私の火床、あなたの火床 3
【伝説の羽 アッシュの断章】
クイドさんのお店を訪れると、店主であるクイドさんと、その補佐を務めている女性ネイヴィルさんがそろって頭を下げて出迎えてくれた。
「いつになくご丁寧なお出迎え、痛み入りますけど……どうしました?」
ちょっとびっくりして尋ねると、クイドさんが行商人の頃と変わらない笑みになって頭を掻く。
「はは、ネイヴィル殿のご指導です。上客をお出迎えするならこうでないと、と言われまして」
「クイドさんは、お若い店主とはいえ、そこらの新人店主とは扱う品が違います。貴族やその関係者が商売相手となるのですから、今から機会のあるごとに実践しておいた方がよろしいのです」
「ということです」
なるほど。急にしっかりやれと言われても、切り替えるのは難しいものだ。
それなら普段から丁寧に、というのは危険予防にいいだろう。
「なるほど。では、私なんかは練習相手に丁度いいですね」
「あたしもー」
マイカ嬢と軽く笑って頷き合うと、クイドさんとネイヴィルさんは真顔である。
「自分にとってアッシュ君は、疑問の余地なく最上位のお客様です。練習であると同時に本番でもあります」
「マイカ様。ユイカ様のご息女であられるマイカ様は、基本このサキュラに店を構える者にとって最高位のお客様に該当しますので、どうかご自覚を」
「そうなんですか?」
「そうなの?」
「そうなんです」
「そうなのです」
どうもそうらしい。マイカ嬢はともかく、はて、なぜ私が……?
「見てください、ネイヴィル殿。あれがアッシュ君です。マイカさんもそうですけど、あの自覚のなさですよ」
「お話には聞いていましたが、まさか本当だとは。いえ、クイドさんのお話を疑っていたわけではないのですが……」
「わかります。アッシュ君は、実際に見ないと信じられないことがほとんどなのです」
なんだかんだ、この二人も仲よさそうですね。息ぴったりです。
この二人については、イツキ氏からも聞いている。
アロエ軟膏を扱う関係上、クイドさんに店を持たせたい。でもクイドさんには店を切り回す経験に不安がある。
そこで、店の経営を指導しながら手助けするため、商業系の業務を担当していた侍女、ネイヴィルさんを派遣した……ということである。
御用商人の亜種みたいなものかな?
あるいは、貴族の商会を任された雇われ商人とか。
どちらにせよ、政治的な思惑がこみこみの二人の関係だが、言葉面から連想されるぎくしゃくとした感じはない。
ネイヴィルさんが張り切って指導し、クイドさんが素直に言うことを聞いている。
世話焼きお姉さん肌と素直な年下タイプの相性はいい。古来そう言い伝えられているものです。
……クイドさんの方が年上らしいですけどね。
類型は現実から造られるが、必ずしも現実を反映したものではない。
そんなことを考えながら、クイドさんのところにお邪魔したご用件をお伝えする。
陶芸工房に伝手とかありません?
あったら根回しお願いできません?
陶器を作る時に使う粘土が欲しいんですよー。
割と無茶振りだと思うのだが、クイドさんは商人としてレベルアップしていた。
「はい、万事お引き受けいたします。是非ともお任せください」
落ち着いた様子で、にこにこ一発承諾である。
頼もしい!
「お願いしておいてなんですけれど、お付き合い上、大丈夫そうですか?」
「アッシュ君からこういったお話があった、とお伝えするだけなら、なんの問題もございません。と言いますか、恐らく商人としては得しかないかと」
クイドさんの隣で、ネイヴィルさんも深々と頷いておられる。
「お相手がアッシュ君なので、包み隠さず手の内をお話いたしますが――」
クイドさんは包み隠さず、下心という手の内を語ってくれた。
レンガなる新素材を開発する、そんな研究者に伝手がある商人というのは、今の世の中まずいない。
そういう伝手を持っているとしたら、王都の神殿に寄付を行っている、中央の大商人くらいである。
王都の神殿以外にいる研究者は、詐欺師がほとんどだ。
こんな儲け話があるんですが、投資しません?
絶対に儲かります。絶対に損はさせません。
今なら金貨十枚、それだけで金貨一万枚の儲け間違いないですぜ、旦那。へっへっへ。
そんな具合である。
まあ、真面目な研究者も在野にいることはいるのだが……一昔前のフォルケ神官のことを思い出そう。
亡者神官と呼ばれていたアレ。あれがいわゆる在野の研究者である。
王都の神殿から弾かれるというのは、それほど今世の研究者にとって致命的なのだ。
そんな世の中なので、私の話を持って行っても詐欺扱いでまともに相手されないと予想される。
普通は。
しかし今この場所、叙勲式を終えたばかりの領都イツツに限ればそうでもない。
あの飛行機を飛ばした軍子会の人が、新しい物を造っている。
この一言は大変な信ぴょう性を持つ。だって、飛行機を飛ばしてみせた実績がある。
これは、ひょっとすると、ひょっとするんじゃないか!?
「そういう期待を、今のこの街の職人の方々は持っているわけです」
「断言しますね?」
「はい。わたしがアッシュ君と付き合いがあることを知っている職人の皆様が、実際にわたしに話してくれたことですから」
ちょっと自慢げなクイドさんである。
商人にとって情報は大事な武器だ。そういう話が耳に入るのだから、クイドさんの成長ぶりがうかがえる。
「いや、ほんと、アッシュ君とお付き合いをしているということで、色んな工房からご挨拶を頂いている状況でして、アッシュ君にはまたお礼をしないといけないと思っていたところなんですよ」
「そう思っていたところに、私が工房との繋ぎをお願いに来たので、二つ返事で引き受けてくださったと」
「そういうことです。ですので、わたしへの気遣いは不要なのですが、新しい物を期待している職人の方々には、なにかしらのお土産があればなと思います」
新しい物を期待している職人へのお土産、つまりどんな利益を提供できるかということか。
「わかりました。少々お待ち頂けますか。こちらから出せそうな見返りを一覧にしてお渡ししますので」
「はい、もちろんです。よろしければ、こちらのペンと紙をどうぞ」
「あ、助かります。では失礼して」
実に用意がいい。
書く物があれば今この場でさらさらっと書いて渡して、クイドさんに動いてもらえる。
「そうそう、事前の確認になりますけど、クイドさんとしては丁寧に扱いたいお相手はいらっしゃいますか? 陶芸工房や鍛冶工房は、レンガ造りが利益に直結するので、説得はしやすいと思うのですが」
「そうですね。職人の皆様とやり取りするのに、一番お世話になっているのは水車の製造を得意にしている、大工工房の親方でして、できればそちらの方にお土産があると気が楽ですね」
「ほほう、水車! いいですね!」
人狼とやりあった後、怪我の療養のためにノスキュラ村に戻った時に改めて思いましたが、村の水車の修理!
あれは絶対にやりたいので、私としてもその大工工房の親方にアピールしておきたい。
流石に村の水車を今すぐ依頼することはできないが……。
「そうですね。今度、小型の水車を一つ作って頂きましょう。ふふふ、レンガ造りが終わったら、次の段階として金属加工のための工作機械が欲しいと思っていたところです。水力を利用した旋盤なんかがあれば、ヘルメス君も大いに喜ぶでしょう」
囚人衆の掘立小屋の近くに造ってもらおう。
ちょっと、川の流れが緩く、水力利用には頼りないですが、なぁに、小規模なダムもどきでも作って水を落とす形にすればいけるでしょう。
偉大なるかな重力。人が飛ぶことを阻む邪魔者でもありますが、味方にすれば心強いものです。
問題はお金がかかることですが……。
現行水車の問題点の洗い出しと改良のため・工作機械の動力導入試験のため。ついでにダムによる治水研究のため。
この三本柱で計画を立案して予算申請をすればなにかしら出るでしょう!
製粉業と工業と農業の三本の矢ですよ。
一本の矢では倒せない獲物も、三本も矢をぶちこめば倒せる道理。
三本の矢をもって予算を握る領主代行を確実に仕留めてくれるわ! ふはははは!
「よし。こんなところですね! 陶器の質が上がったり、金属製品の質が上がれば、他の分野の職人さんも日頃の仕事が捗るでしょう。ひとまずこちらで、職人の方々の説得をお願いできますか?」
器とか刃物とか、大抵の職人仕事において基本的な仕事道具だから、いけると思う。
だから金属関係の技術を向上させたいわけだし。
クイドさんが受け取った紙を見て、内容を吟味して考えこむ。
「うん。ネイヴィル殿、パッと見ていかがでしょう? わたしとしては、これなら大丈夫だと思うのですが」
「そう、ですね……。提案としては申し分ないかと」
「では、後は話の持って行き方ですね。まあ、先程も申し上げた通り、アッシュ君に対して好意的な状況ですので、さほど難しくはないでしょう」
「ええ、本当に……」
二人が確認して大丈夫そうなので、多分大丈夫なのだろう。
なんだかネイヴィルさんが疲れた感じだけど、業務が立て込んでいるのかもしれない。よりよい仕事をしてもらうため、甘味の賄賂が必要なところかな?
ネイヴィルさんを元気にして差しあげる対策を考えていると、マイカ嬢が袖を引っ張って来た。
「アッシュ君、アッシュ君。そろそろ寮館に帰った方がいい時間じゃない?」
「おや、そうですか? まだもう少し余裕があると思いますけど……」
「最近ぎりぎりのことが多いから、たまには早く帰った方がいいよ。リイン寮監を安心させてあげなくちゃ」
むむ。それはよろしくない。
あまりぎりぎりを攻めすぎて、外出自粛を申し渡されると動きづらくなる。脱走は簡単だけれど、ルール破りはよくありません。
ルールは隙間を通り抜けるものですからね。
「どうもそういうことらしいので、クイドさん、今日のところはこの辺で失礼しても?」
「ええ、どうぞどうぞ。後はこちらで進めておきます」
申し訳ないと思うが、クイドさんはにっこり笑顔で送り出してくれる。
「マイカちゃん、お気遣いどうもありがとう」
「いえいえ、アッシュ君がお世話になっているんだから、これくらい」
ん? なんのお礼だろう。
私が見逃したマイカ嬢の気遣い、なにかあった?
不思議に思って立ち止まる私を、マイカ嬢が手を取って引っ張っていく。
「さあさあ、早く帰ろう、アッシュ君。アッシュ君に慣れていない人に、あんまり一度にアッシュ君のパワーを見せるのはかわいそうなんだから」
なんか、前もそんなこと言われたことがありましたね。
私は危険物かなにかですか。