陽下の花1
【シナモンの祭壇 グレンの断章】
その日、夕食前の食堂で、新しく寮館へやって来た仲間の紹介があった。
「初めまして、ノスキュラ村長クラインの娘、マイカ・ノスキュラと申します」
そう名乗って頭を下げた少女は、完璧な淑女に見えた。
大きすぎない微笑み、一人一人の視線を絡めとるような眼差し、するりと胸に入りこんでくるような声、美しさをなぞるようなお辞儀。
完璧だった。
少なくとも、俺が見た中では一番の淑女だ。
目を惹かずにはいられない少女は、集まった視線を前にして、一転、上品な微笑みを崩して歯を見せて笑った。
途端に、完璧な淑女はどこかに行ってしまった。
「これからよろしくね!」
太陽みたいな明るい笑み、日差しのような温かい目、元気が湧いてくるような溌溂とした声、気さくに振られた手振りは、思わず返したくなる。
そこにいるのは、天真爛漫な少女だ。
呆気にとられる。
断崖の高嶺の花としか思えないような上品さから、垣根もなく親しまれる野辺に咲く花のような朗らかさへ。
こんなにも違う印象が、一人の女の子の両手に抱えられているなんて、ありえるのだろうか。
ただの自己紹介を、見る者の目を惹かずにはいられない技にまで高めている。
ましてや、見る側が同じ年頃の男であれば、目を惹くどころではない。釘づけだった。
恥ずかしながら、自分もそうだった。
楽しみで仕方なかった食事の味を覚えていないのは、寮に入って初めてのことだ。
気がついたら夕食は皿の上から消えてしまっていて、自室に戻るしかなくなっていた。
食堂では、あの少女――マイカがまだ食事をしている。すでに仲の良いグループを作っているのか、隣や正面の席に向けて楽しげに笑っている。
その笑みの先に男子もいることが、不思議なほどに悔しかった。
*****
自室に戻ると、相部屋のサイアスが早速今日紹介された新入りについて話題にする。
「いやぁ、可愛い子だったな」
それについては本当にその通りだと思うが、そこまで露骨に言うのはどうかと思うぞ。俺はルームメイトに向ける顔をしかめる。
すると、サイアスは、わかってるという風に笑う。
「この部屋の中だけの話だって。女の子達に聞かれたら、これからの生活が地獄なのは、うん、わかってる」
「女子に聞かれたらどうこう、という話でもないだろ」
品位の問題だ、品位の。
俺は騎士の家系に生まれて、自分も先祖に恥じない騎士を目指しているのだ。人を見かけで判断するなんて、恥ずべきことじゃないか。
「でも、お前も可愛い子だと思っただろ? お前が飯にも目をくれず、ちらちらとマイカ様の方を見てたの、バレバレだったからな」
サイアスの指摘に、視線が泳いでしまう。そんなことはない、と言いたいが、それを口にしてしまえば嘘になる。
嘘はよくない。騎士道が、今度は俺を責めてくる。
「まあ、それはな……正直、見惚れた」
ぼそっと、不承不承でサイアスの言葉を認める。途端に、サイアスは笑って肩を叩いてくる。
「あっはっは、そうだよな。実際に可愛かったんだから仕方ないって。俺達男の子、あの子は女の子、それが普通だよ、普通」
「うるさいぞ」
サイアスのにやけ面を見なくても、顔が赤くなっているのが自分でもわかる。
「あの上品な方と気さくな方、どっちがマイカ様の素だと思う?」
知るか、と言いたいところだが、ちょっとした心当たりがある。
「多分、気さくな方だ」
「お? なんで?」
「昨日、階段で駆け下りて来たところでぶつかりかけた女子がいた。顔や格好をはっきり見たわけじゃないが、あの子だった」
待ち合わせでもあったのか、急いでいる様子だったな。
へえ、とサイアスが感心した声を上げる。
「確かに、走り回るような子なら、明るくて元気よさそうだ。いいなぁ、そういう子の方が好みだよ、オレ」
お前の好みなんて知るか。
大体、昨日まではレイナが一番美人だとか滅茶苦茶熱心に語ってたじゃないか、お前。
「マイカ様になんとかして近づけないかな~」
「そんな不純なことを考えるな、馬鹿。寮監に締め上げられるぞ」
「ごめんなさい。リインさんには言わないで。いや、ほんとに変なことは考えてないから」
サイアスがてき面に大人しくなった。寮監のリイン殿は、本当に恐いからな。
俺は割と早くから寮に入ったグループなのだが、全員がそろう前にすでに問題を起こした馬鹿がいる。無許可で女子寮である二階に踏み入った奴がいるのだ。
女子に悪戯しようと企んだらしい。本当に馬鹿な連中だ。
寮監として目を光らせている侍女リイン殿は、この馬鹿連中をきっちり捕まえた。
罰則は、この冬の寒い時期に、井戸水を使って廊下の清掃を隅から隅までやらせるというものだ。
それだけでもつらい罰だったが、場所が寮の廊下である。当然、男子も女子も、入寮早々に問題を起こした奴の顔を覚えることになる。風当たりはかなりきつくなった。
まあ、今後真面目なところを見せて挽回していくしかないな、あいつらは。
「でも、マジな話、マイカ様とお近づきになるためにはどうしたもんかな」
「おい、まだ言うか」
しつこい話題に睨みつけたら、今度はサイアスも真剣な顔で睨み返して来た。
「マジな話だって言ったじゃん。顔つなぎの意味だよ」
「む、そうか。すまん」
「素直に謝ったから許す」
にっとサイアスは笑って、また俺の肩を叩いてくる。
「お前、本当に真面目な奴だな。すぐ謝れるのはグレンの良いとこだよ」
「そうじゃないと、騎士とは言えん」
「ほんとほんと、オレもそう思う。良いルームメイトに当たったよ。猿神様にお祈りしとくわ」
大袈裟な奴だ。少し照れ臭いので、話を元に戻す。
「顔つなぎの話だろ?」
「お、そうそう。マイカ様な、アーサー様と並んで仲良くしておきたい相手だよなぁ」
「……あ」
そういえば、マイカはノスキュラと姓を名乗った。
あの村の村長クラインといえば、サキュラ辺境伯家の才媛ユイカ様をめとったことで有名な人物だ。
すっかり忘れていた。
父から、クライン卿もユイカ様も立派な人物だから、その娘にはしっかりご挨拶をしろと念押しされていたのだ。
自分自身、父から聞かされたクライン卿の武勇伝には強く憧れている。
「へい、グレン君よ。まさか今の今までそのことに気づいてなかったのかよ」
俺の反応に、サイアスが若干冷たい目で確認してくる。
「あー、その……すまん」
「いや、これは謝られてもちょっと許せないわー。呆れちゃうわー」
返す言葉がない。恥ずかしい限りだ。
俺の方がよほどマイカに見惚れていたことになる。
「まあ、グレンはこういう根回しっつーか、社交はいまいち向かないってのは、短い付き合いだけど、なんとなくわかったよ」
「面目ない」
「う~ん……その分、剣の稽古はがんばってんだし、バランスは取れてるかもな」
最終的に、サイアスは俺を励ましてくれる。なんだかんだで、俺も良いルームメイトに当たったと思う。
横暴な振る舞いの同期も見かける中で、サイアスは他人を悪しざまに言わない男だった。少々軽薄に思える時は多々あるが。
「マイカ様となんとかお話できないかなぁ。なんか、すでにグループできてる感じだったよな」
「ああ、それは俺も気づいた。四人だろう?」
「そう、それも超豪華な四人じゃん、あれ」
そうだったろうか。マイカ以外の顔が出て来ない。男子がいたことは覚えているのだが。
俺の沈黙に、サイアスはまた呆れた顔になる。
「あのグループ、アーサー様にレイナさんまでいたじゃないか!」
「おぅ、それはすごいな」
実質的に、今期の軍子会の有力者――無論、親の権力ではある――が上から三人、あのグループにいた計算になる。
そして、それに気づかなかったのか、俺。
サイアスが呆れた顔になるのも無理ない。というか、節穴扱いで怒鳴られてもおかしくないレベルだな。
「本気であのグループとは仲良くしたい。しなきゃいかん。しっかし、どこから取りかかったものか」
「確かにな。皆、そう考えているだろうな」
ところで、その上位三人に交じっていながら、話に出て来ないもう一人はどんな奴だったか。
「なあ、サイアス。その四人のグループ、もう一人は?」
「あ? ああ、アッシュって奴な。ちょっと正体不明だよなぁ」
サイアスは両手を頭に置いて、う~んと体ごと首を傾げる。
「話を聞けば、ノスキュラ村の農民の倅だ」
ああ、話題になっていたやつだな。
今期には、かなり珍しい推薦参加者がいると。
「ノスキュラ村の出身だから、マイカ様とは仲良くてもおかしくない」
「同郷だからな。当然ある話だ」
「でも、そのアッシュ君、アーサー様の同室になってんだよ。それも、なんかもう仲良さそうだった。アーサー様があんなに話してるとこ初めて見たぞ」
アーサーといえば、現領主様の末の子として王都からやって来た人物だ。
今期の軍子会で親しくなりたい相手を一人選べと言われれば、一位になるだろう。
もちろん、誰も彼もが挨拶に行って、何度も会話を試みている。入寮が早かった連中の大部分は、アーサーに我先に挨拶するために予定を早めていたに違いない。
が、反応は芳しくない。
大抵、アーサーは丁寧に挨拶を返し、無難に会話に応える。
でも、その次にアーサーから声をかけて来ることはない。一部の口の悪い連中は、お高くとまっているとか、所詮は愛人の子だからなどと陰口を叩くほどだ。
これまで、社交辞令以上にアーサーが誰かと話をしている、ましてや仲良さそうにしているなんて見られないことだった。
それだけで、アッシュなる人物は特別だ。
「しかも、神殿でヤエ神官やジョルジュ卿も、なんか名前を口にしていたって噂だし」
ヤエ神官は領主一族の出身で、ユイカ様がいない今、継承権にも関係してくる人物だ。その血筋を置いても、若くして神殿で無視できない発言力を持つ才女としても知られている。
ジョルジュ卿は次期領主イツキ様の懐刀、現領主様の信頼もある重臣中の重臣である。おまけに市民にも人気があるほど清廉潔白で知られる騎士。俺も、理想の騎士の一人だと思っている。
その二人と会話できるほどなにかしら繋がりがあるなんて、今期の軍子会参加者にだってどれほどいるか。
「言葉遣いや作法だって、十分以上に丁寧だし……。いや、改めて考えると、ほんとに何者なんだろうな、あいつ。あのクライン卿とユイカ様の村から来たんだし、実は洒落にならんくらい訳ありなんじゃないか? 農民の参加者ってことで色々言われてたけど……」
サイアスはそこで言葉を区切る。
「下手なことは言わない方がいいな、うん」
若干顔をひきつらせたサイアスは、農家の倅が参加すると噂が流れてから、一部の連中が軍子会の名誉が品位がとわめいていたことを思い出したのだろう。
俺の知る限り、サイアスは「珍しいよな」と口にはしていたが、馬鹿にするような言葉は漏らさなかったはずだ。
それでも、今の反応を見る限り、心のどこかでは下に見ていたのかもしれない。
一応、俺はルームメイトのためを思って釘を刺しておく。
「元より、軍子会においては身分などない、参加者は全員同じ仲間だ」
「うん、そうそう、その通り。だから、きちんと仲間として、平等に仲良くしないとな。とまあ、そう強く思ったわけだよ」
その顔には、下手なことを言わなくてよかった、とはっきり書いてある。
それを見て、俺は苦笑する。立場が変われば、誰が誰の陰口を言っていたなんて情報、あっという間に拡がるからな。
サイアスは、頭の中で思ってはいても、実際にそんな無礼な言葉を口にしなかった。
それを礼儀と言うのだと、父が言っていたな。
「それにしても、アッシュか……」
多分、マイカが一番笑いかけていた男子だろう。
「どういう人物だろうな?」
「とりあえず、顔はよかった。女子の何人かが見惚れてた。めっちゃ妬ましい……」
サイアスの台詞を聞いて、眉間に力が入った。
「お、グレンもやっぱりそういうの気にする?」
「なにがだ?」
「あ、自覚ねえわ。へっへっへ、いや、なんでも~」
なんだ、気味の悪い笑いをしやがって。
「ま、とりあえず、俺はあのグループの情報集めから始めるよ。いきなり声かけても話弾まないだろうし」
お前はどうする、と聞かれるが、俺にはどうしようもない。
「お前みたいに話が上手くないから、そういうのは無理だ。ただ、そうだな、マイカもかなり使いそうだから、手合わせはしてみたい」
「手合わせ? え? あんな可愛い子とお前が? 危なくない?」
可愛いのと腕前は関係ない。
階段で見かけた時のあの身のこなしから、かなり手強いのはわかっているんだ。
「それに、マイカはクライン卿の娘なんだろう?」
俺の言葉に、今度はサイアスの方が、忘れていた、という顔になる。
「そうか。サキュラ最強の騎士の娘か、あの子」
つまりそれは、王国最強の騎士の娘という意味なのだ。
ますます手合わせが楽しみだな。
「ますます接近には気をつけよう」
俺の思いと同時に、サイアスは反対方向の考えになったようだ。




