クイドの最重要顧客
【伝説の羽 クイドの断章】
「こちらが、ユイカ様もご愛用のアロエ軟膏になります」
小ぶりな陶器の入れ物を差し出すと、向かいに座る人物の表情が輝いた。
「おお、これが噂の! ありがとう。この度は無理を言ってすまなかったね」
「とんでもございません。生産数が少ないため、少量で恐れ入りますが……」
「それは仕方のないことだ。そもそも、手に入れること自体が難しいのはわかっていたこと、たとえ少量であっても手に入っただけ僥倖というものだ。これで、うちの領主様も奥様に顔が立つよ」
アロエ軟膏が手に入ったことが、よほど嬉しかったのか。元から丁寧ではあった相手の態度が、ちょっと冗談めいた物言いをするくらい、一気に好意的になった。
せっかく心の距離を縮めてくれたので、ちょっと雑談をして印象をよくしておこう。
「それはなによりです。やはり、どのご家庭でも、奥様のご機嫌は最重要案件のようですね」
「はは、全くその通り。こればかりは、農民の家でも、領主の家でも、大して変わりはない。妻の機嫌がよければ、家は万事よしだろう」
「ええ、わかります。自分は未婚ですので、実感はありませんが、ユイカ様とクライン卿を見ると、その通りなのだと思わされますよ」
「おお、ユイカ様と首狩りクライン卿! クイド殿は現在のお二人のこともご存じか?」
近隣領の使者の人が、ノスキュラ村の仲良し夫婦の話題に食いついた。
やっぱり、この辺の人達にとって、ユイカ様とクライン卿の話題は強い。ユイカ様は、結婚前は社交界で評判の美少女だったからな……。
アロエ軟膏のオマケにと、土産に持って帰れる話題をいくつか提供しておく。あの夫婦は、独身男には目に毒なほど相思相愛を態度で表しているので、話題には全く困らない。
土産話は重さがないから、多めになっても輸送が楽でいいよね。
ついでに、ユイカ様が気に入っているハーブティー(アッシュ君開発)のことをちょろっと話して、お土産にお買い上げしてもらう。
アロエ軟膏は常に枯渇気味だけど、ハーブティーはいくらか在庫に余裕がある。領主用の他、自分用にも買ってくれたので、大変いい売り上げになった。
店としては利益が出てニコニコ、お客様の使者殿にしても、新鮮な外の話題を持ち帰れてニコニコ。
どちらも損のない、良い商売ができた。
別れる時、笑顔の握手から伝わって来る好感触から、今回の商売の成功を教えてくれる。
社交辞令としての握手と、心の底から満足しての握手って、全然違う。最近、その違いがよくわかるようになってきた。
「いやあ、クイド殿、大変世話になった。またサキュラに来ることがあれば、ぜひ寄らせてもらうよ。もし、クイド殿がこちらの領地へ来ることがあったら、遠慮なく訪ねて欲しい」
「ええ、機会がありましたら、ご挨拶に伺わせて頂きます。その時はまた土産話をお持ちしますので、どうかよろしくお願いいたします」
「ふふ、ユイカ様の土産話があれば、うちの妻も大歓迎してくれるぞ」
「あ、奥様が歓迎してくださるなら、本当に伺いやすいです。その時はお話し以外のお土産もしっかり準備しておきます」
「ははは、そうしてくれると、お互い幸せになれるよ。やはり、妻の機嫌というのは大事だ。家の雰囲気が違うからね」
使者殿はご機嫌で笑った後、ちょっと俺の後ろに視線をやる。
「そういえば、先程の話の流れで、クイド殿はまだ独り身だとか?」
「ええ。ようやくお店を持てたばかりで、この前まで一介の行商人でしたから、中々お相手が……」
「そうか。いや、てっきりあちらの方が奥方かと思ったので」
あちらの方……そこにいるのは、店を開く前から手伝ってくれている、鉄腕侍女のネイヴィル殿だ。
いや、まあ、確かに、この店はまだ商売の規模も小さいから、実質二人でやっているようなもの。店に二人の男女となると、まあ夫婦であることが多いので、そう見えるのもわからなくはない。
だが、違う。違うんだ。
残念だけど、ネイヴィル殿とはそういう仲ではないんだ……!
「あ、あはは、ネイヴィル殿は執政館に務める侍女でして、領主代行様のご厚意もあって、わたしの店を立ち上げからお手伝いをしてくれていまして……」
「そうだったのか。いや、確かに扱うものがユイカ様ご愛用の品であれば、そういったこともあるのだろう。いや、失礼をした」
「いえいえ、あははは」
ドキっとしたけど失礼だとは思わない。
俺はね。うん、俺は。
ネイヴィル殿がどう思っているかはわからないなー! それはちょっと恐いなー! なんたって、仕事ができる人だからね、ネイヴィル殿は!
しかも見た目はきりっとしてて、厳しいところもあるけど、気配りのできる優しい女性なのである。行商から帰って来て、おかえりなさい、って出迎えられるのは、ちょっと、いや、結構な癒しである。
俺と夫婦扱いされて怒ってないといいなー! そんな不安と共に、使者殿を店の外まで送る。
立ち去るお客様の背が見えなくなるまで見送って、ようやく一つの商談が終わりだ。
「ふはぁ、疲れたぁ……」
店の中に戻って椅子に腰かけると、ネイヴィル殿がお茶を出してくれた。
アッシュ君が作ったハーブティーレシピの中で、最近の俺のお気に入りのやつ。しかも、ターニャさんところの蜂蜜入り。
「お疲れ様でした。見事な接客でしたね」
「そうですか? ネイヴィル殿から見ても成功しているように見えたのなら、本当によかったです。あの客層の相手は、まだ慣れていなくて……」
他領の領主の使者である。しかも、結構私的な用事まで頼まれる立場、つまり、貴族の重鎮級の人が今回のお客様だった。
いやまあ、他領からユイカ様のアロエ軟膏をわざわざ求めに来る人は、大体領主とかその近辺の人達ばっかりなんだけど! 農村の村人相手が中心だった行商人上がりに、この客層はきつい!
最近のお気に入りのハーブティー(胃に優しいらしい)がなければ、悶絶したんじゃないかな。
「あれだけ笑顔でお客様が帰られたのです。執政館の外交担当としてもやっていけますよ」
「ははは、流石にそれは、ははは」
こんな一回の商談でぐったりしているのに、外交担当はちょっと無理じゃないかなあ。曖昧に笑ってみせると、ネイヴィル殿も柔らかく微笑んでくれる。
……どうやら、使者殿の夫婦扱いは気にしていないらしい。よかった!
「それで、クイドさん。こちら、ヤエ様からお手紙が届いております」
「ヤエ様から? なんでしょう……と言っても、またどこかの貴族関係の方から、アロエ軟膏の要請があったんでしょうけど」
領主一族のヤエ様から、俺みたいな木っ端商人に来る手紙なんて、それくらいしかない。
ヤエ様は、文官系に弱いイツキ様の補助役として外交業務を手伝うこともあるし、アロエ軟膏を使っている見本でもある。
ユイカ様に似た美貌のヤエ様が、ユイカ様愛用のアロエ軟膏の見本として綺麗な指先を見せれば、それはもう説得力しかない。
また気の抜けない重要なお客様をお迎えしなければ、とちょっと気持ちを立て直すために力を擁していると――
「それが、手紙はヤエ様が届けに来たのですが、差出人はアッシュと書かれていて」
立て直そうとしていた気持ちが、背筋を伸ばして直立不動の姿勢を取った。
衛兵時代よりもなお強い、真っ直ぐに立とうとする意志が溢れだして止まらない!
「ネイヴィル殿、そのお手紙すぐに拝見いたします!」
そこらの貴族よりも最重要顧客からのお手紙だ。寝ていたって飛び起きて対応せざるを得ない!
なんで領主一族でもあるヤエ様が、軍子会の一員に過ぎないアッシュ君のお手紙を届けるのか?
そんな疑問なんて「アッシュ君だから」で簡単に片付くんだよクイド! そんなことよりアッシュ君からの要件を確認してすぐに対策するんだよクイド!
素早く手紙を確かめると、なにやら造りたいものがあるので、材料の購入に来るとのこと。時間は……この後すぐ!
この手紙は先触れということだ!
「ネイヴィル殿! これからアッシュ君がいらっしゃいます。わたしはその対応に全力を尽くしますので、アッシュ君が帰るまで他のお客様はお断りをお願いいたします! あと、申し訳ございませんが、このお茶をもう一杯お願いいたします!」
「はい、それは構いませんが……」
はっはっは、アッシュ君が来るとわかったこの緊張に比べれば、さっきの使者殿なんて可愛いものだったね!
次からは、他領の貴族やその重鎮が来ても動じずに対応できる気がするぞぅ!