陽下の花5
【シナモンの祭壇 グレンの断章】
「ねえねえ、今日のサイアス、なにかあった?」
その直後の神殿座学の休憩時間、顔見知りの女子が我がルームメイトの変化に気づいて、そう声をかけてきた。
彼女の名前はケイ。
アッシュ主催の勉強会が始まる前に、サイアスが情報集めに四苦八苦している時に仲良くなった人物だ。
サイアスが男子側の情報を渡す代わりに、女子側の情報をもらっていた。
「ああ、ケイにもわかるか」
「そりゃそうだよ。前から不真面目ってことはなかったけど、今日はもうやるぞやるぞって気合が見えるもん。見違えちゃった」
あの日からサイアスのやる気は衰えることがない。
その変化は大きく、見る者が見ればわかるようだ。
「俺もびっくりした。実は――」
先日の調理当番から後の話をケイにすると、彼女は唇を尖らせた。
「味見、そんなにしたんだ?」
「あ、いや、それは……」
しまった。サイアスのことを話そうと夢中で、必要以上に味見をしていたことまで話してしまった。
裏切り者を咎めるような目をしている。
食べ物の恨みは恐ろしい。大抵の人間にとって一番の楽しみだからだ。
これが周りに知られた日には、俺とサイアスはひどい目に遭うだろう。
アッシュとアーサーは無事だと思う。
アーサーは立場的に強いし、アッシュは胃袋を掴んでいるから最強だ。
で、その二人分余った怒りはどこに向く?
ああ、俺とサイアスだな。俺達に手加減はされないだろう。
「グレン君、次回の勉強会のおやつ、半分で手を打ちましょう」
くっ、あまりに代償が大きい。が、しかし、背に腹は代えられん!
全部じゃないだけマシだと思おう……。
「交渉成立だね」
ケイが、悪魔の手先みたいな顔で笑う。しかし、すぐに普通の、人懐っこい笑みに戻る。
本物の悪魔は本性を剥き出しにしない、という言葉が思い出されるのはなぜだろうな。
「ま、それはそれとして……。納得したわ、それであの意気込みようね」
「いい方向に気合が入っているみたいだ。ああいう姿を間近で見せられると、俺としても力が入るよ」
「確かに、お相手として見ても悪くないかな。あれなら軍子会の修了前に婚約者もゲットできるかもね。あのまま続けばサイアスは結構モテそう」
「む……」
そういう、ものなのか?
その辺りちょっと聞いてみたいが、聞きづらいものがある。言葉につまった俺だが、ケイからしてみれば、それでなにを考えたのかわかったようだった。
「そりゃあ真面目にがんばっている姿を見たら、好感度高いよ。きっと家庭を持っても、真面目に働いてくれるんだろうなって思えて、悪くないでしょ?」
「確かに……。ちゃらんぽらんじゃ話にならんしな」
「夢を追っかけている、って言うのは不安もあるけどね」
「なに? いいことじゃないか?」
「一獲千金を夢見て、家財を浪費した話なんて山ほどあるからね……。商人界隈、そんなんばっかりだよ? 次に会う時は俺も一国一城の主だ、って言って二度と顔を出さない人とか」
商家の娘である彼女らしい実感のこもった意見は重たかった。
具体的な顔が浮かんでいるのだろうか、聞くのが恐い。
「その点、サイアスは村の食生活を豊かにすること目指して、農業の勉強でしょ? そういう堅実な夢と、地道な夢の見方はまだいいよね。子供にひもじい思いをさせないで済みそうじゃない?」
「夢というには、かなり世知辛いな」
俺の好きな騎士物語からイメージする夢とはだいぶ違う。
「しょうがないでしょ。生きていくためにはご飯を食べなくちゃね。魔王を倒して綺麗な奥さんをめとってお終い、じゃないんだよ? 家庭を持ったらお金稼いで、お皿一杯にご飯を用意しないと、あっという間にお別れになっちゃう」
離縁という意味だけじゃないだろう。
死別などもふくんだ言い回しをして、ケイは反論を許さず畳みかけて来る。
「愛情はタダかもだけど、愛でお腹が膨れる人なんて、あたしは見たことないな?」
そう言われるとぐうの音も出ないな。俺も見たことがない。
「ま、そんなわけで、この調子だとサイアスは冴えない農村の跡取りから、将来が見込める農村の跡取りになるわけだね」
ちょっと待て。冴えないって、サイアスはそういう評価を受けていたのか。
婚約者探しに必死になっていたサイアスが聞いたら悲壮な顔しそうだ。
俺も嫌そうな顔をしたのだろう、見上げて来るケイが、にやりと笑った。
「愛情はタダかもって言ったけど、大抵の愛はお値段がついているんだよ? ちなみに、あたしも有料で、安売りする気はないからね」
「ケイさんの愛情は良いお値段がしそうですね」
決め顔をしたケイが、突然横からかかった声に固まった。
「アッシュ、こっちに来たのか。珍しいな」
声をかけてきたのは、座学中は閲覧室で独自活動をしまくっているアッシュだった。
「はい、次はジョルジュ卿の軍事系の講義ですので、私も参加します」
よろしくお願いしますね、とアッシュはいつも通り愛想よく会話に混じる。
「ケイさんは商家の娘として礼儀作法も教養も身につけていますし、話術がお上手ですよね。色んな最新情報に詳しいので、会話が弾ませられるのでしょう。美味しい屋台情報、いつもありがとうございます」
アッシュのべた褒めに、さっきまで自信満々に俺に講釈していたケイの舌が急に重くなる。
「あ、はは、それはまあ、実家が、食料品も扱っているから」
「そこも魅力ですよ。これからも仲良くしてくださいね」
「も、もちろん、あたしでよければ……こちらこそ仲良くしてもらえると」
「それはよかった。では、また今度お話ししましょう」
にっこり笑顔でアッシュが去っていく。
向こうでマイカが手を振っているから、いつものメンバーで座るのだろう。少しうらやましい。
で、ケイは一体どうした。
明らかに態度が違ったぞ。
「き、緊張した! いきなりアッシュさんは、胸が、痛い……!」
「大丈夫か? 顔色が本気でやばそうだぞ」
アッシュの笑顔に見惚れる女子とは明らかに反応が違う。
赤くなるんじゃなくて、青くなってる。
女子が男子と会話して胸が痛い、というのは甘酸っぱい物語を感じるのだが、これは絶対に違う。
医者を呼ぶ必要を感じる。
「いや、うん、アッシュさんとは、ちょっとね、色々あって……」
ケイは露骨に視線をそらす。
「喧嘩でもしたのか? あまり普段のアッシュからは想像もできないが」
「あはは、喧嘩なんてそんなまさか……あたしじゃ、相手にもならないから。一方的に潰されるだけだから。絶対に秘密にするから……!」
「ケイ?」
「これだけは、言えない。い、言わないよ、絶対……いわ、いっ……言わない言えない言わない言えない」
「ケイ!? わ、わかった! なにがあったかはもう聞かない。だから落ち着け、ケイ!」
尋常ではない様子を見せ始めたケイを必死になだめながら、去っていったアッシュの方に視線を送る。
こちらの様子に気づいていたのか、アッシュと目が合う。
いつも通り、にこやかな笑みを浮かべているのだが、ケイの姿からすれば、いつも通りなのがおかしいと感じてしまう。
一体、なにがあったというんだ……。
*****
「諸君も知っている通り、魔物とは強い生き物だ。例えば、最も出会う確率の高い人狼。奴等の前身は金属製の毛皮で覆われている」
当たり前のことから始めたジョルジュ卿の言葉に、すっと手が上げられた。
「うむ、アッシュ君。なにか質問か?」
それも、意外なことにアッシュだった。教室内のかなりの人数が、互いに顔を見合わせる。
え? 今の時点で、なにか質問するようなことあったか? という具合だ。
しかも、あのアッシュが、質問があるというのだ。この場の誰より物を知っているかもしれないアッシュが。
皆の視線を集めたアッシュが、なにか難しい顔をして、口を開いた。
「その金属の毛皮というのは……ええと、鎧のように着ているのですか? その、人狼が?」
「うむ? すまない、アッシュ君、質問の意図がよくわからない。確かに、人狼は鎧を着た人間のような頑丈さを持っているが?」
ジョルジュ卿が訝しげに聞き返すのも無理はない。
なにを当たり前のことを聞いているのだ、アッシュは。
「……金属の鎧みたいなものを着ているのではなく、本当に、生えている毛や表面の皮膚が、金属製なのですか?」
「そうだが?」
「え~……。本当ですか? 人狼の体毛が、鉄や銅でできている、ということでよろしいのですか?」
「うむ。炉で鎔かせばそれらが手に入るから、そうだろう」
「え~……」
アッシュは、納得いかねえ、って顔をしかめている。
「どうした、アッシュ君。どこがそれほど納得いかない?」
それは全員が思っていた。
普段は物分かりがいいどころか、「それ知ってます」という物知りが、今日は最初の最初からいきなり躓いている。
「いえ、だって……つまり、人狼は、普段鉄や銅を食べているってことですか?」
いや、なんでそうなる。
あいつらがなにを食べているかなんて誰も知らないぞ。
「だって、生き物の体は摂取した成分によって作られています。人間だって植物だって同じです。髪の毛は髪の毛、血液は血液、骨は骨、それぞれ外部から取り込んだものを体内の工房で分解・加工してそれぞれの部位になるのです。つまり金属の部分があるといえば、金属を外部から摂取する、つまり食べていると判断するしかないのですが? 実際、鉄分を摂取して外殻が鉄でできているという生物の話は聞いたことがあります。でも、大きな哺乳類でそんなことできるんですか?」
「ふむ……その辺りの仕組みはよくわからないが、人狼が例えば折れた剣や槍を食べていた、という話は聞いたことはないな。人体は食べないという話はあるが――」
「は? いえいえ、待ってください。剣や槍を食べていたという報告がない、ということまでは理解します。デンジャラス生物の生態調査、難しいですよね。ですが、食べないんですか、人体? 丸ごと戦場に残っている報告多数、なるほど。じゃあどうして人間に襲いかかって来るんです? いつもこちらから手を出しているわけではないんですよね? いつも向こうから襲ってくる? なんですかそれ!」
「お、落ち着け、アッシュ」
「だっておかしいですよ、絶対! 人間を食べるわけでもなく、防衛行動でもないのに向こうから襲いかかってくる全身金属鎧生物ですよ! なんですか、そのやたら人類に対して殺意の高い生き物! 理不尽! 生物学、生物学が仕事していませんよ! さては魔物の魔は摩訶不思議の魔ですか!? あ、これ字が違います! じゃあ、魔改造! 魔物の魔は魔改造の魔でいきましょう! 誰ですかこの時代設定でマッディなサイエンティストしてるの!」
……アッシュが壊れた。訳の分からない言葉の乱れ突きを打ち続けている。
ジョルジュ卿がめちゃくちゃ困り果てた顔をしている。
アッシュが壊れると授業が崩壊するのか。すごいな。すごい迷惑だ。
あ、マイカが動いた。
「アッシュ君、アッシュ君。そのお話、後でちゃんと聞かせてもらっていい? あたしもすっごく気になる。なんの話か全然わかんないけど。ああ、気になるなー」
「――そうですね。後でじっくりとお話ししましょう。生物学もこれはこれで面白い分野でして……ただ、魔物の話を聞くと生物学、通用するのかどうか」
「うん、後で一緒に考えようね」
「……そうしましょう。腰を据えて取りかかる必要がありそうですしね」
おぉ、止まりそうになかったアッシュが、こうもあっさりと……。
ジョルジュ卿も、マイカの鮮やかな手並みに、ものすごくホッとした顔で黙礼している。
「えー、では、続きに行こう。簡潔にな、簡潔に。戦う際の注意点だが、人狼は特に頑丈で、心臓を貫いても回復するため、首を切り離しでもしない限り、死んだと判断するのは――」
「心臓を貫いても回復、ですって……!?」
この後も、三度ほど授業は停止した。
多分、ジョルジュ卿が当初予定していた授業内容は終わらなかったと思う。しんみりした顔で空を見上げておられたな……。
あと、他の皆はポカンとしていた。
アッシュの話は難しすぎる。シゼンチユとか、りじぇねれーたーとか。
マイカやアーサーも砂を噛むような顔をしていた辺り、相当高度な内容だったのだろう。
けど、俺がわかった部分もちょっとだけだがある。
人狼が鉄や銅を食べるんじゃないか、という部分だな。これ、調理当番の時にアッシュが言っていた、栄養の話なんだろう。
それを知って魔物について考えてみれば、確かに鉄を食べているんじゃないか、という考えにもなる。
実際、魔物というのは一体なにを食べて生きているのだろうか。
その日から時々、俺は食事を口にする時、魔物はなにを食べているのかと考えるようになった。
****
魔物は人の話を聞いている、とは小さい子供の言葉遣いを諫める時の常套句だ。
実際、魔物は人が争うとやって来るので、単なる作り話とは言えない信ぴょう性があるのだが……この時もそうだった。
魔物について講義が始まってからしばらく、人狼が都市のそばに出現したと知らされた。
タイミングがよかった、と言えるかもしれない。
ジョルジュ卿が散々魔物の恐ろしさを言い聞かせていたおかげで、神殿から寮館まで、軍子会一同はさほど騒がずに移動できた。
とはいえ、それは恐怖心の結果なので、寮館に戻っても自室に戻る者は少なかった。
おかげで、大抵の人間がロビーでたむろすることになる。
「人狼かぁ、話で聞いたばっかりだからおっかないな」
「うむ。急な話で、対応する騎士や兵は大丈夫だろうか」
サイアスと俺が話していると、ケイが、大丈夫でしょ、と答えた。
言葉とは裏腹に、ケイの顔にいつもの軽妙な笑いはない。
「ジョルジュ先生の授業、休みがちだったじゃない。市壁の見張りもいつもより多いって、屋台の人達も気づいてたし、市場に行商人や新鮮な野菜が少なくなってた」
「え、じゃあ、人狼がいることは前からわかってたのか?」
「そういうことね。目撃されてたんでしょうね」
なるほど。では、準備はされていたのだろう。
それは安心できるな。
騎士である父や、その部下である衛兵達が心配ではあるが、それは父達も覚悟の上のことだ。
俺があまり心配していたら、逆に怒られる。
有事にあっては危険を承知で前に出るのが、騎士や兵の務めなのだ。
だから、畑を耕すこともなく飯を食べられると、俺は教わった。
「というか、ケイも気づいてたんだな?」
「まあね。あちこちで話を聞いてれば、これくらいはね」
ああ、うん、それはそれですごいと思うが、俺が驚くのはそこではなく。
「気づいていたのに、よく黙っていられたな、お前」
俺の驚きを、サイアスが声にした。全くの同意見である。
サイアスが女子側の情報源としてケイと協力していたのは、ケイが情報通だからだ。
しかし、お喋りという欠点も彼女は持っていたのだ。
「噂好きのお前が、この手の話に勘づいて黙っていられるとは思わなかった。てっきり言い触らすタイプだとばっかり」
サイアスが思ったことを思った通りに伝える。
言っていることは無礼だとは思うが、ケイはサイアスから得た情報を不用意に漏らした前科があるからな。
サイアスもその意趣返しのつもりくらいはあるだろ。
「ん、まあね。その……今回のこれは、あんまり話さない方がいいのかな? とか思ったりしたり……」
「お前、いつのまにそういう分別覚えたの?」
「……割と最近」
ケイが気まずそうに顔をそらす。
どうやら、分別を覚える前が色々とまずかった自覚ができたらしい。
「もうちょっと早く覚えてくれればよかったのに……」
被害者のサイアスが思わず呟く。
「こ、これからは気をつけるから。うん、闇雲に言い触らさないようにする。思い知った。思い知ったのよ。世の中には、死ぬより恐ろしい真実が潜んでいるということを……」
「なあ、グレン。ケイは一体どうしたんだ?」
「わかるわけないだろう……」
ただ、この様子を見ると、竜神の逆鱗にでも触れたのかもしれんな。
「多分、俺達は知らない方が良い内容だとは思う」
「あ、それはすっげえわかるわ。あのお喋りのケイが黙るほどだもんな」
「そ、そんなに言うことないじゃない。こっちはほんと、あの……色々あって……」
いや、良い変化だと思うぞ?
今の方がお前と付き合いやすい。なにがあったかは絶対に聞きたくないから、黙っていて欲しいがな。
抱えた重荷を分かち合いたそうなケイから、俺とサイアスはそろって目をそらす。
そのそらした先で、馬が走っていた。
街中で馬を走らせるなんて普通じゃない。伝令かなにかか。
「おい、あれジョルジュ先生じゃないか」
そうだな、あの騎乗の姿勢には見覚えがある。
間違いないと思うが……さらによく見ようとして、異変に気づく。
「うっわ」
俺と同じことに気づいたサイアスが、そううめいた。
ジョルジュ卿が、赤く染まっている。怪我をしたのか。
いや、その割に乗馬に動揺がない。
じゃあ、あれは、ジョルジュ卿が血を流している、ということではなく……。
「アッシュ、くん……?」
誰かの声が、一番に答えに辿り着いた。
想像がつかなかった。
そんなことあるのか。あのアッシュが、リイン寮監もジョルジュ卿もたじたじになるアッシュが、血まみれになるなんてことが。
冗談にしても、あまりに嘘みたいな話に呆然とする。
いや、呆然とするしかなかった。
アッシュが怪我をした。
軍子会の仲間だ。勉強会で恩もある。ならばなにか助けてやらねば。
しかし、今の自分になにができる?
なにもできない。
なにかをできる力がない。
そんな沈黙の中で、一人だけ音を立てて動く者がいた。
「っ、アーサー君、ついて来て!」
マイカだ。彼女は、アーサーの手を引いて走り出す。
自分ができることを為すために。
アッシュを助けるために。
他の誰も、なにもできない中で、マイカだけがそれをできる。
その事実が、マイカの想いを象徴しているように思えた。




