水月の奥に潜む影5
【シナモンの祭壇 ケイの断章】
そして案の定、アッシュ君への嫌がらせは即座に始まった。
それに対し、あたしとサイアスを筆頭にした、穏便に有力者にアピール(これ普通の考えだよね?)したいグループは――なにもできなかった。
あたしらに力なんてなかったのだ。
無念……!
結果、アッシュ君がぼろぼろになった――とか、そういうことは一切ない。
それどころか、嫌がらせが一個も通用してねえ!
君って奴はそれどうなのよ!?
「アッシュ君が強い」
食堂での情報交換会、サイアスが机に突っ伏して漏らす。
「強すぎじゃない? 領都の石壁かよってレベルじゃん」
頬杖ついてあたしも漏らす。もうサイアスの前じゃ猫被る気力もないわ。
あたしら仲良し苦労人。
基本的に、アッシュ君は動きが早い。
こっちにいると話を聞いて行ってみれば、あっちに行ったと証言が得られるのだ。
実体は見えない。
「しかも大抵、誰かといるんだよ。寮内だとアーサー様とかマイカ様が大体一緒だし」
「外に行くって言ったら神殿だし、そこでヤエ様とお話してるよね。あとはジョルジュ卿もか」
「そういや知ってるか? この間、ヤック料理長と買い出し行ってたらしいぞ」
そろいもそろって権力者である。
そんな方々が楽しそうに、あるいは真剣に話し合っているところへ行って、アッシュ君への嫌がらせをできるか?
できるわけないし、やったら怒られるだけだ。
アッシュ君の強いところ。
まず、嫌がらせをする隙がない。
「しかもアッシュ君、めっちゃ頭良いじゃない。あたし、お店でお金の計算もしてるんだよ? 計算は得意分野のはずなのに……アッシュ君の方ができる」
「武芸も弱くないんだよなぁ……。基本ができてるっていうか、マイカ様と打ち合ってるの見るとすごいよな」
アッシュ君の強いところ。
文武に隙がない。
まあ、武芸の方は強いってほどじゃないんだけど、それでも十分。
少なくとも、アッシュ君を見下そうとしたら上位に食い込む腕前が必要だ。
モとルとドの奴が、武芸訓練の時に勝負しかけて引き分けにされてやんの。
ムキになって攻撃しまくって疲れ果てていたのが仕掛けた方、防戦に徹して爽やかに汗を拭っていたのが仕掛けられた方。
実質返り討ちだよね。
「おまけに陰口をさらりと受け流すほど大人……!」
「心が丈夫すぎる……!」
直接できないなら粘着陰口攻撃だとばかりに、アッシュ君の悪口がはびこっているので、あたしとサイアスは誰が言っているかチクってみたのだ。
『羽虫の種類にさほど興味ありませんので、大丈夫ですよ。でも、ご心配ありがとうございます。そちらもお気をつけくださいね』
哀れ、陰口は虫の羽音として処理されたのだ。
アッシュ君の強いところ。
心に隙がない。
ちなみに、アッシュ君のそばにいるアーサー様やマイカ様、レイナさんの耳にも当然陰口は聞こえて来ていて、そちらの方は大変お怒りのご様子だ。
『下品』『最低』『卑怯』
綺麗な顔をしている三人が、それぞれの恐い顔で評していた。
アッシュ君の強いところ。
グループに隙がない。
「最強じゃん」
「最強だよ」
幸いなことに、陰口をチクった件で、あたしやサイアスはあのグループから味方だと思われていることだ。
敵にならなくてよかった。
そう思えば、この情報交換会は決して無駄ではなかったのだ。
本来の目的はなに一つ果たしていないにしろ、決して無駄では……。
でもやっぱり納得いかねえ!
「あ~~~! もうちょっと上手くいくと思ったのにぃ!」
「気持ちはわかるけど落ち着けよ」
「今のメンタルで落ち着いたら落ち込むぅ!」
「俺はもう落ち込んでるからお前も落ち込め」
ぐわあ、まだ無事なあたしの足を掴もうとするなぁ!
「なにか、なにか良い情報ないの、サイアス!」
「あったらとっくに話してるか試してるわ」
「ええい使えない!」
「ひでえ! じゃあそっちはなんかあるのかよ!」
「あったらとっくに使ってから話してるわぁ!」
「一緒じゃねえか!」
バカ!
あんたは「話してるか試してるか」で、あたしは「使ってから話してる」でしょうが!
あんたは優柔不断だけど公平で、あたしは賢い悪党!
って、誰が悪党だ!
「んん~! なんかないの? 小さいことでもいいからさぁ!」
「小さいことねぇ……。アッシュ君の朝夕の稽古?」
本当に小さいわね。
「なんか、アッシュ君が朝夕に庭で稽古してんだよね。大抵マイカ様も一緒だけど、時々一人でもいるからほぼ毎日」
意外といえば意外だけど、あの武芸の腕を見れば納得でもある。
てか、マイカ様もその時間に出て行くの、アッシュ君と稽古するためだったのか。
「だけど……アーサー様が領主館に帰った日はやってない感じだから、ちょっと変だなって」
それ聞いてどうしろって…………朝夕に、アーサー様が部屋で一人?
アーサー様が寮にいない日は、アッシュ君も部屋にいる。
それって、アーサー様を一人にしなきゃいけない理由があるってこと?
朝と夕に? 着替えの時間、だよね?
……いやいや、まさか。
まさか、そんな。
いやでも、アーサー様、何度見ても美少女に見えちゃうんだよね。
そんなはずないんだけど……いやまさか、まさかねぇ?
――でも、そのまさかだったら、この勝負、あたし勝てるんじゃない?
****
今浮上する禁断の真実、アーサー様女性説……!
突拍子もない思いつきだが、考えてみれば「ありでは?」と思えてくるから不思議だ。
第一に、本人がめちゃくちゃ可愛い。
あたしより可愛いと思ったあの衝撃、忘れられない。
できれば男子じゃなくて女子であってくれ、とあたしの中の女のプライド的なものが吠え猛っている。
わんわんがおー。
次に、同室が謎の人物アッシュ君だってこと。
やっぱりあの子、サキュラ家の信任厚い一族の子供なんだって。
辺境伯様のご子息の相部屋に、ただの農民の子がなれるわけないって。
軍子会への登録の順番? そんなのこっそり弄ったってわかんないんだから、例えば騎士家の出で真面目一徹のグレンとか、相部屋に相応しいでしょうが。
以上の二点から、アーサー様女性説が見えて来る。
アッシュ君は、男の子のフリをして寮生活をしなければならないアーサー様の補助として、相部屋に当てられたのだ。
きっと、寮監レイナさんやヤック料理長、座学担当のヤエ神官、軍事担当のジョルジュ卿もグルだろう。
アーサー様のために、がっちり連携を組んでいるのだ。
じゃなきゃ、ただの農民の子がこの面々と仲が良いのはやっぱりおかしいって。
あたしだって無理なんだから。
この理論の唯一の弱点は、「なんでわざわざ男の子のフリなんてしてんの?」ってところだろう。
あたしの答えはずばり――知るか、そんなもん。
きっと海より深く、山より高い事情があるんだよ。
貴族だもんね。そういうこともあるある。まあ、貴族ってのも外から見ただけしか知らないけどさ。
で、真実を確かめるために、あたし・ケイは勇猛果敢に突撃を仕掛けるのだった……!
廊下の向こうからやって来るアーサー様!
隣にはアッシュ君、今日も楽しそうに二人で談笑してらっしゃる!
あたしは角に隠れて突撃準備!
タイミングを計って、三、二、一……タックルだぁ!
名付けて、曲がり角の衝突から芽生える真実作戦。
体が密着しちゃって普段アウトなところに手が触れてしまっても、事故なら仕方ないよね。
アーサー様が本当に男の子だった場合、お嫁に行けなくなりそうな下半身はスルーして、目標は胸だ。
まあ、抱きつく形でいくから、全身の感触で大体わかるでしょ。
胸には顔から行く予定。
どうよ、この完璧な作戦!
このタックルで真実を抱きしめてやるぜ!
「おっと、危ないですよ」
ところが、ここで完璧な作戦が、完璧だった作戦に書き換えられてしまった。
突撃先のアーサー様の細い体、それをアッシュ君が抱き寄せたのだ。
ひょいって感じで。
「ひゃ!?」
「ぎゃ!?」
前の可愛い悲鳴が、抱き寄せられたアーサー様の声。
後のひどい悲鳴が、目標を失って倒れたあたしの声。
……泣くよ?
「ケイさん、いきなり曲がり角から飛び出してはいけませんよ。危ないですから。リイン寮監が見たらなんと怒られるか」
あ、はい、ごめんなさい。
ほんと、仰る通りです……。
ほんと、ごめんなさい。手まで差し伸べてくださって、はい、ほんと、反省します……。
曲がり角の衝突から芽生える真実作戦、大・失・敗!
でもさあ、肩抱き寄せられてるアーサー様がさぁ、恋する乙女にしか見えないんだけどさぁ?
これってアーサー様女性説の証拠にならない?
ならないよねぇ。
よっしゃ、次行ってみよう!




