勉強会 報告書をまとめ発表しなさい。
リイン夫人が請け負った通り、つつがなく炊き出しの許可は下りた。
なんでも、申請を受けたイツキ様はありがたい、と感謝を示したそうだ。
後回しになっていた部分を、ここまで進めてもらって助かる、と。どれだけ執政館は忙しいんだ。
一応、今後の炊き出しの助けになるかと思って、今回食料を買い取らない農村も含めて目星をつけておいたことが、特によかったようだ。
今期の軍子会に子を参加させなかった農村も多いが、知り合いの知り合い、みたいな感じでなんだかんだ連絡が行き渡った。
炊き出しが少ないため、食料を余しているところは多く、準備をして待っている、という村が多かった。
商会の方も、このまま待っていても儲け話が遠のくだけと、自分達で自治をきかせて担当商会を提案してくる話がついた。
執政館は今後、しばらくは許可を出すだけで、炊き出しが回っていくだろう。
商人は抜け目がないので、あんまり自治を続けさせるのも問題が起きそうだけど、今年くらいは大丈夫。
大丈夫ではなかったら、余裕ができた侍女の方々の恐ろしさを思い知るだけですよ――とは、クイドさんの台詞である。
私が今後のためにもクイドさんにも一枚噛んでもらおう、と声をかけたら、できたてほやほやのお店一件を持つ商会長は、二つ返事で了承してくれたのである。
今は、私の隣でどんどん調理されていく、自ら運んで来た商品を眺めている。
「それにしても、こんな形でアッシュさんからお仕事をもらうとは思いませんでした。いえ、いつかはと思っていましたけど、こんなに早いとは流石というかなんというか……。商会の申請が間に合ってよかったです」
「ですね。クイドさんがお世話になっている商会にお話を持って行くよりも、クイドさんの商会に利益を上げて頂いた方が、私としてもありがたいですから、丁度よかったです」
この調子で実績を積んで、将来の色々なことに協力して頂けるくらい大きくなって欲しい。
「いえいえ、ありがたいのはこっちですよ。ほんと、圧倒的にこっちです! いきなり炊き出しっていう神殿のお仕事をもらえるなんて、商会として信頼が上がりますからね。新参の商会ではもう、ありえないお仕事ですよ」
「そういうものですか? そもそも、クイドさんの今の主力の取引先、領主一族やその家臣の皆さんじゃないですか?」
「まあ、そうなんですけどね……。おかげで商会の申請が間に合ったところはあります。ええ、もう、執政館の侍女の皆様方から応援をたくさん頂いて……」
侍女という性別が限定された言葉に、ひょっとして、とクイドさんを見上げる。
「それって、アロエ軟膏の購入者、ですか?」
「はい……。一応ですね、わたしも商人の端くれとして、贈り物の大事さはわかっていたつもりなんですよ。挨拶に添える贈り物が、お仕事を成功させるって。でも、本当に良い物にはこれだけの効果があるなんて、知らなかったなぁ……」
「お仕事が順調なようでなによりですね」
「暇になる心配はないのに、不思議と恐い思いをするんですよ……?」
好事魔多し、というやつですね。気を引き締めて参りましょう。
「ところで、アッシュさん? あちらで列の整理に参加しているの、囚人の方ですよね?」
「ええ、ベルゴさん達です。ちゃんと今日は許可を取って参加していますから、平気ですよ」
「警備の衛兵が注意をしていないので、それはわかりますけど……」
「調理の手伝いと列の整理、どちらの担当にするか迷ったんですけど、スラム街の人達には顔見知りも多いということで、列の整理に回って頂いた方が効果はあるだろうということで」
「なるほどー。全然わかりませんけど、なるほどー」
おや、どこかわかりにくいところがあっただろうか。
「まあ、アッシュさんですからね……。囚人といえども素直に言うことを聞かせるくらい、できますよね」
「ベルゴさん達は、大変に勤勉な方達ですよ?」
「ええ、そうでしょうとも。アッシュさんとお話すると皆さん真面目になりますとも」
クイドさんが朗らか、というにはちょっと渇いた笑い声を上げる。
お疲れかな? 商会の主になったとはいえ、まだまだ小さなもの、今回の食料の仕入れにも自ら飛び回ったと聞いたから、当たり前か。
「ところで、アッシュさん、あっちのお鍋は随分と人気があるようだけど……あれってトマトですか?」
「ええ、堆肥使用畑から取れた栄養たっぷり夏野菜トマト鍋ですね」
ダブルの食用実験である。
真っ赤なお鍋はインパクトがあったのか、炊き出しに集まった人達も最初は敬遠していたのだが、ベルゴさん達に勧められて――無理矢理口の中に推しこまれて一人が食べてから、行列ができるまでは早かった。
些細な固定観念など、真の美味の前には無力なものなのである。
これで、堆肥を使用した作物も、トマトも食べられた、という実績ができる。
誠に今回の炊き出しは得るものが多くて笑いが止まりませんね!
「はーい、おまちどおさま! なんとこちらのご飯はタダ、本日タダとなっております! ガーネシ商会も協賛の本日の出血大特価品、美味しく食べてねー!」
不揃いな木皿に盛り付けたお鍋を、元気よく声をかけて渡しているのはケイ嬢だ。
その場ですぐ食べ出しそうな人を、ダーナ嬢がニコニコしながら追い払う。
「は~い、あっちで食べてくださいねー。あっちですよー、あっちあっち~。言うこと聞かないと蹴っ飛ばしますよ~? 自分で歩けないんだから~、蹴っ飛ばされても文句ないですよね~?」
女性陣が配給の最前線に立っている一方、多くの男性陣はなんと調理側に回っている。
その理由は、まあ、作る量が多いからだろう。
グレン君が、大きな鍋を配給担当のところまで抱えて運ぶ。
「追加の鍋だ……って、もうこっちの鍋が空になっているのか!?」
「あはは、作っても作っても出て行くね。お金取ったら売り上げすごそう」
若干の絶望を交えて叫ぶグレン君に、ケイ嬢はケトケト笑う。
「ぬぐぅ、急いで次の用意をしなければ……!」
「おー、がんばってー」
「ケイ達もこっちの手伝いに来てくれてもいいんだぞ?」
「こっちにそんな余裕があるように見える?」
笑顔のまま首を傾げるケイ嬢のそばで、ダーナ嬢の蹴りが炸裂する。
「だから、ここで食べるなっつってんでしょ~? あっち行けっての。そこで食べられたら他の人が通れなくなるでしょうが」
流れを乱して蹴られた相手が、ダーナ嬢を睨みつける。
これは揉め事になるかと、警備に当たっている衛兵さんも身構えるが、ダーナ嬢は強かった。
「二発目はせっかくの美味しいご飯をぶちまける勢いで蹴るけど~?」
相手の手に持った熱々ご飯を使った脅しである。
相手は不服そうではあったが、せっかく手に入れた食事がなくなることは我慢できなかったらしく、渋々と言われた通りに去っていく。
「あんな感じで言うこと聞かない人がちょくちょくいてさ。皆が言われた通りに動けば、その方が早くご飯も食べられるのにねぇ」
「配給係も忙しいのはわかった……。だが、俺もそっちの方が得意そうなんだがな」
「いやぁ、この大きさのお鍋を持ち運んだり、小麦粉団子を作る方にこそ、男子の筋力が必要でしょ」
「そうだな、それもよくわかる……」
ケイ嬢にあっさりと論破されて、グレン君が溜息を吐く。
その丸まった背中に、容赦なく調理担当の男子の一人から檄が飛ぶ。あれは、グレン君と仲の良いサイアス君かな。
「おらー、グレン! なにしてる、さっさと戻って来ぉい! 休んでる暇ないんだぞー!」
「や、休んでない! すぐに戻る!」
バタバタで大変ですね。がんばってください。
心の中で精一杯応援していると、クイドさんが気づかわしそうに視線を送って来る。
「アッシュさんは、手伝わなくていいんですか、あれ……?」
「私もお手伝いしたいところなんですけど、全体の監督と非常時の対応が仕事ですので、心を魔物にして眺めているところなんです」
なあに、大丈夫ですよ。軍子会の参加者は、ヤック料理長から指導を受けていますからね。
これくらいこなしますとも。こなせなかったら、こっそり見に来ているヤック料理長から、後日追加指導があると思います。
腕を組んで遠目に炊き出しの様子を眺めているヤック料理長に、クイドさんも気づいた。
「あれ、ヤック料理長ですよね?」
「教え子の腕前を見に来たんでしょう。しきりに炊き出しの日程を確認していましたからね」
「ははあ、衛兵時代に聞いたことありましたけど、本当に面倒見が良いんですねぇ」
「家ではご長男だそうで、ご実家のお店は弟妹に任せたと聞いたことがあります。育った環境もあって、兄貴肌なんでしょうね」
ヤック料理長は大変優しい。軍子会の教導係の一人になっているのも納得である。ただ強面なだけで。
あ、柄の悪い人達が、ヤック料理長にびびって一礼している。
やっぱりあの人、料理長より山賊の親分に見えるんですね。
「ヤエ神官も、現場で働いてらっしゃるんですねぇ。あの人、後ろで見ていた方が自然なくらい偉いんですけど……」
「軍子会の教導役なので、私もそう思いますけど、神官として炊き出し業務を手伝うのは当然なんだそうですよ」
ヤエ神官は、食器の回収班に付き添っている。これも神官の役目です、と微笑む姿は神官の鑑と言える。
ちなみに、あの食器や鍋は、領軍の備品から貸し出されたものである。
領軍の備品の管理は、ジョルジュ卿の担当となっている。つまり、炊き出しの始まりと終わりに、食器の近辺にいるとジョルジュ卿とお話する機会が得られるというわけだ。
ヤエ神官は、恋する乙女の鑑ですね。
「バレアスも見に来るのか……。だとすると、後いないのは……リイン殿だけですかね?」
「リイン寮監殿はこちらには顔を出さないそうですよ。私達だけでやりきってみせるように、と激励を受けました」
計画段階で監督役を頼まれれば引き受けたかもしれませんが、と前置きして、リイン夫人は当日の手助けはしないと明言している。
炊き出しに参加していない軍子会の参加者もいるため、寮の管理者としての立場を優先したのだ。
「当日の監督役の依頼がなかったため、この場に顔を出す必要がない、というわけですか。流石ですね、評判通りに厳しさというか、きっちり物事を分けていらっしゃるというか……」
「でも、さっきからリイン寮監殿の使用人の皆さんが偵察に見えていますよ。一定間隔でかわるがわる来ていますから、多分定期的に報告を受けて、炊き出しの状況を把握しているのでしょうね」
「……本当ですか? この混雑の中でも、わかるんですか?」
「リイン寮監殿の配下の使用人は、寮でもよくお世話になりますから、顔を見間違えたりしませんよ。あと、特にレイナさんへ視線を向けているのでとてもわかりやすいです」
食材が切れそうだの、薪が切れそうだの、声が上がる度に、補給の手配をすることに必死のレイナ嬢を見て、しきりに頷いているのがリイン夫人の配下だ。
寮館で報告を待っている主人が、どんな報告を一番喜ぶかわかっている、良い使用人だと思う。
「リイン殿も、案外あれなんですね」
「レイナさんと一緒で責任感が強いですから、厳しい分だけ優しい方ですよ」
本当に、あの親子はそっくりだと思います。
「アッシュさんは……ここに、領都に来てから、どれくらい経ちましたっけ?」
「はい? 三季節くらいですよ?」
「ですよね。そうですよね~……」
「ここにはクイドさんに連れて来て頂いたので、ご存じだと思いますけど……」
やたら遠い目をする元行商人に首を傾げると、乾いた笑いが返って来る。
「マイカさんと二人でやって来て、たった三季節でこんなに人を動かせるようになったんですね」
「ふふ、そうですね。友達五十人くらいは達成できた気がします」
やはり、都市とは協力者を募集・勧誘・策謀するのに絶好の地であった。
あっという間に友達が増えたよ、やったね!
「ですが、まだまだです」
この領都を私の夢に都合が良い場所に作り替えるためには、まだまだ足りない。
なんたって私の夢は大きいですからね。この領都には壊しても壊れないほど頑丈な土台になって頂かないと。
そのためにも、これからもバリバリジャンジャンがんばって浸食していかなければなりませんし、これまで手に入れた伝手も大事に酷使しなければなりません。
とりあえず、農業改善計画を進めつつ、そろそろ工業関係の計画にも手を付けたいところですね……。
これは、明日からも忙しそうですね。
「アッシュくーん! ちょっとおねがーい!」
「おっと、マイカさんに呼ばれましたので、ちょっと行ってきますね」
クイドさんに断って、手をぶんぶん振っているマイカ嬢のところへ足を向ける。
マイカ嬢で手に負えない問題が発生したのだろうか。表情が明るいから、深刻なタイプの問題ではなさそうですけど、なんでしょうかね。
「トマト鍋が美味しいから、レシピを知りたいっていう人達がいるんだけど、教えちゃっていいのかな、これ?」
「ほほう! 目の付け所が素晴らしい! 今はトマトが食用だと思われていませんから、その辺にたくさんあります。今なら食べ放題ですね!」
トマト食用実験ができるじゃないか。
食べた後に問題がないか、きちんと報告してもらえるように交渉して、レシピをどんどん広めてしまおうではありませんか。
領都の未来は、キャンプファイアーをしているかのように明るいですね!
スラム街に潜んでいた社会問題は、この火を囲んで、楽しむための名目に丁度よかった。その程度のものだったというわけだ。
初めて領都を眺めた時は、思ったより頼りないと感じたものだが、意外となんとかなりそうでなによりです。




