灰の底27
目が覚めてからも、私は村長家の寝室から出てはいけないと厳命されてしまった。
農作業が忙しい時期に大丈夫だろうかと思い、実験畑の様子はどうだろうかと案じ、養蜂の進捗は順調だろうかとそわそわしていると……。
農作業については、お見舞いに来た父上が、胸を張って任せろと言ってくれた。
実験畑は、マイカ嬢と、それから恐れ多くも村長御自らご出陣くださると言うので恐縮してしまった。
養蜂については、熊肉を携えたバンさん一家(未婚)が、順調なので安静にしていることと釘を刺された。
別に無理をしてまで働くつもりはないのに、皆が皆、非常に強い調子で動くなと命令してきたのはなぜだろう。そんなに働きたがりに見えていたのだろうか。
そんなことを、本を持って見舞いに来てくれたフォルケ神官に話すと、大笑いされた。
「そりゃお前、目を離すと必ずなんか妙なことやってるからだろ」
「まるで問題児のような扱いですね」
「そうだよ、わかってるじゃないか!」
私としては、常に計画性を持って、目的に向かって動いているつもりなのだが。
「まあ、アッシュ自身にはわからんだろうよ。お前にとっては普通に歩いているつもりが、他の連中からしてみりゃ全力疾走にしか見えないってだけだからな」
「むぅ……まあ、変わったことをしている自覚はありますけれど」
「それがわかってるだけマシだ。いや、余計に性質が悪いかもしれんがな」
ケラケラ笑うフォルケ神官に、私は似たような感想を張りつけた記憶が呼び起される。
これと同類扱いされているのかもしれないかと思うと、いささか反省の思いが湧いてきたような気もするかもしれない。
ひとしきり笑ったフォルケ神官が、私に本を手渡す。
「ほら、お前さんのことだ、退屈してるだろ。とりあえず、アッシュがまだ読んだことないはずの本を持って来たが、希望があれば言ってくれ」
「大変助かります。流石、わかってらっしゃいますね、フォルケ先生」
私の言葉に、当たり前だろう、とばかりにフォルケ神官は鼻を鳴らす。
実際、動いて回るには体が回復しきっていないようで、今の私は養生するしかない。ならばこの時間を、存分に読書に注ぎこみたいと思っていたところなのです。
「しかし、そろそろうちの教会にある本は読み尽くすぞ。どうしたもんかね」
「それが悩ましいところですね。めぼしいものから読んでしまったので、残ったものの品ぞろえも微妙なのですよね。どうしたものでしょう」
二人そろって、腕を組んで唸り声を上げる。
教会にある本に不満があるわけではない。特に、物語の本などは、この村における数少ない癒しだ。
ただ、実用書の類を読んでも、この村でこれ以上なにかを行うのが難しいという現状がある。
例えば、農業書。畑にまく肥料について言及されているのだが……。
『畑に必要な栄養素はなにそれとなにこれだ。まき方はこうこうこうすると良い。』
このような感じである。
農学に乏しい前世知識を振り絞るに、恐らく窒素がどうのとか書かれているのだと思う。
窒素が肥料として重要なことは少しだけ知っている。マメ科の植物は、大気中の窒素を吸収し、根っこから土中に放出する。だから、大豆などは地力を回復させると言われている――らしいのだ。
そして、おわかりになるだろうか。
これだけ知識があっても、ではどうやってその肥料を作るのか、肝心なところが全くわからない。
農業書には、「高圧高温作成法」とやらを使って、とある物質を作り、さらにそれを何かと化学反応させると、窒素(と推測される物質)ができるようだ。
その「高圧高温作成法」の詳細が書いていないし、「とある物質」も、それと反応させる「何か」も何のことやらわからない。
この解読のためには、化学知識がまるで足らない。この世界の元素周期表が必要だ。
おまけに設備も不十分だ。
竈の火力は貧弱だし、調整しづらい。ガラスを始め、化学変化に強い実験器具も欲しい。「高圧」と言うからには、頑丈な圧力鍋のような代物も必要だ。
化学実験である以上、温度や重量を始め、様々な要素を正確に測る計測器もなくてはならない。
実験の内容によっては、人力以上に強力で、かつ生物では実現できない一定の出力を発揮する動力が求められるかもしれない。
そして、もう、おわかりだろう。
どれもこれも、この寒村に、現状存在しないものばかりだ。王都に行ったって手に入るかわからないものすらある。
今までは、この村に存在するものをかき集めて、行動できた。
ここから先は、この村に存在しないものを手に入れることから始めなければならない。
「フォルケ神官、一応お尋ねしますが、新しい本についてはいかがでしょう」
「う~ん、そりゃ本を一冊二冊、手に入れるだけなら何とでもなるぞ。でもな、何でも良いってわけじゃ、ないだろ?」
「そうなのですよねぇ」
ただ読んで楽しむならともかく、今の私は日々の生活を良くしようと、本を求めている。
フォルケ神官も、研究者として資料の大切さはたっぷりと理解しており、私が求める水準の本が手に入らないことを危惧している。
「一応、都市の神殿に、条件を指定して探してもらっているんだが……担当はヤエ神官だったかな。アッシュの言っていることを理解できない可能性も多々あってだな」
「それも致し方ないとはわかっていますが……」
そりゃそうである。
細菌やウィルスについても、相応の専門知識持ちが「そういう考えが昔あったらしい」「そう考えるとなんか合点が行くことがあるな」という認識しかない文明レベルだ。
「物質を構成している肉眼で見えない物凄く基本的な要素について言及している書物が欲しい」などと相談されて、困らないわけがない。
王都クラスの神殿なら、それなりに一つの分野について研究している人材がいて、ひょっとしたら通じるかもしれないとのことだ。
「ちょっと手詰まりな今日この頃ですね」
「お前の場合、いっそ、王都に行く方法を考えた方が良いかもな」
冗談めかしつつ、フォルケ神官は最善手を提案する。
「やはり、そうなりますよね。今から旅費を積み立てて、何年かかるか」
すぐに私が計画を立てはじめると、フォルケ神官が私の頭をぽんぽん叩く。
「ほれ見ろ、すぐに新しいことを始めるだろ」
「ですが、妙なことではないでしょう?」
王都に行きたいなんて、前世で言う田舎の少年が、都会で働きたいっていうのと同じことだ。
「いや、そりゃ夢として口にする奴は結構いるけどな。いきなり旅費の計算から始めるほど具体的な奴を俺は知らん。目途がついたら今にでも出発するだろ」
「流石に昨日の今日に出発するほど非常識ではありませんよ」
「でも、出発しないで済ませる気はないだろ」
断定されて、しかも図星だったので、私には返す言葉がない。
すると、フォルケ神官は、だから心配性な奴は目が離せないのだと、彼自身は全く心配していない様子で笑う。
「可愛い可愛い一番弟子を、もう少し心配してもよろしいのですよ?」
「心配? お前をか?」
私が頷くと、素っ頓狂な表情になったフォルケ神官は、顔全体を口にしたように笑いだす。
「馬鹿言え! 前にも言っただろう、お前がそう簡単にくたばるタマかよ!」
「事実として、今回、私は死にかけたと思いますが……」
「い~や! 高熱だしてうなされているお前を見て、俺はなおさら確信したね!」
なんでだよ。苦しんで意識朦朧になっている子供を見て、こいつ絶対死なないと確信するとか、どういう人間性だよ。
「自分じゃ覚えてないか? 心配の余り泣き出す人間もいたような高熱の最中、お前、何て言ったと思う?」
「いえ、熱が出ている間の記憶は全くないので……私、何か言いました?」
「おう、言った言った。よく言えると俺は感心したよ!」
目元ににじんだ涙をぬぐって、フォルケ神官が、なぜか自慢げに教えた。
「死なん。この程度じゃ絶対に死なん。生きてやるぞ。絶対に生きてやる。……って、ず~っと呟いてんだもん! あれじゃお前、迎えに来た死神だって諦めて帰るに決まってる!」
誠に遺憾ながら、返す言葉がちょっと思いつかない。
ただ、なんというか、そこまで笑うことないと思う。こっちは生きるのに必死なのだ。
今後の投稿について、活動報告にてご報告をさせて頂きました。
下部にリンクを置いてみましたので、よろしければご確認ください。