商人クイド5
【シナモンの祭壇 クイドの断章】
「クイドさん、お帰りなさい」
ネイヴィル殿と顔を合わせたら、そんな挨拶をされて固まってしまった。
「クイドさん? どうされました。体調が悪いのでしたら、お話はまた今度でも構いませんが」
「ああ、大丈夫、大丈夫です。お帰りなさいなんて久しぶりに言われましたので」
一瞬結婚したんだっけ、なんて幸せな夢に包まれただけです。
単に仕事の打ち合わせに執政館で待ち合わせていただけなのにね。
儚い夢だった。
「そうでしたらよいのですが、慌ただしかったでしょうから、無理はなさらないでくださいね」
優しい。
ネイヴィル殿の微笑みが、水車修理の打ち合わせに村まで往復した疲れに染みる。
「ありがとうございます。これくらいなら慣れてますので、大丈夫ですが、無理だと思った時はご相談させて頂きます」
「ぜひ、そうしてくださいね」
美人さんに優しくされただけで回復する。
バレアスがあんなに仕事ができる理由がわかった気がする。
しかし、ネイヴィル殿とはお仕事上のお付き合いだ。鼻の下を伸ばしていたら、せっかくの優しさもなくなってしまう。
「まずご報告を。村の方は、水車の継続的な修理や建て直しになった際の依頼にも乗り気です。修理の手際を見て問題なければ、今後もお付き合いをお願いしたいということでした」
「いい方向に話が進みましたね。やりましたね、クイドさん」
「長くお付き合いするのは、村としてもいいことですから」
こういう条件を入れたらどうでしょう、と相談したらすぐにそれで大丈夫と許可してくれた。
実質村では休憩しただけになってしまった。
「こちらでも、工房に声をかけてあります。クイドさんの日程がよければ、工房の親方と話し合いの席を設けます」
「こちらはいつでも大丈夫ですけど、早い方がいいですね。時間が経つと次の行商の準備を始めないといけなくなりますので」
俺の事情に、そうですよね、と頷いたネイヴィル殿が、こてんと首を傾げる。
「でしたら、最短で今日この後にできますが、どうします?」
それは流石に早すぎますねぇ!?
****
早すぎるとは思ったけれど、その日程を出してくるということはネイヴィル殿や親方にとって、今日すぐの方が都合はいいんだろう。
動揺を噛み殺して、俺はその日程を笑顔で承諾した。
で、その日の夕方、シナモンの灯火に一席が設けられていた。
なるほどね、ここを接待に使えるなら、今日すぐという日程になるのも致し方ない。
ここのご飯はすごく美味しいからね。
「話はネイヴィルさんから聞いている。村の水車の修理だろう?」
まずは乾杯、とも言わず、親方が自己紹介の直後にそう始めた。
職人らしい短気さというか、回りくどい話に用はなさそうだ。
こちとら元衛兵だ。率直な会話は嫌いじゃない。
「そうです。自分がお世話になっている村の水車の修理ができる工房を探しています」
「うちの工房はもちろんできる。ネイヴィルさんから頼まれれば断ることもない」
おっと、喜んで引き受ける的な言い回しではない。
どちらかというと断りたい感じの言葉選びを感じる。ネイヴィル殿に目配せすると、同意見だという頷きが返ってきた。
「お引き受けすることに、なにか不安や不満がごさいますか? 支払い等については、このクイドがしっかりと責任を持たせて頂きます」
「金については、まあ、そんなに心配してないさ。ネイヴィルさんからあんたのことは聞いた。侍女さん方に広まっている軟膏については、うちの工房にも噂が届いているからな」
本当にアロエ軟膏を扱わせてもらって助かった。万が一、村では支払えなくなったら、仲介した商人が負担することもある。
そうでなくとも、一時的な立て替えなんかは発生するので、仲介商人の資金力は重要だ。その資金力という信頼を得られたんだから、アッシュ君とユイカ様には感謝しないと。
俺はこれまで何百回感謝して、これから何千回感謝することになるんだろう。
「とすると、親方はなにが気になっていますか?」
「うむ。こう言っちゃなんだが、仕事としては小さいものだ。うちでなくても十分できる。それなら他の工房に話を回して、経験を積ませてやった方がいいんじゃねえかと思うんだ」
「そういう考えもありますか……」
「うちはそれなりにでかい工房だ。馴染みの仕事先も多い。これ以上増やすのも、同業者に遠慮する必要がある」
こういう言い方をされると、持って来た手札も使いづらい。
でも、本音じゃないよね? 同業者との関係云々よりも、小さい仕事だからあんまり受けたくないだけだよね?
小さい仕事を抱えるより同業者に恩を売っておこうってところかな。それくらいは木っ端行商人でもわかるかなー。
さて、どう話を切り返したものか。これが乾杯の後なら、食事を楽しみながらじっくりお話を、とできるんだけども。
多分そうさせないための、職人なりの防御策が乾杯前の話し始めなんだろうな。
今なら食べる前に、借りもなく帰れる。最初から断る方向で話している。
次の一言に迷っていると、ネイヴィル殿が目配せして来た。
どうやら腹案があるらしい。お願いします。
「そうですか、それは残念です。では、代わりの工房のご紹介はお願いできますか?」
ネイヴィル殿の腹案は早々に話を切り上げる方向、なのかな? ちょっとびっくりする。
「もちろん、うちほどじゃないが、信用できるところを紹介する」
「わかりました。では、そのように……」
「すまんな、ネイヴィルさん。興味深い話ではあったんだが」
「いえ、同業者との関係も大事なことはわかります。一つの工房に技術が偏りすぎるのもよくありませんから。しかし、それならば都合がいいかもしれませんね」
ネイヴィル殿は、残念そうに伏せ目がちにしていた顔に、一転して笑みを浮かべる。
お仕事用の表情だ。圧の強さですぐわかる。
「クイドさんは、今回の水車の一件を見て、友好関係にある研究者への紹介を考えているとのことですので、上手く行けばご紹介頂いた工房に新技術が伝わるでしょう」
ね、と華やいだ声で相槌を求められたので、はい、と笑顔で頷いておく。
「わたくしも新技術に期待しています。なにしろ今話題のノスキュラ村と繋がりのあるクイドさんですから、また素晴らしい成果に繋がるのではないかと、注目して損はありませんから」
「はは、光栄なことです、はは」
ネイヴィル殿がこわーい!
親方が真顔になっている。そうだよね、新型の水車なんて作られたら、親方の工房の価値が下がっちゃうもんね!
しかも、アロエ軟膏なんて新薬を売り出したノスキュラ村関係となれば、ひょっとしたら本当かも、と悩まざるを得ない。
そうかー、こうやって交渉するのかー。
アッシュ君はそれだけで強烈だけど、使い方も大事。勉強になるなー。
「では、別の工房をご紹介くださるということで、本日はご足労ありがとうございました。親方は仕事先が多くてお忙しいようですので、お帰りくださっても構いませんかよ?」
「あ、あー、ネイヴィルさん? よそに紹介するにしても、もうちょっと詳しくきいてからの方がいいような気がして来まして……」
「あら、そうですか? ですが、わたくしとしては、あまり何度も説明する時間を取るのはちょっと……。親方の工房ほどではないかもしれませんが、わたくしも仕事先が多いものですから」
思い切りやり返してたー!
これは、ネイヴィル殿、怒ってる? そんな短気な人には見えなかったけど……。
親方が助けを求める顔でこっちを見てくる。
ここは親方を助けておこう。
腕がいいのは確かだろうから、あの村長さんのためにも俺としてはこの人を捕まえておきたい。
「まあまあ、ネイヴィル殿、せっかくこのお店の席が取れたのですから、親方にも食事をして行って頂きましょう。ほら、お店の方でも三人分で用意してくださってますし。そうだ、親方には水車やお仕事について聞いてみたいこともあるんです。せっかくですから、ね?」
「あ、ああ、俺がわかることなら、なんでも聞いてくれ!」
「助かります。水車のことはてんで詳しくないものですから」
俺も親方がひきつった笑顔で、このまま食事になだれこむ流れを作ると、ネイヴィル殿は仕方ないという顔で頷いた。
それから、ほんの一瞬だけ、俺の方を見て優しく微笑む。
よくできました、というその無言の伝言。
もしかして、ここまでネイヴィル殿の狙い通りですか?
さっきかばったせいか、親方はネイヴィル殿を怖がる反面、俺の方には笑顔が大きい。初対面なのにかなり親近感を抱いてくれたようだ。
これは今後の関係構築も円滑にいきそうだ。
こうなることを期待して、ネイヴィル殿は嫌われる恐い役を自ら引き受けてくれたのか。
ぐわー! ネイヴィル殿めちゃくちゃ有能!
助かる! 頼もしい! 流石は鉄腕侍女!
結局、前言をお酒で忘れた親方は、喜んで水車修理を引き受けて帰って行った。
「ありがとうございました、ネイヴィル殿のおかげで予想以上に好感触で」
「イツキ様から、最高の職人をと命じられた務めを果たしただけです。それに、クイドさんの提示できる条件からすれば、簡単なことです」
「ですが、ネイヴィル殿は自分から嫌われ役を買って出てくださいました。本当にありがとうごさいます」
いくら領主代行命令だからって、今後の付き合いも考えれば相当な覚悟だ。
商人として、この借りを借りたままにはできない。
「今度、アロエ軟膏をネイヴィル殿の分、こっそり確保しておきますね」
「よろしいのですか?」
ネイヴィル殿がちょっと嬉しそうに顔を綻ばせてくれた。やっぱり気にはなっていたらしい。
「今のところ、私にはこれくらいしかお返しできませんが、なにか欲しい物がある時は一声かけてください。その時の全力を尽くします」
「まあ、それは頼もしいですね」
まだ木っ端行商人なので、ネイヴィル殿が頼もしく思ってくれる要素は皆無な気がしますけどね!
「では、その時には、必ずお願いしに行きます」
「はい。心よりお待ちしております」
精一杯の商人らしさで一礼すると、ネイヴィル殿は柔らかく微笑んだ。




