私の火床、あなたの火床4
【伝説の羽 クイドの断章】
マイカちゃんに引っ張られていくアッシュ君の背中を見送った後、しばらくの間、ネイヴィル殿は眉間に寄せたシワを指でなぞって苦しんでいた。
喉に小骨が引っ掛かったような反応である。
無理もない。
交渉の時のお土産が欲しいと言って、出されるものが新技術や建築工事の話である。
しかも予算は執政館、イツキ様に出させる気満々である。
軍子会に通う年頃の少年の頭から出て来たら、それは驚く。マイカちゃんが気遣ってアッシュ君を持って帰ってくれて助かった。
「あれがアッシュさんですか……」
ようやく心の整理をつけたのか、ネイヴィル殿が呟く。
「そうですね、あれがアッシュ君です」
「よもや、あの若さで利益を提示した交渉を心得ているとは……。しかもお話が大きい。こう、目の当たりにすると、頭が理解を拒みますね」
「ははは、びっくりしますよね」
ノスキュラ村で、フォルケ神官がアッシュ君を悪魔扱いしていたことに、俺もこっそり納得の頷きをしていたものだ。
対応する時のコツは、年下の少年ではなく、なにか恐い生き物だと思って身構えることだと思う。
「まあ、悪い子ではないんですよ。……こちらが悪いことをしていなければ」
こちらが悪いことをしていたら?
ははは、魔王が出て来るだけだ。泣いて詫びるしかない。
「まあ、確かに、悪い子ではないというのは、わかるように思います……。この提案の一覧を見ても、工房側に利益があって、気配りを感じます」
少々サキュラ家の金銭的な負担が心配だが、とネイヴィル殿はちょっと懸念を漏らすが、軽く首を振る。
「貴族とは、こういう時に懐を漁られるものですからね。領のためになる見込みも高そうなので、結局はサキュラ家にも悪くない投資と言えます」
そこまでアッシュ君の提案を分析して、ネイヴィル殿は首を捻る。
「どうしてあの若さで、三方に利益を示した提案ができるのか……」
不思議に思うのは仕方ないだろう。俺だってアッシュ君に慣れない頃は、不思議に思っていたものだ。
慣れた今はどうか。答えは簡単である。
「アッシュ君ですからね」
全ての疑問を心労ごと解消してくれる魔法の呪文である。
アッシュ君は、こちらに悪意がなければ、こうして利益を持って来てくれるのだ。商人としてはそれで十分。
アッシュ君の正体を覗きこむのは俺の役割ではない。
多分それはマイカちゃんがやってくれるんじゃないかな?
さっきも、ネイヴィル殿が混乱しきる前に、アッシュ君を連れて行ってくれた。見事な制御力だ。
アッシュ君のことは彼女に任せておけばいい。自分の手にはとても負えない。
商人である俺は、早く動いて商談を進めるべきである
「さて、ネイヴィル殿。アッシュ君が動き出した以上、こちらもゆっくりとはしていられません。早速、先方にお話を通そうと思います」
「わかりました。丁度五日後、工房の顔役が集まる予定があったはずです。日程の確認と、参加の手配をいたします」
「五日後ですか……」
うーん、それだと遅くない?
うん、多分遅い。
「正式な打診はそれでいいとしても、事前に話を通しておきましょう。ええと、他の工房と橋渡しをしてくださっているリンジャー親方には、今日のうちにお会いして」
「今日、これからですか?」
「はい。アッシュ君なら、明日にももうレンガを作ると言い出しかねないので……」
「つい先日、あの飛行機を飛ばして見せたばかりですのに……?」
「つい先日、あの飛行機を飛ばして見せたような人なので……」
ネイヴィル殿の言いたいことはわかる。
わかりますよ?
あんなとんでもないことをしたんだから、レンガとやらの話を動かすのは一休みの後、それなりに時間を置いてから、みたいな当たり前の考えが働くんでしょう?
でも残念!
そんな当たり前の考えに当てはまるような人なら飛行機は飛ばせない!
飛ばせないんです、ネイヴィル殿!
「あの、前代未聞の空を飛ぶ機械を作りながら、レンガという新しい素材のことを研究する余裕が、一体どこに……?」
「その空を飛ぶ機械のお買い物について来ていたのが、ヘルメス君とレイナさんだけでしたからね……」
アッシュ君はお友達がとても増えた。
マイカちゃんはもちろん、アーサー様やヤエ様といった領主一族ともご懇意だとか。よく一緒にいるという目撃情報、俺にも聞こえてきている。
なんたって俺の親友は、軍子会で軍事系の授業を担当しているからね。
「あの飛行機の製作、アッシュ君の仲間の半分で作ったらしいです」
「半分」
「そう、半分。残り半分はなにをしていたのかというと……」
各工房に提供できる利益の一覧を書いた紙を見る。多分、そういうことなんだと思う。
「早くこっちの体制を整えないと、アッシュ君が自分で色々動き出すと思うので……」
軍子会にいるうちから、領政の予算を分捕ろうなんて計画を立てるような(しかも実現させそうな)、色んな意味で早すぎる人物なのだ。
アッシュ君の歩みの速度で引きずられたら、俺みたいな凡人はどんな大怪我をするかわからない。
それを体験するくらいなら、早め早めに動いて、アッシュ君が円滑に計画を実施できるようにしておくのは、当然の備えというもの。
「とりあえず、リンジャー親方に会いに、フォアマン工房に行ってきますね。ネイヴィル殿、すみませんけど、留守をお願いします」
アッシュ君ショックが残ってると思うから、休んでいて。
大丈夫、段々と慣れてくるはずだから。
*****
フォアマン工房は、大工に分類される職人組織だ。
中でも、住宅建築ではなく、水車の建築を得意としており、領都内の製パンに欠かせない職能を維持していることから、領主一族や商人を始め、パンを食べる住人からの信頼されている。
各種の工房を構える職人達とて、パンを食べる住人である。
パンを食べられなくなると困る、と水車を建築・維持することができるフォアマン工房には一目を置くことは自然な流れと言える。
そうした理由から、俺が訪ねたフォアマン工房のリンジャー親方は、職人の寄り合いの中でも発言権のある人物だ。
「よう、クイドさん。今日もそっちに顔を出そうと思ってたんだが、クイドさんから来てくれるとは思わなかった」
「お仕事中にお邪魔してすみません。ちょっとご相談したいことができまして」
「ははは、なあに、水車小屋の建築なんかそうそうある仕事じゃねえからよ。大抵は暇に飽かして弟子の指導だ。いやまあ、それはそれで、将来も水車を保つための大事な仕事なんだが……クイドさんならいつでも来てくれて構わねえよ」
そんな親方衆でもちょっと偉い人から、この歓迎ぶりである。
自分でもびっくりする関係を築けたものだ。これもネイヴィル殿とアッシュ君のおかげなのだから、きちんとお話を通さなければ!
「おうい、クイドさんにお茶を出してくれ! あれだ、ハーブティーのやつ……クイドさんからもらったやつだが、あれが一番美味い」
「気に入ってくださっているようでなによりです」
気遣いにお礼を言ったり、お弟子さんの愚痴や自慢を聞いたり、ひとまず当たり障りのない世間話をする。
今の世間というのはどうやっても腱動力飛行機、つまりアッシュ君関係の話になってしまう。
「いやあ、あの飛行機な。何度も言うが驚かされたぜ。ミラビル鍛冶工房の飛行機狂いと言えば有名だったからな。あの坊主がとうとうやったものかと、職人仲間が顔を合わせるとどいつもこいつも盛り上がってな」
「そうでしょうね。商人同士でも、あれはなんだとか、あれは本当かとか、そういったお話ばっかりですよ。驚くのも無理はないというか、驚いて当然というか……」
実際、あらかじめ知っていたはずの俺も驚いた。
材料はうちから買った物だけど、空飛ぶ玩具って言っていたじゃないですか、アッシュ君。
ブーメランみたいなものだとばっかり思っていたら、完成品はあれ。アッシュ君に慣れた俺だってびっくりする。
でも仕方ない。アッシュ君だからね。
驚くのは当たり前で、驚いた後に立ち直る早さが慣れた人と、慣れてない人の違いだと思う。
その点、俺は慣れていたからね。すぐに立ち直って動けたよ。空飛ぶ玩具って言ってたんだから、あれ玩具として売れるよね、って。
材料だって、そんな高い物がなかったことは知っている。でも売る時はかなり高い値段がつけられるはず。
すごい儲け話ですよ。
店を構えた以上、この商機を見逃す手はありませんね!
現在、執政館の方々と鋭意交渉中である。最初からわかっていたけれど、簡単にはまとまらない話だ。
飛行機って、その辺に玩具として飛んでていい代物じゃないからね。
「その飛行機を造った人から、ご相談を受けましてね?」
ちょっと身を乗り出して囁くと、リンジャー親方の表情が変わった。
驚いた後、にやりと笑って、同じく身を乗り出して来る。
「その相談をうちの工房に持って来てくれたってことは、約束は覚えていてくれたみたいだな。流石、クイドさんだぜ」
「もちろんです。ノスキュラ村の水車を建て直す話が出た時は、フォアマン工房と親方にお願いするつもりでしたからね」
リンジャー親方が、俺なんかにここまで好意的に接してくれる理由は、それだ。
初めて会った時に、ゆくゆくはノスキュラ村の水車の建築をお願いしたい、という話。
それもただの水車ではない。ノスキュラ村の水車は、アッシュ君が改良したいと言っていた水車なのだ。
「水車の改良型なんて、そう簡単にできるもんじゃねえ。できるんなら俺等がもうやってる。……ってなもんだが、あの飛行機を造った奴なら期待できる」
「でしょう? アッシュ君がやると言ったら、本当にできるんですよ」
「ああ。元から期待して話を受けてたんだが、いよいよ期待できるっていうかよ。楽しみになってきたぜ」
このように、リンジャー親方はアッシュ君の相談に対して、中身を聞く前から大変に乗り気である。
実績って大事ですよね。アッシュ君が飛行機なんてとんでもない実績を見せてくれたおかげで、話が簡単に運べそうだ。
「それでご相談というのは、陶芸工房へお願いがある、ということでして」
「陶芸? そりゃまた意外なところだな。まあ、そっちとも付き合いはあるから、話を持って行くのは訳ねえけど……どんなお願いだって?」
「陶器を焼く時に使う土を融通して欲しいと。質のいい粘土が必要なんだそうです」
「なるほど? いや、なにをしたいのかはさっぱりわからねえが、なにを頼みたいのかはわかった。確かに、赤の他人が藪から棒に頼んだら、工房としちゃ面白くねえわな。先に知ってる顔から話を通しておこうってのは、いい手だ」
そこで気を遣って根回しできるのが、アッシュ君の恐いところ。思いつきで言ってみただけ、で終わらない。思いつきを実現するところまで、きっちり道を作ってしまう。
当たり前に聞こえるけれど、それが普通は大変なことだからね。
やろうと思っても面倒臭さとか苦労が立ちふさがって、なんやかんやと諦めるのが普通である。
そこができる、やりきるというのは、本当に恐い。
「よし、俺から陶芸工房に声をかけよう。とはいえ、あんまり詳しい話がわかってない俺が間に入っても、上手くいかねえな。クイドさん、今日はこの後、空いてるかい?」
「ええ、大丈夫ですよ。どこへ行きます?」
店を持った以上、俺も暇なわけではないけれど、アッシュ君からの用事が最優先である。
そして、この話の流れでリンジャー親方の提案は、まあ、アッシュ君絡みに間違いない。
「シナモンの灯火が空いてりゃそこにしよう。あそこの美味いもんが食えるとなりゃ、誘いを断る奴はいないからな。それに、クイドさんに紹介するのは、あそこの店に皿を納めている工房だ。俺とあいつの名前を出せば、まず席は取れるだろ」
小麦粉作りに携わる親方と、皿や器作りに携わる親方の連名である。そりゃあお店側も断りづらかろう。




