商人クイド6
【シナモンの祭壇 クイドの断章】
村の水車の修理は、思ったよりも大変だった。
職人が作業中に村のどこに滞在するかの手配から、修理に必要な木材等の手配、それらの輸送の手配、随所に発生する支払いの管理と、やることが多かった。
あっちで変更がかかったから、こっちに調整をお願いしに行って、そっちの予算の組み直しを報せに行くとか、何度もやった。
急な変更があっても、自分一人が我慢すればいい行商は、随分と気楽な商売だったんだなと思い知りました。
正直、ネイヴィル殿が手伝ってくれなかったら、途中でこけていたね。なんか大きな失敗をやらかしたと思う。
そんな自覚があるので、仕事が片付いたところで、執政館までネイヴィル殿にご挨拶しに来ました。
「無事、水車の修理が終わりました。村長さんを始め、村の人達は喜んでくださいましたし、工房の親方や職人さん達も納得のいく仕事ができたと言ってくださいました。ネイヴィル殿のおかげです。ありがとうございました」
言葉と共に、アロエ軟膏もそっと差し出す。
ユイカ様に事情をお話して、個人用に確保しておいた分である。
「ご丁寧にありがとうございます。クイドさんのお手伝いをしただけですので、このような貴重なものを頂くのは恐れ入りますが、とても嬉しいです」
「恐れ入るのはこれくらいしか用意できなかったこちらですよ。ちょっと行商との規模の違いを甘く見ていました」
「それは、クイドさんが細かな変更にもきちんと対応なさったからですよ。おかげで、仕入れの商会も、素材を加工する工房も、無駄なく円滑に職務を全うできました。結果的に工事期間が短く済み、費用が節約され、村の負担も減っています」
ひょっとして、もうちょっと大雑把にやるのが普通だった? 俺、細かくやりすぎた?
「商人として誠実な働きぶりをされていたので、わたくしもクイドさんをお手伝いしたくなりました」
空回り気味だったか~と思ったけど、細かくやったおかげでネイヴィル殿に誠実だって評価されたし、手伝ってもらえたし、村長さん達にも職人さん達にも悪いことなかったし、よかったと思うことにしよう。
よかった~。思っていたら、ネイヴィル殿が立ち上がった。
「そういうわけですので、クイドさんの今回の働きを聞いたイツキ様が、ぜひ、会ってお話をしたいとのことです」
は? なんて?
イツキ様が直接会ってお話? バレアスルートを通してもないのに?
「どういうわけですので?」
「クイドさんは誠実で信頼できる商人だから、というわけですので」
「そうですのでぇ……」
ネイヴィル殿にお礼を言いに来ただけのつもりだったので、いきなりのイツキ様は……まあ、そこまで緊張する相手じゃないか。
衛兵時代にもお酒を奢ってもらったことある相手だし、酔ったイツキ様を衛兵宿舎の寝床に押しこんだこともある。
「まあ、わかりました。ええと、じゃあ、どうすれば?」
「このまま執務室へご案内いたします」
ご案内されました。
「よう、クイド。しっかりと商人として頑張っているようだな!」
かっる……。
領主の仕事部屋なのに、その辺の飲み屋で顔馴染みに会ったみたいに声をかけられても困る。
「え~、お招き頂きまして、ありがとうございます。この度はイツキ様に気にかけて頂いたおかげで、万事上手く進められました。ネイヴィル殿をご紹介頂いたこと、心より感謝申し上げます」
「うむ。まあ、同じ釜の飯を食った仲だ、もっと楽にしていいぞ。もう少し仕事が落ち着いていれば、バレアスと三人で飲みに繰り出すところなんだが、それはまた今度の楽しみだな」
「……相変わらず軽いですねぇ」
この立派な部屋が、衛兵御用達の飲み屋に見えてきた。
困りますよ、領主代行様。迂闊な態度を取ると、ついてきたネイヴィル殿の視線が恐い。
「今日わざわざ来てもらったのは、アカシアからお前の仕事ぶりを聞いてな。アカシアが認めるなら大丈夫だろうと思ったんだ」
アカシア・ネイヴィル殿にちらっと目を向けると、お話し中に目を逸らさない、って叱るように鋭い目つきを返された。
はい、すみません。
「ネイヴィル殿にお褒め頂けるのは光栄ですが、大丈夫、とはなにが?」
「クイド、お前、店を持ちたいだろう」
「行商人でお店を持ちたくないなんて言う人間は、とてつもない変わり者ぐらいですよ」
旅が好きで、生涯旅を続けるという強者もいるが、そういう人物も帰り着く家として、店を持ちたがるものだ。
一般的なことなので、そうだよな、とイツキ様も笑顔で頷く。
「クイド、お前、店を持て」
「一応、そのつもりで頑張っています。今回の件で自分の足りないところを勉強できました。お店を持つ時は、この経験を活かしていきますよ」
アロエ軟膏を扱えているので、もうすぐだーと思っていたんだけど、経験不足を痛感したのでもうちょっと時間をかけようかと考え直しているところだ。
資金の余裕と自分を磨く余裕を持ちたい。
「うむ、いい心構えだ。資金をある程度こっちで出す代わりに、優先的にこっちの都合を聞いてもらうことになるが、いいな」
「はい?」
「なぁに、そんなに気にするな。そう無理を言うつもりはない。ほら、アロエ軟膏の取引があるだろう? あれの生産が増えたら他領にも売りたいのだが、下手に売り先を増やしてこっちに回って来なくなるのも困る。そこでアロエ軟膏の売り先はこちらで指定させてもらいたい」
いや、気にしているのはそこではなく。
お話がすごい勢いで進んでません?
いつかお店を持つではなく、すぐに店を作る話になってません?
「イツキ様は、いつの話をしておられます?」
「店舗許可の手続きならこの後すぐにできるぞ」
予想を数段すっ飛ばしてすぐすぎますねえ!?
「待ってください! そりゃあお店を持つのは夢でしたし、資金的にはそろそろと思ってたところですけど、人手とか店の場所とか準備が全然まだですよ!?」
「大丈夫だ。実際的にはもうしばらく行商人のままだとしても、先に店を構えて損はないぞ。ほら、商品をしまう倉庫として便利だし、しばらくは帰って来るための家だと思えばいい」
「それはまあ、店先で販売をしないで建物を先に確保するっていう考えもありですけど……行商に出たら、店が空になりますよ?」
建物の管理を任せられる人なんていないから、泥棒が入り放題じゃないか。
それに店を構えたのに誰もいなくて取引ができない商人なんて、信用にケチがつくかもしれない。
「それに店を持つなら、棚の配置とか接客用の部屋とかもこだわりたいので、そういったことを依頼する工房さんとの打ち合わせとか、他のお店や商会へのご挨拶とか、お店を持つと提出する帳簿や税務書類も増えるって言うし、もちろん行商で回っている村との取引を急に打ち切れないし……」
パッと思いつくだけでやることが多いな!
絶対に体が足りない。
「いきなり自分一人でやるには無理がありますよ。そういったことを手助けしてくれる人を見つけてからでないと、お金の問題が解決してもちょっと……」
「それはそうだな。安心しろ」
安心できない台詞をイツキ様が言う。
「金の補助も出すが、人の補助も出そう」
「ええ? そこまでいくとなんかもう、自分のお店なのか、領主一族のお店なのかよくわからないんですけど……」
「お前は姉上と重要な取引をしているのだ。それくらいの監視は覚悟してもらおう」
そういえば、商品もユイカ様が牛耳っているんだった。
これもう俺のお店じゃないな。
「ん~、店を持つ夢が変な形になったような……。でも、まあ、雇われ店長として経験が積めると思えば……。いきなり潰れる心配もいらないわけだし、コツコツとやるにはむしろ好都合……?」
「その点は保証するぞ。こちらとしては、アロエ軟膏の増産と共に、クイドも店も成長してくれれば都合が良いと考えている」
「そうですか……」
悪くない。悪くない、話だよね?
お店を持った商人って、半分くらいお店を畳んで行商人に戻るって聞くからね。
ちなみに残りの半分も安全安泰にお店を維持できているわけではない。青息吐息でお店を続けていたり、借金で行商人にも戻れなかったりするのだという。
本当、お店を持って成功した商人の話の影には、その何倍も夢破れた話が、語られることもなく転がっているのだ。
「ちなみにですが、そのお話の人の補助というのは?」
「アカシアが手伝いに名乗りをあげている。店の開業から他の商会との折衝、帳簿や書類の作成と満遍なく役立つぞ。元々執政館でも商業系担当だ、これ以上頼もしい人材、そうはいないぞ」
ネイヴィル殿が来てくれるの?
目を大きく開いて視線を向けると、今度は鋭い目つきで叱られず、柔らかく微笑んで頷いてくれた。
「やらせて頂きます」
これ以上の好条件でお店を持てる話、今後一生俺の人生に転がってないでしょ!
金貨が道端に落ちていたかのような幸運!
最終的にお店と商売を領主一族にお返しすることになったとしても、その間の経験や伝手はなくならない。
「そうか、そうか。引き受けてくれるか。アカシア、早速クイドの店舗許可書の手続きに入ってくれ。絶対に逃がすなよ?」
なんか恐い言葉を付け足したイツキ様を、ネイヴィル殿が静かにたしなめる。
「そのように慌てずとも、クイドさんなら前言を軽々に翻したりいたしません」
「だから言ったのだが? クイドは誰が見ても今まさに上り調子の商人だぞ。アロエ軟膏欲しさにうちの侍女達が注目しているんだ。そこにアカシアが認めた人材だと情報が知れ渡れば、あちこちから未婚の侍女が」
「わかりました。余計な横槍が入らないようにすぐに手続きを行います。ええ、すぐに」
ネイヴィル殿がまた鋭い目つきになった。そんなに警戒しなくちゃいけないほど、注目されてるの?
ついこの前まで塩粥を食べてた行商人だよ、俺?
横槍がそんなに大変なのか、ネイヴィル殿はイツキ様に挨拶もせずに店舗許可の手続きのために移動を開始する。
イツキ様が、さっさと行ってこいと、苦笑いしながら手を振ってくれたので、ありがたく黙礼してネイヴィル殿について行く。
「ええと、ネイヴィル殿?」
「大丈夫です。なにも問題はありません」
そうですか。
あんまり大丈夫そうな気はしませんけど、わかっておきます。
「ですが、ネイヴィル殿がお店の手伝いに来てくださるのは、いいのですか?」
「大丈夫です。なにも問題はありません」
そうですか。
優秀な人材は今の執政館にいくらでも必要だろうから、小さな開業したての店の手伝いなんて、ネイヴィル殿にはもったいないと思うけど、わかっておきます。
「ありがとうございます。ネイヴィル殿のお力添えを無駄にしないよう、商売を頑張ります」
「大丈夫です」
ちらりと振り返ったネイヴィル殿が、柔らかい微笑みを見せる。
「取引相手に恐れられる商人は儲けが大きいものですが、取引相手を笑顔にさせる商人は長生きできるものです。クイドさんの取引相手は、皆、笑顔になっていました」
なにも問題はありません。
そう締めくくられて、納得した。
そういえば、アッシュ君はめちゃくちゃ恐かったもんな。
そりゃ儲けが大きいよ、あの子。
それと同時に、ノスキュラ村の色んな人をニコニコ笑顔にする成果を出している。
アッシュ君、めちゃくちゃ長生きするんだろうなぁ。




