マイカのハンバーグ記念日
【シナモンの祭壇 マイカの断章】
「おぉ~、こんなに材料と調味料がそろうなんて!」
アッシュ君がすごいご機嫌だ!
ご機嫌すぎて顔から嬉しさが溢れそうなくらい、笑顔が輝いている。
アッシュ君の笑顔は、見ているこっちまで嬉しくなってくるから、ご機嫌なのはいいことだ。
でも、アッシュ君に勢いがつくと、あたしが止められるかどうかわかんないから、ちょっぴり不安もある。
うん、気を引き締めていこう!
そんな気合の源である輝きの先にあるのは、お肉と卵、調味料である。
これらを用意してくれたヤックさんに、アッシュ君が深々と頭を下げている。
「ありがとうございます、ヤック料理長」
「なに、いつもの仕入れのついでだからな。大した手間でもねえ。お前さんの料理を見せてくれりゃ十分だ」
「それくらいお安い御用ですよ! 大したものでもないので恐縮ですが」
今日は軍子会がお休みの日。
なので、人気の少ない寮館で、厨房を貸し切ってお昼ごはん作りをする約束をしていた。
そう、今日はハンバーグの日なの!
えへへ、すっごく楽しみにしてたんだ~!
楽しみすぎて昨日の夜は……ベッドに入った瞬間に寝たね。ただ、夢にハンバーグが出た。
とってもとっても美味しそうなハンバーグだった。食べようとすると消えるんだけど。
村で作っていた時より材料や調味料が手に入るから、もっと美味しいのを作ろうってアッシュ君が言っていたもんね。
村で食べたハンバーグでも美味しかったのに、あれより美味しいらしい。たぶん、最強のハンバーグができると思う。
これはもう、今日はハンバーグ記念日にするしかないね!
「アッシュもすごいけど、マイカもすごい笑顔だ……怖いくらいだよ」
「どちらもすごく素敵な顔のはずなのに、湧き上がるこの不安はなんなのかしらね」
アーサー君とレイナちゃんがなんか言っている。
アッシュ君の笑顔は迫力があるからね。全力疾走する馬が危ないのと一緒。勢いがついている時は警鐘を鳴らして避難をかけてもいいくらいだ。
でも、あたしの方まで心配しなくても大丈夫だよ。アッシュ君みたいな勢いはつかないから安全。
でも、もうお腹ペコペコだから、アッシュ君におねだりしちゃう。
「アッシュ君、アッシュ君、早くハンバーグ作ろうよ~」
「そうですね。ミンチ作りからですし、時間かかりますからね。テキパキいきましょう」
そう言って、アッシュ君が大きなハンカチを頭に巻きつける。
これに食いついたのはヤックさんだ。大きな体を動かして、アッシュ君の頭を見下ろす。
「おい、アッシュ、それはなんだ?」
パッと見、悪い人が脅しているように見えるんだけど、ヤックさんに悪意はこれっぽっちもない。
あるのは、変わったことをするアッシュ君への好奇心だと思う。
「頭巾ですね、三角巾」
「頭巾なのは見りゃわかる」
ヤックさんに返事をしながら、アッシュ君はまな板を軽く水で洗って、包丁も軽く洗って、お肉を並べて細かく切り分ける。あたしも三角巾を頭に巻いて隣で参戦だ。
ヤックさんの視線が、あたしの方にも向く。
「ほう、なるほど……。そいつがあれば、髪の毛が手元に落ちるなんてことが少なくなりそうだ」
「ミンチを作りますから、髪が混じってしまうと面倒です。それに、厨房に入るときは身綺麗にしているつもりですけど、髪にゴミがついている時もあるでしょうし、額の汗も吸ってくれますよ」
「ふうん、そいつは便利そうだ。スープを煮込む時はどうしても汗はかくしな。頭に布を巻くくらいなら調理の邪魔にならんし、簡単だ。今度やってみるか」
「大き目の布ならなんでもいいと思いますよ。手拭いとかでもいいわけですし」
ヤックさんは感心した風に頷いているうちに、肉を大雑把に細かくするのは終わった。
なにをしたらいいのか、という風にそわそわしているアーサー君とレイナちゃんを、アッシュ君は笑顔で手招きする。
「さあ、お二人にはここからお手伝いをがんばってもらいますよ」
「うん、がんばるよ。できることは少ないけど……」
「わたしも、料理は勉強不足で、申し訳ないわ」
大丈夫、大丈夫。二人に任せるのは料理の腕なんてほとんど必要ないから。
必要なのは根気だけだよ。あたしもアッシュ君と同じ笑顔になる。
「包丁を使って、この細かくしたお肉を叩いてください。ひたすら叩いて、もっと細かくしてください。それはもう細かくしてください。それがひき肉です」
ハンバーグを作るために一番大変な作業、ひき肉作り。すっごく大変なんだよね。
村ではよく、ジキル君ががんばってくれてたなあ。
アーサー君とレイナちゃんは、ひき肉作りの大変さをまだわかっていない。それくらいなら、っていう顔をしている。
この後、ひたすらお肉を叩き続けて、まだやるの、って確認をする度にしおれていくと思う。
経験者でもあるあたしから、二人に助言するとしたら、これくらいしか言えない。
「二人とも、腕に力入れてやらない方がいいよ。手首の方でちょいちょいってやると楽だよ」
残念、二人はやっぱりよくわからないって顔をしている。明日……いや、今日の夕方かな? 筋肉痛でぷるぷるしている二人が見られると思う。
****
「アッシュ、こ、これで、いい……」
「もう、いいって、言って欲しいわ……」
案の定、二人は息も絶え絶えの様子でひき肉を作り終えた。
「う~ん、ちょっと荒いですけど、これくらいならまあ好みの範疇でしょうか。これでよしとしましょう」
「二人ともお疲れ様~」
ぎりぎりだけど良しってアッシュ君が言ったら、二人が心底助かったという顔になった。二の腕がきつかったらしく、ぷるぷるしている。
だから、手首でちょいちょいやった方がいいって言ったのに、腕全体を振るっていたからね。まあ、手首の方も手首の方で、鍛えてないと痛くなるんだけどね。
「じゃあ、お二人は休んでいてください。ここから本番ですよ」
ひき肉作りは、大変だけど下準備に過ぎない。ヤックさんもようやくかと言った風に前のめりになる。
「まず、このひき肉に調味料をあれこれと混ぜていきます。色々とバリエーションはありますが、今回は手に入るものということで、塩と胡椒にシソです」
「胡椒とシソか。肉の臭み消しだな」
「ですね。ひき肉にしましたけど、それでも臭みが気になりますし。この牛のお肉、年取った乳牛を潰したものですよね?」
「ああ。ちょっと乳臭いが、その分だけ安い。乳牛じゃなく、ただ食うためだけの牛は高いからな」
「牛さんの生育はコストがかかるので仕方ないです。そういう肉の臭み消しのためと、あと、肉の傷み防止もかねています。普通に辛味と酸味がお肉とも合いますしね」
アッシュ君がヤックさんと難しいことを話しながらひき肉をこねこねしている。
「ちょっと粘ついてきたところで、具材を追加します。マイカさん?」
「は~い! 玉ねぎは刻んでおきました!」
ひき肉作りを先に終えたからってのんびりしていたわけじゃない。
ヤックさん直伝の節約調理法、朝の調理中に葉っぱに包んで蒸し焼きした玉ねぎを、みじん切りにしていた。この火の通った玉ねぎのみじん切りを加える。
さらに、余ったパンをすり下ろした粉を、鶏さんの卵と牛乳に浸しておいたもの。アッシュ君が用意していたこっちも加えて、さらにこねこね。
この作業、気持ちいいような、微妙なような、不思議な感じなんだよね。
コネムニュ感ってあたしは呼んでいる。コネムニュ感がすごい。
「こんな感じで肉がまとまったら、一人分の大きさにまとめて、手の間でキャッチボール」
ペッチペッチとお肉の塊を右手から左手、左手から右手へと投げるアッシュ君に、ヤックさんが眉をひそめる。
「肉団子と比べると、結構でかいな。食べ応えがありそうだ……が、そりゃ遊びじゃないんだな?」
「こうすると肉の間から空気が抜けて、焼く時に形が崩れない……のだそうですよ? 私もはっきりわからないんですけど」
「ほう? 確かにそれより小さい肉団子でも割れる時はある……なるほどな」
五人分のお肉をまとめ終えて、いよいよ仕上げの段階だ! ここから怒涛の幸せタイムがやってくる!
アッシュ君が火にかけた鉄鍋の上に、牛の脂を落とす。その脂が溶けて、お鍋に広がったらお肉をドン!
ジュワーッというお肉が焼ける音は、舞台に主役が登場した拍手みたいだ。
耳が幸せになっちゃう。そして立ち上るお肉の香り、お鼻も幸せ。
この幸せの連撃に、ぐったりしていたアーサー君とレイナちゃんも復活してきた。
流石はアッシュ君、亡者神官フォルケさんも生き返らせただけあって、若い二人をあっさり立ち上がらせた。
片面をしっかり焼いたらひっくり返して、裏面も焼く。
う~ん、アッシュ君はやっぱり器用だ。あたしがやるとお肉の塊が崩れそうになるけど、危うさがない。
ひょいっ、くるっ、じゅわって感じで音が続く。
「こうやってまず肉の表面を焼きます。これだけだと内側が生焼けになってしまうので」
アッシュ君が取り出したのは、カップに入れたエール! 調理中の一番の幸せがやってくる!
「エールをお鍋の中に投入、酒精を軽く飛ばして」
お鍋に触れたエールが一気に蒸発する。それと共に、酒精のほんのり甘い香りと一緒に、美味しそうなお肉の香りが広がる。
はあ~、良い香り!
胃袋を締めつけるような、お腹を空かせる良い匂いだ。アッシュ君がすぐお鍋にふたをかぶせちゃうけど、この香りは厨房に広がって、中々消えない。
アーサー君とレイナちゃんも、思わず生唾を飲むくらいの良い香り。
「ほう、蒸し焼きか。そいつはいい考えだ。それに酒を使ったのか」
「ええ、中まで火を通すためと、香りづけ。お肉もちょっと柔らかくなる、と思いますけど、お肉を漬けこむならともかく、このタイミングで入れても効果がどれくらいかわかりませんね」
「ビール煮やワイン煮込みと同じ考えなわけか。確かにそりゃ合いそうだ」
「お肉とパンは合います。パンは麦からできていて、ビールも麦からできています。合わないわけがありませんよ」
蒸し焼きを終え、お肉の塊から立派なハンバーグとなったご馳走がお皿の上に転がり出る。ああ、見た目だけでもう美味しい!
表面についた焼き目、お皿に滴る肉汁、ふわりと舞い上がる湯気。
完璧。
最強。
さて、ここまでやって、実はまだ使っていない調味料があります。
ハンバーグを焼き終えたお鍋を、アッシュ君は再び火の上に戻した。
溢れだした肉汁と、蒸発したエールの残りが溜まったお鍋に、アッシュ君はすり下ろした玉ねぎを追加する。
ざっと炒めて、塩で味を調えて、さらに村から持ってきたハチミツをちょっと加えたら、味見をする――アッシュ君が。
「ん、こんな感じですね。これでソースもよし、と」
一つ頷いたアッシュ君が、ソースをハンバーグの上にかける。
あぁ、ただでさえ完璧で最強だったハンバーグが、無敵になってしまった。
「完成です。豚と牛のハンバーグ、オニオンエールソース……ですかね?」
そして、お皿が差し出されるのは……ヤックさん。
うん。そうだよね。色々とそろえてくれたのはヤックさんだ。一番に食べるのは誰だって言ったら、そうなるよね。
わかる。
でも、がっくりしちゃう。
「はいはい。皆さんの分もすぐに作りますからね~」
アッシュ君が、肩を落としたあたしを見て慰めてくれる――いや、あたしだけじゃないや。アーサー君とレイナちゃんも、ちょっぴり残念そうにしているもん。
「こういう味見は料理長の特権だな。お前らも羨ましかったら料理の腕を上げろ。俺より上手くなったら最初に食えるようになるぞ」
ここで変に遠慮せず、にやりと笑って食べちゃうのがヤックさんだ。
悔しい! でも、この人の腕に追いつくのはかなり大変そうなんだけどなあ。
「んむ、こいつは美味いな。安い肉だが、ひき肉にしたせいか臭みが気にならん。なにより肉汁がすごい」
「パン粉を使うのがいいみたいですよ。肉汁をパン粉が吸うのでうま味が外に逃げないんだとか。お肉の量が少なくても食べ応えも出ますしね」
「なるほど、上手く考えたもんだ」
ヤックさんの迫力のある顔が、眼光鋭くしてさらに一口頬張る。
「んむ、このほのかな甘味は、肉だけじゃなくて玉ねぎのものもある。後味がさっぱりしているのは、肉に混ぜこんだシソの酸味だ。どちらもいい組み合わせだ、肉の味を引き締めている」
さらにもう一口。
「ソースもいい。おろした玉ねぎにソースが絡んでいるから、量を加減して味の調整が楽しめる。まろやかに感じるのは、ハチミツをちょいと足したおかげか。良い隠し味だ」
一口食べるごとに、ヤックさんから味の感想が出てくる、出てくる。
その度に、口の中に涎がじゅわって出てくる、出てくる!
しかも、感想と同時にアッシュ君がハンバーグを焼く匂いが! 音が!
あ~、お腹空いた~!
「肉の味や塩気を感じるだけじゃない。口に入れて、噛んで、飲みこむまでに、段階を踏んで味わいが広がる。こいつは美味い」
そうでしょうね! 完璧で最強の上に無敵がついたハンバーグだもん!
まだ食べていないけど美味しい! 早く食べたい!
「もうちょっと待ってくださいね、マイカさん……あと、アーサーさんもレイナさんも、すぐできますからね」
「なあに、アッシュが気にすることはねえさ。文句があるなら自分で作ればいいんだ。料理をしない奴は、料理をする奴に命を握られているのと一緒だ」
ヤックさんのからかいに、アーサー君とレイナちゃんがしゅんとした。明日からの料理当番の時に、二人はがんばるだろう。
顔は怖いけど教育熱心な人だな~。
でも、あたしは料理できるもんね! アッシュ君ほど上手じゃないけど……。ちゃんと当番の時に練習しようっと。
明日からの努力を心に誓って、アッシュ君の素敵な顔と、美味しそうな料理とを交互に眺める。
やっぱりハンバーグは最高だね。大好きな物がこんなにたくさん見られるなんて、あたしとっても幸せだよ!




