエ神官に本を探すために質問する。
「ここにある本は、何らかの分類ごとに分けられているのでしょうか」
「はい。内容ごとに分けられています。歴史、地理、文学……技術関係は、領域が広く混在している部分もありますが、古くから神殿に伝わる分類ですね」
「素晴らしいですね。とすると、私の探している分野は……」
自然科学やら化学やら言っても通じまい。
フォルケ神官に相談した時もそうだが、相手が知らない概念を伝えるのは難しい。
「なにか、古代文明では盛んだった学問に関する棚はありますか?」
ヤエ神官が、頬に手を当てて思案するが、間もなく首を振った。
「難しいですね。それは王都の神殿でなければ保管していないかと思われます」
「そうなのですか?」
「ええ。各都市の神殿というのは、村の教会もそうなのですが、神殿の教えにある特定の書物を優先して保管しているのです。開拓された新たな都市で有用になる、実用的な内容の本なのだと言われています」
言われています、というのはなんともあやふやだ。
神殿はもう数百年も続いていると自称しているのに、成功例がないのだろうか。
「実践した記録がないのですか?」
「記録にはありますし、物語にもなってはいるのですが……どれも古いものとなっておりまして。例えば、王都の基礎を作ったのは、神殿が示した書物の力と伝えられている、という類になってしまいます」
「なるほど」
村の教会にあった本の内容を思いだし、納得する。
有用な植物図鑑や、農学の実用書、建築や鍛冶などの技術本も多かった。
恐らく、神殿の発足時、あるいはその前身となる組織が、「この本があれば役に立つ」と一覧を作成した時は、それで良かったのだろう。
ところが、それから年月を経て、いくつもの村や都市が興亡を繰り返すうちに、その本を役に立てるための基盤(知識・資源・設備)が、人々の間から失われていったのだ。
私が農学の本で地団太を踏んだ、化学物質の名前や精製法などが、失われたものに含まれるのだろう。
昔は当たり前だったものが、当たり前に手に入らなくなった結果、実用から遠ざかって廃れてしまった。
「言われています」という、神殿の主張は、正直であり、正確なものだと評価できる。
そんな所感を、ヤエ神官にぶつけてみると、熱心な相槌を返された。
「その推論には妥当性を感じます。確かに活用された過去があるからこそ、神殿は今のような力を持つにいたった。一方、現状に即したものから外れているため、現在の神殿は自分達の教えに疑問を覚え始めている。辻褄があいます」
神殿側も、今までの教えをただ守り続けることには、色々な声があるらしい。
今世の神殿は、宗教組織である一方、図書館の司書的な役割を担っているせいか、良心的な学者のような体質があるのかもしれない。健全なことだ。
「今後は、各地に持ち出す本について、教えを変える必要があるかもしれませんね」
「教義として可能なのであれば、その方が良いのではないかと思いますが……」
でも、宗教組織として大丈夫なのだろうか。
私が心配すると、ヤエ神官が小さく微笑む。
「組織ですので、明日すぐにとは参りませんが……神殿の教えも、同じ神官、同じ人間が作ったものと伝えられています。古人の知恵が、神殿の教えなのです。ですから、それを引き継ぎ、さらに未来へ託すために、今を生きる私達が知恵を絞ることは、何ら不遜なことではありません」
誇らしげに語る神官は、過つことなく知の番人に相応しい見解を披露する。
ここにも、本を守り、未来へ繋ごうとする意志がある。
「それは大変すばらしいことだと、敬意を表します。辺境の農村の生まれとして、ぜひ神殿の新たな知恵を与えて頂けるよう、お願い申し上げます」
「それが神殿の務めなれば、誠心誠意、お応えいたします」
同志に全身全霊で応援を送ると、同志からも心地良い返答があった。
うむ。実に清々しい気分だ。
フォルケ神官といい、私が出会う神官は、趣味が合う。
「では、私もできることで神殿の応援とさせて頂きます。実用的な本はあるということですので、農学の本から当たることにしましょう!」
マイカ嬢とアーサー氏を振り返って、神殿の有効利用を宣言すると、アーサー氏が神妙な顔をしている。
「アッシュ……。無駄な気がし始めているけれど、一応、言わせてもらうね?」
なんだろうか。
「神殿の教えに一石を投じておいて、平気な顔をしているのは、とてもおかしなことだと思うよ」
平気な顔をしているのではなく、平気なふりをしているのです。
ちょっとした思いつきから、よもや宗教論に発展するなんて十一歳の子供にわかるわけがないじゃないか。内心では冷や汗かいているよ。
別に悪事を働いたわけではないのだから、気にしない方向でいこう。
以上の思考を経て、私が発した言葉は本心だったかもしれない。
「そんなことより、早く本を探しましょう。待ちわびた都市の本なのです」
マイカ嬢もちょっと呆れた表情になってしまった。
****
初めての都市蔵書調査は、今後の展開に期待が持てる、という程度で時間切れとなった。
気になった本について、貸出できないかヤエ神官におねだりしてみたのだが、規則の前にあえなくはばまれてしまう。
やはり、本が貴重すぎるのはよろしくないようだ。活版印刷の普及についても、優先順位をあげておこう。
やること、やりたいことが多すぎてすごく辛く楽しい。シム系ゲームをやっているようだ。
ただし、超絶アナログな。
午後は、このまま神殿の教会室(勉強用の部屋)で、軍事系の座学が行われる予定だと、ヤエ神官が教えてくれた。
「流石は軍子会ということですね」
「ええ、都市は地域一帯の防衛拠点ですから、防衛力の維持は重要な役割です。各村もまた、最低限の自衛力は必要です」
「そのための指揮官を育成するのが、この留学の本来の目的ということですか」
いわば士官学校……幼年学校の方が近いかもしれない。
ノスキュラ村でも、有事の際は村長が村の若者を率いて抵抗する手はずになっている。ユイカ夫人にでれでれになっている有様からは想像できないが、あの村長、クライン氏はでたらめに強い。
熊殿の一件の後、留学することが内定して、基礎程度は武術を修めておくと良い、ということで、手解きを頂いて思い知った。
あの人が所用で村を離れていなければ、熊襲来で私が死にかけることはなかった。絶対になかった。
聞けば、十人ほどの盗賊が現れた時、単身で叩きのめしたらしい。
本人は至極平静に、弓や弩がなかったからできたんだよ、と言っていたが、だからといって同じことができる人間が何人いるのか。
あの人が、熊を素手でぶち殺したと聞いても、私は驚かないぞ。クライン村長だから、で済ませてみせる。
ヤエ神官が、うんうん頷いている私に、小さく苦笑する。
「アッシュさんなら、軍事に関する時間も、先程のような研究に費やしたいのでしょうね」
この短期間で、私の考えをよくわかってらっしゃる。
「防衛力の重要さは理解していますけれどね、どちらを優先したいかと聞かれたら……」
留学の目的は、村では手に入らなかった蔵書と資源だから、否定できない。
そんな私に、ヤエ神官も強い賛同の眼差しを見せる。
「先程の様子を見ていると、私もそちらに専念して頂きたいと、考えてしまいます。きっと、世の役に立つ、大きな成果を残して頂けるのではないかと」
「本当だね」
アーサー氏は、少し疲れた表情で微笑む。
「僕もそれなりに教育を受けてきたつもりだったけど、自信がなくなりそうだよ」
「お二人に手伝って頂けて、大変助かりました。限られた時間を、最大限に活かせたと思います」
本当に。
ヤエ神官はもちろんだが、アーサー氏も大変優秀だった。
全く知らないことだったろうに、理解が早く、いくつかのヒントを与えるとすぐに動けるのだ。これを優秀と言わずになんと言うのか。
「アッシュは研究者向きなんだろうね。僕も、全然知らないことが次々と出てきて、楽しかったよ」
そんな評価をしてくれる二人とは、マイカ嬢はやや見解を異にするらしい。
「あたしは、アッシュ君には軍事の方も頑張って欲しいなぁ」
他の二人が、どうして、という表情をしたので、マイカ嬢は付け加える。
「多分だけど、村で何かあった時に、あたしが指揮を執るより、アッシュ君の方が皆動くと思う」
そうだろうか。
「だって、熊殺しだもん」
……そうかもしれない。
マイカ嬢以上に私が慕われているというわけではなく、熊殿とやり合って以来、マイカ嬢が呟いたように、時々熊殺しと呼ばれるのだ。
なにかあった時、「熊殺しが指揮を執る!」なんて声が上がったとしよう。
盗賊だって一瞬びびるに違いないし、やたらと強そうなので味方は安心するかもしれない。ハッタリは大事だ。
熊殿は、死して名を遺したのだ。毛皮も残っているけれど。
「熊、殺し?」
「そういう事件があったの」
マイカ嬢が憂鬱そうに首を振る。その節はご心配をおかけいたしました。
アーサー氏は、どんな事件か聞きたそうにしていたが、新たに教会室に現れた人物を見たヤエ神官の嬉しそうな声が、雑談を終わらせた。
「ジョルジュ卿!」
知的な雰囲気に見合わぬ大きな声に、名前を呼ばれた男性が挨拶を返す。
「ヤエ殿、ご無沙汰しております。今日から、座学の際はこちらでお世話になります」
「は、はい。どうぞ、いくらでも……はい」
知的美人がしどろもどろである。ヤエ神官も、うら若き乙女であったか。
熱っぽい乙女の視線の先の男性は、二十代中頃の青年だ。卿という騎士位への敬称と、がっちりした体格からして、現役の軍人であることがうかがえる。
不思議なことに、どことなく顔立ちに見覚えがある気がするが、初対面のはずだ。
「アッシュ君、アッシュ君。あの人じゃないかな」
「何がです?」
何のことやらわからない。そんな私の態度に、マイカ嬢の方が、不思議そうな顔をする。
「何って、アッシュ君の従伯父にあたる人だよ」
「それは……いえ、わかりませんけど。どうして、そう思いました?」
「だって、顔立ちがそっくりだもん」
「そうですか?」
うそだー。
ジョルジュ卿とやらは、精悍な顔立ちの、かなりの美形だ。
あれと私の血が繋がっているのだろうか。というか、あれと私の顔立ちが似ているのか。
本当に?
やだ、本当だったら嬉しいんだけど、本当?
私が、不躾ながらジョルジュ卿の顔をまじまじと眺めていると、向こうも視線に気づいて首を傾げる。
「不躾にすまない。君とは、以前にどこかで会ったことがあっただろうか」
「いえ、初めてだと思われます。私は村から出たことがありませんので……」
「そうか。そうだな。いや、すまない。見たことがある気がしてな。しばらく軍子会の講義を預かることになった、バレアス・ジョルジュという。騎士を賜っている」
「あ」
マイカ嬢が正解だったようだ。バレアスという名前には聞き覚えがある。
「ええと……申し遅れました、ノスキュラ村から参りました、アッシュと申します」
「アッシュ? ノスキュラ村の?」
ジョルジュ卿も、どうやら私の名前を聞いていたようだ。
思わず、二人ともお互いをまじまじと見つめ合ってしまう。
そうか。この人が、家名もない農民一族から騎士まで成り上がった自慢の血筋か。
「初めまして、ジョルジュ卿」
「ああ、初めまして、アッシュ。今は、仕事の時間だから」
「はい。後日、改めてご挨拶ができればと思います」
ほう、とジョルジュ卿は声を漏らす。
わきまえているな、と褒めるような響きがあった。
「よろしい。皆、席につけ! これから講義を始めるぞ!」
迫力のある声に、多少ざわめいていた教会室がピンと張りつめる。
初めての従伯父との対面は、このように過ぎ去った。
最大の収穫は、従伯父を見るヤエ神官の目が乙女だったことだろう。ヤエ神官は都市の神殿の司書である。彼女は貸し出しについて、大きな権限を持っている。
従伯父の方はよくわからないが、独身だと聞いている。
この二人の事情を見るに、私が色々立ち回って便宜を図るに、やぶさかではない。
私は、好意には好意が返ってくるべきだと信じているのですよ。




