ヤエの眼差し
【シナモンの祭壇 ヤエの断章】
この日、領主館の食堂は二人の男女のための貸し切りだった。
料理長が丹精こめた料理の香りが広がっており、美味しそうだという感想だけで、手始めの話題として十分だ。配膳の召使い達も気配を薄くして、食卓に上る語らいを邪魔しないようにと心が尽くされている。
「わたしの方は、神殿の業務を他の神官が負担してくれますが、そちらは軍子会と軍部の両立が大変でしょう」
「そうですね。備品の総点検が重なっているところがつらいですね」
だというのに、男女の会話は仕事一色。色気もなにもない。
彩りも考えられているはずの料理も、これではくすんで見える。
まったく、年頃の男女がそろって、なにをしているのか。
そう呆れたくもなる光景だ……けれど、その男女のうち、女性の方がわたし――ヤエなのだから呆れてばかりもいられない。
男性の方はもちろんジョルジュ卿だ。
真面目な人に仕事を詰めこめば、仕事しか頭になくなるので、こちらは仕方ない。仕方ないのです。こういうところも魅力ですしね。
こちらから上手に、私的な時間の話題を振ればいい。
「ジョルジュ卿は近頃……お休みは取れていませんよね?」
「ええ、まだまだそこまでの余裕はありませんね」
ところで、私的な時間が取れていない相手には、どんな話題を振ればいいのでしょうか……。
「なんと言いますか、お体の方は大丈夫ですか?」
「そちらは大丈夫です。生まれつき体は丈夫ですからね。数少ない自慢です」
数少ないとは謙遜だ。ジョルジュ卿ほど頭脳に長けた騎士の方が数少ない。
わたしの代わりは他の神官がしてくれるが、ジョルジュ卿の代わりができる騎士はほぼいないのだ。
心配で眉根が寄ってしまう。
「無理はなさらないでくださいね。食事と睡眠はしっかり取るようにしないと」
「そこはなんと言いますか……気をつけます。今日はお誘いしてくださって、ありがとうございます。おかげで美味しい物が食べられました」
「気をつけられないようでしたら、いつでもおっしゃってください。毎日お誘いします」
「そこまでご迷惑をおかけするわけには」
迷惑だなんてとんでもない。
遠慮するジョルジュ卿に、本音で押しつける。
「前にも言いましたけれど、ジョルジュ卿でしたら、わたしが毎日ご飯を作ってもいいのですよ」
一度、手料理を届ける約束をしたことがあるのだけど、なんだかんだと遠慮されて、立ち消えになってしまったことがある。いつでも再開するつもりがあると伝えると、困ったように笑みを浮かべて誤魔化そうとする。
「わたしの手間など、ジョルジュ卿の健康には変えられません。イツキ兄様も、これには強く賛成されますよ」
「はい。健康には重々、気をつけるように心がけます」
むう。またしてもかわされてしまう。
ジョルジュ卿はいつもこうだ。私的な領域に踏みこもうとしても、させてくれない。公的な、仕事上の繋がりだけに留めようとしてくる。
仕方なしに、色気のない話題を食卓に盛り付ける。
「ジョルジュ卿のご意見を聞きたいと思っていたのですが、今期の軍子会で優秀な人はどなたでしょう?」
「それは難しい質問ですね」
話題が仕事になると、ほっとした顔をするジョルジュ卿。
心なし口調も明るい気がする。
わたし、拗ねてもいいと思いません?
こう言ってはなんですが、大変に優良な女だと思うのです。
領主一族という血筋で、頭脳明晰と評価され、見目だって悪くない。その婚姻を巡って百の決闘を必要としたユイカ姉様に似ているのだから、良い方のはず。
性格は……性格は、大分、大人しくなりました。なので、今は悪くないはず。
昔は確かにこう、ちょっと、はい、荒れていましたけど、今は大丈夫、大丈夫です!
そんなわたしが、個人的にお近づきになりたいな、と秋波を送ると困った顔になり、あきらめてお仕事の話に切り替えるとほっとする。
意地悪だと思いませんか。
わたしは思います。
そう拗ねた気分になる一方、そういうところもいいなぁ、と思えてしまう。
いえ、よくはないんですけど……。
ただそれでも、そのつれない態度にジョルジュ卿の真面目さとか優しさを感じてしまう。
いい加減にあしらおうとか、とりあえず遊んでみようとか、そうできない不器用な真面目さ。下手なことを言って傷つけなくて済んだと安堵する優しさ。こういうところは、格好いいというより可愛らしいと感じる。
ジョルジュ卿の方が年上なのですけどね。
年下の……イツキ兄様と彼の関係を考えると、妹のような小娘の好意を、壊れ物のように扱っていると思うと、年上だからこそ可愛らしく思う。
そこまで柔な女ではありませんよ、と囁きそうになる。
性質の悪い女に付きまとわれたら大変に苦労すると思う。そうならないよう、やはりわたしにしておいた方がいいと思いますよ?
今期の軍子会の面々について語るジョルジュ卿の、その真面目な顔につい笑ってしまう。
「ヤエ殿?」
「すみません。やはり、ジョルジュ卿は真面目な方だなと思いまして」
やはり今期は評価が難しいですね。そう付け加えて、自分も評価を悩んでいるのだと誤魔化す。
「今期は誰が評価しても難しいでしょう。仕方ありませんよ」
「ええ、事情が入り組んでいますし、人材としても粒ぞろいですからね」
「領主一族、それも直系が参加する年ですから、各家がこぞって気合を入れますからね」
「ジョルジュ卿の年も大変でしたか?」
現在領主代行のイツキ兄様が軍子会に入った年、ジョルジュ卿も一緒だった。
そこで親友になったのだとイツキ兄様はいつも自慢している。
「大変といえば大変でしたね、ユイカ様の影響もありましたから。ただ、軍子会の中身としては、そこまで混沌としたことにはならなかったと……」
ジョルジュ卿は、慎重に言葉を選んでいるようだ。
「当時の教官殿や寮官殿から見たら、どういう評価だったかは迂闊には言えませんね。当時の自分は呑気に剣を振るってばかりでしたから」
「ジョルジュ卿が呑気だったとは思いませんけれど、立場が違えば見えているものが違いますからね」
「はい。楽しかった記憶ばかりですので、当時のお歴々には苦労をおかけしたのではないかと、今ちょっと冷や汗が」
ジョルジュ卿が、おどけた様子で肩をすくめる。珍しい、私的な彼の態度だ。思わぬところから宝物を引き出せたと、嬉しくなる。
「ヤエ殿の代はどうでした?」
「わたしの頃の話ですか……」
わたしとて領主一族だ。確かに、いくらか各家の思惑も混ざっただろうけれど、直系であるイツキ兄様やユイカ姉様とは比べ物にならない。各家の思惑……つまり子供は、二人の代に集中するからだ。
その点で、わたしの軍子会は大変に気楽なものになる――はずだった。
「わたしの軍子会時代は、ジョルジュ卿もご存じだと思うので恥ずかしいのですが……」
予想に反して、かなり荒れたのだ。
まあ、なんですか。次期領主間違いなしと思われたユイカ姉様が、クライン卿の妻になるためアマノベ家を捨てることになり、継承権の争いが面倒なことになったのです。
イツキ兄様が継承権の一位になり、わたしが二位になった……なってしまった。
イツキ兄様は軍事に強いが、政事に疎いと言われていたため、わたしの能力によっては継承権をひっくり返してもいいのではないか、とかなんとか。
まあ、大変でした。
当時の混乱に眉をしかめるべきか、それとも当時の自分の振る舞いに赤面すべきか、その、すごく困ってしまって、ジョルジュ卿の方を見られない。
「やはり、領主一族の方が軍子会に入るというのは、大変なことなんですね」
あ、大雑把にまとめて流してくれた。
優しい。素敵。こういうところが好き。
「その領主一族の方が、今回は二人もおられるのですから、倍は大変になってもおかしくありませんね」
「んんっ、そうですね。本当にそう思います」
咳ばらいをして、頬を押さえながら同意する。
あ、今わたしが赤面しているのは羞恥ではありません。好意のせいです。
「ちなみに、倍で済むと思いますか……?」
ジョルジュ卿の赤髪を見てたずねてみるが、返事は難しい顔の沈黙であった。
領主一族が二人だけなら、倍で済んだかもしれない。しかし、アーサー様は厳密には領主一族ではないし、なによりも、ジョルジュ卿と同じ髪色の子が一人、完全なる想定外の騒動の火種になりつつある。
「大変なことになりそうですね」
ジョルジュ卿の苦笑いに同意する一方、わたしはこうも思うのだ。
「でも、楽しみなことでもありますよ」
わたしの偽らざる本音に、ジョルジュ卿は少し驚いた顔を見せた後、声を立てて笑った。
「ヤエ殿の軍子会の頃を思い出します。そういえば、大変に、こうキレのある方でしたね」
「うっ……。軍子会の頃の話は、あまりしないでくださると」
グラスに注がれたワインは、あまり減っていない。それなのに、食卓の会話は軽妙な音楽のように弾んだ。




