私の火床、あなたの火床1
【伝説の羽 ロジャーの断章】
ミラビル鍛冶工房は、連日の喧騒に包まれていた。
鍛冶屋なのだから、槌の音でやかましいのは当然――ではあるのだが、そういった仕事の音と、今の喧騒は違う。
音は、鍛冶場からではなく、工房の受付、商談スペースから聞こえて来る。
「よう、女将さん! お宅の息子さん、ヘルメス君がついにやったねえ! 流石は飛行機狂いだ、してやられたぜ!」
陽気な笑いが混じった大声は、決して不快なものではない。不快ではないが、浮ついた軽薄さを感じて、あまり耳を傾けようとは思えないことも確かだ。
それでも、ミラビル工房の親方として、仕事の依頼だったら受付に出る必要もあるとしばらく様子をうかがっていたが、客から出て来るのは息子ヘルメスへの褒め言葉、あるいはあの飛行機への驚きばかりだ。
どうやら、鍛冶仕事の依頼ではないらしい。
そう判断して、受付から離れることを決める。出入り口を通り過ぎる時、客の相手をしている妻と目が合う。
(すまねえな。仕事のもんでもない話を任せちまって)
軽く目線で詫びを伝える。
なんだかんだと長い付き合いで、機微に聡い妻である。言葉足らずで無愛想な鍛冶職人の思いを、よく汲んでくれる。
妻は、愛想のいい笑みに、他人にはわからない程度の苦味を混ぜて、目線で頷き返してくれた。
母として、息子が褒められることは、もちろん悪い気はしないのだろうが、連日押しかける人が皆この調子である。自分以上に粘り強いところのある妻も、流石に疲れていると見える。
それでも、来客の相手は任せて仕事に行けと背中を押してくれるのだから、本当にいい妻をもらったものである。
その分も、自分はいい仕事をして、次の仕事に繋げなければならない。
腕まくりをしながら、鍛冶場に顔を出すとここでも鍛冶以外の音で騒がしかった。
「あの飛行機、鉄で作れねえかな?」
「木でできたんなら鉄でもできるだろ」
ここでも飛行機飛行機かと、堪えきれないでかい溜息が漏れる。
「あっ、親方! 今日も街はヘルメスの話で持ち切りでしたよ! 今でもありゃ夢だったんじゃねえかと思うんですが、皆が言うんで、やっぱり本当なんですねえ!」
「ヘルメスの奴、大したもんですね! 流石はミラビル鍛冶工房の飛行機狂い! 今度会ったら、飛行機なんか無理だって笑ったこと、謝らねえと」
鍛冶場でへらへらと笑って、鍛冶に関係のない話をして突っ立ってる弟子を睨みつけると、ようやく弟子どもの顔が引き締まった。
「仕事の準備はどうした」
「へい! 炉は温めてありやす! 今日の修理分は並べてあるやつ、道具も一式、準備できてやす!」
「今日の炉の機嫌は?」
炉の中、燃えている炎の色を見ながら聞くと、答えがつっかえた。
「そいつはまだ、確かめてやせん……」
しおれた花のように垂れた弟子の頭に、拳を落として責任ってものを教えてやる。
「鍛冶を舐めてんじゃねえぞ、ガキどもが。この領地で使われる槍や剣の何本が俺等に任されてると思っていやがる」
顎で示すのは、弟子が並べた今日の修理分の武具である。いずれも、日々の業務や鍛錬で領軍が消耗・破損させたものだ。
ミラビル鍛冶工房は、領を守る武人達の武具の製造・修理を任されている工房の一つなのである。
現在、修理待ちのものの中には、先の人狼戦で使われて破損したものもある。
「あの叙勲式は、飛行機のお披露目式じゃねえんだぞ。人狼から街を守った騎士や衛兵の晴れ舞台だ。今すぐ人狼どもが来てみろ。あの晴れ舞台で叙勲された勇士を、お前等、武器もなしに戦いに送り出すつもりか?」
鍛冶屋の仕事は、叙勲されるような華々しいものじゃない。
だが、叙勲されるような連中が、命を守るために必要なものを造っているのは鍛冶屋だ。
ようやく、自分の仕事がなんなのか思い出した顔になった弟子どもに溜息が出る。
腕はそこそこ見られるようになった奴もいるってのに、肝心の心構えがなってない。息子のヘルメスもそうだが、まだまだ世話が焼けるガキどもだ。
このままだと、俺が親方を引退できるのは何年後になることか。
俺は二十になった時に親方を……まあ、引き継いだというか、投げつけられたというか。
うん、まあ、そう簡単に鍛冶屋の心構えが持てるなら修行はいらねえよな。俺もまだまだやれるんだから、弟子どもも長い目で見てやろう。
鉄は何度も打って、鍛えて、形を整えるものだ。
槌を打ちつける心地で、弟子に指示を出す。
「わかったようだな。ほら、無駄口を叩いてねえで、さっさと仕事に取りかかれ!」
叩かれた鉄のように威勢のいい返事を寄越して、弟子どもも動き出す。
その動きが、だらだらとしたものではなく、きびきびと小気味いいものであることを確かめて、思わず頷く。
こうやって他人を鍛え、教え、一人前の仕事をさせなきゃならんのだから、親方ってのは大変なものだ。何十年親方をやっても、事あるごとにそう思う。
(早く親方を引退して、一人の鍛冶屋として気楽にやりたいものだが……)
それがいつになることやらと、首を振りながら炉の前に腰を下ろす。
弟子がサボっていた、今日の炉の機嫌、火加減を確かめてやらねばならない。
端材の鉄切れを入れ、どれくらいで溶けるか、妙な風の流や火のムラが発生していないかを確かめる。
「まだ火が弱いな。炭を追加で……おい、追加分の炭が用意されてねえぞ!」
「すいやせん! 今すぐ取って来ます!」
「浮ついて鍛冶場に入るから気づかねえんだよ! 他にも足りないもんや間違ったもんがないか、もういっぺん全員で見直せ! 一度打ち始めたら待ったなしなんだからな!」
端材の鉄だからいいものの、これが本番用だったら火加減の調整が間に合わず、目指す硬さが引き出せなくなるところだ。
やれやれだ。飛行機のことで騒いで、ヘルメスを褒めたり、見直したりするのは結構だが、それで気持ちがどっかにいっちまうのはダメだ。
「鈍らに造った剣で騎士や衛兵を戦わせたら、鍛冶屋の名折れだぞ! 戦う奴と、そいつらが守る奴の命を預かってるんだよ、俺達鍛冶屋は! あと何べん叩き直せば、お前等に鍛冶屋の魂が身につくんだ!」
どうすりゃこいつらを、一人前の鍛冶屋にできるのか。
大声を張り上げてるだけじゃダメなのはわかった。領軍の訓練にでも参加させてやろうか、こいつら。
溜息を吐きながら、狙った温度まで上げられなかった端材の鉄を、手慰みに叩いて伸ばし、ハサミを入れて形を整える。
「近頃の若いモンは、俺達の打つ鉄がサキュラを守っているって自覚が足りねえ」
ヘルメスもそうだった。
飛行機なんか造ろうと躍起になるのは結構だが、その暇があるなら槍の一本、剣の一本でも叩け。鍛冶の上を上げろ。それで助かる命がある。飛行機が一体なんの助けになる。
そう説教しても、黙りこんで飛行機を目指し続けた。
神殿に通って、自力で文字を覚えて、来る日も来る日も、飛行機飛行機。ついたあだ名が飛行機狂いだ。
あの根性と頑固さときたら、誰に似たんだか。
尽きない溜息を漏らしながら、軽く作っていた鉄細工を顔の前に持って来て確かめる。
風車の羽に似た、一つながりの四枚の羽根。よくヘルメスが飛行機の模型だと言って作っていたもののうち、一番手こずっていたプロペラという部分だ。
上手く回らないだとか、薄くし過ぎて割れただとか……。
それがまあ、叙勲式のあれは、上手く回っていた。
回っていただけじゃない。確かに空を飛んだのだ。
「修行も中途半端で、こんな不格好な玩具を作ってたあいつがな」
工房に顔を出す客も、鍛冶場の弟子も、今はあいつの造った飛行機に夢中だ。
まだ、なにかを助けたと言うには早いかもしれないが、それでも、これだけ世間様を喜ばせたのならなにかの助けにはなっていそうだ。
少なくとも、退屈していた若い連中や、いくつになっても新しもの好きの年寄り連中が、元気になった。このサキュラには、そういう奴が多いから、人の助けになったと言っていいだろう。
同じくらい、なにか困らせているんじゃないかと不安にもなるが……。
「とりあえず、あいつもいい仕事ができるようになったみたいだな」
一人前にはまだまだ遠いが、と口の中で続けて、手慰みに作ったプロペラの模型を再び炉に入れる。
ゆっくりと過熱されていく鉄細工は、ヘルメスがこれから造るものであって、俺が今造るものではない。
手を伸ばして、刃こぼれの激しい槍の穂先に眉根を寄せる。
人狼を相手にすれば、まあこうもなる。だが、芯までは曲がっていない。これなら打ち直して、また鋭い穂先にできる。
今日の俺のこの仕事が、サキュラの今の助けになる。
「お前の明日の仕事は、いつ、なんの助けになるんだ」
この親方の説教に、いつか息子が真っ向から言い返して来たら――。
その時、お前も一人前になったと認めてやれるだろう。




