陽下の花2
【シナモンの祭壇 グレンの断章】
軍子会の同期が全員そろって、本格的に活動が始まってからそれなりに時間が経った。
全員の注目は、例のグループに集中している。
もちろん、できれば仲良くしたいという思惑があるからだが、それはきっかけにすぎなかった。
例のグループは、ただでさえ目立つ人物ばかりなのに、やっていることもすごく目立つ。
この日も、サイアスが仕入れて来た例のグループの話は、驚きなしでは済まないものだった。
「アッシュ君、ヤック料理長とめっちゃ仲良い。二人して厨房でお話してたんだけど、あのヤック料理長が笑ってんの。ていうか、アッシュ君と二人で笑いあってんの、あのヤック料理長とアッシュ君が」
「あの、ヤック料理長とか?」
思わず、あの、という部分に力が入る。
外見で人を判断するなんて恥ずべきことだ。そうわかっているが、あのヤック料理長の顔を見ると、俺もちょっと言葉がつまる。
悪い人ではない。
料理に関してはすごい人だし、教え方も丁寧、良い人なんだということは、わかっている。
でも、調理当番の時、ちょっと、いやかなり、緊張するのだ。
迫力がすごすぎて。
「アッシュ君、めっちゃにこやかだった……。アーサー様とかマイカ様とか、そういう友達と普通に話す時と同じ、あのめっちゃいい笑顔だった……。イケメン妬ましいけど、あれができるのはカッコイイと思うわぁ」
「俺もそれはすごいと思うな……」
心の底からそう思う。今の俺にはとてもできない真似だ。
「しかし、ヤック料理長と一体なにをしているんだ?」
「料理長とだから、料理っぽかった。良い匂いしてた」
「いや、まあ、そうだな。そうだろう」
それが一体なんのためか、というのが気になるんだが。
「オレもよくわかんないけど、リインさんに料理を持って行ったみたいだけどな」
「寮監殿に? なんのために?」
それはわからん、とサイアスは肩をすくめる。
「リインさんから呼び出しがあったとかいう噂は聞いた。農民が調子に乗るからなんちゃら、っていう話とセットだから、いまいち信用はできないかな?」
「確かにそれだと信じられないな。モルド達だろう、それ言っているの」
アッシュを敵視している奴等の噂話だ。
前は信じていたのだが、最近はあいつらの言うことは話半分だと思うようになっている。
アッシュは正体不明という意味で、かなり怪しいところがあるので、当初はモルド達の発言が正しいように聞こえていた。
ただ、モルド達の言っていることが段々と大きくなってくると、そんな危ない人間と他の三人が一緒にいるだろうか、という疑問が出て来る。
現在、モルド達の言っていることはもっと大きくなっていて、それが本当ならアッシュは軍子会に参加できないレベルの人物だ。
流石に、そんな人間を軍子会に混ぜこむようなこと、リイン殿やイツキ様が許すわけがない。
そうは思っても、アッシュをすぐに信じるのも無理なんだよな。
なにやっているかわからないから。それはサイアスも同じようで、まだ話のきっかけも掴めていない。
「そもそも、あのグループはわからないことだらけだ。話のきっかけを掴もうと必死になって情報集めてんのに、訳がわからないんだよ」
サイアスはほとほと困ったという表情を隠さずにぼやく。
「そもそも、あのグループの中心って誰なんだ、ってことからしてわからない」
普通に考えれば、アーサーかマイカだ。
そうでない場合、年上で親が寮監という立場からレイナが妥当。
当然のことだ。平等な仲間と建前を述べても、やはり家柄など全く気にするなというのは無理だ。
能力的にも、三人は神殿での共同座学に参加していない。
つまり、読み書き計算がしっかりできるということだ。
俺やサイアスを初め、他の大多数は読みが少々、書きはごく少々しかできない状態であることを考えれば、グループの中心になるに十分な能力だ。
というか、あのグループ以外なら、どこにいっても三人とも中心になる。
である、はずなのに……。
「なんでなんだろうな。オレにはどう見ても、アッシュ君が中心にいるようにしか見えないんだよ」
おかしいだろ、とサイアスに問われたので、俺も素直に頷いた。
おかしいと思う。
「しかも、ヤエ神官まで一緒になって調べ物してんじゃん? 皆してなんか難しいこと話してるじゃん? 始まりから終わりまでアッシュ君が一番元気じゃん? むしろ、ヤエ神官がアッシュ君に質問してるじゃん?」
マジでおかしいだろ、とサイアスに問われたので、俺も素直に頷いた。
マジでおかしいと思う。
「話の内容が畑関係って聞いて、オレ一回はいけると思ったんだよ。これでも農村の村長家の人間だもん。わかることはあるよ? でも、畑の話に豚とか牛とかの下の話が出て来てんじゃん! もー、なんだよそれー、全然わかんないってー」
がっくりと、サイアスはしゃがみこんでしまった。
どうやら、相当がんばって情報を集めたのに、全くの無駄足になってしまったようだ。
「オレ……ちょっとしばらく、あのグループとは距離置くよ。なんだかんだで、情報集めてる間に他のグループの同じ連中と仲良くなったし、そっちの方とお話するよ」
「うん、まあ……そうしろ?」
実際、他の連中もあのグループには近づけていない。
サイアスのように、あまりに得体が知れないので距離を置き始めた者達や、アッシュが中心だと見て露骨に悪態を見せる者もいる。
時間はまだまだあるわけだし、ここまでがんばったサイアスには休む権利があるだろう。
それにしても、あの寮監殿とアッシュの組み合わせか。一体なにをしているのやら。
普通に考えれば、ヤック料理長と料理をしていたというなら、なにかお願い事があってリイン寮監に食べ物を差し入れする、といったところか。
ただ、あの寮監殿がたかが食べ物程度で判断を変えるとは思えない。なにか機嫌を損ねるようなことをしなければいいのだが……。
サイアスではないが、どのような反応があるか、しばらくは注意深く過ごすことにしよう。
*****
今日の軍事系の授業が、急遽中止になった。最近は、軍事担当のジョルジュ卿が忙しいのか、休みになるのも皆慣れたものだ。
それぞれ自習を始めたり、これ幸いといった顔で遊びに興じたり、三々五々散っていく。
その中で、俺は一人の少女の姿を追う。今日の授業中止を伝えたマイカだ。
彼女は、アーサーとレイナと一緒に中庭の方へ出て行く。
いつものメンバーというには、アッシュがいないな。今日は別行動なのかもしれない。
「サイアス、お前も今日は武芸の鍛錬をしないか」
あまりそっち方面に熱心でないサイアスは嫌そうな顔をしたが、俺の視線の先を見て仕方なさそうな顔になる。
「う~ん、まあ、見ているだけなら」
バカ言え。俺の相手をしてもらうぞ。
マイカに声をかけられるか、様子見している間な。
今にも断りそうな顔になったサイアスだが、マイカ・アーサー・レイナと話をするきっかけが掴めるかも、という誘惑に抗えずについて来た。
どうやらマイカを中心に、レイナ・アーサーが挑みかかるというか、マイカの相手をするというか、稽古をつけてもらうというか……うん、マイカと他二名の腕前が違いすぎるな。
前にもちらりと見たが、あの四人の中でマイカの相手ができるのはアッシュだけのようだ。
「うわぁ、すげえ。俺の目から見ても、マイカ様が図抜けてるのがわかるわ」
「ああ、すごいな。レイナやアーサーが明らかに軍人志望ではない、ということを考えても、飛び抜けている」
踏みこみは鋭く、剣筋は速く、しかし動きの全てが直線ではなく、最短を結ぶ円の連なりで作られている。
今期の軍子会の中で、現在最も洗練された動きだろう。いや、二年後の修了まで見据えても、あの動きに追いつける者が果たして何人いるか。
そして、一番気になるのは――練習用の木剣を握る手に力をこめて、マイカの方に踏み出す。
レイナもアーサーも、マイカの動きにもうついていけないと両手を挙げている。
今なら話しかけても良いだろう。
意を決して、物足りなそうに木剣を素振りしている少女に声をかける。
「ちょっとすまない」
「あ、えーっと、グレン君だよね?」
振り向いて見せる笑顔と、その笑顔で名前を呼ばれたということに胸を突かれたような心地になる。
「寮に入った日に、階段のところでぶつかりそうになった人だよね」
「うん、あの時のことを覚えていてくれてよかった」
「あの時はごめんね、ちょっと気持ちが急いでて」
やはり待ち合わせをしていたのだろうか。とすると相手は誰だろう。
同じ日にやって来た、同じ村から来た男子だろうか。
気になって仕方ないが、そこまで踏みこむのも躊躇われる。
それに、今確認したいのはそっちじゃない。
「いや、それは気にしないでくれ。ぶつからなかったわけだし、俺も気を抜いていた。足音に気づいていれば、ぶつかりそうになることもなかっただろう」
今、一番確認したいのは――
「それより、あの時から気になっていたんだが……」
俺の剣が、この可憐な少女の洗練された動きに、食いついていけるかどうかだ。
「一本、手合わせをしてもらえないか」
「いいね」
軽やかな即答を返した少女の笑みは、夏の太陽のような鋭さを持っていた。
*****
向き合った少女は、力みという言葉とは無縁の軽やかさで、木剣を中段に構えた。
それだけで、打ちこむことが躊躇われるような空気が、少女の細い体を包みこむ。
どこに打ちこんでも打ち返してくるのがわかる。まるで剣を生やした鎧をまとったのかのような威圧感。
外から見てもわかっていたが、実際に敵として前に立つと予想以上のやりづらさだ。
レイナやアーサーが相手にならないのも納得できる。
ならば――俺は、マイカのものより大きな木剣を上段に構える。打ち返される前に、剣を振り切る構えだ。
マイカの威圧感が薄くなる。これなら打ちこめる。
だが、俺の対応を見たマイカの表情から笑みが消えると、再び威圧が強まった。
――おいおい、さっきまでは、油断していたとでも言うのか?
剣を全身から生やしたような凄みを感じさせた、あれで?
いいぞ。
唇が吊り上がる。
同年代を相手に、勝てないかもしれないと思えるのはいつぶりか。
じりじりと、緊張が足元からせり上がってくる。攻めあぐねている。だが、それは相手も、マイカも同じだ。
間合いは俺の方が広い。剣はすでに振りかぶっている。
マイカが踏みこんできたら、全力で斬り伏せる。
あ、もちろん、これは訓練だ、訓練。寸止めを忘れていない。
ただ、そういうつもりでやるというだけだからな、一応。
お互い、次の一手をどうするかを、睨み合いながら無数に模索する。
その、最中――表情を静めていたマイカの口元が、獰猛な意思を灯した。
考える前に、直感した。
来る。
滑るような足さばき。ともすると宙に浮いているのかとも思わせる踏みこみに対し、上段から真っ直ぐ剣を落とす。
よく反応した!
剣のことで自分を褒めたくなるなんて久しぶりだ。見落としてもおかしくないマイカの動きに、自分の体は的確に動いた。
見落としていたら……。その冷たい想像が、背筋を滑り落ちていく。
一瞬で勝負は決められていたかもしれない。
だが反応できた。
木剣が、勝利を求めて真っ直ぐ最短距離を駆け下り――剣の横っ腹を蹴り飛ばされたように、弾かれる。
信じられん。
マイカの細い手足を思う。
大人に負けない俺の体格が、上段からの渾身の振り下ろしをしたのだ。それをマイカの細腕で、こうも容易く防がれるなんて。
疑問に対し、同時に答えを想像する。
恐らく、剣速と角度、それから全身の使い方が上手いんだろうな。
踏みこんだ足先から、膝、腰、肩を使った全身の力で振るわれた剣で、俺の剣を真横から押しのけるように叩いた。そんなところか。
驚き感心する俺の視界を、黒髪が流れていく。
剣を弾いた方向とは別方向への動き、死角に回りこむつもりか。
弾かれた剣に引っ張られて流れかけた体を、全身に力をこめて引き止める。
マイカの姿はもはや視界の中から消えている。どこに行ったかを探してから対応するのでは遅すぎるだろう。
間に合え、と念じながら止めた剣で背後を薙ぎ払う。
デタラメと狙いが半々で振るった横なぎは、手応えを得た。だが、当たったというには軽すぎる。
それもそのはずで、マイカは身を伏せながら横なぎを上にそらしたのだ。
再び、剣を流されたことで体勢が崩れた俺の背後に向けて、マイカが踏みこんで来る。
これがマイカの剣か。
こちらの攻撃を受け流して、反撃で仕留める。父の騎士仲間にも、こうした戦い方をする人達がいる。
彼等はいずれも、クライン卿を熱心に尊敬している。
つまりはこれが、百人斬りとも、首狩りとも恐れ憧れられる伝説の騎士が教えた剣なのだ。
崩れかけた体勢を、再度踏ん張ってこらえる。
背後に剣を振るう。
弾かれる。
また背後に回りこまれる。
三度、背後に剣を振るう。
弾かれる――いや、一歩上手を行かれた。
弾かれるではなく、流されかける。
「っ!」
体をきしませて、今回はぎりぎりこらえる。だが次は?
マイカは俺の攻撃に慣れ始めている。たった三回でか。信じられんが、実際にやられている。恐るべき対応力。
だったら次は、もっと慣れて来る。
じゃあ、どうする。
攻撃を、もっと鋭くするしかない。
こっちだって、体勢を崩されるのに慣れて来たところだ。足踏み、体重移動、剣をもっと小さく回して、強く打ちこむ。
そう、マイカの剣筋のような鋭さで。
いつになく軽く振るわれた木剣が、弾かれる手応え。
マイカの受け流しを、乗り越えたのだ。
もちろん、俺が勝ったわけじゃない。だが、負けなかった。
「まだだ」
弾かれた剣を引き寄せるため、歯を食い縛りながら漏らす。
応えは、弾む呼吸に混じって返って来た。
「まだだね」
まだ、俺達は強くなれる。
こんな楽しいこと、呆気なく終わらせるわけにはいかないな。
言葉にしなくてもわかる。お互い、思っていることは同じだ。
なぜなら、俺もマイカも、口の端がしっかり笑っている。
この日、俺は好敵手に出会った。
*****
「勝った~~!」
「負けた……!」
前の方がマイカの台詞、後の方が俺の台詞だ。
くそぅ、いい試合だったからこそ、地団太踏むほど悔しい!
最後の最後、剣まで捨てて懐に飛びこんで来るとは思わなかった。
「やったやった! あたし今絶対強くなってる!」
そうだろうな。最初と最後で動きが違った。
元からこれだけ動ける力はつけていたのだろうが、それを取り出すためのフタの開け方がわからなかったというか、そういう感じだろう。
俺自身にもそういう手応えがある。
ぴょんぴょん跳ねて喜んでいたマイカが、はたと気づいて俺の方に駆けよって来る。
「ありがとう、グレン君! いい勝負だった! ほんっと、ありがと!」
手を掴んで、汗を浮かべた顔で笑うマイカ。
間近な距離で太陽を見たようなものだ。眩しくて、なにかが焼け付く。
「い、いや、こっちこそ、ありがとう。いい勝負だった」
頭の中が真っ白だ。マイカが言ったことをそのまま繰り返すしかできない。
「また手合わせしてもらっていいかな?」
「もちろんだとも!」
マイカにならいくらでも付き合う。
そんな決意が大声になってしまった。
「ありがとう。よろしくね、グレン君」
ああ、とか、うん、とか。
なんか俺はそういうことを口にした、ような気がする。
マイカの表情、仕草、声を感じるのに意識が集中してしまって、考えがまとまらない。
「ええっと、マイカ。ちょっと聞きたいことがあって」
なにを考えているか、自分でもよくわかっていないまま口から零れたのは、きっとそれが一番胸につかえていたからだろう。
「うん? なになに?」
「いつも一緒にいる、アッシュの姿が見えないようだが?」
その時のマイカの表情は、嬉しそうでいて、寂しそうな、自分の大事なものを自慢するようで、その大事なものを落としてしまったような、そんな胸を突くような表情だった。
「アッシュ君はね、ジョルジュさんのお手伝いに行っちゃったんだ」
「そうか」
頷いた俺も、マイカと同じような表情をしていたかもしれない。
そうか。
あれが恋する者の表情か。
相手を想うだけで楽しくて、手が届かない場所にいるだけで寂しいのか。
わかる気がする。手が届かないとわかってしまうだけで、これほど寂しいのだから。
俺はどうやら、初恋をしたらしく。
俺はどうやら、失恋をするらしい。
可憐な少女の美しい感情に、確信めいた予感を覚えた。




