陽下の花3
【シナモンの祭壇 グレンの断章】
最近、軍子会の空気が悪い。
原因はわかっている。モルド達だ。
前々からアッシュへの陰口が聞こえて来て、気分が良いものではなかったが、段々と他の人間も標的にし始めている。
特に領都以外の出身者への当たりが強い。
今日も、神殿での読み書きの勉強を終え、座学担当の神官がいなくなったら勉強中に間違えたサイアスのことを囁き始める。
「あの程度の問題も答えられないとは、軍子会のレベルが下がるな」
「本当だよ。大人しく畑の世話でもしていれば良いのに」
毎度毎度、腹の立つ奴等だ。
俺は机を叩いて立ち上がる。
「モルド、なにか言いたいことでもあるのか?」
「いいや? なにか聞こえたかい?」
モルドは少しばかり腰が引けているが、へらりと笑って返す。
このやり取りも、もう何度かやっている。
こいつら、名前を出さないで悪口を言うくらいの悪知恵が働くようで、追及しても「誰のことかなんて言ってないはずだ」と煙に巻いてくる。
「よく聞こえなかったから、なにか言いたいことがあるのかとたずねたんだ。小声でぶつぶつ言っているのが気になったからな」
「ああ、こっちの話だ。気にしないでくれ」
「じゃあ、どこか他のところで話せ。よく目があって気に入らん」
「おいおい、ここは神殿の教会室だ。お前に俺達を追い出す権利はないだろ」
全くもってその通りだ。本当に腹の立つ奴等だ。
今度、武術稽古の時に叩きのめしてやろうか。
そう思うが、いやいやそんなことをしてはいかんと首を振る。
でも、むかつく。
「いいよ、グレン」
どんどん重なっていく怒りを持て余していると、サイアスが肩を叩いてなだめてきた。
「実際、オレ達って勉強できない組だからさ。しょうがない」
「だが、だからこそこうして勉強しているわけで」
「まあ、勉強はしてるけどね。でも、今日も間違えたし、オレはとっても恥ずかしいと思ってるんだよ」
サイアスは、額を押さえて大きな溜息を、それはもう、大きすぎてわざとらしい溜息をつく。
「アッシュ君なんか、読み書き計算も完璧なんだって? やってることは、ちょっとオレついていけないけど……ヤエ神官が見たこともない才能だって褒めたらしいじゃん。いやぁ、あれに比べれば、確かにオレ達なんか馬鹿にされてもしょうがない。恥ずかしい。恥じるよ、オレは」
あれに比べれば、この教会室にいる連中はどんぐりの背比べだ。
サイアスは、そう言いたかったようだ。
確かに、実際そうだろう。
やっていることは少々……というか、とびきり珍妙なことだが、領主代行のイツキ様を動かすほどの成果を出しているのだ。
それも、この短い間で。
読み書き計算が勉強途中のモルドを含めた俺達なんて、アッシュを中心にしたあの四人から見れば大差ないレベルだろう。
「確かにな。そういう意味なら、俺も恥を知らないと……」
いや、正直座学の成績だと俺はサイアスより悪いので、本当に恥じなければダメだな。
もっとがんばろう。苦手だけど。
「うん、一緒にがんばろうな、グレン。もちろん、そっちも一緒にな」
サイアスがモルド達にも声をかけると、連中の顔が真っ赤になった。
「あんなのと、お前達と一緒にするな! これ以上がんばる必要などない!」
モルドが大声で叫んだ、丁度その時だった。
「やめなさい」
教会室のドアを開いて、凛とした少女の声が叱責する。
「ここは神殿。知識を得て、知恵を磨くための場所です。そんな場所で大声を出すなんて、軍子会の品位に障るわ」
しゃんと伸びた背筋、胸を張って告げられる声。
思わず、俺も背筋が伸びる。隣ではサイアスもそうだ。
そんな俺達の様子を、少女――レイナがついっと流した視線で確認すると、よろしい、とでも言うように軽く頷かれた。
ほっとする。
腕力的な意味では、レイナより俺の方が強いのはわかっているのだが、どうにもそれとは違う強さがあるんだよな。
「まったく……。誰か見ていないとマナーも守れないようなら、勉強以前の問題だわ。以後、気をつけなさい」
どうやら、俺達は相当大きな声を出していたようだ。別室の四人に聞こえるくらいの。
だから、レイナが叱りつけに来たのだろう。
静まったのを確認して、レイナが踵を返す。
そこに、モルドが舌打ちをした。
「親がああだからって自分まで保護者気取りか……」
続けたモルドの台詞が、俺にはそう聞こえた。レイナにも、聞こえただろう。
去ろうとしたレイナの背中が止まり、小さく嘆息した。
「わかっていないわね。わたしはね」
くるりと少女が振り返る。
「わたしは世話を焼くのが好きなのよ。手のかかる子って、可愛いでしょう?」
振り返った少女の顔は、それはそれは、綺麗な笑みだった。
ただし、その笑みには、怒ったぞ、とはっきり書いてある。
*****
その日、食堂でサイアスが何人か仲の良い男子を集めて、相談を持ちかけた。
「今期の軍子会で、誰が一番可愛いと思う?」
真剣だった。サイアスの顔は、どこまでも真剣だった。問われた連中も、真剣な顔だ。
「マイカちゃん」
「マイカ様」
「レイナお姉様」
……何を話しているんだろうな、こいつらは。
そして、なんで俺は同席させられているんだろうな。
「あー、ちょっとレイナさん派が増えた?」
おおよその意見が出そろったところで、サイアスが確認する。
「いやぁ、今日のレイナさん見たら……。ほんっとお姉さん。お世話を焼かれたい」
「わかる。今日のはよかった。あんな怒ってるってわかる笑顔なのに、惚れると思った」
「可愛いって言われるのは癪だけど、レイナお姉さんなら仕方ない」
真面目な顔でアホな話をするな。
「なあ、サイアス。お前のいう情報交換会って、こういう話をしていたのか?」
「まあ、大体こんな感じ」
「お前等なにしに軍子会に入ったんだ」
「馬鹿、婚約者探しだって大事な目的だ。グレンだって、親から言われただろ?」
うん、まあ、それは言われたが……。しかし、堂々と話すことじゃないだろう。
いや、女子がいなくなってからの集まりだから、堂々、というのとは少し違うか。
でもな、品の良いこととは思えないぞ。
「まあ、気晴らしだよ、気晴らし。こういう馬鹿な話でもしないと、モルド達への怒りのやり場がな?」
「それは……まあ、わかるけど……」
「真面目だなぁ、グレンは……。でもさ、モルド達のあの嫌がらせ、どうする? って最初から悩んでも困るだけじゃん」
サイアスが真面目に放った問いかけに、俺も答える言葉がなく唸る。
他の参加者はどうかと見渡せば、誰もが首を振ったり頭を掻いたり、答えはない。
言葉にしてしまえば、あいつらはただ陰口を言っているだけだ。
腹が立つし、邪魔だが、大人達に訴えても大した罰は与えられないだろう。大人がいる時はあいつらも大人しい。
じゃあ、自分達でどうにかしようとすると、口喧嘩では解決できないし、実際に殴り合いでもしようものならこっちだって怒られる。
打つ手が思いつかない。
「う~ん、こりゃ今日も可愛い女の子の話をして終わりか?」
サイアスが場を和ませようと笑うと、
「なに? 女の子を呼んだ?」
耳に心地いい声が笑い返して来た。
ぎょっとして、冷や汗交じりで全員が食堂の入り口を振り返ると、さっきの話で今期一番可愛い女子とされていた少女が近づいてくるところだった。
「えっと、よく聞こえなかったんだけど、女の子に相談ある感じだった? それ、あたしでもいいかな?」
「マ、ママママイカ様でもいいって言うかぁ!?」
サイアスが見たことないほど動揺している。
それもそうか。仲良くなれないかと長いこと悩んで無理だった相手が、向こうからやって来たのだ。
「あれ? あたしじゃダメだった?」
「ダメじゃないです! 最高です!」
「そう、よかったぁ」
にこっと笑うと、男子は誰もがその顔に見惚れる。
うん、まあ、他人事みたいだが、俺もな。
「それで、どんなお話かな? 任せて、これでも色々できる子なんだよ、あたし」
椅子に座ってマイカが片目を伏せて言う。
本当に驚くべき人だと思う。見目が良く、血筋も良いのに、なんとも気さくで、するりと懐に入って来る。
まあ、これだけ親しみやすくても、「誰が一番可愛いか話し合ってました」「あなたが一番でした」なんて言えるはずもない。
どう応えて良いかわからず、サイアスが助けを求めるように必死にあっちやこっちを見る。
この中で一番落ち着いているのは、多分俺だな。
一応、武芸の稽古で何度か話したことあるから、他の連中よりはちょっと慣れている。
「ああ、えっとだな」
んん、と俺が咳ばらいをして誤魔化す。
「こっちは大したことない話だ。それより、マイカこそ、食堂になにか用があったのか?」
「食堂っていうか、皆にね」
「俺達?」
「うん、レイナちゃんから今日のお昼のお話聞いてね」
マイカの言葉に、俺はサイアスに視線を向ける。サイアスも、他の男子も、表情が渋い。
こう思うのも恥ずかしいが、気になる女子に知られるにはみっともない事件だったからな。
「うんうん、わかる、わかるなぁ」
そんな俺達に、マイカは腕を組んで大きく頷く。わかるのか。
「あたしもね、読み書き計算が全然できなくてね。あ、元々お勉強とか嫌いだったんだよ」
ん? なんか思っていた話と違う。
「そ、そうなのか」
「そうなの。でも、アッシュ君が村の教会に通って読み書き計算できるようになってるって聞くと、まあ村長家の娘として、このままじゃヤバイかも、なんて考えちゃうよね?」
「そう、かもな?」
「うん、周りができるのに自分ができないっていうのは、色々考えちゃうよねぇ」
ちょっと俺達が思っていたのとは違うが、マイカの言うこともわかる。
というか、確かに、俺達の中にもある気持ちだ。
やっぱり、同い年くらいでできている奴がいると、どうしても自分と比べてしまう。
焦りとか、うらやましさとか、もちろん自分を情けなく思いもするし、できている奴に、ちょっと嫉妬したり。
「そこで、気持ちがわかるあたしとしては、皆のお勉強のお手伝いをしたいなと思うの」
それは、とサイアスが生唾を飲む。
それは、マイカが勉強を教えてくれるという意味に取れるのだが。
領主一族の人間であるマイカと接点ができる上に、勉強まで。
そんな贅沢、良いのだろうか。
「せっかく軍子会の同期になったんだもん。こういう助け合いも大事だよね。いやあ、ごめんね、今まで気がつかなくて。村から出て来てバタバタしちゃって、余裕がなくって」
「あ、ああ、なんか忙しくしているのは知っている」
なあ、とサイアスに声をかけるとぶんぶん頷く。
「え、ええ、なにをやっているかまではわかりませんが、畑がどうたらって噂は」
「そうなの! アッシュ君がすごくてねぇ、皆で必死について行ってるとこ……。あ、そうそう、この話はアッシュ君も賛成してくれててネ? ぜひやろう、ってネ?」
……今、なんかマイカの声がちょっと変だった。なんだ?
俺の違和感に、サイアスは気づかなかったらしい。気のせいだったろうか。
サイアスが話を進める。
「へ、へえ、アッシュ君とはほとんど話ができてないんですけど、良い人? なんですね?」
「もっちろんだよ! アッシュ君はあたしに勉強教えてくれる時も丁寧だったんだから。あたし覚えが良くなかったんだけど、たくさん付き合ってくれてね」
えへへ、とマイカが照れ臭そうに笑う。
その顔が、また一段と……ちょっと目に毒だな。
「えーと、なんだっけ? あ、そうそう、お勉強ね。どうかな、こんな感じで食堂とか使って、定期的に集まるの。アーサー君とかレイナちゃんも協力してくれるよ」
「マジか」
サイアスが反射的に漏らすと、マイカがにっこりと笑う。
「マジだよー」
どう? と愛らしく傾げられた少女の顔に、答えは決まっていた。
マイカの誘いの先には、顔つなぎしたかった人間が勢ぞろいなのだ。四苦八苦していたサイアスや、その情報仲間が迷うはずがない。
「じゃ、決まりだね! 他にも、お勉強が苦手な子とか誘ってよ。女子にも声かけてるし、皆で仲良くしようね」
降ってわいた幸運に、一同が歓声を上げる。
その楽しそうな騒音の隙間を、ぞっとするほど冷たい空気が通った。
「仲良くできる子はね」
嬉しさを表現するのに忙しいサイアス達は、気づかなかったらしい。
気づいたのは俺だけだ。
冷気の方向を見ると、マイカだった。だが、彼女は俺の視線の気づくと、どうかしたの? と首を傾げて微笑むだけだ。
俺の、気のせいだったろうか?
*****
アッシュ主催の勉強会(ただしアッシュ本人は滅多に参加しない)という、ちょっと訳のわからない集まりが開かれるようになってから、軍子会の交流は一気に進展した。
なんだろうな。
徒歩で行軍していたら、そんなんじゃ陽が暮れるぞ、と騎馬の群れに拾われたような感じがする。
これまで一歩一歩踏みしめていた苦労がバカみたいに感じる。
「ふっ!」
鋭い呼気とともに振り下ろした剣戟は、自画自賛ながら、剣閃の域に近いものがあったと思う。
現在の自分にとって、会心の一振り。
「おっと」
それを訓練相手は、ちょっと驚いた表情で防いでみせる。
短い赤髪がなびく下、金の眼がしっかりとこちらの剣筋を捉えている。
「グレンさん、訓練ですからもうちょっと手加減しません? 体格が良いグレンさんの剣を受けるの恐いです。夢でうなされそうですよ」
よく言う。俺は小さく笑ってしまう。
恐いと言いながら、輝く光のような金の瞳は、涼し気なくらい平然と俺の動きを見つめているじゃないか。
「もう少し強く行ってもよさそうだな!」
「あれ? 私の言ったこと聞こえませんでしたか?」
「いくぞ!」
「あ、やっぱり聞こえてない感じですね」
一度アッシュを突き放し、その距離を使って斬りかかる。
間合いは木槍を持ったアッシュの方が大きいのだが、どうにも奴は受け身だ。基本的に、敵の攻撃を受けて、返してくる。
マイカもそういうところがあるので、クライン卿の武術自体がそういうものなのだろうが、それにしても後手後手に回る。
だが、弱いわけではない。
助走こみで上段からの斬り下ろしに対し、アッシュは正確に角度をつけた木槍で受ける。
威力が割り引かれ、剣が槍の上を滑る。アッシュは受けるだけではなく、軽く押しのけて来るので、結果的に俺の剣は弾かれた。
二度、三度と切り返しても同じ。
マイカの受け流す技とは違うが、類似を感じさせる防ぎ弾く技。槍をまるで盾のように使う奴だ。
では、受けきれないほどの力をこめようと大振りにすると、槍を小さく回して追い払ってくる。
強い、とは言えない。
しかし、弱い、と言うのも納得がいかない。
父から聞いたことがある。世の中には、強くはないのにやりづらい相手がいる、と。
「これが厄介な手合い、という奴か!」
「それよりさっきから打ちこみが強すぎません? 当たったら怪我しそうなんですけど?」
当たりそうにないから強くいっているんだ!
こうなったら意地でも一本当ててやるぞ――鼻息荒く襲いかかった結果、俺が勝った。
ただ、一本取ったわけではない。
「もう無理です、もう止めましょう、疲れました、私の負けです」
息を荒げて汗をかきながら、それでもまだ余裕がありそうなアッシュが降参したのだ。
ぐぬぬ、納得がいかん! 再戦だ、再戦!
「ええ? 嫌ですよ~、疲れたから降参したのにすぐ再戦とか」
「それでも騎士か!? 気合が足りないぞ!」
「いえ、騎士じゃないですし」
あ、そうか。
「そういえばそうだったな。熱くなってうっかりした」
「私はごくごく一般的な、普通の農民の子ですよ」
一般的? 普通?
「それだけはないと思うぞ」
だってお前、俺から見ても今期の軍子会の牽引役になっているじゃないか。
いや、表向きはマイカを中心にレイナとアーサーで引っ張っているから、影の牽引役と言うべきか。
そんなことできる奴が一般的で普通の農民の子であってたまるか。
そもそも、農民の子が軍子会に入ったということ自体、父も聞いたことがないなと言っていたぞ。
「う~ん、そう言われると確かに変かもしれませんが、巡り合わせに恵まれたと言いますかね?」
村にいた教会の神官がやりやすい人だったとか、村長家の娘であるマイカが幼馴染であったとか、村長夫人のユイカ様が良い人だったとか。
うん。なるほど。
聞いていると、本当に良い巡り合わせがあったのだなという気がしてくる。特に、幼馴染がマイカであったという部分には、胸が痛むほど頷ける。
それは個人的な感傷という奴だな。はっきり言うと、嫉妬だろう。
それを抜きにすれば、アッシュは話している分には、礼儀正しく、明るい奴だ。
これで武芸の腕も悪くないし、頭は俺が思いつかないほど良いと来た。
「こうしてよくよく話してみると、アッシュはとてもまともだな」
悔しいから、素直に誉め言葉なんて出て来ないが。
マイカが見つめる男は、こういう男だったのだな。
まあ、だからといって、やっぱりやってることは変だと思うぞ。
なんで軍子会にいるうちから執政館が騒ぎになるようなことやってるんだ、お前?
レイナが母親の心配していたって、どんだけやらかしたら、あのリイン寮監がそうなる。




