ヘルメスの同室相手
【伝説の羽 ヘルメスの断章】
今日は色々あった。
寮の自分の部屋の前に辿り着いた時、思わずそんな感想が、深い呼吸として漏れる。
今日は、本当に、色々あった。
朝からモルドに絡まれて、そこにレイナがやって来て、アッシュもやって来た。
その後は、なんかもっと一杯来た。アッシュの周りにいつもいるマイカとかアーサーとか、ヤエさんとか。
飛行機をバカにされ、飛行機を認められ、飛行機を造る仲間が……仲間が、あれはできたのか?
それとも仲間にされたのか?
飛行機を造る、っていうところを中心に考えると、俺に仲間ができた。そう言ってもいい気がする。
でも、飛行機も作る、っていう風に考えると、俺が仲間にされた。そう言った方がいい気がする。
そうなんだよな。飛行機を、じゃなくて、飛行機も、造るんだよな。
すげえなぁ。でけえよなぁ。
なんてことない風に言い切った奴の顔を思い浮かべる。
なんていうか、普通の顔をしていた。普通に、楽しそうな顔だった。
無理をしているって感じもなく、強がっているって感じでもなく、普通に楽しそうな顔だ。
アッシュ本人も、周りで聞いている奴等も、普通の、面白いことをやっているって顔をしていた。
(そうだよな。やっぱり、楽しいことだよな。面白いことだよな。俺の夢は、そういう夢だよな)
初めてヒコーキのことを本で知った時、俺もそうだったはずなのだ。
いつの間にか、楽しいよりも苦しい気持ちで窮屈になっていたけれど、俺の夢は、ヒコーキの夢は、これ以上ないほど楽しくて、面白くて、熱い夢だったんだよ。
そんなことが思い出すことができた……だけじゃないな。うん。その後もすごかった。すごい勢いで、夢に近づいた気がする。
背中を押す追い風のせいで、駆け足どころか飛ばされるかと思ったくらいだ。俺が飛んでどうする。俺は飛ばす側なんだ。
いや、飛行機ができたら、もちろん俺も飛んでみるつもりだけどさ。
(こんな冗談を思いつくなんて、すげえ久しぶりだな)
本当に、今日は、色々あった一日だけど、いい一日だった。
ドアの前で、少しぼうっとしてしまった。こんなところを誰かに見られたら笑われてしまう。
俺はドアを開けて、目の前に現れた同室相手の顔にびびった。
「お、おう、ホルスか……。ドアの前で、どうした?」
同室相手のホルスだ。俺もあんまり喋らない方だが、こいつは無口の上に足音まで静かだ。ドアの前にいつからいたのか、気配ってものを感じなかったから、すげえびびった。
ドアの前に突っ立っていたホルスだが、別に外に出る用事があったわけではないらしく、ドアの前から避けて、俺が通れるようにしてくれる。
なんだなんだと思いながら脇を通って中に入ると、じっと顔を見られた。なんだなんだ、本当になんなんだ。
「大丈夫そうだな」
「あ? なにが?」
「モルド達と揉めたと聞いたから」
ああ、今日はそんなこともあったな。あんなの今日の出来事のうち、最初の最初のことだったから、今はどうでもいいことになり下がっていた。
大体、あいつらそんな強くないし。
「あんな坊ちゃんの綺麗な手で殴られたところで、親父の拳骨に比べりゃ痛くもかゆくもねえよ」
うちの親父も、職人らしいっていうか、すぐに手が出るタイプだからな。あれくらいの喧嘩、なんてことない。
そう言って、ちょっとだけ笑ってやると、ホルスも笑い返して頷く。
「確かに、口で言うより大したことない奴等だ。あの、いつも弄っている……なんなのかはわからないやつも、無事だったんだな?」
なんなのかわからないやつ。そう言われてもなんのことかわからないが、いつも弄っているやつ、とホルスが言うならすぐに思いつく。今回、モルドにバカにされた航空機の模型だ。
毎日毎日、隣の机で模型を削って作っていたところをホルスには見られていたからな。ただ、組み立てずにバラバラの部品の工作だったから、なにを造っているかはさっぱりわからなかったはずだ。
ホルスが妙な言い方になってしまうのもしょうがない。
そこまで考えて、俺はちょっとだけ、覚悟を決めた。
模型を見せよう。ホルスに。
「ああ、この通り、無事だぞ」
ポケットから取り出して、プロペラ単葉機の模型を見せる。
昨夜、全ての部品が出来上がって、夜のベッドでこっそり組み上げ、完成させた。それで気分が高まって、今朝に寮館の庭で取り出したらモルドに見つかって絡まれたわけだが……結構な手間暇をかけて、ようやく完成させた力作だ。
アッシュと話をする前なら、ホルスにも絶対に見せなかった。
空を飛べるわけがないとバカにされるだけだから、誰かに見せる必要なんてない。そう思っていたんだが……アッシュと話して、あれだけ盛り上がって、今は、バカにするなら、バカにすればいいと思っている。
見せてやる。空を飛べることは本当にできると、見せてやる。
そう思っている。
だから、バカにするなら、すればいい。どっちがバカだったか、後から思い知らせてやる。
そう思って突き出した手の中、小さな、鉄の航空機を、ホルスはじっと見て、首を傾げた。
「……これ、なんだ?」
「飛行機。空を飛ぶ機械の、模型だ」
「これが? 俺が聞いたことあるのは、もっとこう、平べったくて、三角形って感じだったんだが、こっちが本物?」
「模型だから、本物もなにもないんだが……多分ホルスが言ってるのは、ジェット機とかいうやつじゃねえか? 飛行機にも色々あるんだよ。平たくて三角形に近いのは、小型で速いやつ……だったらしいぞ」
実際に見たこともないし、図鑑に書いてある大雑把な説明しかわからないから、そういうものだったらしい、としか俺も言えないけど、ちょっと自慢した感じの言い方になったかもしれない。
「ああ、鳥にも色々なやつがいるものな。そこも一緒なのか。この翼のところが、本物だと羽ばたいて飛ぶのか?」
「ああ、いや、違うぞ。ええっとだな。このプロペラ、風車みたいなところが回って、そうすると前に進んで……」
「ここが? 回って? どんな速さで回れば、空を飛べるんだ?」
「それはあれよ、ものすげえ速さだよ。鳥だって、羽ばたきが見えないのがいるだろ?」
「あんな速さで回すのか。それなら、うん……そんな速さがあれば、飛べるのかもな」
なんだよ、お前、わかってるじゃねえか。
思わず、同室相手の顔を見つめてしまう。
「飛べるって思うんだな、お前も」
「鳥が飛んでるんだから、似たようなことをすれば飛べるんじゃないか。矢だって、鳥の羽をつけて飛んでる。似たようなことを、飛行機はやるんだろう? どうやるかはわからないが……」
そういえばホルスは、俺の隣の机でよく弓の手入れをしている。
休みの日は、弓を担いで鳥を狩りに行っているし、そこらの奴より飛んでいる鳥に詳しい。
「なあ、鳥の飛び方って、色々違うよな? でかいのと小さいのとかさ」
「ああ、全然違うぞ。大きいのは、あまり羽ばたかないし、飛び立つ時は少し走ってから飛ぶのが多い。小さいのはよく羽ばたくし、飛び立つ時はその場から飛べるな」
「そうそう。この模型のやつは、どっちかっていうと大きな鳥に近いみたいなんだ。プロペラを回して真っ直ぐ走ってから、ゆっくり飛び立つらしいぞ」
「わかる。この翼の感じが、大きな鳥に似てるもんな。空に上がった大きな鳥も、こんな風に翼を広げて風に乗ってる。翼をたたむと急降下するんだが、飛行機も翼をたたむのか?」
「そういう機能はないな、少なくともこれは。でも、中には翼をちょっと変えるやつもあるんだぞ」
バカにされるかも、と身構えて見せた模型だが、意外なことに話が弾んだ。
同室とこんなに話をするのは初めてかもしれない。ホルスも無口だが、俺も人と話すのは無駄だと思って黙っていたからな。
ホルスがこんなに鳥の飛び方に詳しいとは知らなかった。
*****
鳥の飛び方について色々聞いていたら、いつの間にか寝ていた。気づいたのは、もう朝飯の時間だとホルスに揺り起こされたからだ。
「いつの間にか、もう朝か……」
目を擦って起きると、ホルスは黙って待っている。いつも通りの同室相手だが、昨日、色々話したのが嘘のような無口っぷりでもある。
昨日のことは夢だったんじゃないだろうか。どこからどこまでが夢だ?
ちょっと不安になりながら食堂に行くと、いつも通りの席に座る……前に、アッシュに掴まった。
「ヘルメスさん、こっちでお話ししましょう。今日の予定なんですけど、昨日準備できるだけしたので、今日はベルゴさんのところへ行ってすぐに――」
「アッシュ君、アッシュ君、まずはご飯、ご飯食べてからにしよう? あ、おはよう、ヘルメス君、ホルス君。一緒にこっちで食べよ」
腕をがっしとアッシュに掴まれて、そのアッシュの肩をマイカが掴んでいる。連れて行かれる先は、いつもアッシュ達が座っているにぎやかな席だ。
どうやら、昨日のことは夢じゃなかったらしい。
ホルスがあれだけ喋ったのは、まだちょっと疑わしいところだが。




