水月の奥に潜む影7
【シナモンの祭壇 ケイの断章】
時は来た……!
今日、サイアスとテキトーなお喋りして、帰りに一番奥の部屋にも挨拶しようとドアをノックしたら、返事がない。
おいおい、まだ三回目じゃん?
いいの、こんなに早く当たりを引いても?
なんてにやけながらも、二人とも不在である可能性は高いと踏んで来たのだ。
今日は軍子会のお休みの日、アーサー様は領主館に帰っていて、アッシュ君は神殿に読書だってさ。
一緒に神殿に行くんだとニコニコ笑顔のマイカ様情報なので間違いない。
マイカ様の満面の笑み、可愛いのなんの……あれ、アッシュ君に向けられているんだよね。
流石のあたしでも、男連中が不憫に感じられるよ。グレンとか良い奴なだけに特にね。
ま、所詮は他人事だから、すぐに作戦に集中する。
「あれ~? 返事がないぞ~? いないのかな~?」
きょろきょろ、廊下の人目を確認しながら、ドアノブをひねる。
開いている。やっぱり、アーサー様が寝泊まりする一番奥の部屋といえど鍵はないか。
今では武官も文官も教育する軍子会だが、最初はやっぱり軍人教育のための施設だったので、個室に鍵という造りになっていない。
やんごとない方でも身の回りをきちんと自分で世話できるよう、生活指導も入るからね。
まあ、流石にプライバシーは必要だろうと、机の引き出しくらいには鍵はかかるけど、それが精一杯みたい。
ひっひっひ、これであたしの勝ちは確定ってことね。
では、いざアーサー様の衣装箪笥へ。
箪笥の上がアーサー様のものだってのは、前回にそれとなく確認済みよ。箪笥の引き出しに手をかけると、にんまりと頬が緩む。
いやいや、泥棒じゃないよ。盗んだりしないもん。
ただちょっとね、お友達の部屋にお邪魔したら留守で、商人の娘としてどんな服に興味あるのかなーって気になっただけだから。
商売上の好奇心ってやつ? まあ、ちょっと悪いことだと思うけど、うん、ちょっとだけだよ。ちょっとだけ。
それでは、拝ませて頂きましょうか、真実ってやつをねぇ!
箪笥の引き出しを引っ張り――開け、開け……開けられない!?
え、うそ、あたしの部屋の箪笥に鍵なんてかかってないよ! ここは特別扱いなの!?
うそうそ、前回・前々回とお邪魔した時にちらちら確認したけど、鍵穴とかなかったじゃん!?
今見ても鍵穴なんてないじゃん!?
作戦の破綻にあたふたするあたしの耳に、パタン、と音が届いた。
驚愕する。
混乱する。
焦燥する。
恐怖する。
今の音はあたしが出した音じゃない。後ろから聞こえた。
なんの音かといえば、ドアの音だ。
そんなバカな。部屋に入る時、ドアは閉めたはずだ。
ということは、ということは、音もなく誰かがドアを開けて、今音を立ててドアを閉められたのだ。
誰か、後ろにいる。
ノックはなかった。
それはつまり、あたしみたいなお客ではなく――凍り付いたかのような体で、恐る恐る、後ろを振り返る。
「その箪笥、鍵穴が隠されているタイプなんですよ」
この部屋の正当な住人が、いつも通りの穏やかな声で、丁寧な口調で、笑っていた。
「残念でしたね、ケイさん」
全てお見通しだと笑う赤髪の悪魔は、手に小鉢を抱えている。
なんだそれ、と思うが、今はそれどころではない。
今のあたしは、どこからどう見ても不審人物で、控え目に見ても泥棒だ。
寮監のリインさんにチクられようものなら、即刻追い出される。実家にもどんな罰が与えられるか。
「ア、アッシュ君、お話を、お話を聞いて頂けませんかっ! これはその、色々と事情がありまして……っ」
即行で下手に出る。
土下座くらいいっくらでもするから、ここは一つ何卒穏便に……!
「このままお話しするのもなんですから、そちらにお座りください」
「い、いえ、あたしは床にでも座りますので、お、お気遣いなく……」
「それでは私が話しづらいですから、どうぞ、椅子へ」
アッシュ君――否、生殺与奪を握った神にも等しいアッシュ様は、アーサー様用の椅子をあたしに勧めながら、自分の机に小鉢を置く。
あの、その小鉢、中身がめっちゃ毒々しい色をしてるんですけど……?
「椅子へ、どうぞ」
あ、これ、あたしを椅子へ座らせる必要があるんですね。
礼儀とか力関係がどうってことじゃなくて、座れっていう命令でしたか。
はい、座ります。
小鉢の中身にびびりながら、椅子に座らせて頂く。
それを見たアッシュ様は、ようやくあたしに話しかけ――たりはせず、なぜか部屋の隅に置かれていた木箱を手に取る。
なに? アッシュ様、なにしてるの?
ていうか、その木箱、ひょっとしてネズミ捕りじゃない?
マジで一体なにが起きるの!?
全然わかんないけどヤバイ。
なんかヤバイ。
絶対ヤバイ。
このままじゃダメだ。な、なんとか許しを請わないと!
「あ、あのですね、アッシュ様……なぜ、あたしがこの部屋にいたのかと言いますと……」
「こちら、中にネズミが入っていまして」
あ、はい。
発言は許可されていませんでしたか、はい。
それから、やっぱりそれ、ネズミ捕りなんですね。なんで?
「名前はモルモット二十九世です」
へ、へえ? 由緒正しいお名前なんですねぇ?
ネズミがなんでそんなに何世代も継いだ名前してんですかねえ?
二十八世までのネズミはどうなったんですかねえ!?
「気になりますよね?」
ありとあらゆる点が気になりまくるのでガクガク頷くよ!
「ええ、ええ。気になりますよね、わかります。どうしてこうなのか? ひょっとしてこうなのではないか? 一度気になってしまうと、確かめずにはいられない。人間の性と言って良いでしょう」
アッシュ様が木箱の蓋を開けて、モルモット二十九世をむんずと掴む。
「真実の探求……なんとも甘美な果実です。多少の手間も多少の浪費も、真実の前にはまるで気になりません」
困ったことですと、呟くアッシュ様の声は静かだった。
けれど、小鉢の中の液体を小さな木さじですくって、ネズミの口の中に無理矢理押しこむ手つきは、決して優しくない。
それ飲んで大丈夫かモルモット二十九世――!?
あたしがドン引きしてアッシュ様の顔を見ると、にっこりと微笑みが返って来た。
ヤバくない?
声と、表情と、行動が、一致していない!
あ、泣きたくなってきた。
ヤバイヤバイヤバイ。
今、あたし人生で一番びびってる。
「モルモット二十九世も、真実を求めてこの木箱に飛びこんで来たんでしょうね。餌の匂いがする。餌が中にあるかもしれない。確かめたくて仕方ない。そして今は、罠の中」
いや、ネズミそこまで考えてないでしょ。絶対に食べ物に釣られただけだよ。
真実とかそんなん考えてないよ。腹減っただけだよ。
つまり、それ……ネズミじゃなくて、あたしのこと言ってる?
あたしが、真実とやらを求めて嗅ぎまわって、今は罠の中ってこと?
あははは。ヤバイ。
ヤバすぎて笑えて来た。
傍目にはアッシュ君のキラキラ笑顔にあたしも笑い返しているように見えるだろう。
タスケテー。
「そろそろ効いて来たみたいですね」
アッシュ君が、モルモット二十九世を机の上に置く。
当然、変なものを無理矢理飲まされた二十九世は、一目散に悪魔から逃げると思ったんだけど……。
二十九世は、バタバタと足を動かして、その場を回り始めた。
しかも、ちゃんと立てていない。後ろの右足に力が入らないらしい。
だから全力で逃げようとしても、空回りしてその場をグルグル回っているだけなのだ。
「あ、あの、アッシュ様ぁ……これ、あの……なん、ですかぁ?」
なにこれ。
あたし、なに見せられてるの。
あたし、これからなにされるの!?
「これも真実の探求ですよ。私、村にいた頃から薬について調べていまして、これは麻酔というものの再現を目指しての動物実験になります。なにせ強い毒を使う危険な行為なので、分量を間違えるとすぐこんな風に――」
アッシュ様が見下ろす先、二十九世が動かなくなった。びくびく痙攣して泡吹いてる。
モルモット二十九世――!?
「こうなってしまうと、ダメですね。残念ですが今回も失敗のようです。真実の探求にご協力を頂いたモルモット二十九世の命に感謝し、その名を三十世に継がせましょう」
ひっ、アッシュ様の目が!
目がじっとあたしを見てる!?
あたし!? あたしが三十世!?
二十九世まだ生きてるよ、アッシュ様!
三十世の襲名はまだ早いよ!
がんばれ二十九世!
「本当に、真実の探求とは甘美なものですね。その前では、多少の手間も、多少の浪費も……多少の不道徳だって、無視されてしまうのですからね」
「どっ、どど、道徳は! とととっても、大事だと思いましゅぅ……!」
「そうですね。道徳は大事ですね」
アッシュ様が、ちらりと衣装箪笥を見る。
はい! あたしも不道徳でした!
アーサー様女性説の真実を確かめるためとはいえ、やっちゃいけないことしました!
「ええ、お互いに気をつけましょうね。時には、探求してはいけない真実というものがあるのです。特に、隠された真実には、隠されている理由があるのですから」
「はひっ、よく、わかりまひたぁ……!」
もうアーサー様については探求しません!
だから、三十世は、モルモット三十世だけはマジ勘弁してください!
「ケイさんが道徳を重んじる人でよかったです」
助かった!?
あたし、これ助かった!?
「ああ、もし、あなた以外でそんな人がいたら、こっそりと止めてくださいね。無理ならご報告ください」
「はひっ、ご報告しましゅ!」
命が助かるなら軍子会の同期連中の情報なんざ安いもんじゃん!
だって、そいつらアーサー様が隠している真実を探り出そうなんて不道徳な連中なんでしょ?
そんなの仲間なんて呼べないよね!
「では、ケイさん、これから末永くよろしくお願いいたしますね」
末永く……命が助かったと思うべきか、これからこのおっかない悪魔とお付き合いが続くのかと思うべきか。
どちらせにせよ、あたしに選択肢はないよね。
「こちらこしょ、おねがいしましゅ……」
あのぉ、お話は、以上でよろしいですか?
じゃあ、その、お手洗い行かせてもらっていいですか……。
笑い話のオチだと思ってたんだけど、人って本当に、恐怖でこうなるんすね。




