勉強会 以下の問題を解決しなさい。
サキュラ辺境伯領では、軍の装備は比較的統一されている。
騎士と衛兵による常備軍がよく整備されているためだろう。領軍の装備は、私費装備も認められてはいるが、基本的に領主が支給するものとなっている。
これによって、領内に流通する危険物の把握も容易であり、治安維持に一役買っているのだとか。
領主の権威・権力としても、軍の武装を支給する、という立場はメリットが多い。
では、デメリットはなにか。
管理が大変なのである。軍の管理する備品が増えると、それ専門の部署、その専門家が必要になるほど、大変なのである。
その管理する側の人間であるジョルジュ卿が、未来の同僚である軍子会の面々に、切々と騎士の頭脳労働の重要性を説く講義を終えた。
「では、本日はここまで」
おや、と首が傾ぐ。
正確な時計がないため、日差しの角度によるおおよそだが、いつもより短い。
「質問などは次回の冒頭に受け付ける。すまないが、今日はこの後の用事が詰まっているので、時間を取れない」
また、追加のお仕事が入ったらしい。ジョルジュ卿が軍子会の講義を受け持つのは、仕事量的に問題があるように思う。
でも、ジョルジュ卿が軍子会の講義を持てば、未来の騎士が頭脳労働を手伝える可能性が高まるので、適任とも言える。
つまりまあ、がんばれジョルジュ卿、としか言えない。
応援するだけならタダなので、いくらでも応援しますよ!
とはいえ、それでは私の立場――ジョルジュ卿の副官見習いとして数々の役得を貪れる立場を維持できないので、とっとこ駆け寄る。
うぬぬ、ジョルジュ卿の足の長さを活かした早足に追いつくのが大変で困ります!
「ジョルジュ卿、ジョルジュ卿」
「む、アッシュ君か。緊急か?」
足で追いつくのが大変だったので、声で呼び止める。
「はい。それはジョルジュ卿次第ですね。副官見習いのお手伝いが必要ではないかと思って、お声がけしたのですが」
「ああ……。いや、今回はアッシュに手伝ってもらうほどではないぞ」
軍子会の一員ではなく、ジョルジュ卿の部下として声をかけたとわかると、ジョルジュ卿も私の呼び方を変えた。
「そうなんですか? それならいいのですが」
その割にお急ぎに見えたんだけど、ひょっとしたらあんまり言えないことだったりするのだろうか。
機密系?
「ああ、いや、そんな裏はないぞ?」
「それならホッとしました」
「うむ、安心してくれ。市中警邏を担当している衛兵達の装備、警棒や制服の修復や新調が多くてな」
「定時更新では間に合わないくらいの量なんですね。それで臨時申請が届いたと」
「そういうことだ。急に増えたから、一応、なんらかの不正がないかの確認をしつつ、現場が苦労しないよう速やかに装備を支給せねばならん」
現場の人間の苦労を思って、ジョルジュ卿はお急ぎらしい。
とても優しい。本当に苦労人である。
「とはいえ、緊急性は低い。だから、アッシュはこちらの手伝いではなく、軍子会としての活動を大事にしなさい。今、色々とやっているんだろう? あの農業改善計画とか」
「ええ、ベルゴさん達の住居近辺で、堆肥実験用の畑をやっています」
「うむ、領主代行殿から認可も下りて、予算も出ているのだ。そちらに集中するといい」
父性的、というか兄貴要素の多い柔らかい笑みで、ジョルジュ卿が応援してくれる。
年下の親戚として可愛がってくれているようで、私も大変に(つけこみやすくて)嬉しいです。
「まあ、農業改善計画なる代物が、軍子会の活動の範疇で収まるものかは、少し怪しいんだが……」
あ、優しい兄貴分の笑みが曇った。
やや警戒状態ですね。流石は領軍の若きエリート、隙があるようでない。
「まあ、そういうわけだ。他に確認はないな? あまりやりすぎるなよ、アッシュ」
「ええ、お時間を頂き、ありがとうございました。やりすぎる心配は全くありませんよ」
やりすぎるためには必要なものがさっぱり足りませんからね。やりすぎるコマンドが発動できない。
アッシュは文明復旧を目指した!
しかし物資も技術も人員もなにもかもが足りない!
状態である。
そんな安心安全装置がかかっている状態の私に、ジョルジュ卿は大いに疑わしげな顔をしてから、去っていく。
入り口のところで待っていたヤエ神官が、にこやかに、しかし物寂しそうにお見送りしている。
講義の後、時間があったはずのジョルジュ卿を打ち合わせに誘う予定だったことを、私は知っている。
だって、ジョルジュ卿がこの後ちょっと暇だ、という情報をヤエ神官に渡したのは私だから。
「すみません。ジョルジュ卿の予定が変わったようでして……」
「アッシュさんが謝るようなことでは……。ジョルジュ卿が、時間があるからとお仕事を入れてしまっただけですから」
「次は予定が空いている、ではなく、その予定を埋めてヤエ神官にお渡ししますね」
ジョルジュ卿の身柄を。
まるで人を売るかのような言い回しだが、これも全てジョルジュ卿のためなのだ。
「あの人は働きすぎですからね。ヤエ神官に上手く休み時間を作って頂かないと、サキュラ辺境伯領の未来が不安です」
「そう、そうですね。本当に、ジョルジュ卿は働きすぎですから……少し強引でも休んで頂かなければ……休んで頂くべきですよね!」
ジョルジュ卿に仕事の言い分があれば、ヤエ神官に休憩の言い訳あり。
さて、この盾と矛はどっちが強いでしょうか。実験してみましょう!
****
ジョルジュ卿の講義が早く終わったので、軍子会の面々は、各々自習時間となった。
街に繰り出して見聞を広げる者(遊び)、実家に寄って家業の勉強をする者(休憩)、寮館に戻って勉強会に参加する者(自習)など様々だ。
そのうち、勉強会の参加者は、本格的な勉強をするには時間が微妙なため、それぞれの出自に由来する情報交換をすることにしたようだ。
人、これを雑談と呼ぶ。
「そういえば~……。実家の方から、あんまり南東側に行かせるな〜って話がありました。皆さん、気をつけてくださいね~」
侍女系の家であるダーナ嬢が、なにやら周囲の女性陣に注意を促している。
「行かせるなって……そこは行くな、じゃないんですか?」
「はい、行かせるな、ですよ~」
どうやら、ダーナ嬢の実家の注意には、娘の心配は含まれていないらしい。
それを察したケイ嬢が、すぐ隣の席で納得の表情で頷く。
「なるほど? 流石はダーナさんってことですね」
「それはどういう意味の、流石、なんでしょうね~」
ダーナ嬢がにっこり笑顔で見つめる先、ケイ嬢も引きつり笑顔で返す。
「ご、ご実家から信頼されているんだなーっていう、流石、ですよ? 決まっているじゃないですかー、あははー!」
「ふふ、そうですよね~。どこかの誰かさん達が言っているみたいに、見た目詐欺だから、なんて意味の流石では、ありませんよね~?」
「ち、違いますよー? ダーナさんはふんわり系の美少女さんそのものですからね!」
「ありがと~ございます。お礼に、今度の護身術の実技の時間、しっかり指導してあげますからね~」
「わ、わあ、とっても嬉しいですー。お、お手柔らかにー?」
ダーナ嬢、あれはケイ嬢で遊んでいますね。
見た目詐欺、とやらがなんのことだかわかりませんが、まあ悪口の類なんでしょう。
でも、ダーナ嬢はさっぱり気にしていないっぽい。怒っているふりをして、ケイ嬢の反応を楽しんでいますよ、あれ。
狼の子供が、ごっこ遊びで狩りの練習をしているような、じゃれ合いの噛みつきに似ている。
そして、まんまと遊ばれているケイ嬢。
きっかけが、突っついてはいけないところに、自分から勢いよく突っ込んでいったから、という辺り、相変わらず迂闊なところが治っていない。
またなにかやらかさないよう、しっかりダーナ嬢に矯正してもらうと良いと思いますよ。
「そ、それよりー? 南東側に行かせるなっていうのが、どういうことなのかー、おケイさんは気にあるかなーって? えー、なんだろー? 知りたい知りたい、なんでですかー?」
ケイ嬢が、とてつもないわざとらしさで話題をそらそうとしている。あからさま過ぎて誤魔化しにもなっていないが、話題のそらし先は的確だ。
ダーナ嬢――その実家としても、わざわざ娘に注意を持たせたのだ、きちんと周知しておかなければならないのだろう。
ダーナ嬢は、「ん~、まあ、いいことにしてあげましょうか」と意味ありげに考え込んだ後に、ケイ嬢の質問に答えてあげた。
「街の南東側の方では、なんだか喧嘩とかスリとか増えているんだそうですよ~。軍子会の参加者が巻きこまれると大変だから、注意しとけ~って」
「え? そうなんですか? 南東って、スラム街のある方って意味ですよね?」
ケイ嬢が真面目な表情になって食いつくと、周囲の女性陣、特に領都の外からやって来た人達も、しっかりと情報を聞く体勢を取った。
「ケイちゃんがマジな顔しているってことは、マジで危ないやつだ、これ」
「だね。ケイちゃんがマジな顔の時はマジだからね。ダーナさん、ちょっとそこ詳しくお聞きしたいです」
「なにそれ!? あたしはいつだってかなりマジだけど!?」
周囲の反応にケイ嬢がびっくりしてうろたえるが、マジでマジならしく、追求せずにダーナ嬢に向き直る。
「ええい、後でそこんとこは聞かせてもらうからね!? それより、領都の南東側よ! あそこは市壁が崩れて低くなっているところがあるせいで、住みたがる人がいないのよ。てことは、あそこに住んでいる人は仕方なくそこにいるわけで……ちょっとこう、食うに困った人とか、追い詰められた人とか、その先に行っちゃった人とか……やばめな人が多い場所になっているのよ。それでスラム街って言われてるわけ」
ケイ嬢の説明に、領都の事情にあまり詳しくない人も、街の南東がどんな場所か理解できたようだ。
その南東側に近づくな、という指示が、中々物騒そうな話であることも。
「流石、ケイちゃんがマジになるだけあってマジで危ないやつだった」
「ほんと、流石だよね、ケイちゃん」
「その流石ってどういう意味なんですかねー!?」
ついさっきケイ嬢に向けられていた台詞が、ケイ嬢自身の口から放たれた。
答えたのはダーナ嬢である。
「ケイさんって、ちょ~っと危機感とか、警戒感? そういうの足りないところありますもんね。それ言っちゃう?っていうことを、平気で口に出すんですから~」
ダーナ嬢の意見に、周囲の女性陣が頷いている。共通認識らしい。私もそう思います。
「んぐぅ……っ、自分でもちょっと思い当たる節があるのがぐやじい……!」
ケイ嬢がばったりとテーブルに突っ伏す。
突っ伏してから、ひと呼吸も置かずに起き上がったけど。やはり、マジなケイ嬢らしい。
「いやいや、そんなことよりスラム街近辺の話だって! や、ダーナさん、それ本当ですか? うちの商会の傘下の店に注意するよう、パパに報せなくちゃ!」
「わたしも実家からの伝言ですから~、実際に見たわけではないので……。というか、ケイさんの実家の方から連絡がなかった辺り、お店とかはまだ平気なのでは?」
「むむ? そういえば、そうですね? そんな話題のネタ、パパが報せてこないわけがないかも?」
あのケイ嬢でもマジになるくらい危うい状況かと思われたが、意外と大丈夫そうな兆候が見えた。
「商人さん情報がないとすると……。うちの実家、衛兵さんと仲が良いんですよ、これ衛兵さん情報っぽいですね。あれですね、スラム街の中での喧嘩とか、通りのスリが増えたくらいなのかもしれませんね~」
「む~ん、なるほど? お外にあんまり迷惑かけてないってなると、スラム街の顔役の抑えはきいてるっぽい?」
「多分? そうじゃなかったら~、今頃リイン寮監殿から、南東側への立ち入り禁止命令、出ているはずですもんね」
「ああ、ですね。寮監殿が絶対に言ってくれますね! な~んだ、大丈夫そうじゃん」
ケイ嬢の中で、危機感が完全に去ったらしい。
べったりとテーブルに突っ伏して安堵の溜息をたっぷり吐き出す。
「あ~、焦った~……」
「いつものケイさんになっちゃいましたか~。でも、うちの実家が一言あるくらい変化はあるんですから、気をつけてくださいね~」
ダーナ嬢に窘められ、ケイ嬢はテーブルに顎をつけたまま返事をする。
「はーい。あんまり用事もないから近づかないですけど、気をつけまーす」
「気をつける時の態度じゃないで~す」
ダーナ嬢が、笑ってケイ嬢の癖っ毛を撫でる。
撫でられながら、あ、とケイ嬢は声をあげた。
「そういえば、スラム街で揉め事が増える時って、うちの商会で食品関係の売り上げが落ちている時だってなんかで聞いたかも。ひょっとして、今年も売り上げ落ちてるのかな?」
また少し考えて、ケイ嬢は呟く。
「あ~、最近炊き出しをやったって話、あんまり聞かないし、そうかも?」
お小遣いの危機の予感、と憂鬱そうに嘆くケイ嬢。その背中に、そそっと近づく。
たまたま聞こえていた雑談ですが、ケイ嬢、今面白そうなことを仰いましたね?
「ケイさん、ちょっとよろしいですか」
「アッひゃ――――!?」
普通に声をかけたら、ケイ嬢が飛んだ。
どうやらすごく驚いたみたいですね。一体どうしたことでしょう。
なにか恐いモノに呼びかけられたかのようなリアクションをするなんて、なにか後ろめたいことでもあるみたいですよ?
ケイ嬢のことですから、もう、そんなことしていませんよね?
していないなら、大丈夫ですよ。私はなにもしませんから。
飛び上がって隣のダーナ嬢に隠れるように抱きついたケイ嬢に、にっこりと笑いかける。
ケイ嬢も、私の笑顔に安心したように笑い返してくれる。真っ青で引きつった笑顔だけど。
まあ、笑い返したということは、対話の意思がありとみなしていいでしょう。構わず、お願いをする。
「その炊き出しとスラム街の治安の関係、大変興味深いので詳しく聞かせてくれませんか」
「はっ? えっ? あの、たきっ? すらっ? くわっ?」
うーん、困りました。さっきまで滑らかだったケイ嬢の舌が、急に働かなくなってしまいました。
なぜでしょう?
「ここで話すには不都合があります? それならちょっとあちらの方で、二人で――」
「いえここで大丈夫ですけどはっきりとわかんないですごめんなさいっていうか拙者今年はほらあれ軍子会でお店のお手伝いがちょ~っと疎かっていうかごめんなさいモルモットだけは許してくださいごめんなさい!」
ああ、ケイ嬢の舌の働きが戻りましたね。
さあ、その調子で、炊き出しとスラム街の治安の関係について、知っていることをきりきり教えて頂きましょう。
****
ケイ嬢から聞き出した話をまとめると、大分短い。
貧困層が集中しているスラム街は、食うに困る人も多い。そういった人達向けの炊き出しは、毎年それなりの回数行われている。
こうした慈善事業に近い炊き出しでは、各商会の持ち回りで食材の仕入れを引き受けるため、ケイ嬢の実家のガーネシ商会では炊き出しの頻度を把握できる。
それが今年はどうやら少ないかもしれない。
お腹が空いていたら、怒りっぽくなるだろうし、他人のものを奪ったって食べたい、という考えになるのはわかる。
自分だってお腹が空いた時に、他人がお菓子を食べていたら恨めしい。腹立つ。
正直、家族のお菓子を盗み食いしたことが何回か……ごめんなさい嘘です何十回とかやりました!
バレて喧嘩になったことも割とよくあります!
なので、それと似たような流れで、炊き出しが少ない年は、スラム街の治安がちょっと悪くなっているのではないでしょーか……!
以上が、ケイ嬢のご意見である。
実体験を伴っており、大変にわかりやすい。大体合っていそうな説得力すら感じる。
とはいえ、これはあくまで理論。
実際のスラム街の状況と合致しているかはわからない。なので、スラム街の状況に詳しい人物に話を聞いてみた。
「そういう話を聞いたのですが、実際のところどうなのでしょう。炊き出しというのは、やはりスラム街に大きな影響があるのでしょうか?」
インタビュー先は、スラム街に詳しい、元スラム街の住人、ベルゴさん達である。
「まあ、そりゃあ……少なくはねえっつーか」
リーダー格のベルゴさんが、口ごもって他の人達と顔を見合わせてから、頭をばりばり掻いて切り出す。
「ああっと、まず質問に答えると、めちゃくちゃ影響がある。スラムじゃ、その日食う物をなんとか手に入れる、って奴も多いからな。炊き出しは腹一杯食えるし、楽に手に入る。一日休めるんだ。たかが一日分の余裕かもしれねえが、あるのとないのじゃ大違いだ」
「一回の食事、というだけではない重さがあるわけですね」
「それに、まあ、なんだ……。誰かが奢ってくれる、っていうのも、結構しみるものがあってな。それに腹立つ時もあるが、ホッとする時もあんだよな」
それも、わかるような気はする。
他人から分け与えられることで、誰かが自分を見てくれている、助けてくれている、という他者との繋がりが感じられるのだろう。
そのささやかな繋がりが、あと一歩で踏み止まる力になることもあるかもしれない。
なんとも良い話ではないか。善意がきちんと通じている好例である。
私がしきりに頷くと、ベルゴさんが入れ墨を叩いて笑う。
「まあ、結果的に俺等は人様の物に手を出してこうなってんだから、そんなこと言ってもなんだがよ」
それは、本当に苦い笑いだった。
ブラックコーヒー並みに苦い笑いなので、私のミルク並みにホワイトな笑みを混ぜて差し上げよう。
これでコーヒーミルクだ。
「そんなことはないと思いますけどね」
だって、ベルゴさん達はぎりぎりで踏み止まっている。
確かに人様の物を奪ったのだろう。でも、死刑になるほどの凶悪犯罪には手を出さなかったのだ。
一線は越えたのかもしれないが、最後の一線は越えなかったように思う。
私がそう思っていたところで、ベルゴさん達の負い目がなくなることはないだろうから、わざわざ言わないけれども。
「炊き出しが、実際にスラム街に影響が大きそうなことはわかりました。とすると、今年は少ないようですから、厳しいのかもしれませんね……」
一体どうしたことか。私が首を傾げると、ベルゴさん達が再び顔を見合わせる。
「偶然なんだが、そのスラム街のことで、ちょいとお前に相談があるんだけどよ」
「それはまた、すごい偶然ですね?」
ずいぶんとタイミングが良い。
「実は、スラム街にいた頃に世話になった人が、俺等に声をかけて来てな」
「それを私に言うんですから、別に法に触れる内容ではなさそうですけど、なんと?」
「俺等がほら、畑を作り出しただろ?」
そういってベルゴさんが見たのは、堆肥の使用実験のため、急遽開拓した畑である。
まあ、気合の入った家庭菜園レベルなわけだが、それでも計画上の名前は試験用の畑である。
「それで、ここでできた作物を、スラム街の方に分けられないかって話を持ちかけられてな。スラム街じゃ色々と世話になった相手だ、できれば分けてやりてえところだが……」
「心情としては分けたいけど、勝手に分けるわけにはいかないから、そのお伺いを……というわけですね」
言いづらそうなところをこちらがすくうと、ベルゴさん達がその通りと頷く。
「こいつはお偉いさんも知っている計画だろ? 流石に俺等もちっとは気を使うぜ。なによりアッシュがいっちゃん恐いしな」
ベルゴさんの台詞、後半が小声だったけれど、皆さんの頷きは後半の方が大きかった。
どうしてでしょうね?
不思議だなーと笑顔で見つめたら、皆さん一斉に目をそらされた。
どうしてでしょうね?
……ベルゴさん達の反応は解せませんが、どうやらスラム街の困窮は確かなようだとわかりました。
私とて貧しい農村生まれ、ひもじさにお腹を抱えて過ごした夜もあります。そのつらさ、心細さはよく知るところ。
それでも、農村ゆえに次の作物の収穫期が来れば、という展望があるだけ耐えやすい環境だったのかもしれない。
生産地ではない都市では、次にいつ食料がやってくるか、自分のところまで回ってくるか、わからない。
未知が生み出す恐怖はより大きく、深いことだろう。その恐怖が、まるで悪鬼のように人心を貪る様が思い浮かぶ。
「いいでしょう。ちょっとそのお話はお預かりします。悪いようにはしませんので、もしそのお知り合いの方が来たら、農業改善計画現場責任者が受けたと、そうお伝えください」
ふふん。しかし、そんな子供騙しの空想の怪物に参るような、この私ではありませんよ。
人類は、未知の恐怖に脅え、慄きながらも、目をそらさずに向き合ってきた。
未知を直視することで理解し、既知に変えて、恐怖を克服して文明を進めてきたのだ。
今回のスラム街の食糧不足という姿なき問題。
不肖ながらこの私が、直視して進ぜよう。




