シェバへの手紙
【シナモンの祭壇 シェバの断章】
絵伝版(コミカライズ版)31話「笑顔が咲いた日」の前の時系列。
アッシュから、手紙が届いた。
手紙?
ええ、手紙、だと思う。
炊き出し実施計画、という題名のついた、多分手紙。
これは定期でやって来る行商ではなく、急ぎの届け物ということで、クイドさんが村まで持って来てくれた。
本当は、マイカちゃんから村長家宛に届くようなものらしいのだけれど、「今はこんなことをしています」という家族への報告だからと、アッシュがクイドさんに頼んだそうだ。
親にとって、なにより嬉しい便りだ。
「アッシュは、本当にいい子よね。こんなに気が利くんだもの。向こうでは大丈夫かしら、女の子達が放っておかないと思うの。だって、こんなに気が利くんだもの。マイカちゃんが一緒だから大丈夫だと思うけど……」
アッシュからの手紙を手に、ついそんなことを考える。
だが、目の前に座ったダビドは、アッシュが作ったレシピのハーブティーを手に、首を傾げる。
「今、その心配が必要か?」
「必要でしょう? ユイカ様に聞いたけれど、軍子会が終わる頃には、婚約や結婚といったお話が多いそうよ?」
「それは、なんていうか、ユイカ様のところみたいな、いい家の話じゃないのか? まあ、とにかく、今はそんなことより、そのなんたら計画ってのが、どういうものなのかが気になるんだが」
そんなこと、とはなんだ。そんなこと、とは。
アッシュのお嫁さんに係る大問題でしょうに!
マイカちゃんならわたしもよく知っているから大歓迎だけれど、他の子を突然紹介されたら大変じゃない。
当たり前のことでしょう。
まったく、これだからダビドは。
わたしの夫ながら、アッシュと違って気が利かないったらない。
わたしはムッとしながらも、仕方ないと溜息を吐く。だって、わたしも手紙の中身は気になっているからだ。
さて、それで肝心の手紙の中身なのだけれど……。
「読めないのよね……」
「そうかぁ……」
ダビドは、納得半分がっかり半分くらいの顔で笑ってくれた。
アッシュが領都に旅立ってから、季節を巡ること三つ。冬の畑が夏の実りをつけるだけの間、わたしは教会に通って勉強をした。
恐れ多くも、ユイカ様にも勉強を見てもらったこともある。
だが、しかし、いかんせん家や畑の世話もしながらでは、勉強する時間も限られる。
どうしてわたしは、昔ユイカ様に憧れて勉強を始めた時、もっと続けなかったのか……。
手紙が全く読めないわけではないのだけれど、読むのに苦労はするし、わからない言葉もたくさんある。
手紙全体の内容となると、難しすぎてよくわからない、となってしまうのだ。
「情けないわね。アッシュはこんなにがんばっているのに、そのがんばりをきちんと理解してあげられないなんて……」
手紙の字は、とても綺麗だ。わたしが練習で書く字とは、比べ物にならないほど読みやすい。
内容はわからないけれど、難しい言葉が多いから、それだけでアッシュがすごいことをしているんだろうと思う。
「まあ、しょうがないさ。シェバは、まだ勉強を始めたばっかりだ。もっと前から勉強してたアッシュに、すぐ追いつくのは難しいって」
「そう、そうね。アッシュもがんばって勉強していたものね。うん、ありがとう」
慰めてくれたことにお礼を言うと、なにが、って顔で首を傾げられる。
これだから、ダビドは気が利かないのよ。
「ところで、シェバ、時間がある時でいいから、わかっているところだけでも教えてくれないか?」
「時間がある時なら、それはいいけど……。でも、わたしが読めるところを聞いても、本当に中身はわからないわよ? 普段使わないような難しい言葉がたくさんなの」
「まあ、お前が言うんだから、そうなんだろうけども……俺もアッシュがなにをやってるか気になるからなぁ」
「そう? そうよね?」
なんだかんだで、ダビドはわたしの夫であり、アッシュの父親だ。
気が利かないけれど、それは間違いようがない。
「なにやっているかわからんことには、いざって時に止めようがないからな」
間違いはないのだけれど、母親であるわたしの考えと違いが大きすぎる時がある。
「ダビド、あの子に対して、一体どんな心配をしているのかしら」
「いやまあ、わかってる」
わたしが目を細めると、ダビドが手を突き出して理解を示す。
「アッシュを止めることができるかどうか。多分、できないと思うが……それでも、親として、やらなければいけないと思うんだ」
やたら気合いの入った顔でなんか言っているが、わたしの考えていることとまるで違う。
これだからダビドは気が利かないと……。
「それに、俺もクラインに習ってちょっとだけ勉強してるから、ひょっとしたらシェバがわからないところで、わかるものもあるかもしれないぞ」
「え、なにそれ、知らないわよ」
初めて聞く夫の話だ。
知らないところでお酒を買いこむこともなくなったからと、すっかり油断していた。別に、悪いことではないからいいのだけれど、隠し事にびっくりする。
「いや、すまんすまん。こう、勉強するぞ、って感じで始めたわけじゃなくて、なんかこう、流れで勉強みたいになっちまったから、言い出すきっかけがなくてな……」
「流れで始まる勉強って、なに? そんなことってあるの?」
勉強っていうのは、すごく大変なことだから、気合を入れて始めるようなことでしょうに。
疑問一杯のわたしに、ダビドはわかるわかると両手を突き出して理解を示す。
「そうなんだが……ほら、ターニャちゃんの畑あるだろ。アッシュが色々やりたいからって引き取った畑」
「ええ、お世話する畑が増えたのに、あなたよくがんばっているわね」
わたしが素直に頷くと、ダビドは嬉しそうに、俺も父親だからな、と笑う。
「まあ、でもほら、アッシュがやりたがってた記録とか、俺よくわかんねえっていうか、字がわからんだろ……?」
この村では字がわかる人の方が少ないので、これにも素直に頷く。
「で、クラインに手伝ってもらっているわけだが、その時にな。やっぱり、アッシュがやってることだから、気になって……それはなんて書いてるんだとか、これはどういうことだとか、あれこれ聞いているうちにな。勉強みたいなことになってるんだよ、うん」
「それで、なんとなく流れで勉強みたいになった、と……。なるほど? クラインさんの迷惑になってないかしら……?」
「迷惑かどうかで言ったら、畑の記録ってのをお願いしている時点で迷惑じゃねえかな?」
それもそうなので、わたしは口をつぐんだ。
多少迷惑であっても、アッシュのやりたいことなので、親としてはやらせてあげたい。なので、諸々の迷惑については、クラインさんのご好意に甘えることとしよう。
「でも、畑のお世話だけじゃなく、そんなことまでしていたのね……」
「アッシュが始めたことだからな。なんかあったら、知らなかったとは言えねえだろ」
大変だったろうし、苦手なことだろうに、ダビドはそこまで手を伸ばしていたのだ。
「それじゃあ、アッシュがなにをやっているか、わたしと一緒に勉強しましょうか」
「おう、任せろ。クラインに聞いて、なんか小難しい言葉はなんとなく覚えたんだぜ」
なんだかんだで、ダビドはわたしの夫であり、アッシュの父親だ。
気が利かないけれど。




