商人クイド3
【シナモンの祭壇 クイドの断章】
というわけで、我が親友バレアスの帰宅を、玄関先で待ち構えていた。
日が暮れてからやっと帰って来た親友は、見えづらい暗がりの中でも表情がよくわかるほど、それはもう大きな溜息を吐いた。
「……今度はなんだ?」
話が早くて助かる。
でも、今度はこっちも言ってやりたいことがある。
「お前また仕事を抱えすぎてるんじゃないか? 昼からずっと玄関先に俺がいたから、夕暮れにはとうとうご近所さんに衛兵を呼ばれたぞ」
「知ってる。その衛兵が家の前に不審人物がいるぞ、と知らせてくれたからな」
元同僚を不審人物とは、ひどい奴だ。
まあ、ちゃんとバレアスを呼んでくれたのは助かる。
「こんなところで待ちぼうけるより、執政館まで来ればいいだろう。今のお前なら、侍女の人達だって通してくれるだろうに」
「うんまあ、ノスキュラ村の軟膏のおかげで、知っている人も増えたから、できたとは思うけどさ」
「じゃあ、すればいいだろう」
「その代わりに軟膏を譲って欲しいって詰め寄られるからね」
俺の言葉に、バレアスがすっと目をそらした。
どうした、親友。
ほら、もう一度言えばいいじゃないか。
執政館まで来ればいいって、言えばいいじゃないか!
「すまん。大分待っただろう。とりあえず中に入れ、飯でも食おう」
「うん、夕飯が必要になるなって悟った時点で、屋台に買いに行ったよ。ちょっと温め直して食べよう」
結局、親友はもう一度は言わなかった。
侍女の人達、あの軟膏を手に入れようとする時は恐いからね。飢えた狼みたいな勢いで殺到されるから、ちゃんとした仕事の時以外は顔出したくないんだ。
もうちょっと、軟膏の生産量が増えてくれたらマシになると思うんだけどなあ……。
「それで……今度はなんだ? またどこかの偉い人だかすごい人だかを怒らせたわけではないだろうな?」
「怒らせてはないよ。ただ偉い人からの頼まれごとがあって、しくじれないからもう頼れる奴にはとことん頼ってやろうと思ってさ」
「ふむ? どれ、ゆっくり話を聞かせてもらおうじゃないか」
バレアスは笑って、中身のたっぷり入った酒壺を取り出した。
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「水車の修理か。それは確かに、村にとっての一大事だな」
「そうなんだよ。これが薬の話なら、最近は仲の良い薬師さんもいるから話は簡単だったんだけどね。大工職人、それも飾りとか小箱とかじゃない、大物を専門にしてる職人っていうと直接の知り合いもいなくって」
ぐいっとエールを呑んで、屋台で買ってきた煮込んだ肉を齧る。
「いつかはそういう職人と顔繫ぎしようとは思ってたんだけど、まさかこんなに早く話がくるなんて思ってなくて」
「なんだ、そういう仕事をする見込みがあったのか」
「ノスキュラ村でね。あそこ、水車が壊れたまんまだからさ」
そして、最近のあの村は景気がいい。多分、そのうち直そうという話が出ることは予想していた。
それでも、一年二年でどうこうってことはないだろうと全然動いてなかったら、予想外のところで必要になってしまった。
まあ、ノスキュラ村の水車を直すとなったら、お姉さん大好きの領主代行が最高の職人を派遣しようとする。
だから、どっちかって言うと、俺が伝手を紹介するんじゃなくて、ノスキュラ村に来る職人に挨拶しに行く形になると思う。
あらかじめ「近々こういう仕事があると思います」って話を通しておくと、その後の調整が捗る、らしい。
いやほら、俺みたいな木っ端の行商人が、そんな大仕事したことあるわけないでしょ。
この辺は先輩商人からのありがたい教えなんだ。いやあ、ノスキュラ村の軟膏をちょっと手渡せば、大きな商会も快くお話してくれて助かります。
「なるほど。お前も商人としてがんばっているんだな」
「うん、まあ、生まれ変わった心地でやってるよ」
腐ってたクイドは、ノスキュラ村で麦になってるからね。
今のクイドは、その前世の失敗を悔やんで誠実に生きていくんだ。アッシュ君に睨まれたくないし。
真っ直ぐにバレアスを見返すと、親友は嬉しそうに頷く。
「そういうことなら、俺も少しばかり力を貸そう。その村のためになると言われれば、サキュラの騎士としても無視などできないしな」
「ありがとう! ほんっと、助かるよ」
お礼代わりに、バレアスのコップにエールを注いでやる。
「じゃ、次の問題だけど、どういう風にイツキ様に話をするべきだろうね」
バレアスとイツキ様は仲良しだから、頼めば気前よく頷いてくれるだろう。それでも、物事には伝え方ってものがある。
ちょっとした言葉の違いで、その後に出てくる結果がまるで違うのだ。
「まあ、相手がイツキ様だから、別におべっかを使う必要はないと思うんだけどね」
「それはそうだろう。あんまり遠回しな表現も意味がないぞ。変な顔をされるだけだ」
ユイカ様とかヤエ様ならまた違うんだろうけど、なんたってイツキ様だからね。
その辺は、バレアスも認めるところだ。
「イツキが相手なら、わかりやすいのが一番だ。それに、今回のクイドの話には、イツキなら必ず食いつくところがあったじゃないか」
「どの辺に? そんなところあったっけ?」
首を傾げると、バレアスがこっちのカップにエールを注ぎ返してくる。
「今のうちから、お前が職人と一緒に仕事をしておけば、いつかノスキュラ村の水車を直す時に役立つ。そういうことなら、イツキも喜んで力を貸してくれるだろう。あそこにはユイカ様とクライン卿がいるからな」
「あ、本当だ」
俺の中では、順序が全部逆になっていたから、不思議と思いつかなかった。
確かに、順序を入れかえて整理すれば、そういう言い方もできる。実際、今のうちに水車修理に携わっていれば、ノスキュラ村の修理の時に経験が活かせるはずだ。
「お前、頭いいなぁ」
流石はアッシュ君の親戚。そこはかとなく血筋を感じる。
「そうか? 頭の出来ならお前と変わらないか、お前の方がいいと思うぞ。こういうのは、張本人でないから気がつきやすいものだ」
「う~ん、そうかな?」
バレアスの整った頭部に詰まってるものと、自分の頭部に詰まってるものが同じ出来だとは思いづらいんだけど?
若干、ひがみが混じった声で疑うが、整った頭部はそんなこと気づいた様子もなく大真面目に頷く。
「そういうものだろう。お前の中で計画を建ててあったものが、急に変更になった。すぐに頭が切り替えられないのは仕方ない。俺はそれを後から聞いたから、こうすればいいんじゃないかと変更案を出しやすい」
「そう言われると、そういう気がしてくるね」
「軍の仕事でもこういうことはよくある。自分では上手くいかない仕事も、他人に話してみるとあっさり解決策が出てきたりする。俺はついつい自分一人で抱えがちになって、追い詰められてから人に助けられるがな」
「説得力があるなぁ」
昔っから真面目で我慢強いところがあったからね、こいつ。
今だって忙しくて毎日遅くまで仕事しているみたいだし、人に頼るのが苦手なのは間違いない。なまじ本人の能力が高い分、仕事を抱えこんじゃうんだろう。
「その点、イツキなんかは人を頼るのが上手い。お付きのラン殿を始め、侍女侍従から召使い、もちろん軍の騎士や衛兵にも、どんどん声をかけて、自分がわからないことを聞くからな」
「ああ、それはわかる。商会のお偉いさんも、タイプがあるから。自分でなんでもバリバリやるタイプと、部下を上手に使ってるタイプ。ていうか、衛兵時代も上官にいたなぁ」
バレアスは自分でなんでもバリバリやっちゃうタイプね。結構、部下がついて行くのが大変なんだ。
まあ、統率に問題があるほどじゃないけどね。バレアス本人が真面目だから、心配する方面の文句が多かった。
「俺、お前ほどなんでもバリバリやれる自信ないから、困った時はちゃんと人に相談するようにしよう」
「俺もそれほど自信があるわけではないんだが……」
「だったらお前も人に相談しろよ。ヤエ様とか」
なんでそこでヤエ殿の名前が出て来るんだ、みたいな顔をするんじゃない朴念仁。
「あ~、俺もお嫁さん欲しい……」
「なんでいきなりそっちの話になるんだ?」
「うるさいイケメン」
ヤエ様みたいな美人で頭もよくて一途な相手に惚れこまれるなんて、恵まれまくった奴にこの気持ちがわかるもんか。
羨ましさで弩砲が撃てそうだ。撃っても空しくなるだけだろうけど。
まあ、俺が結婚するにしても、もうちょっと商売が色々と安定するまでは無理かな。
ノスキュラ村の生産が需要に追いついて、その増えた取引に対応するためにお店を持って……それくらいになれば、俺の収入も安定する。
胸を張ってお嫁さん募集できる。
俺はバレアスみたいなイケメンじゃないからね。
仕事の疲れを労ってくれる優しい人なら、それ以上の贅沢は言わないよ。
「あ~、でももうちょっと贅沢を言えるなら、俺が困った時に相談できる人がいいなぁ」
「俺でよければ、できるだけ相談に乗るが?」
理想のお嫁さん像に贅沢を追加していたら、イケメンが割りこんできた。
「お前だけどお前じゃない」
「それはなにかの謎かけか?」
「うるさいイケメン」
理想のお嫁さんを思い浮かべるのを邪魔するな。親友でも怒るぞ。
「でも困った時はお前に相談する。ありがとう」
「忙しい奴だな。まあ、いい。もう少し飲むか」
「飲む。ついでにお前の仕事の話でも聞かせてみなよ。どうせまた忙しくしてるんだろ、ヤエ様に報告してやる」
そうすれば俺が助けられなくても、ヤエ様がお前を助けるでしょ。
よかったね! フン!
若干キレながら話を聞いたけど、本当に忙しすぎて申し訳なくなった。
大丈夫か、こいつ。軍の補給周りを一人で支える状態になってないか。
あ~、でもうちの軍って、クライン卿の大活躍から腕っ節信仰が加速しちゃったからね。
バレアス並に頭脳労働に打ちこめる人材が、軍部には不足しているのかも。現在の領主も、次期領主も、どっちかって言うと殴って解決するのが好きなサキュラ脳だし……。
あ、だからユイカ様が次期領主に期待されていたのか。
ユイカ様がいなくなった後も、ヤエ様を次期領主にする動きがあったっていう話も聞いたことある。
なるほどねー。世の中っていうのは、ちゃんと流れみたいなものがあるんだなぁ……。
で、その流れの結果、今の俺がわかったことといえば、本気でヤエ様に面倒見てもらわないと、俺の親友が大変なことになりそうだっていうことだ。
バレアスの仕事量、ちょっと恐いくらいだぞ。




