私の火床、あなたの火床10
【伝説の羽 アッシュの断章】
耐火レンガとは、火に耐えるものである。
では、人類にとって火とはなんぞや。
便利な器を造り出す陶芸の火か。強い鋼を造り出す鍛冶の火か。機械仕掛けの鳥を飛ばす心臓の火か。
どれもが正しく、どれもが人類の火だ。
あらゆる時代の、あらゆる文明が、火を利用してきた。
熱く輝く火の歴史、もし、その中からなにかを特別に取り出すとすれば、まずは原初にさかのぼるべきだろう。
人類が火を利用し続けてきた歴史という灰の、底も底。
最も古い層をなしたものをすくいあげれば、舞い上がる灰は、果たしてなにに使われていたのか。
我等の祖は、最初の火でなにをなしたのか。
恐らく、ではあるが……人類最古の火は、灯明か、暖房か、あるいは――焼肉に使われていた。
「というわけで、お肉を焼きます」
私の宣言に、全員が拍手で答えてくれた。
一部、なんで、という顔をしている人も、アーサー氏やレイナ嬢を筆頭にいるが、大多数は拍手喝采である。
それはそうだ。
だって、お肉は美味しいですからね。
人類が最初の焼けたお肉を食べて以来(多分、自然火災で焼けた獣の肉だと思われる)、焼肉は人類にとって貴重な栄養源、代わらぬご馳走である。
文明の進歩は千年で宇宙まで飛び立とうが、人類の生物学的進化は千年かそこらで宇宙空間で生存できるようにはならない。
大部分の生存エネルギーを外部の生物から奪うことでしか賄えないほどに、人は不完全なのだ。
結果、お肉は大多数の人にとって美味しいと感じる。
仕方ないのだ。生物として、仕方ないのだ……!
その生物学的仕方なさにつけこんで、シャモレットレンガで調理用窯を作成した。
これを決定した後の各位の動きの迅速であったこと。
まあ、大部分の肉体労働を担当する囚人衆や各工房の若手の気持ちを考えれば、当然だろう。
囚人衆は、罪を償うという観点からどうしても食事は粗末になりがちであるし、工房の若手は食欲旺盛な年頃の肉体労働者である。
この仕事が終わればご馳走が食える!
全額奢りで!
彼等の仕事が丁寧かつ迅速であったこと、私の焼肉宣言に拍手喝采であること。ご納得して頂けるであろう。
マイカ嬢? お肉大好きですからね。もちろん拍手喝采組である。
新造の調理窯で焼く、記念すべき最初にお肉はなににしようか。
これには熱い議論が重ねられた。他人の金で食えるなら、豚もいいし、牛もいい。どれも美味しい。
しかし、窯のお披露目も兼ねているとくれば、見た目や量も考えて丸焼き料理にしたいところ。
子豚や子牛もありだが、どうしても窯のサイズの問題が出てしまう。
ならば残るは、鳥。
「あ、丁度いいですね。飛行機チームの成功祝いも兼ねて、鳥料理にしましょう。飛ぶもの繋がりで縁起がいいでしょう」
「その繋がりを感じる飛ぶもの、落とされて焼かれるのよね? 本当に縁起がいい?」
「お祝いを兼ねているといえば、ご祝儀が増えそうですから、縁起など些末なことです」
レイナ嬢からジト目が射かけられたが、金の盾で防ぐ。
実際、そういうことならば、とイツキ氏やクイド氏――そこから話を聞いた商工関係者から、現物混じりの篤志を頂いてしまった。ご馳走が増えましたね!
その分、招待客も増やしておいた。
若手を派遣してくれた各工房へ、お暇でしたらどうぞ、と連絡を回してもらったら、快く参加表明の返事があった。
囚人の皆さんのところで野外料理なんですけどね。意外とそこを気にする人がいなかったようだ。
これはちょっと肉の追加が必要かもしれない。
想定以上の参加希望者数を見て、予算不足を案じた私は、久しぶりに弓を担ぎだした。
肉を手に入れたければ、狩りに出ろ! これもまた原初の掟である。
領都イツツの周りには、林もあるし平野もあるので、野鳥も多い。
バンさんのところで習った狩猟技術は、あまり鳥を対象としていなかったのだが、なんと軍子会の同期にその辺に詳しい人がいた。
寮館ではヘルメス君と相部屋のホルス君である。
彼は、軍事教練の野外実習系の授業で、動きが明らかに都会っ子とは違う。ホルス君の動きは、バンさんによく似た、狩人の動きなのだ。
それを察して話すようになり、ホルス君とは実はちょくちょく交流をしている。休みに二人で弓を担いで、肉の補給に行くのだ。
今回も事情を話して狩りに誘ったら、相部屋のヘルメス君へのお祝いということで、気合を入れて参加してくれた。
ホルス君とヘルメス君も、仲がいいようなのだ。よく鳥を狩るので、飛ぶもの繋がりで、飛行機の話も受け入れられたかららしい。
同じ飛ぶもの分類とはいえ、片方は飛ぶものを落として、片方は飛ぶものを造ろうというのは、ちょっとこう、真逆ではありませんかね?
レイナ嬢に雑談として話してみたら、すごいジト目を射かけられた。
収穫してきた鳥という肉の盾で防いでおいた。
そして、現在、新造の調理窯の中には、私とホルス君が狩ってきた鳥が丸ごと入って焼かれている。
囚人衆のうち、料理を最も得意としているゼブさんが、焼き加減を見ては位置を調整し、取り出してはタレを表面に重ね塗りして窯に戻し……と、せっせと世話を焼いている。
今、窯から漂う肉の焼ける匂い。鳥の脂とタレが焼ける匂いの香ばしさときたら、お腹を空かせた男性陣が、顔を寄せ合うように窯に集まっているのは……。
「窯に使ってあるレンガを見ているのですね。レンガのお披露目ですから、成果物に注目を集めるのは成功していますね!」
「あれはどう見ても匂いに惹かれているよね?」
離れたところから見守る私の呟きに、アーサー氏が苦笑いで意見を述べて来る。見解の相違ですね。
「でも、本当にいい匂い。ボクもお腹が空いてきちゃったよ」
「たくさん用意してありますから、始まったら存分に食べてくださいね」
アーサー氏とは初対面の時にほっそりした印象が強かったから、ついたくさんお食べ、と薦めてしまう。
最近は、ふと見直した時に、ずいぶんと健康的になったと感じるので、サキュラのご飯が合っているんだろう。
ヤック料理長の料理は美味しいですしね。
「ふふ、楽しみにしてるね」
ちょっと照れ臭そうにしながらも、ご返事も食欲に忠実である。
なお、もっと忠実なマイカ嬢は、窯の近くでレンガの説明係をしながら匂いを堪能している。
失礼、逆ですね。匂いを堪能しながら、説明係をしています。
「このレンガは、最初からこの長方形型で作っています。粘土を入れておく木枠の型を調整すれば、形はある程度の変化はつけられます。ただ、あまり厚くするとか、大きくするとかですと、焼く時に難しいようで」
「なるほど、焼き物としての制限があると。そこは陶芸の焼き物と一緒なんですな」
「最初から形がこれだけ整った石材というのは、それだけで素晴らしい。なのに、多少の形の変更も可能とは」
マイカ嬢の説明にふんふん頷いているのは、陶芸工房の親方と石工工房の親方である。
どちらも自分達の仕事に直結する新素材に興味津々のようだ。
「どれだけ火に強いか、年を重ねたり、回数を重ねたりした時、どれほど保つかというのは、まだまだ実験中です。耐久試験、というものですね。市壁のように長く遺るものでないと、大事なものには使いづらいですし」
「ああ、そういった確認は必要ですな。実際に使ってみたらどうなるか、という知識は必要です。それはわかるのですが……」
「目の前にいかにも素晴らしいものがあって、手を出せないのはなんとももどかしい! マイカ様、色々と時期尚早なのはわかりますが……なんとか、なりませんか?」
「ええと……さっきも言ったけど、耐久試験がまだなので、そこの注意をしてもらえれば……だったっけ?」
あ、マイカ嬢が言葉につまってこっちをちらちら見ている。
一応、説明内容はマイカ嬢と相談しておいたけど、今すぐ使いたい、という意見はあまり出て来ないと想定していたので、そこまで覚えていないようだ。
ちょっと横から失礼をして、説明を引き継ぐ。
「レンガの諸注意について確認を行い、それを承知して頂けましたら、耐久試験の協力者として、レンガを扱って頂くことは可能ですよ。今すぐできるほど簡単な内容でもないので、後日になりますけれど」
「おお、それはありがたいですな!」
「是非、後日お時間をお願いしたい!」
「こちらこそ、ありがたいお話ですので、是非。専門家である方々に、新しい素材であるレンガの使い方にご意見を頂けるのは、大歓迎ですよ」
本当に大歓迎だ。思った以上の食いつき、嬉しい誤算である。
職人は頑固というか、保守的な部分があると思っていたので、便利に見えても新素材にはしばらく距離を置くんじゃないかなーと思っていた。
しかし、工房から若手が送りこまれてきただけでなく、親方クラスの人まで興味津々な様子を見ると、かなり乗り気である。
耐久試験の協力者ができるのはいいことだ。こういうのは試行回数が重要だし、いざ導入する時に経験者が多いと普及も早い。
「もし、新しい技術にご興味がおありでしたら、今後とも同じようなお願いをさせて頂くかもしれません。今回、耐火レンガの文献を調べている際に、関連する技術も目につきましたので、ゆくゆくは手を出したいのですが」
そこまで行くのはいつになるかなー。人でもお金も使う必要があるからなー。手伝ってくれる人が欲しいなー。
ちらっちらっ。
などと交渉しているうちに、窯の周りにさらに人がやってきた。
ヤック料理長だ。実家の料理店のウェイトレスをしている姪御さんと、姪御さんと仲のいい料理人も連れての参戦だ。
「おう、これが新しい調理窯か。どれ、どんなもんだ」
「もう、ヤックおじさん! 今日はお祝いに来たんだから、先にお礼!」
姪御さんから注意が飛ぶが、山賊頭風の料理長はなんのその、お前に任せる、と言い置いて、窯で鳥を焼いているゼブさんに話しかけている。
「本当に料理バカなんだからもう……。あ、アッシュ君、あんな叔父でごめんね? これ、お招き頂いたお礼……と言いつつ、窯を使いたいがためにヤックおじさんが用意したもの」
「ピザ生地ですね」
知ってた。
ヤック料理長に調理窯のお披露目の話をしたら、使ってみなければ窯の良し悪しはわからねえ、と肩を掴まれましたからね。
すごいド迫力ですよ。相手が料理人だと知らなければ、悪党が拷問をほのめかして脅迫しているのかと勘違いするところである。
幸い、私はヤック料理長のことをよく知っていて、最近はピザの研究に集中していることも聞いていたので、「ああ、新しい窯でピザを焼いてみたいんだな」と察することができた。
「こちらでも合わせるトマトソースを用意していたので、忌避感がなければ、トマトソースピザも味見してみてください」
「わあ、ヤックおじさんからも聞いてたけど、本当にトマト食べてるんだねぇ……」
「まだ食用実験中の扱いで、大っぴらに食べさせないようにって注意されていますけどね。そのため、ヤック料理長も自分では用意できないんですよ」
アーサー氏やレイナ嬢にも、それぞれの保護者からトマト禁止令が出ている。
まあ、禁止令なんて破るためにあるようなものだ。誰がなにを破ったか、とは言いませんけどね。
なお、アーサー氏やレイナ嬢は、本日のピザを楽しみにしていた、とは言っておこう。
特に赤いやつ。
料理人が増えたので、ゼブさんが鳥を焼いていた窯以外でも調理が始まる。レンガは他にもあるので、簡易の野営調理窯は他にも用意してある。
一気にお腹を空かせるいい匂いが増えて、出来上がりが早い物が、ヤック料理長の姪御さんの手によって各自の元に届けられる。
……ヤック料理長ご一行は招待客というより、主催者側になっちゃいましたね。
「お、なんだこれ、美味いな!」
「うっす、ここで出る飯は大体美味いっす! ……って今日のは格別美味いっすね!」
大工工房の親方に驚愕に、いつも手伝ってくれている若手が自慢げに答えてから、自分も驚いていた。
「なにぃ? お前、普段からこんな美味いもん食ってるのか?」
「そうっすね、いつも美味いもん食わしてもらってるっす。今日のが特別美味いとは思うっすけど、やっぱりお祝いだからっすかね?」
「この野郎……。あんな面白そうなもん弄り回して、美味いもんまで食ってるなんて、半人前にはもったいねえご身分じゃねえか!」
「へっへっへ、若いうちに苦労して来いって言われて手伝いに出されたっすけど、こんな苦労ならいくらでもできるっす!」
「くそぉ、俺も若かったらなぁ……。工房を放り出して来るんだが……いや、今でもできなくはねえか?」
「や、親方がそれしちゃヤバイっすよ……?」
そんな師弟のやり取りを聞いて、他のところでも若手が普段どんな生活を送っていたのか、親方衆による聞き取りが始まる。
当方の計画における労働環境は、参加者の意欲に応じた柔軟な対応を心がけており、はたから見れば光も逃れられぬブラックであっても、当人達には眩しいホワイトに感じているはずなので、聞かれてやましい部分はありません!
まあ、この厳しい環境下で、社会全体が労働時間は起きてから寝るまでみたいな感覚なので、ブラックなのは時代なんですけどね。
むしろ、各工房から預かった大事な人材に問題が起きないよう、制限する方が大変でした。
あちらこちらで、食べながら飲みながら、にぎやかに話し合う人達を見ると、ついこの前まで顔も名前も知らなかった人達が大勢いる。
「ふむ。お友達のお友達まで輪が広がった感じですね」
この人脈の広がり方、よい傾向だ。領都で築いた地盤が、いよいよ確かなものになった、ということではなかろうか。
雪山を転げ始めた雪玉が、徐々に大きくなっていくように、私の人脈も加速度的に浸食……もとい拡大を始める時期に差し掛かったのでは?
「アッシュ君、お疲れ様~。ご飯もらって来たから一緒に……なんだか楽しそうだね?」
一人でニヤニヤしていると、マイカ嬢が素晴らしいサービスと共に、ニコニコと笑顔を差し出してくれる。
「ええ。たくさんの人と知り合ったなと思いまして」
同世代である軍子会の中にも、為政者側の執政館の中にも、そして領都の街並みの中にも、多くの人を知り合いと呼べるようになった。
「マイカさんと二人で来たこの領都に、今はこんなに手を貸してくださる人が増えました」
友達五十人どころか、友達百人くらいはいけるのでは?
実質、今の私はヘカトンケイル二体分の戦闘力があるのでは?
「この大勢の方々の手を借りて、レンガを普及させることでれば、日々の生活全体を押し上げることができるはずです」
今はまだ、この力を実生活に還元できていない。
しかし、その一歩は踏み出した。
窯が普及すれば食事情や薪の節約、炉に転用できれば金属製品の品質向上と価格低下が期待できる。
金属製の農具を、もっと農村に配れば実生活に大きな影響が出て来る。
薪拾いの時間が減り、煮炊きが楽になり、農業も楽になれば人手が余る。
余った人手は、さらに生活全体を押し上げるための、余力となる。
好循環の車輪を回す、わずかな一歩。
「どれだけ小さな一歩でも、一歩は一歩です。古代文明の生活水準という遥かな山頂に、一歩近づきました! 一歩でも近づいたということは、歩み続ければいつか辿り着けるということ!」
これから先、果たしてどれだけ歩数を重ねることか。
足が擦り切れ、倒れることもあるだろう。向かう道の険しさは、この領都にやって来たあの日、風に吹かれる丘に立った時からちっとも変わらない。
つまり、ちょっとだけ、厳しい。
あの日と変わらぬ厳しさに、あの日と変わらず隣にいてくれる人がいる。
だから、出て来る言葉も、あの日と変わらない。
「これからも、よろしくお願いしますね、マイカさん」
「うん! こちらこそ、これからもずっと、よろしくお願いします、だよ!」
周囲がこれだけ変わっても、あの日と変わらぬ答えが、頼もしかった。
 




