ユイカへの手紙
【シナモンの祭壇 ユイカの断章】
絵伝版(コミカライズ版)31話「笑顔が咲いた日」の前の時系列。
この夏、ノスキュラ村は豊作となった。
特に艶のいい夏野菜を実らせているのは、ダビドさんが熱心に世話をしている畑。
元は、ターニャちゃんが世話をしていて、養蜂をするために手放した……ところを、アッシュ君が色々と試すために、引き取った畑になる。
その畑の実り豊かさに、頬に手を当てて吐息を漏らしてしまう。
「困ったわねぇ。まだ野菜が採れそうだわ」
中々に贅沢な台詞を口にしてしまった。
それはわかっている。空腹に苦しむこともあるのが農村だ。
しかし、目の前の畑には、そう言わざるを得ない。
「いやぁ、ほんと、面目ないです……」
隣で一緒に畑を見ていたダビドさんが、子供が悪戯をしてしまった親の顔で頭を掻く。
「ダビドさんが謝ることではないわ。むしろ、畑としては立派な成果だし……ただ、ちょっと、ね」
「ちょっと、これ以上は腐らせちまいますよね……」
そうなのである。
この夏、喜ばしい豊作ではあるのだが、足の早い夏野菜が採れすぎて、持て余してしまっているのだ。
その上で、まだまだ収穫できますよ、と言わんばかりの畑の状況。
ダビドさんと二人で、悩ましい溜息を吐いてしまう。
「こんだけ収穫量が増えるとわかっていたら、もうちょっと時期をずらして植えたんですが……」
「それも含めて、どうなるかを試すための畑だもの。新しいことをしている以上、ここまで予想して段取りを組むのは、無理というものだわ」
天気が安定していたせいか、今年は村全体で豊作傾向だが、この畑は明らかに別格だ。
他の村人も、畑の様子を見て、ダビドさんにやり方を聞いているらしい。それくらい違う。
普通こういう新しい農法を試すと、いきなり上手くいくことは少ないはずなのに、どう見ても上手くいっている。
次期領主として勉強していた頃に、サキュラでも何度か失敗していたと記録を見たことがあるのだけれど……。
流石はアッシュ君というか、なんというか、予想通りに予想外のことをしてくれる。
褒めているのよ? 褒めているから、ちょっと余り気味の野菜についても相談したいわ。来てくれないかしら。
領都の方に念を飛ばしていると、速やすぎる返事が畑まで届いた。クイドさんだ。
「ユイカ様、ご無沙汰しております……というには、あんまり間が空いてませんけども」
「あら、本当ね。この前、行商に来てもらったばかりだと思ったけれど」
なにかあったのかしら?
まあ、あったのだろう。
そうでなければ、短期間でまた村まで来るはずがない。クイドさんも、そこまで暇な身でもないものね。
でも、丁度よかった。今ある野菜を少しでも持って行ってもらおう。
この前も、安くてもいいからと買い取ってもらったばかりだけど、領都なら安くはなっても余ることはないだろう。
わたしがちらっとダビドさんの畑を見やると、クイドさんもちらっと畑を見やって、ちょっと引きつった笑顔で頷いてくれる。
こういう些細な仕草を拾って、無言のうちに察する力もついた。クイドさんも商人として成長しているわね。
「ええと、今回は急ぎのお手紙配達なので、まずはこちらをお渡ししますね。畑の方は……うーん、まあ、流石はアッシュ君だなぁ」
「急ぎなら手紙を先に確認しないといけないわね」
なんだろうかと手紙の入った封筒を見れば、実家からではない。娘からだ。ますます中身の予想がつかない。
娘からの手紙を、クイドさん経由で受け取ることはよくあるけれど、急ぎでとなると初めてだ。
しかも、クイドさんの表情からすると、娘の体調が思わしくなく、ということでもなさそう。軍子会の参加者から親元に急ぎの手紙だなんて、体調不良以外に思いつかないのだけれど……。
さて、なんだろう。
封を開けて、一応、ダビドさんやクイドさんから見えないよう気をつけながら、手紙の文字を追う。
あら、文字がまだ上手になっているわ。
うんうん、向こうでもしっかり勉強しているようで、母親としては嬉しい限りね。後で、クラインにもこの手紙を見せてあげましょう。
――なんて呑気な考えは、その後に出て来た炊き出し計画なる文字によって粉砕された。
「んんっ?」
なにそれ。
手紙に問えば、軍子会の中に作った勉強会主導で、貧民街向けの炊き出しを実施するんだとか。
今の軍子会ってそんなことまでするの? 軍子会の修了者兼元次期領主候補のお母さんも知らないわ。領主代行のイツキからも、寮監のリインからも聞いていない。
絶対に軍子会から出た話ではないわよね、これ。
軍子会ではなく、特定個人の中から出た話でしょう、これ。
案の定、手紙の先では、アッシュ君がアッシュ君でアッシュ君をしている話が続いている。
手紙を最後まで読み終えて顔を上げると、クイドさんが気遣わしそうに苦笑いをしている。
「ええと、そういうわけですので、もしノスキュラ村に余っている食料があれば、炊き出しの日程に合わせて買い取りに来ますね? まあ、もし、余っていたらなんですけど」
クイドさんが、ちらっと畑を見やる。
わたしも、畑を見やる。
見事に食料を余らせている畑がある。
「いくらなんでも、ここまで計画通り、という話はないと思うのよ」
「わかります」
「でも、流石はアッシュ君だわ、なんて思いもあるのよ」
「とてもわかります」
運がいいのか、状況を利用するのが上手なのか。
どちらでもあっても、流石はアッシュ君、という言葉が漏れてくる。溜息と、苦笑も一緒だ。
似たような顔をクイドさんと向け合っていると、ダビドさんが子供が悪戯をした親の顔で、恐る恐る声をかけて来た。
「あの、うちのアッシュが、どうかした……んです、ね?」
問いかけには、確信の響きがあった。悲壮な覚悟も混じっているように思う。
わたしとクイドさんのアッシュ君に対する認識もそうだけど、父親であるダビドさんのアッシュ君に対する認識も、大分こう……特筆すべきものがあるわね。
ともあれ、確信は正しいが、悲壮な覚悟が必要なことではない。
わたしは元次期領主候補に相応しい笑顔を作る。
「アッシュ君が、勉強の一環として、貧しい人達に食事を用意しよう、と動いているそうよ。大丈夫、息子さんは、とても立派なことしているわ」
わたしの褒め言葉に、ダビドさんは雲が晴れた空のように笑みを見せた。
「あ、それで畑の方を見てアッシュがどうのこうのって……いやあ、よかった! あいつが迷惑かけたとかじゃなくて、ほんとによかった!」
「ええ、どちらかと言うと、いいことをしているのだから、そこは安心してくださいな」
迷惑というか、しわ寄せに忙しくなっている人達もいるでしょうけれど、いいことなのだ。
だからこそ誰も止められない、ということはあるだろうけれど……。
「そうか、そうか。アッシュも立派にやってんだな。あ、このことはシェバに教えてもいいですか?」
「ええ、もちろん大丈夫よ。子の成長を知ることは、嬉しいことだもの」
わたしも、もう一度手紙に目を通す。
軍子会の一年目から、執政館の文官がこなすような実務を動かすアッシュ君。
そのかたわらで、元気一杯に笑っている娘が、手紙の中、文字の奥に感じられる。
「本当に、子の成長を知ることは、嬉しいものね」
わたしも、クラインにこの手紙を見せて、マイカのことをたくさん話したいわ。




