商人クイド4
【シナモンの祭壇 クイドの断章】
話を聞いただけで恐くなるような仕事を抱えたバレアスだが、俺が持ちこんだ水車修理の話を、ちゃんとイツキ様まで通してくれた。
お前、本当にイケメンだよね。
親友としては嬉しいやら恥ずかしいやら……とりあえず、今度美味しいお酒を差し入れするよ。
あと、風邪とか引いたら薬は任せろ。全力で用意してやるからね!
そんな親友への感謝の念は、明後日の方に置いておく。
だって俺は今、執政館で仕事の打ち合わせに入ったところだ。
「お待たせいたしました。アカシア・ネイヴィルと申します」
応接室に入って来た侍女さんが、きびきびと頭を下げる。
これはかなりの手練れの気配がする。ノスキュラ村のアロエ軟膏を欲しがる若手が来たら、話がしやすいと思っていたんだけど、この人はまるで浮ついたところがない。
「領主代行イツキ様より、クイドさんに助力を命じられました。本日はよろしくお願いいたします」
ネイヴィル殿が頭を上げて、真っ直ぐと見据えられて、悟った。
この人、バティアール家のリイン殿に近い人でしょ?
このキリっとした表情、愛想笑いも最低限の鋭い眼光、絶対にリイン殿に薫陶を受けた侍女さんでしょ!?
領主一族にも反論させない鉄腕侍女集団の精鋭じゃないですかー!
イツキ様ってば、ユイカ様絡みだからって張り切りすぎじゃない?
あんまり偉い人が出て来ると、木っ端行商人のこっちが困るんだけども!
「お忙しいところお時間を頂きまして、誠にありがとうございます、ネイヴィル殿。領の繁栄に寄与できるよう努力しますので、何卒よろしくお願いいたします」
とりあえず、全力で平身低頭しておく。
いや、ほんと、こんな木っ端行商人にお時間を取らせて申し訳ございませんでしたぁ!
でも、あの、用件は真面目でして、農村の水車が万端に動くことは村民の生活を支え、農村の生産力を高めること間違いないので、領のためになると思いまぁす!
必死の思いを目にこめて挨拶すると、ネイヴィル殿がかすかに満足そうに微笑む。
「ふむ。領の繁栄のためと言われては、わたくしも全力を尽くさねばなりませんね」
ひえっ! 鉄腕侍女の全力!
こっちが耐えられるかどうか……。いや、ここは死んでも耐えねばなるまい。
このクイド、これでも軍の衛兵として訓練をして来た身!
が、がんばればそこそこできる! ……はず。
「自分も、大きな仕事を任せてくださった村の人達のために、できる限りのことをしたいと考えています……!」
「それは大変に素晴らしいことですね、クイドさん。では、どうぞおかけください。全力を尽くし、できる限りのことをするならば、腰を落ち着けて、しっかりと、お話をしなければなりません」
わあ、鉄腕侍女殿の笑顔だ~。
お綺麗な侍女さんの笑顔を向けられているのに、鼻の下が伸びるような感情が一切湧いてこない不思議。
ネイヴィル殿は、思いのほか、友好を示してくださっている。ありがたい。
ありがたいんだけど、友好になっているはずなのに重圧がさらに増しているのはなんでだろうね。
「では、早速ですが、水車を請け負う職人となると、領都でも大きな工房を構えているものです」
「はい、技術的にも、資金的にも、そうだろうということはわかります」
小さい水車もあるけど、それでも基本的に大物の部類に入る。
大型の上に、噛み合う部品同士の精巧さを求められ、水に浸り続け回り続ける耐久性もあるだけ必要とされる。
こうして考えると、とんでもなく贅沢な要求だ。
贅沢な要求に応じるには技術が必要だし、技術には相応に支払いがなされねばならない。
そういうわけで、職人の中でも高給取りになるわけだ。
「そうした職人は、自分の仕事にこだわりがあり、言ってはなんですが、我が強いことが多いのです」
「わかります」
優秀な人って癖が強いことが多いよね。
優秀だから癖が強くなるのか、癖が強いから優秀になれるのかは、わからないけど。
「水車の修理とはいえ、他の職人が作った物を修理だけする、という依頼はあまり面白く思われないことが予想されます」
「職人のこだわりはわかりませんが、そういう反応をされるというのはわかります。どうせやるなら全部自分の手で作り直したい、とかそういう感じですよね?」
俺なんか仕事として頼まれたんだから、修理でも新設でもどっちでもいいんじゃないのと思うけど、癖が強いとそういう話になるのはわかる。
「それでも、領主代行イツキ様の声がけだとなれば、内心はどうであれ職人も頷きはするでしょう。しかし、不満がある状態で仕事をされては、仕上がりが雑……というのは、職人の矜持もあるため心配のし過ぎでしょうが、最高の物とはならないでしょう」
「村にとっては大金の支払になるので、少しでもよりよい仕事をして頂かなくては……」
あの村長さんのニコニコ顔が思い出されて、胃が痛くなる。他にも一緒にいた顔役さん達とか、いつも買い物に来る村の人達とか。
あの人達の信頼が重い、すんごい重い!
「その通りです。それに、今後のクイドさんのお付き合いにも、よい影響とはならないでしょう」
「あ、そうですね。せっかくの腕の良い職人さんを抱える工房との伝手ですから、不満のある仕事を押しつける形になるのは、色々とよくないですよね」
指摘されて、自分の伝手作りを思い出すと、よくできましたとネイヴィル殿も優しく頷いてくれる。
「はい。ですので、職人の方にも納得して頂けるよう、依頼の仕方を考えましょう。お金を積むのは難しいでしょうから、話の持って行き方や、代わりの利益の提供、あるいは単純に気持ちよく仕事に取りかかれるようなお願いの方法ですね」
「なるほど。なにを考えればいいのか、とてもわかりやすいです」
やっぱり鉄腕侍女集団の精鋭だよ、この人。問題点の整理がとても上手。
ただ、問題点がわかりやすくても、解決案が簡単に出てくるかは別問題だ。
「う~ん、そもそも職人の皆さんは、この修理の依頼のどこに不満を覚えるか、というところから考えた方がいいでしょうかね」
「はい、そこは避けては通れないかと思います」
村の側に立って考えると、職人の方がわがままに感じるけど、職人さんからしてみれば仕事を気持ちよくできるかどうかは大事な問題なんだろう。
さて、どこが問題か。職人にはなれないので、商人としての頭でまずは考えてみる。
新造と修理では、やっぱり新造の方が収入は多い。
その修理でも一日二日で終わるものではなく、場合によっては、他の大きな仕事を受けられない、ということもありえる。
その辺りの不安はあるだろう。
「同じ修理でも、自分達が作った物なら、多分そこまで揉めないですよね?」
「ええ、自分達が作った、という責任を感じるからでしょうか。わたくしも、自分が手をかけた仕事が半端なまま他人に任せなくてはならないとなると、少々無理をしてでも手元に置こうとするかもしれません」
「あぁ、自分の仕事に置き換えると、納得できるところがあります……」
じゃあ、今後もできるだけ、あの村の水車の修理をお願いする、とかはどうだろう。
もちろん、壊れて建て直す時もお願いする。そういう継続する仕事にすれば、多少は前向きになってくれるだろうか。
この案をネイヴィル殿に話すと、深く頷いてくれた。
「わたくしには、悪くない提案に聞こえます」
「では、これは村長さん達にも打診して、よかったら職人さんにお伝えするとして……他にはどうしましょうね」
「いいですね。相手に差し出すお土産は多ければ多いほど、好意を引き出せますから、思いつく限りやってみましょう」
ネイヴィル殿がいつの間にか柔らかい雰囲気の微笑みを浮かべている。
うーん、この人の圧に慣れたのか、とっても美人さんに感じる。続きを促されるとがんばっちゃうね。
「あ、そうだ。これ、ネイヴィル殿がお手伝いしてくれている理由でもあると思うんですけど、ノスキュラ村でそういう話が持ち上がった時、今回のお仕事を参考にしたいと伝えるのはどうでしょう。あそこの水車は壊れているので、新造になります」
「ユイカ様は未だに人気がありますから、大変よいお話だと思います」
「ですよね。空手形なのが玉に瑕ですけど」
「仕方がありません。水車の新造となると、簡単な話ではありませんから。職人の方が勘違いしないよう、決定したことではないと誠実にお話すれば問題はないかと」
「そこはしっかり、丁寧に、重ねて、お話しようと思います」
未定の工事を、さも決定したみたいに話すのはよくないね。
そういう詐欺みたいなことを考えると、赤髪の男の子の笑顔がやって来て、俺の心臓にとってもよくない!
大丈夫ですよ、アッシュ君、この新生クイドは謙虚誠実に商人しているから大丈夫です。
来なくていいから、マイカちゃん引き取りに来て!
「よい心がけです。ところで、クイドさんはこの件に関して、ずいぶんと熱心に見えます。なにか事情がおありですか?」
「事情……? 特にないと思いますよ」
お金に困っているわけじゃないし、いつかと違って弱みを握られているわけでもない。
「そうですか。その村に好い人がいらっしゃるとか、そういうこともなく?」
「ないです。残念ながら……」
そういうことがあったらまたがんばりがいもあると思うけど、全くないです。
やっぱり農村の人達って、農民同士で結婚することが多いからね。行商人はほら、あちこち歩き回るからその土地に根を張る農民とはちょっと価値観が違うから……。
「では、単純にその村のために?」
「大袈裟な気がしますけど、強いて言うなら、そうなりますかね? お世話になっている人達から、ニコニコした顔で信頼しているなんて言われたら、ちょっと裏切れないですよ……」
信頼されていなかった頃なら、お釣りの誤魔化しなんて真似もできたけど、あんな風に言われたらとても悪いことはできない。
そう思うようになってしばらく、最近ようやくこの感覚を言葉にできるようになった。
「信頼っていう金貨を受け取った以上、きちんと商品をお渡ししないと、商人失格でしょう?」
この言葉に、ネイヴィル殿はくすりと笑った。
「確かに。それは必死にならなければ申し訳が立たないお金を受け取ってしまいましたね」
「ほんと、重たさにびっくりです。まあ、商人として一皮剝ける機会なので、踏ん張りがいがありますよ。自分はこれが仕事ですからね、誠実に仕事をするだけです」
「そうですか。クイドさんは、大変ご立派だと思います」
「いやいや、そんな、できることを精一杯やるだけですよ。本当に立派な人は、それはもうやっていることが違いますからね」
美人さんに褒められるのは単純に嬉しいけど、もっとすごい人を知っているから、恐縮しちゃう。
「クイドさんが遠慮するほどの立派な人ですか。それはどういった方でしょう、興味があります」
「そうですねー」
魔王みたいな人だよ。
そう言ったところで、ネイヴィル殿には伝わるまい。いや~、アッシュ君のあの凄まじさは、目にした人しかわからない唯一性がある。
「ええと、ネイヴィル殿も、アロエ軟膏はご存じですよね? ノスキュラ村の」
「はい、もちろん、聞き及んでおります」
「あの開発に関わった人を知っているので、それと比べると自分なんて全然、普通の人間だなって思い知っちゃったと言いますかね」
まあ、と目を見開いたネイヴィル殿と、その驚愕を共有する。
「すごいですよね。なにも無いところから、あんな有用なものを作っちゃうんですもの。まあ、本人が言うには、本に書いてあったものを作っただけらしいですけど、それでも誰にでもできることではないですよ。だって少なくとも、この辺では今まで誰も作ってなかったんですから」
それと比べたら、自分はあっちにある商品をこっちに届けているだけだ。
それにかかる費用はちゃんと支払ってもらっている。そりゃあ、あっちこっち歩き回るのは疲れるし、危険もあるけど、自分じゃなくてもできる人はたくさんいる。
「しかも、その人は別なこともやろうとしていますからね。畑の収穫量を上げようとしたり、別な薬を作ろうとしたり、今まで誰もやっていなかったこと、思いもつかなかったことをしようとあれこれ動いています」
あれを知ってしまうと、すごいとか、立派とか、そういうものの考えが変わってしまう。
人間って、こんなことまでできるんだ、という強烈な驚き。人生が変わる。
「立派な人っていうのは、ああいう人のことを言うんですよ。そのおかげで、アロエ軟膏っていう儲け話を頂いた身ですから、誰にでもできることくらいは、コツコツ地道に、しっかりやっておかないと、って思っちゃうんですよ」
「なるほど、よくわかりました」
ネイヴィル殿は頷いてくれるけど、多分実物の半分もわかってくれていないと思う。
「わたくしは、やはり、クイドさんも立派だと思いますよ」
うん、やっぱり半分もわかってくれていないね!
それは仕方ない。実物は、そのうち領都に来ると思うから、その時に思い知って欲しい。
できれば、その時のネイヴィル殿がどんな顔をするか、近くで見たいね。
趣味が悪い? そうかもね。
俺は自分のこと、そんな善人だと思ってないから趣味が悪くても一向に構わないよ!
「そうそう。その人なんですけど、水車の再建もずっと考えてたんですよ。あの人のことだから、そのうち絶対やるだろうなと、自分としてはもう確信しているんです」
その気になったら三神像を売り払ってでもやると思う。
絶対やる。だって魔王だもん。
「それで、ノスキュラ村の水車のことを、クイドさんは今からもう考えているのですね」
「なんたって、水車の再建にどれくらいかかるか、聞かれたことありますからね」
値段に歯噛みしていたっけ。いっそ自分で作るか、とか呟いていた。
いくらアッシュ君でも無理でしょ、なんて言えない空気をまとっていたよ。あれは本気の眼だった。
案の定、どうやって作るつもりかたずねたら、中身がかなり現実的に聞こえたからね。
「水車の改良案を出して、その案を職人さんに売り渡して水車建設の費用に充てられないかって、構想していたんですよね」
現在使われている水車がどんなものかわからないことと、村にある本だけだと物足りないから先送りにすることにしたみたいだ。
今は薬と畑の方を重視しているみたいだけど、水車の再建の話が持ち上がったら、その時は改めて改良案を意気揚々と持って来るだろう。
「その時のために、腕のいい職人さんと顔繫ぎしておくのは、すごく大事ですね。改良案ってそんな簡単に実現できないと思いますので」
「クイドさん……すごく面白いお話を持っていらっしゃいますね」
「でしょう? ネイヴィル殿もわかります?」
「ええ、よくわかります」
ネイヴィル殿は、真顔で頷いた。
「その改良案のお話、上手く持って行けば確実に職人を釣れるではありませんか」
「ごめんなさい。それは俺がちょっとよくわかっていないお話です」
「腕のいい職人にとって、現行の設備の改良案は逃せない知識ですよ。もちろん、可能性の段階でしょうけれど、そういったことを研究している人物と伝手のある商人となれば、職人の方も決して無下にはしません」
「そ、そうですか」
「もちろん、わたくしどもとしても、今後の領の発展に関わりそうな知識は大歓迎です。大変、面白いお話を聞かせて頂きました」
面白いお話をできたのであれば、なによりです。
ていうか、アッシュ君のお話はちょっと効きすぎじゃない? なるべくどんな人物かわからないように話していたけど、正解だった。
ありのままのアッシュ君を話していたら、どうなっていたかちょっと恐いよ。
やる気一杯になった侍女さんが、最初の頃みたいに圧の感じる、綺麗な笑顔を見せてくれる。
「クイドさん、紹介する職人についてはお任せください。このアカシア・ネイヴィルが責任をもってお話を通しておきます。最高のお仕事をお約束しましょう」
「あ、はい。よろしくお願いします」
とりあえず、俺としては頼まれていた水車の修理が、きっちりできるならそれで大丈夫です。
村長さんにいい報告ができるみたいで、大変嬉しい。ほっとします。
先のことは、今考えるのはよそう。
俺はアッシュ君とは違うからね、できることからコツコツとやっていくから、先のことはちょっと待ってて!




