ヘルメスの入寮初日
【シナモンの灯火 ヘルメスの断章】
軍子会の参加者は、基本的に寮生活になることは知っていた。
軍だから集団行動がどうたら、という話を、実家の客の騎士から聞かされていた。
大勢の連中とやっていくなんて面倒、というのが素直な感想だが、親の希望と自分の希望を両立させる進路がこれだったんだ。
とりあえず、俺は勉強さえできればいいんだから、同室の相手が変な奴じゃなければいい。それ以外は、こっちから絡まなければ、面倒もそうないだろう。
別に、お偉いさんの子供と仲良くなるとか、どっかのいい家との繋がりを作るとか、将来の嫁を見つけるとか、そういうことは考えてもいない。親には悪いが。
静かに、一人で、毎日が過ごせればそれでいいんだ。
どうせ、誰とも話なんて合わないんだから。
*****
そう思っていたんだが、同室の奴は、思ったよりも、なんか、こう……変な奴だった。
いや、悪い奴ではない……んじゃないかな? 静かだし、大人しいし、しっかりしている?
うん、多分、しっかりしている。とりあえず、変に絡んで来ないから、俺にとって悪い奴ではない。
ただ、あれだ、すげえ無口なんだ。
何度も言うけど、俺にとっては悪くない。静かだから、なんの邪魔もされずに飛行機のことを考えられる。願ったり叶ったりと、喜んでもいい。
多分、そのはず。
でも、俺が言うのもなんだけど、流石に心配になるくらい無口なんだよな……。
部屋で飛行機模型の部品を削って整えていると、ドアを開けて、その同室相手が入って来る。
ドアが動くまで物音も、気配も感じないのでちょっとびびる。飛行機模型の部品って言っても、本当にバラバラの部品の一部で、他人が見てもこれがなにかわからない、はず。
だから、びくつく必要もないんだが、それはそれとしてやっぱりびっくりするって。
ここはお前の部屋でもあるけど、ノックくらいしろよ。そう思って顔を向けると、同室相手は無言で視線を返して来る。
で、無言。それから、すーっと自分の机の方に移動する。
この間も無言、というか足音すら小さくて消音。
お前、幽霊かなんかか?
思わず聞きそうになるが、眉間に力を入れてぐっと堪える。
軍子会の他の連中にも見えているらしいので、幽霊じゃないのはわかりきったことだ。そんなことを聞いたらアホ丸出しだ。
それでも聞きたくなるけど。
俺の隣の机に座った、この幽霊もどきの名前はホルス。
本当に変な奴だと思う。……俺も変な奴だと言われまくってきたし、この軍子会でも言われているから、向こうは向こうで、変な奴、って思われてそうだけど、それでもホルスは変な奴だと思う。
隣の机で、ホルスは自前の弓を取り出して、手入れを始める。これはこいつの日課だ。
初日、顔合わせをして自己紹介をして――その時は普通に声を出して名乗った。口数は多くはなかったが、それはお互い様だし、この時は割と普通の奴だと思ったんだけどな――いきなり弓を取り出した時はびびった。
「なんだそれ」
「弓」
そんなの見りゃわかるわ!
心中では大声で突っ込んだが、実際の声は出なかった。考えてもみろ。いきなり凶器を取り出した奴を、下手に刺激したらどうなる。
ちょっと恐いだろう。
「お、おう、そうか」
それだけ絞り出した声で、ホルスにもこっちの戸惑いが伝わったらしい。俺に見えやすいよう弓を持って、奴は頷いた。
「短弓だ。射程は短く、威力も弱い。でも、持ち運びが容易く、森などでは取り回しがしやすいのが大きな利点なんだ。イノシシやシカと言った獣を仕留めるのは難しいため、主な狙いは鳥になる」
「そ、そうか」
いや、弓の種類がなにか、で戸惑ったわけじゃねえよ。なんでそんなものを持ちこんだ。
それとも、騎士の家系なら、そこまでおかしくはないのか? なんたって軍子会だからな。軍に関係することなら、愛用品を持ちこむのもありなのか。
でも、真剣を持ちこんでる奴がいたら危なくねえ?
「これより大きな弓は、持って行くのはまずいと止められてしまった……」
「だろうな」
寮の部屋は狭くはないが、二人で使うには広いってほどでもない。でかい弓なんか持って来られたら、俺が困る。
短弓だけでよかった。本当によかった。
安堵して頷いたら、ホルスは問題が解決したと思ったらしい。そのまま、弓の手入れに入ってしまった。
弓を布で軽く拭き、弦を張って軽く引くなどし始めた同室相手に、俺は色々ともうあきらめた。
あきらめて、隣の自分の机で、飛行機模型の部品の調整を始めた。実家の端材で、親父の使用後の炉で急造したものだから、ヤスリで研磨して調整するところがたくさんなんだ。
結果、俺の軍子会の寮生活というのは、無言で弓の手入れをするホルスの横で、無言で飛行機模型の調整をし続ける、そんな静かなものとなっている。
俺は別に一人でいいと思っているから、それで構わないんだが、ホルスもそれでいいんだろうか。
だって、こいつ騎士になるんじゃないのか? 騎士って言ったら、仲間や部下と協力して戦うだろう。無言のまま視線だけで合図されても、周りが困る。
困るよな? 俺は別に困ってないけど。
飯の時間だとか、授業のために移動しなくちゃって時も、ちゃんと合図して一緒に行動しようとしてくるんだ。ただ、それが極力無言、無音で済ませようとするだけで、その辺はしっかりしているんだ、わかりづらいけど。
それに、声を出せないわけでも、出さないわけでもないしな。授業とかで必要な時はちゃんと喋る。
つまり、ただの変な奴だ。
隣の机で、真剣な眼差しで弓を手にしているホルスを見ると、いつもそう思う。
(道具の扱いが丁寧な奴は、信頼できるからな)
ホルスが持ちこんでいる弓は、特別高価なものには見えない。まず間違いなく、見習い練習用のもの、安物の部類だ。
一人前になったら使わなくなるであろうものを、毎日大事に扱っているホルスの姿は、職人にとっていい客だ。
俺の同室は、変な奴だが悪い奴ではない。
今日も、寮生活は静かだ。




