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フシノカミ  作者: 雨川水海
シナモンの祭壇
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シナモンの祭壇3

 都市到着二日目。

 今日の午前は、同期の軍子会全員で神殿へ行って、読み書きの勉強をすると告げられた。


 神殿に行くのは楽しみだ。

 ただ、神殿に行く楽しみは読書の楽しみなので、読み書きの勉強は遠慮したい。それはもう三年前に終わらせた。

 そんなことをアーサー氏に相談すると、大丈夫だと請け合ってくれた。


「中には読み書きを先に覚えている人もいるから、そこは融通が利くはずだよ。もうできる人は、自習ということで好きな本を読めるよ」

「それは素晴らしい!」


 個々人の資質に合わせた柔軟な教育だ。神殿の蔵書が楽しみで、思わず向かう足が速くなってしまう。

 アーサー氏は驚いて一歩出遅れたが、マイカ嬢はすんなりと私の加速についてくる。


「良かったね、アッシュ君」

「ええ! 都市に来た目的の一つは、神殿の蔵書目当てですから! 二日目にして閲覧の機会を得られるなんて幸運ですね!」


 ひとまず、基礎的な化学知識と化学技術を得られる本がないか探そう。それか、実践的な内容の農学の本。

 目指すは化学肥料だ。


「マイカさんも手伝って頂けますか?」

「もちろんだよ。肥料とか、化合物とか、そういうことが書かれた本を探せば良いんだよね」

「流石はマイカさん、ばっちりです」


 村を出てくる前に、探している内容を共有しておいて良かった。やはり頼れるものは協力者、友達であるな。

 遅れて追いついてきたアーサー氏が、躊躇いがちに会話に混ざる。


「えっと、よくわからないけど、探している本があるんだね?」

「ええ。村にある本だけではわからなかったことがありまして」

「そうなんだ。ちょっと興味があるんだけど……僕も手伝えるかな?」


 ウェルカム、労働力。

 私がにっこりと笑いかけると、なぜかアーサー氏が一歩引いてしまった。その背中を支えたマイカ嬢が、苦笑して説明する。


「あれ、気合が入っているだけだから。大丈夫、恐くないよ」

「え? あ、う、うん……ありがとう。なんだか、妙な迫力があって」

「うん、皆そう感じるから、大丈夫、おかしくないよ」


 私が一体なにをしたと言うのか。気合を入れて、友好的に接しただけなのに。



****



 神殿では、どことなくマイカ嬢やユイカ夫人に似ている女性が対応してくれた。

 二十歳になるかならないかといった年頃の、落ち着いた知的美人だ。


「お二人が、マイカさんとアッシュさんですね。初めまして、神官のヤエと申します。軍子会の座学担当の一人です」

「初めまして、マイカと申します。お世話になります」


 礼儀正しく一礼したマイカ嬢を横目に、私は目の前の神官に唐突な親近感を抱いた。

 そうか、この人がヤエ神官か。お礼を申し上げなければ。


「アッシュと申します。お会いするのは初めてですが、大変お世話になっております。いつもありがとうございます」

「あら? なにか、ご縁がありましたでしょうか」


 ヤエ神官が、右手を頬に添えて首を傾げる。ちょっと魅力を感じる所作だ。


「ええ。フォルケ神官を通じて、間接的なものではありますが、私が欲しい本を探すためにお骨折りを頂いていると聞いております」

「フォルケ神官からの、本……」


 知的美人が、まさかと目を見開く。


「あ、あなたが、フォルケ神官のお話にあった若者ですか! あの難解な指定の本を求めた?」

「どのような文面だったかわかりませんが、恐らくそうです。私の他に、フォルケ神官に本の入手を依頼した村人はいないはずですから」


 ふらりと、ヤエ神官が後ろに一歩後退る。


「ちょ、ちょっと目眩が……」

「おや、大丈夫ですか?」


 体調が悪かったのだろうか。

 心配して近寄ろうとした私を、マイカ嬢が肩を掴んで止める。


「ダメだよ、原因のアッシュ君が近づいちゃ」


 原因ってなに。


「あたしや村の皆はもう慣れっこだけど、アッシュ君は色々刺激が強いから、初めての人には慎重に接しないと」

「マイカさん、なんだか私が危険物のように言われている気がするのですが」

「そ、そんなことないよ?」


 慌てた様子で、マイカ嬢が否定してくれる。良かった。なんか毒物扱いされた気がしたのですよね。


「ただ、お母さんから、アッシュ君が勢いついた状態で他の人と接しないようにしろって言われてるから」


 私は暴走車両かなにかか。

 結局危険物扱いじゃないか。変わり者の自覚はあるけど、あんまりじゃなかろうか。

 私が衝撃を受けているうちに、ヤエ神官の方が立ち直ったようだ。


「すみません、想像していたよりずっと幼い方だったので……」

「いえ、こちらこそ混乱させてしまいまして、すみません。うちのアッシュ君が驚かせてしまったようで」


 今度は私が衝撃を受けて言葉をつまらせているうちに、マナーモードに入ったマイカ嬢が詫びる。

 待って。「うちの」ってなに。危険物扱いの次は所有物ですか。


「ですが、フォルケ神官なら、お手紙にもアッシュ君のことを子供子供と書きそうですが、違いましたか?」

「ああ、いえ、確かにそう書かれてはいたのですが……」


 ヤエ神官が、私を今一度良く観察する。

 微妙に焦点が合っていない、私を見るにはやたら遠い気がする。


「よもや、本当に言葉どおりの幼さとは……。だ、だって、この神殿の誰もわからないような内容の本ですよ? それに、その前の話では、その方は前期古代語の解読にも重要な手がかりを見出したという英才で……」

「ああ、フォルケ神官が大袈裟に言っていると思われたのですね。無理もありません。なにせアッシュ君ですから」


 困惑するヤエ神官をしり目に、マイカ嬢は微妙に嬉しそうな表情をしている。

 何故だろうと思ったら、マイカ嬢が控えめに囁いて教えてくれた。


「流石だね、アッシュ君。村でもすごかったけど、都市でもやっぱりすごいんだね! 村の自慢にできるね!」


 村の特産物扱いか。

 知らなかった。マイカ嬢、引いてはユイカ夫人からそんな風に思われていたのか。


「そうですか、アッシュさんがフォルケ神官のお話にあった若者ですか。本当に? やっぱり本当なのですか。それなら、確かに、いまさら読み書きの勉強は必要ありませんね」

「ええ、そうだと思います。村長である父と、それを補佐する母も太鼓判を押していました。ついでに、私も、アッシュ君ほどではないですけど」

「わかりました。では、マイカさんとアッシュさんのお二人も、読み書きの勉強は不要ですね。その時間は、お好きな本をお読みください。見識を拡げ、都市の発展に貢献することを期待します」

「はい、ありがとうございます。アッシュ君なら、その期待を裏切りません」


 半信半疑らしいヤエ神官を、マイカ嬢が村長一家の発言力で押し切ってくれる。うれしいのだけれど、先程の会話が耳に残っていて、いまひとつ素直に喜べない。

 すると、アーサー氏が声をかけてきた。


「アッシュ、古代語の解読って、一体なにかな」

「なにと言われましても……古代語の、解読です。前期古代文明の」

「前期古代文明の、あの、もう読めない文字の?」

「あの文字の、解読です」


 アーサー氏の綺麗な顔が、お化けを見たように引きつった。


「アッシュ、君は……マイカが言うとおり、ちょっと刺激が強すぎる」

「変わり者である自覚はありますけれど、きちんと事情を理解して頂ければ、そう驚くことではありませんよ。ちょっと説明をさせてください」


 あれはただ、フォルケ神官が、たまたま古代語解読の研究者であって、私はほんの少し補助しているだけなのだ。


「いや、僕も前期古代文明の文字をちょっとだけ見たことがあるけど……とてもじゃないけど、補助程度もできる気がしないよ」


 前世らしき記憶がなかったら、私だってできません。

 このことを打ち明けられれば、およその理解は得られると思う。そして、さらに奇異の目で見られるのだ。だから言えない。

 段々と、このジレンマが大きくなっていくのを感じる。


 私が曖昧な笑みを浮かべていると、マイカ嬢が笑顔で間に入ってくる。


「確かにアッシュ君は刺激が強いけど、一緒にいるとすごく面白いし、どんどん良いことが起きるよ」


 マイカ嬢の明るい笑顔が心の隙間に染み入るよ。

 アーサー氏もそれは同じだったようで、ただ驚いていた表情がほぐれる。


「それも、そうかもしれないね。アッシュみたいな人は、今まで見たことも聞いたこともないし……ふふ、そう思うと面白いかも」


 くすりと笑ったアーサー氏は、年相応の可愛らしさがある。

 これで男装している事情がなければ、素直に褒めたいところだ。


「そうすると、この後の探し物の本というのも、刺激的なのかな」

「どうでしょう。農業の助けになる物を製作したいだけなので、あまり期待しない方が良いかと」


 ハードルを上げないで頂きたい。別に驚かせるために調べものをするわけではないのですよ。


「アーサー君、安心しちゃダメだからね。アッシュ君が当たり前に言ってることでも、すごいことが多いから」

「ふふ、そうだね、ちょっとそんな気がした」


 マイカ嬢とアーサー氏が、二人そろってくすくす笑い合う。

 私が話題の中心になっているはずなのに、私だけがのけ者にされている。

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― 新着の感想 ―
[一言] アッシュ君は特産物ですか(笑) 残念ながら一点もので、次の生産はないんじゃないかと思いますが。 むしろアッシュ君は特産物を産む何か(笑)です。
[良い点] 特産物。ぷぷぷ( *´艸`) 〉「流石だね、アッシュ君。村でもすごかったけど、都市でもやっぱりすごいんだね! 村の自慢にできるね!」  村の特産物扱いか。  知らなかった。マイカ嬢、引いて…
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