陽下の花4
【シナモンの祭壇 グレンの断章】
今日の食事当番は、俺とサイアス、そしてアッシュとアーサーのペアだった。
「あ、アーサーさん、バンダナが曲がっています」
「ほんと? こう?」
「それだと前髪が……ちょっと失礼」
「え? わ、ちょ、ちょっと、自分で、自分でやるから……っ」
あの二人、本当に仲良いんだな。
アーサーは、かなり恥ずかしそうにしながらもアッシュの手を拒んでいない。
それについては、サイアスも同意見らしく、同じくバンダナを頭に巻きながらうらやましそうに呟く。
「アッシュ君すげえなぁ、あんなにアーサー様に近づける奴、他はマイカ様くらいじゃね?」
確かに、と頷く。あんまり人を近寄らせないんだよな、アーサー。
露骨に拒否するわけじゃないんだが、ある程度近づくと身構えるのがわかる、というか。
モルドなんかがお高くとまってる、と文句を言う原因となっている。
これについてはマイカが、あれは緊張してるんだよ、とこっそり教えてくれた。そう言われてみれば、そうみたいだな、と思えるようになった。
一度、試しに近い位置でじっくり話してみたが、時間が経つうちにアーサーから構えが消えたのがわかった。
この反応と、マイカの遠回しな気遣いからすると、王都で生まれた辺境伯の末の息子という肩書には、かなりの苦労があるようだ。
なら、せっかくの軍子会だ。
立場を無視できるという建前を使って、ただの友達らしくしてもいいだろう。
そう心掛けて勉強会なんかで何度も顔を合わせるうちに、アーサーもあんまり身構えずに話すようになってきた。
流石に、今のアッシュみたいな、髪に触れたりする距離はまた別だろうが。
この辺りも、俺がアッシュに勝てない、と思わせる一因だな。
別に、勝負をしているわけではないはずなのだが、そう思ってしまう。
「あ、グレン、バンダナ曲がってる」
「む、そうか?」
いや待て、この会話の流れ、サイアスに直してもらうことになるのか?
「絶対やんねえよ?」
「そうだよな?」
今、俺は猛烈にホッとしている。
「俺等がやってどうすんだよ。あっちの二人みたいに爽やかな光景にならねえからな?」
「うん、考えただけで嫌な汗が出て来る」
サイアスとは仲が良いが、それとこれとは別物だ。
なんやかや言い合いながら、バンダナをきちんと頭に巻く。
これ、最初のうちは誰もやっていなかったのだが、とある人物がヤック料理長に提言して、軍子会の備品として配布されたものだ。
曰く、『料理に衛生は絶対条件です。髪が落ちたり、髪から埃が落ちたり、これは全くもってよくありません。そこでこの布一つで頭を包めばほら解決。美味しい料理は身だしなみからですよ』
これにはヤック料理長も大賛成で、即日採用された。
ヤック料理長自身も頭にバンダナを巻いており、なんというか、完全に討伐対象――いや、全てを言う必要はないな、うん。
「では、速やかに今日の晩御飯を作りましょうか。皆さんもお腹を空かせているでしょうからね!」
アッシュの掛け声で、本日の調理が開始される。
「今日はヤック料理長が来ないんだな」
「あれ、グレンは知らない?」
俺が呟くと、アーサーが答えた。
アーサーが積極的に話に参加するというのは、珍しい。
「アッシュが当番の時は、料理長ってばほとんど来なくなっちゃったんだよ。アッシュがいれば問題ないだろう、って」
それでも、完成の頃に来て最終チェックだけはして行くらしい。
「あれ、完全に味見だよね。アッシュは変わった料理や変わった味付けするからね」
茹でたジャガイモを潰しながら、アーサーがくすくすと笑う。
「正直なところ、この人数の料理を作るのにヤック料理長がいないのは大変なので、納得いかないのですが」
そうぼやくアッシュは、さっきまで皆で刻んでいた肉やタマネギを炒めている。
俺とサイアスも、アーサーと一緒にジャガイモ潰しだ。結構力がいる。
アッシュだけ力仕事じゃない、と言いたいところだが、大量の具材が入った鉄鍋はかなりの重量になっている。
それをさっきから一人で振り続けているのだから、アッシュは見た目よりかなり力持ちだ。
それに、この前段階の刻む作業で、アッシュ一人で俺達三人を軽く超える分量をこなしていたからな。
むしろ単純作業ならこっちが引き受けないと申し訳ないくらいだ。
「アッシュは料理がやたら上手いよな。勉強会に出るおやつ、あれもヤック料理長かアッシュがほとんど作ってるんだろ?」
サイアスが、潰し疲れた腕を休める間に話しかける。
「そうですね。アーサーさんやマイカさんも手伝ってくれますよ」
「いつもご馳走様な。あれがあるから勉強がんばってるところあるわ」
「それは嬉しいお言葉、お気に召して頂いているようでなによりです」
……なあ、アッシュ。
なんで今、立ち合いの最中に「読み通りの動き!」みたいな迫力がその笑みに現れたんだ?
なにかの意図が、それもちょっと攻撃的なんじゃないかって意図を感じさせる表情に気づいたのは俺だけらしい。
アーサーが会話を続ける。
「アッシュは、ここに来る前から料理をしていたんだって? マイカに聞いたよ。村でも人気だったって」
「そもそも材料が少なかったですけどね。お祭りの時は村中に行き渡るような量を作りました」
「だから大量に作るのも慣れているわけだね」
すごいなぁ、とアーサーは感心する。
「ボクはまだまだ下手だね」
「ずいぶん上達しましたよ。私も同じだけ経験を積んでいるので、その差はありますけどね」
「そう? 褒めてくれる?」
アッシュが頷くと、アーサーはとても嬉しそうにジャガイモを潰す作業を再開した。
さっきより力が入っている。
「それで……今日は一体なにを作っているんだ?」
普段、本日の献立はヤック料理長が把握している。そのヤック料理長がおらず、俺達は献立を知らされていない。
こういう場合、まあ、当然のごとく最初に指示を出し始めた奴が知っているのだろう。
集まる視線に対し、アッシュは別な鍋にラードをぶちこんで熱しながら、笑顔で答えた。
「今日はボリュームたっぷり満腹コロッケを作ります」
「コロッケ?」
俺、サイアス、アーサーの三人が顔を見合わせる。
聞いたことない料理だ。
「えーと、ジャガイモと他の具を合わせたタネを、パン粉で包んで揚げたものになります」
「ああ、クロケットの一種だね」
アーサーはすぐにわかったらしい。
王都から来たのだし、俺達よりあれこれ料理を食べたことがあるのだろう。
「ええ、材料を見たら作れそうでしたし、マイカさんからリクエストがありまして」
「マイカから?」
「はい。今日は体を一杯動かすので、お腹一杯食べたいそうです。あと、できればお肉をたくさん」
すっごい元気だ。
なんというか、マイカらしいな。
全員同じ感想だったのか、皆して似たような笑顔になる。
「流石にお肉たくさんは無理でしたので、ジャガイモで増量して、育ち盛りの食欲に対抗しようと思います」
うん、俺としても腹一杯食えるのは嬉しい。
だが、ちょっと待て。
「アッシュ? ひょっとして、そのリクエストを聞いて、お前が献立を考えたのか?」
「はい、そうですよ」
「献立って、ヤック料理長から指示があるんじゃないのか?」
「いえ、ありませんでした。ある材料の中から好きに使って良いと言われています。お肉屋さんで今日はラードが余っていると聞いたので、これは丁度良いと思いまして」
ちょっと節約料理とはいきませんでしたけどね。
なんて笑いながら、アッシュは火にかけたラードの様子を見ながら、俺達が潰したジャガイモを回収して、炒めた具材と混ぜ合わせる。
いや、そこ普通に流して良い話か?
お前それもう料理の手伝いじゃなくて、完全に料理人ポジションじゃないか。なんで軍子会のメンバーが指導者側に回っているんだよ。
俺がアーサーに視線で驚きを問うと、アーサーは、仕方ないね、と肩をすくめて微笑む。
ああ、これがあれか。
マイカやレイナが言う、「アッシュだから」というやつなのか。
「さ、こんな感じで作ってください。グレン君は手が大きいから小さく……コロッケの大きさをそろえるまでやるのは面倒ですね? 思い思いの大きさで作ってしまいましょう!」
そう言った張本人は、さらに別な鍋を火にかける。
こちらはなにやら朝から煮込まれていたもののようだ。
「アッシュ、それは?」
「朝食後の竈を利用していた鳥ガラ出汁です。これで水団的なものを作ろうかとも思ったのですが、ラードが大量に手に入った以上、食べたくなりますよね揚げ物! そこで、今日のスープはコロッケが食べ応えたっぷりの分、あっさり鳥ガラ塩野菜スープですよ。野菜の切れ端をたっぷり入れておきましょうね。栄養バランスは大事です。サラダも作らなくては」
い、忙しいな!
話を聞いただけで俺は混乱しそうだが、アッシュはテキパキと動いて作業を進めていく。
唖然とする。あいつ、腕が六本くらいあるんじゃないか?
それほど手早く動きながら、アーサーと会話まで始める。
「ねえ、アッシュ、栄養バランスって?」
「う~ん、体に良い食べ合わせ、ですかね? 食べ物それぞれに、生きていくために必要なエネルギーが含まれているんですが、そのエネルギーにも違いみたいなものがありまして、お肉エネルギー、お野菜エネルギーみたいな感じです。で、お肉エネルギーは十分でも、野菜エネルギーが不足していたら体調が崩れるんですよ」
ほう、そうなのか?
俺がサイアスと目を合わせると、向こうも「へえ!」って顔をしていた。
「サイアスも知らなかったみたいだな?」
「食べ合わせどころか、腹一杯食べるのも怪しい時あるからな。旬には旬の物を食えってのはよく言われたけど」
「俺は牛乳を毎日飲まされたな。強くなるにはこれが一番だと、父が言うものだから……」
「それはどちらも良いことですね」
アッシュが、俺達の会話を聞いてなんだか楽しそうに頷く。
「旬の食材は栄養……ええと、エネルギーをたっぷり蓄えた状態なので、それを食べることはやはり体にいいです。牛乳は丈夫な体を作るためのエネルギーがたくさんで、しかも吸収しやすいとか。それを知っていて、しかも毎日取り寄せて飲ませるなんて、素晴らしいお父様ですねぇ」
「お、おお、そうなのか?」
「その立派な体格がなによりの証拠ではありませんか。体が丈夫で損はありません。親の愛ですね」
そこまで言われると気恥ずかしい。
けど、そうか、あまり好きになれなかった牛乳に、そんな力があったとは。
それに父も。そういったところまでできる人だったとは、知らなかった。
剣一本の人間ではなかったのだな。親への尊敬が新たになるのを感じる。
そして、ぶつぶつ呟き始めたアッシュも。
「ふ~む。しかし、栄養についての知識がこのレベルと……。そう考えると、ヤック料理長はやはり素晴らしい料理人ですね。毎日しっかりと野菜とお肉を出してくるのですから、バランスが大事なことを知っておられるご様子。経験則か、あるいはなにか本をお持ちだったり? 今度その辺りも詳しくお話してみましょう」
父や料理長のすごさがわかるアッシュは、同じくらいにすごい奴なんだろう。
俺なんかはなにがすごいのかわからなかったわけだから。
「さて、コロッケが揚がりました。皆さんで味見してみましょう」
ボールみたいな形のコロッケが、なんとも腹を空かせる香りをさせて皿の上に転がる。
「やっぱりグレンさんのコロッケが一番大きいですね。四人で味見用にと思って大きいのにしましたけど、味見というよりオヤツに見えます」
このコロッケは俺が作ったものらしい。
アッシュの言葉に、アーサーが笑った。
「それはそうだよ。手の大きさが全然違うんだから」
そう言ってアーサーが俺に向かって手を広げる。
俺も手を広げて見せると、一回り以上違うのがわかる。俺もちょっと驚くほどの違いに、サイアスが笑いだす。
「うわ、すげえ。こうして見ると、グレンの大きすぎるだろ!」
「僕が小さいのもあると思うけど、それでもやっぱり大きいね。牛乳のおかげかな?」
「マジか~! 牛乳すげえな。俺ももうちょっと背が欲しいし、牛乳飲んでみるかな」
「あ、僕も飲んでみようかな?」
「飲み慣れないと好き嫌い分かれると思うぞ、あの味」
俺達が雑談をしていられたのは、そこまでだった。
アッシュが大きなコロッケに包丁を入れると、小気味のいい音が鳴って、まず俺達の注意を引いた。
そして、濃い湯気と共にジャガイモの甘い匂いが広がり、先に漂っていた揚げ物の匂いと混じって鼻を直撃した。
生唾を呑んだのは、果たして誰だったか。
「あ、これは美味しそうですね。ジャガイモが当たりだった予感が」
そんな批評を口にできたアッシュが、一番平静だったと思う。
「では、頂きましょう」
アッシュが手を伸ばして、ひょいとコロッケを頬張る。
手掴みだ。マナーがなっていない。食堂でやったら、すかさずリイン寮監からお叱りが飛んでくることだろ。
だが――俺とサイアスとアーサーは、互いの顔を見合わせた。
そう、ここは厨房であって、食堂ではない。
頷きあって、三人そろって、素手でコロッケを口に放りこむ。
「あふっ」
「んぁっつ!」
「はふ、んんっ」
熱い!
しかし、美味い!
油で揚げた香ばしい風味に、サクサクとした外側の食感、その後から溢れてくるほくほくとしたジャガイモの舌触り。
熱い熱いと息を吐けば、ジャガイモが持つ土の風味が鼻を抜けていく。
この時点でも楽しい一口だというのに、この上さらに、具材の肉の旨味とよく炒められた玉ねぎの甘さが舌の上にやってくる。
「美味い! これ美味いな!」
「これ味見だけだと逆に腹減るなぁ!」
「んぅ、火傷しちゃった……。でも、熱々食べるの美味しい!」
普段大きな声を出さないアーサーまで、俺達に負けないくらいの大きさで叫んでいる。
ちょっと涙目だけど。火傷、大丈夫か?
「うん、これは良いジャガイモでしたね。舌触りも風味も大変よろしい。ジャガバターでも食べたいところ……いえ、油があるうちにフライドポテトも食べたい。これ、在庫ありませんかね」
唯一平気な顔をしているアッシュは、二個目のコロッケを揚げ始める。
……もうちょっとこの感動を一緒にしてくれないか?
温度差に微妙な空気になりかけた俺達に、アッシュは二つの物を取り出した。
小鉢の中に入った、赤い粘液と白い粘液。
「ここに囚人の皆さんが作っている調味料があります」
揚げ物によく合うやつです――厳かに告げたアッシュの台詞に、俺達は二度目の唾を呑む音を聞いた。
「ケチャップとマヨネーズ、味見しません?」
今度は俺も火傷した。
*****
慌ただしい調理と美味しい味見と楽しい食事を終えて、俺とサイアスは寮室に戻った。
「あ~、ちょっと食いすぎた~」
腹をさすりながらのサイアスの呟きは、中々苦しそうだ。
俺は黙って頷いて、同意を示す。
結局、味見で四個もコロッケを食べたからな。
四人で分けたといえ、腹に溜まりやすいジャガイモたっぷりの料理だったから、どう考えても味見の範疇を超えていた。
でも、味つけなしと、ケチャップつきと、マヨネーズつき、そして最後に一番気に入った食べ方をもう一度試すためには、四回の味見が必要だったんだ。
この苦しみは避けられないことだったのだ。
後悔は微塵もしていない。
アッシュが、胃薬代わりのハーブ飲料もくれたしな。シソジュース、とか言っていた。
酸っぱい風味がコロッケの後には心地よくて、多少気分がすっきりした。
「にしても、アッシュ君にはほんとに感謝しないとな」
サイアスの声は弾んでいる。コロッケを気に入ったサイアスは、自分の村でも作れるかアッシュに聞いたところ、「油が高価すぎる、そこが難点」と返された。
確かにそれは難しい。サイアスはがっくりと肩を落とした。
そこからである。
そこからがアッシュだった。
「難しいから無理だ」なんて、当たり前にあきらめはしない。
『では、油を安く手に入れるにはどうすればいいでしょう』
アッシュの発想はシンプルだった。
買えば高い。なら作ればどうか。
「動物の油はうちの村じゃ厳しいから、植物の油なぁ」
サイアスは、アッシュ同様農村の生まれである。
油が取れる作物を、村の畑で作れば良い。もちろん、畑だってタダでそこにあるわけではないから、簡単な話ではない。
……ということを、俺は知らなかったが、アッシュが教えてくれた。
『遊んでいる畑なんてないでしょうから、油製造用の作物を植えたら別な作物の収穫が減ります。大丈夫とは言えないでしょう。では、畑を増やします? その労力をどこから持ってくるか。畑を増やしたとして管理できるか。他の作物に影響がないか。調べないと手がつけられませんね』
畑に種を植える。
農業というのは、たったそれだけのことに、これほど考えることがあるのか。
俺がうろたえるほど、アッシュの挙げた注意点は多く、助言は多かった。
そして、それを説明するアッシュの熱心さと来たら、我が事のように前のめりだった。
油がよく出る植物自体もなににするか、アッシュは矢継ぎ早にまくしたてていたが、俺にはよくわからなかった。
菜の花がいいとか、養蜂と一緒ならなおいいとか。
「サイアスはなに言ってるか、あれでわかったのか?」
「いや、全然」
おい、大丈夫なのか、それ。
「でも、そういうのがある、ってのはわかったからな。アッシュ君の言ってることはわかんなかったけど、やりようがあるってのはよくわかった」
サイアスは、机に座って羽ペンを手に取る。
「つまり、調べろってことなんだな。やりたいことがあるなら、止まらずに調べろ。アッシュ君は、そうやってるんだよ」
あまり机に座っている姿を見ないサイアスが、机に前のめりになる。
「俺は最初、コロッケを食べて、これを村の皆にも食わせたいって思った。だから、アッシュ君に聞いてみた。これ俺の村でもできるかなって、そしたら油が高くて手に入らないときた」
自分はそこであきらめた、とサイアスは言う。
「俺はそこまで。油が高いって壁にぶつかってお終い。でも、アッシュ君は、その壁を調べるんだな。油は高い、安くするにはどうすればいい? すると壁に穴を見つける。油を自分達で作れば良いってな具合にな。次はその穴が、自分が通れるくらいのものか、さらに調べるんだ」
削るような音を立てて、羽ペンが走る。
「これってさ、頭が良いとか悪いとかじゃないよな。真剣さの違いだ。俺の村でもコロッケを食べたいってわがままに、どれだけ真剣に向き合うかって話」
サイアスは、俺の見たことのない表情をした。
歯を噛み合わせ、ぐっと力をこめた表情。
「俺のわがままだぞ? お袋とか妹とか、村でよく遊んだ奴とか、普段ろくな物食べてないんだから、こんな美味い物を食わせてやりたいなって、俺のわがまま。だって言うのに、あの一瞬、アッシュ君の方が真剣に考えてたんだ」
俺は初めて見た。
サイアスが、怒っている表情を。
モルド達にバカにされた時だって、不機嫌にはなっても、今にも殴りかかるのではないかと思わせるほど怒ってはいなかった。
「それはダメだ。余所者の方が、俺の家族や友達のことを真剣に考えてただなんて、恥ずかしくってこのまま村には帰れねえ」
そして、その怒りは、外ではなく内、サイアス自身に向いている。
怒りのエネルギーに任せて一気に書き殴った紙を、サイアスは壁に出っ張っていた釘にぶっ刺して、部屋に掲げてみせた。
「俺は、俺の村の皆を腹一杯、美味い飯を食えるようにするぞ! 俺の村版農業改善計画だ!」
サイアスは自分の夢をそこに記した。
そこに向かって自分は進むのだと、まだまだ汚い字、拙い字で。
それは夢だった。
まだまだおぼろで、歪にしか見えていないだろうに、サイアスが人生をかけて挑むと定めた夢。
サイアスは、俺のルームメイトは、ここまで熱い男だったろうか。圧倒される心地だ。
いや、思えば、そういう一面はあったように思う。婚約者探しや有力者との接触に、俺よりずっと熱心だったではないか。
責任感が強かったのだろう。
裕福とは言えない村の金で都市へ留学した以上、それに見合う成果をだそうともがいていたのだ。
それが今、俺の目にも見える形で現れただけなんだろう。
灰の中でくすぶっていた熾火が、その上に積まれた薪に火をつけたように。
これが、アッシュの力か。
アッシュと話していなければ、サイアスはここまで動き出さなかったはずだ。
農業改善計画という名前を出したところからも、それがわかる。きっと、ずっと意識していたのだろう。自分の村も、もっと豊かになるんじゃないかと。
アッシュが先んじて、皆の目に見せていた目的地があったからこそ、サイアスは火がついた。
アッシュは、やはりすごい奴なのだな。
憧れの少女が一途に見つめる先に、俺はまた一つ、納得を抱いた。




