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フシノカミ  作者: 雨川水海
灰の底
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灰の底28

 一通り見舞いが終わった夕飯時、食欲のそそる香りと共に、ユイカ夫人が現れた。


「ありがとうございます。ユイカさんに、こんなことをして頂くなんて、恐縮です」

「良いのよ、村を守ってくれた小さな勇者様だもの。これくらい喜んで」

「大袈裟ですよ……」


 そういうことを言われるには、私の精神年齢が高すぎる。恥ずかしいので勘弁してください。

 赤面した私に、ユイカ夫人が慈しむように笑う。母性満点だが、それも私の羞恥心を煽るのですよ?


「お腹の方は大丈夫かしら。バンさんが持って来たお見舞いの熊肉、じっくり煮込んでみたんだけど……まだ重いかもしれないわ」

「はい、良く噛んで食べますね。無理はしません」


 お皿を受け取って、野菜と熊肉の鍋を頂戴する。

 野菜がほろほろになるまで煮込まれている辺り、心遣いだけでなく手間もかけてしまったようだ。


「とても美味しいです」

「そう、良かったわ」


 ユイカ夫人は、微笑みながら私が食べるのを見つめている。

 ユイカ夫人ほど綺麗な人に見つめられながら、美味しい手料理を頂くなど光栄極まりない。が、こういうシチュエーションは、できれば未婚者の方としたい。

 あと、私も肉体的にもっと成熟してからが良い。

 ……私のこんな内心を察した神様が、罰をぶち当てに来ても文句は言えない。


「そのまま、食べながら聞いて欲しいのだけど」


 若干、邪まな方向にそれた思考を、ユイカ夫人の優しい声が呼び戻す。

 熊肉を噛みながら、私はこくりと頷く。なんだろうか。


「今年の冬にね、マイカを実家に預ける予定なの」


 ほほう。

 ユイカ夫人のご実家のある都市へ、勉強のために送り出すという意味ですな。とうとうマイカ嬢も社交デビューか。


「正直なところ、今のマイカなら、都市へ行かなくても十分すぎるくらい読み書きも計算もできるんだけど……都市で学べるのは、そういうことだけではないから」

「わかります。人脈はとても大事ですし、村以外の社会を学ぶことは損にはならないでしょうね」

「そうそう。そうなのよ。村だと、都市帰りっていうだけで、一目置かれるし」


 ユイカ夫人が、我が意を得たりとばかりに手を叩く。

「ただ、さっきも言った通り、今のマイカは本当なら都市に行く必要がないくらい、賢い子だわ。それは、アッシュ君があの子に色んなことを教えてくれたおかげ」

「とんでもない。マイカさん自身の努力と意志です。私は彼女の求めに応じただけです」


 マイカ嬢が求めた分だけ、私の持てる知識を答えただけ。彼女が尋ねなければ、私も何も答えなかっただろう。


 そう、私は本のようなものだ。

 私の大好きな、憧れの本と同じ存在。


 彼女が本を手に取り、ページをめくり、その眼差しを注がなければ、脆く役に立たない、繊維の塊に過ぎない。

 もっとも、途中からは私もずいぶんと楽しくなってしまい、聞かれてもいないことを喋り続けた気もするけれど。


「アッシュ君がそう思っていたとしても、あの子の親として、そして村長家の人間として、私はアッシュ君にとても感謝しているの。それは、どうか、受け取って頂戴ね」


 こうまで優しく感謝されると、私としても断る言葉が出て来ない。この人は、本当に甘く柔らかく、言葉を使う。


「ユイカさんにそう仰って頂けるのは、本当に光栄です。ありがたく、頂戴いたします」

「ありがとう、アッシュ君」


 嬉しいものだ。素直に、そう思った。

 自分が尊敬している人物から、それも魅力的な人物から、感謝の言葉を差し出されるのは、とても心地よいものなのだと知る。


 我ながら、厚かましいと笑いそうになってしまった。

 私には自分勝手にやりたい夢がある。そのために何もかもを巻きこんで、駆け抜け、つんのめって、転げて、砕けてしまっても良いと思って生きている。

 それほどわがままな生き方をしていても、他人から感謝されるというのは、心が潤うもののようだ。


 人の情が持つ、そんな当たり前のことを、ユイカ夫人は良く心得ているらしかった。

 優しい目が、悪くないでしょう、と囁いている。

 人に褒められ、感謝され、讃えられることは、決して無視できない魅力を持っているだろうと、実感させた後に教えてくる。


「アッシュ君。どうか、これからも、私に……そして、私達に、ずっと感謝させてね」


 裏を返せば、ユイカ夫人や、村の住人が、感謝を忘れて罵声をあげるような行いをしないでという、お願いだ。

 感謝される甘い餌を与えた後に、このお願いだ。

 つくづく、ユイカ夫人は有能だ。私はこの人に心を掴まれっ放しではないか。


「やられました。そんなことを言われては、人の迷惑を気にせずにやりたいことをやる、なんて真似、できないではありませんか」

「アッシュ君がそう思ってくれたのなら、私の勝ちね」


 ユイカ夫人が、私史上、最も輝いた笑みを見せる。

 暴走しないようにと心の枷をはめこまれたのに、悪い気がしないなんて、我ながら重症だ。散歩のためにと首輪をはめられた犬も、きっとこんな気持ちに違いない。


「完敗です。もう、本当に、言葉もありません」

「ふふ。でも、アッシュ君なら、こうやって釘を刺さなくても、問題はなかったと思っているわ」

「さて、どうでしょうか」


 私自身、聖人君子のように振る舞うことが、最も効率が良いとは考えていた。だから、無暗に他人に害を与える気がなかったことは確かだ。

 だが、理性でそうわかっていることと、感情がそう振る舞えることとは違う。

 ふとした時に、感情が溢れ出て、他者を顧みない選択をすることはありうる。私は、自分自身をそこまで理性的な人間だとは思えない。


 そこに、ユイカ夫人は用心のためにと、感情の楔を打ち込んだのだ。

 他人から感謝されることは、とても心地良いものなのだと、強い快感を与えることによって。

 ユイカ夫人は、自分自身を魅力的な人物に見えるよう演出までして、この作戦を取ったに違いない。魅力の欠片もない相手から、感謝や敬意を受けたところで、何の感慨も与えない。それどころか、嫌悪感さえ抱くだろう。


 ユイカ夫人は、一体いつから、私に対してこの作戦を練っていたのだろう。

 この作戦に、他の犠牲者はいるのだろうか。

 想像するとわくわくしてくる。我ながら、ユイカ夫人が好きすぎるんじゃないだろうか。


「私は、アッシュ君なら大丈夫だと信じているわ。だって、こう言えば――」

「ええ、問題を起こさないよう、余計に気を使わなければいけなくなりますね!」


 これ以上、私を縛らないで。


「ふふ。まあ、アッシュ君を手懐けるのはこれくらいで良いとして」

「まったくですね。感謝の念があるのなら、これ以上はご容赦頂きたいです」


 ほんとに。がんじがらめになって何もできなくなったら、ちょっと生きていられる自信がない。


「思ったより効いちゃったみたいね……。大丈夫よ、ちょっとした提案なの」

「ほほう、なんでしょう」

「マイカと一緒に、都市へ行ってみない?」

「行きます」


 いかん。脊髄反射で応えてしまった。

 ユイカ夫人が、微妙に心配そうな表情で固まっている。さもありなん。先程、暴走しないようにと楔を打ち込んだはずなのに、早速暴走しているように見えるのだから、この後の対応に迷うだろう。

 本当に申し訳ない。そう伝えようと思って、口を開く。


「いつ出発でしょう。都市には村の教会とは規模の違う神殿があると聞きます。たくさん本があるのですよね。早く読み尽くさなければ」


 論理回路、応答しません。

 間違いない、暴走している。


「ああ、それに都市には周辺の村から様々な産物が届き、また他の都市からの交易品も届くのですよね。流通の拠点ということは、様々な物品も、知識も、技術も手に入るのですよね。今までできなかった実験もできますね!」


 欲望を垂れ流す私に、ユイカ夫人はしばらく手をこまねいていたが、やがて、全てを諦めたように笑う。


「なんかもう、流石よね、アッシュ君は」

「いえいえ、私なんてまだまだです。ただ、ちょっとばかり自分に素直なだけですので」

「十分すごいわよ、私の予想の斜め上を行くんだもの。これでもね、色々説得の言葉を考えていたのよ? 王都には及ばないけれど、地理的にも社会的にも、村よりずっと王都に近い場所だからとか」

「なるほど! それも魅力的ですね!」


 ますます都市に行きたくなって来た。フォルケ神官と話した時、王都より先に近くの都市を選択肢に入れるべきだったのだ。

 やはり私などまだまだである。計画に無駄や穴が多すぎる。


「待って。ねえ、アッシュ君、街へはきっと行くことになるから、ちょっとだけ待って、ね?」

「むむ、すみません。ちょっと勢いがつきすぎましたね」


 ユイカ夫人の困った顔が、そろそろ色濃くなり始めたのを見て、ようやく体が冷えてくる。

 深部温度はすぐに再燃しそうな高温を保っているけど。


「ええと、それでいつ出発……あ、マイカさんが冬に出発されるということでしたね」

「ええ、それに合わせて欲しいの。だから、それまで、ご両親に話を通したり、仕事の引き継ぎをしたり、色々あるわよね?」

「それもそうですね。実験畑も、中途半端でした。今のまま放り出すのはもったいない」


 そうなると、冬までの間に、この村でできることをとことんまでやり尽くしておかなければならない。

 これまでの村での研究成果をまとめておくのも良いだろう。

 都市に存在せず、村にある資源があるなら、それを持って行けば後々役に立つかもしれない。


「これは、これは中々忙しくなりそうですよ!」

「こういう時のアッシュ君は、見ていて不安になるほど楽しそうねぇ」


 十歳の子供がはしゃいでいるのが、どうして不安になるのですか。

 ともあれ、今年の冬には都市に行くことになった。

 今世における、一大転機になることは間違いないだろう。


 ……前世の中世暗黒都市より衛生状況が良いことを切に願う。

今後の投稿について、活動報告にてご報告をさせて頂きました。

下部にリンクを置いてみましたので、よろしければご確認ください。

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― 新着の感想 ―
[一言] 風邪で死ぬ程度の医療知識しかない村で、神経見えるくらいの怪我をして、化膿もしないでよく生きてるな…
[良い点] とても面白い 安直な科学知識(笑)とかではなく、知らないことは知らない、展開のために動かすための知識も古代由来の本から、そしてそこに主人公の軸である本と知識に対する熱量を通すことで一貫性の…
[一言] 都市の衛生観念とか設備とかが村よりどのくらい進歩しているかが気になりますね。いつでも手洗いできるぐらい水がつかえるのかとか、トイレ事情はどうなのかとか。病気にならないように生活するにはだいじ…
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