私の火床、あなたの火床5
【伝説の羽 クイドの断章】
その後、リンジャー親方は徒弟さんを走らせて、陶芸の親方と約束を取りつけ、シナモンの灯火の予約も済ませた。
急な話ではあるが、職人とはそういうものらしい。
リンジャー親方とよく付き合うようになって、それは実感した。
「せっかちだなんだと言われるが、仕方ねえだろ。俺等は職人なんだ。手先は器用だが、いくつも悩み事を抱えられるほど頭は器用じゃねえ。手元に半端な仕事があると気持ち悪くてしょうがなくてよ」
「わたしも、他人のお金を預かっていると落ち着かないんですよね。その感覚と似たようなものでしょうか」
「ああ、さっさと片付けたい、手放したいってんなら、そうかもしれねえ」
などと言いながら、テーブルに出されたエールで喉を潤す。
出されたおつまみは、小麦粉に葉野菜や肉を混ぜこんで焼いた、平たいパンのようなものだ。
「お、あんまり見たことないやつだ。新作か?」
リンジャー親方が、ウェイトレスに声をかけてなんの料理か興味深そうに聞いている。
俺は、そういえばアッシュ君が村でこんなの作っていたな、と思い出しながら頬張る。
向かい側に座った陶芸工房の親方も、興味深そうに食べる。
「ん、美味いな。パンで肉や野菜を挟んだ感じに似てるが、一体感が違う」
「ですね。具材ごとにバラバラに食べるのと、具材を一緒に煮込んだ鍋を食べる違いに近いでしょうか」
陶芸親方の呟きに答えると、頷きが返って来る。
「違うもの同士も、火を入れると案外に合うものだ。シナモンの灯火は元から良い店だが、こうして新しいことをやっている。うちも色々と試してみないとな」
「飛行機が飛ぶような時代になったからな!」
リンジャー親方も話に入って来ると、周りのテーブルからもそうだそうだと同意の酒杯が掲げられる。飛行機の話題は、こんな感じでどこでも人気である。
陶芸親方も、飛行機には感じ入るところが大きかったようで、周りに酒杯を掲げ返してから、こっちを見る。
「それで、その飛行機を造った奴が、うちで使ってる土が欲しいって?」
「ええ、そうなんです。急にお話を持って行っても戸惑われるだろうということで、その人からわたしに、わたしからリンジャー親方にご紹介をお願いしました」
「そうか。こいつは手間かけさせたな。リンジャーも、クイドさんも」
軽くであるが向こうが詫びたということは、仲介をするこちらの顔を立ててくれているということだ。現時点では結構な好感触だと思われる。
リンジャー親方と自分が初めて顔合わせした時は、乾杯する前に向こうが席を立とうとしたのだから、その時のことを思えば雲泥の差である。
しかも、陶器や土器を焼く時の要とも言える土を分けてくれ、という工房の飯の種に絡む話で、これなのだ。
「うちの土が欲しいって言うなら、まあ量にもよるが、いいだろう。使ってくれて構わん」
陶芸の親方が、こちらからお願いする前に、そう言ってくれた。
これにはリンジャー親方も驚いて、いいのか、と確認する。
「当然、普通はよくない。他人にとってはただの土塊だろうが、大事な商売道具だ。素人の玩具にされるのは面白くない」
目を細めてはっきりと言い切る姿は、流石は職人の親方という立場であると感心する。
やはり、名のある工房をまとめているのだから一角の人物なんだなあ。徒弟さんにとっては恐い親方なのかもしれない。
ちなみに俺は恐くないよ。アッシュ君の方が恐いから。
「面白くはないが、飛行機なんてもの飛ばしてみせた連中を、むげにはできんだろう。あれは玩具だとしても面白かった。それを評価しないわけにもいかん」
「お前のところでも、あれで盛り上がってるか?」
「当然だ。あれで騒がない奴は職人じゃない。……まあ、騒ぎすぎるのも職人としてどうかと思うが」
「まったくだ。でも、若いうちは仕方ねえよ」
二人の親方同士、近頃の若いモンは、なんて軽く愚痴りながら酒杯を空けるので、クイドは頼んでおいたお代わりをウェイトレスから受け取って差し出す。
「お話が上手く進んでなによりですが、それにしても素早いご返事でしたね。大事なものでしょうから、もっとこちらの条件をお話する必要があるかと思いました」
「ああ、リンジャー親方からの紹介ってのもあるが、実は別口からも話があってな」
陶芸の親方は声を潜めて、別口の名前を出す。
「ミラビル鍛冶工房のロジャーから、ちょっとばかり言われたんだよ。息子が粘土弄りをしたいようだから、そん時はよろしく頼むって。鍛冶屋から頼まれたら、気を使わんわけにもいかんだろう」
「お、あの飛行機狂いの親父がか? ふははは、あの頑固野郎も、なんだかんだ息子は可愛いか」
「そりゃそうだろう。あいつそっくりの息子だぞ」
へえ。ヘルメス君と親父さんは似ているのか。
そう呟くと、リンジャー親方が大声で笑った。
「似てるもなにも、親父の小さい頃だって言われても信じられるぞ! ロジャーの野郎が若い頃になんて呼ばれてたか知ってるか? 刀剣狂いだ!」
リンジャー親方に、陶芸の親方も小さく笑って続ける。
「懐かしいな。クイドさんは知らん世代か? ロジャーの奴、今でこそそこらの家で使う鍋や包丁、農村の農具まで文句も言わず作っているが、昔は偏屈な奴でな」
「あいつ、領軍が使う剣や槍、武器しか打たねえなんて言ってたんだぜ。まあ、剣の出来はマジですげえから、言うだけのことはあったんだがな」
「それでついたあだ名が刀剣狂い。息子の坊主のことを飛行機狂いなんて呼び出したのは、ロジャーの刀剣狂いを知ってる俺等職人仲間だろうな。俺は言い出しちゃいないが……」
「ひょっとしたら俺が最初に言い出したかもな! 刀剣狂いの倅なんだ、のめりこんだらすげえってのは皆わかってたんだぜ!」
肩を震わせて笑った親方二人は、エールを呑んで続ける。
「ロジャーの奴も困っただろう。息子の飛行機狂いを叱ろうにも、自分が若い頃は似たようなもんだったんだ。奴のしかめっ面が頭に浮かぶ」
「鍛冶屋の作るものは、鍋や包丁であっても、人の生活を助ける大事な仕事だ、とか叱ってるのを聞いたことあるぞ。自分の若い頃にそれを言い聞かせてやったらどうなることか!」
「くくっ、そんなんじゃ、強くも言えないだろうな」
「だからロジャーの奴、息子が神殿に通い詰めるのも、鍛冶場で遊ぶのも止められねえでやんの!」
「そしたら、息子は飛行機を飛ばせてみせたってか。ふふふ、これはもう文句も言えないな」
ひとしきり、親方仲間の子育ての結果を酒の肴にして、陶芸の親方は話をクイドに戻す。
「まあ、そういうわけだ。顔も知らん奴からいきなり言われたらこっちも面白くないが、リンジャーやロジャーが口添えしてくる相手だ。飛行機を飛ばした連中だってことで、今度はなにをするのか興味もある。うちの工房でよければ協力はする」
ただまあ、と陶芸の親方は首を傾げる。
「一体なにをするのか、理由は教えてもらえるか? それを聞かんことには、正式な答えのしようがないからな」
「そうでしょうね! そこを話す前に話がまとまったらどうしようかと思いました!」
なんか交渉に来たはずなのに、楽しくお酒を飲んでるだけで話がまとまりそうでびっくりである。
これ俺がやらなくてもよかったんじゃなかろうか。
そんな不安を覚えつつ、アッシュ君から聞いた耐火レンガというものの説明をする。
「なんでも、石材の代用品を造りたいんだとか。しかもその代用品は熱に強く、陶芸窯や鍛冶炉の改良に繋がるものだそうですよ」
「なに、窯の改良だと?」
陶芸親方は当然のように食いつき、リンジャー親方もそれはすげえなと食いつく。
俺もすごいと思うので、アッシュ君からもらった、提供できる利益を読み上げる。
「耐火レンガが上手くできれば、窯の性能が上がる。薪や炭といった燃料の消費が減ることが期待できる上、より高温を出せれば今までと違う焼き物もできるでしょう……とのことです」
「今までと違う焼き物か。そいつは興味がある」
「いいじゃねえか。しかも、石材の代わりだろ? 市壁の点検ばかりで腕を持て余している石工の連中も喜ぶんじゃねえか」
「違いない。というか、点検はできても、市壁の修理がな。石材不足でできやしないと嘆いて……あれは流石に気の毒だ」
「気持ちはわかるぜ。水車もそうそう建て直す機会なんてねえからな。厳しい修行に耐えて身に着けた技の振るいどころがないのは、つらいもんだ。ご先祖様がやったように、一から造る喜びってもんを味わいてえし、弟子どもにも味わわせてやりてえ」
さっきまで機嫌よく笑っていたリンジャー親方が、ちょっとしんみりした様子になってしまったので、アッシュ君からの特別な気遣いについても伝える。
「リンジャー親方にも、近々お願いする予定があるそうですよ。水車の改良も兼ねて、小型のものを試す計画を作るので、その時はよろしくお願いしますと」
「本当か!?」
「小型ですよ!? 小型のものから、試作するってお話です!」
リンジャー親方の満面の笑みに、思わず強調する。
「小型だって構うもんか! 改良型ができれば、水車の建て直しの話だって、領内全部とは言わないが持ち上がるだろ。これで若い連中の修行にも張り合いが持てるってもんだ」
まだ計画のできていない段階で、リンジャー親方のこの盛り上がり。ウェイトレスに追加の料理とお酒を豪快に頼む始末である。
止めようかと思ったけれど、アッシュ君がやる気になっていたから、止めなくてもいいかと思い直す。
アッシュ君はやる人だし、やりきる人だからね。
盛り上がっているのは、リンジャー親方だけではない。
窯の改良の可能性があると聞いて、陶芸の親方も口元を緩めて顎をさすっている。
「リンジャーが喜ぶのもわかる。やりがいのある仕事ほど、職人にとって嬉しいものはない。柄じゃないが、面白くなってきたな……!」
酒杯を一気に飲み干し、陶芸の親方が身を乗り出して来る。
「クイドさん。どれくらいの量を考えているかわからんが、土掘りや粘土作りってのは、結構な重労働だ。人手もそれなりにいるだろう?」
「すみません。そこまでの確認はしていませんで……そういうもの、なんですね?」
生憎、商人の俺には人手がどうの、労力がどうのは見込みもつかない。
しかし、本職の親方が言うなら、そうなんだろう。
「どうせ土の場所やらなにやら教える必要があるんだ。うちの工房から若いのを手伝いにだすから、いいように使ってもらってくれ」
「土掘りか。そいつは大変だな。陶芸は門外だが、力仕事ならうちの工房の若い連中でもできるだろ。こっちからも手伝いに出すぜ」
陶芸工房が押さえている特別な土を分けてもらうだけの交渉が、なんか人手まで分けてくれる話になった。
「ええと、アッシュ君に確認してからのご返事になりますけど……いいんですか?」
「あの飛行機をすげえすげえって浮ついて、修行に身が入ってねえ連中だから、こき使ってくれ。いい薬になる」
「こっちも似たような連中を送る。飛行機を見られるかもしれないぞ、と言っておけば嫌とは言わんだろうさ」
二人とも、弟子をこっちに差し出すつもり満々である。こっちが有利すぎて心配になる。
生まれ変わった商人クイドは、ぼったくりはしない主義!
赤髪の少年の笑みがちらついて躊躇っていると、リンジャー親方が笑う。
「そんな警戒しなくても平気だって。新しい物事を始めようって奴のところに、若いのをくっつけておけば、その新しいもんにすぐに触れられるだろ? 先に慣れとけば他の工房より有利だろ?」
「そういう下心もある。後から文句をつけるなんてケチな真似はしない」
陶芸親方も認めつつ、真面目な顔で最大の理由を述べる。
「なにより、窯の改良ができるなら、なるべく早く欲しい。俺だって一職人として、新しい窯で、どんなものが焼けるか試してみたい。弟子だけがそれを楽しむのは……ずるいだろう」
「俺も水車の改良ってのがどんなものか楽しみでしょうがねえ! その石材の代わり? そっちが先なのが残念なんだが……水車の方も早く取りかかってくれねえかなぁ」
喉から手が出るほど、という顔でリンジャー親方がぼやく。
いや、こっち見られても流石にそこまでは無理ですよ?
手と首を振ってこっちを無理ですと主張すると、リンジャー親方は恨めしそうな顔を陶芸親方に向けて笑われた。
「リンジャー、お前も職人だな」
「そうだ、職人だ。それも俺達はサキュラの職人だ!」
リンジャー親方が、新しく届いた酒杯を片手に立ち上がる。
「ご先祖様は初代様と一緒に、なにもなかったこの地に、新しく街を作りに来た! サキュラの職人にとって、新しい物を作ることは、ご先祖様の偉業を感じ入ることだ!」
親方の大声に、店内の他の酔客が、始まった始まったと酒杯を片手に顔を向ける。
「なにもなかったこの地に、小屋を作り、壁を作り、街を作ったご先祖様と、初代様に!」
店内の他の客から同じ言葉が返って来て、あちらこちらで酒杯が傾けられる。サキュラの飲み屋でよく見られる乾杯の光景である。
大体、気持ちよく酔ってきた誰かが初めて、他の客が合わせる。
言い出した奴が各テーブルに一杯奢るまでが流れだ。
「今日はいい仕事ができそうな前祝いだ! 皆も気持ちよく飲んで祝ってくれ!」
店側も心得たもので、ウェイトレスやウェイターが両手に酒杯を抱えて各テーブルに配っていく。
今日の飲み代は高くつきそうだ。俺も出すけど、リンジャー親方は大丈夫かな。
陶芸親方もそう思ったらしく、小さな声で囁く。
「派手にやるな。まだ仕事が決まったわけでもないだろう」
「なあに、将来の仕事が増える見込みができたんだ。これくらいなんてことない」
「女将さんにどやされても知らんぞ」
リンジャー親方の機嫌よさそうなほろ酔い顔が固まった。
「バカ野郎! そんな……ちょっとは出してもらっていいか?」
「そっちから誘っておいて仕方ないやつだな……。まあ、こっちの方が新しい仕事に近い。もってやる」
「お、なんだ、あっさり金出してくれるってことは、お前も相当に機嫌がいいじゃねえか」
「俺達はサキュラの職人だからな」
二人は笑い合って、酒杯をぶつける。大変に楽しそうである。
新しい物を作ることは、そんなに楽しみなんだろうか。
商人であるクイドにはよくわからない。わからないが……。
(そういえば、衛兵をやめて行商人になる時は、わくわくしてたっけなぁ)
結局のところ、目の前の親方二人も、自分も、同じサキュラの人間ということなのだろう。
なにもない土地にやって来て、一から街を作ることを成し遂げた血を引いている。
新しい物事を始めるとなると、なにか胸が湧きたつものがあるらしい。
そういえば、腱動力飛行機を見た時、これは売れると直感し、すぐに交渉に押しかけた。
夢中でやっていたことだが、思い返せばすごく楽しかった気がする。ニコニコしながらそう考えて、ふと気づいた。
「あ、一番先に儲け話にありつけそうなのわたしですね?」
腱動力飛行機の販売利権の交渉を進めているのだった。
二人の親方が新しい物を作り始めるよりも、自分が新しい商売を始める方が多分早い。
「お、なんだよ。それじゃあクイドさんが一番に俺等に奢らなくちゃいけないんじゃないか?」
「いやあ、リンジャー親方の言う通りですね。ここはわたしがご馳走しませんと。でも、あんまりお金を使うとネイヴィル殿が恐いので、程々でお願いします」
「お、おう、ネイヴィル殿は確かにあれだな、そう、気遣いが必要だ」
結局、この日は三人で出し合って、周囲の客とも盛り上がって楽しくお酒を飲んだ。
今は目の前になにもないのに、将来の希望だけでなんでもできそうな気にさせる。そんな、実にサキュラらしい、楽しい夜だった。




