灰の底24
春迎祭も過ぎ去り、村人はほとんどが生真面目な農民に戻って、畑で過ごす。
一部の例外である猟師と養蜂家は、森に分け入って仲良く過ごしているようだ。
さらに一部の例外である私は、ターニャ嬢から引き継いだ畑での実験にいそしんでいる。今回の実験は、コンパニオンプランツの使用だ。
コンパニオンプランツというのは、畑の近く、あるいは作物と一緒に植えると、利益をもたらす植物を指す。
わかりやすい例でいえば、害虫が嫌う成分を持つ植物を畑に植えると、大事な作物に虫が寄りつかないのだ。
畑の近くに生えている花の一つが、植物図鑑によるとそうした効果を持っているらしい。こんな気づきやすい場所にあって、なぜ利用されていないのだろうか。
この花は、「畑の守り神」として扱われている。
知恵の神である猿神様が、畑を守る魔法を花にかけているという伝承があるためだ。
つまり、畑に良い効果があることは知っているのだ。ただ、「畑の近くに咲いていればそれで良い」という認識で停止しており、より有効に活用ができていない。
この件は、古代文明の知識が「畑の守り神」と形を変えて、伝承として残っていた事例と思われる。
ひょっとすると、神様の逸話の中には、そうした古代文明の知識が色々あるかもしれない。今度からは、神話や伝説を頭から空想と思わず、何か知識が隠されていないか注目しよう。
今世は、知識の迷宮が中々手強い。
いや、前世でも、研究者の方々はこうして日々探究しているのだろう。私は踏破済みの階層を地図ありで歩いていただけだから、今世が手強く感じるのだ。
フォルケ神官への報告事項をまとめながら、私は花の配置を区画ごとに変えて植えていく。
「アッシュ君、これで良い?」
「ええ、大丈夫ですよ。ばっちりです」
私の隣では、手伝いに来てくれたマイカ嬢が汗を流している。
私が紙に記した通り、丁寧な手つきで土をいじくってくれるので、大変助かる。このレベルの作業でもできない人の方が多いことが、農村の問題だ。
「ありがとうございます、手伝っていただいて」
「これくらい当然だよ! 病気の時に助けてもらったし、なんでも言って!」
マイカ嬢は気合の入った笑顔で、力強く頷いてくれる。
「それに、お母さんも、アッシュ君のすることを手伝いなさいって言ってるから」
「そうですか。たくさんお世話になって恐縮ですね」
「アッシュ君からお世話になってることの方が、いっぱいだと思うよ?」
「とんでもない。私はやりたいことをやっているだけですし、私一人ではできないことばかりです。助けられているのは私の方ですよ」
村全体の利益になっていることは、私もわかっている。
だが、結局のところは、私がやりたくてやっていること、つきつめれば私のわがままだ。そのことを決して忘れてはいけない。
苦労はしている。
成果もあげている。
感謝もされている。
しかし、根本的には、私の個人的な夢のための行動であり、その手助けをしてくれる人は、利害が一致しているとはいえ、私のために協力してくれているわけではない。
だからこそ、私は感謝の気持ちを持つべきだ。
そうしないと、勝手に思い上がって、勝手につまずいて、勝手に失敗することになる。
いつかユイカ夫人に告げたように、聖人君子ぶるつもりはない。ただ、聖人君子に似た振る舞いが、一番効率が良いようだ。
花を植えつつ、自分の言動を改めて評価していると、隣のマイカ嬢が手を止めて私を見つめていた。
「マイカさん?」
「あ、う、ううん! ただ、その……やっぱり、すごいなぁって……」
どこか潤んだ目で、マイカ嬢が私を褒めてくれる。砂埃でも目に入ったのだろうか。
「私も、アッシュ君に負けないようがんばるからね!」
「目標にして頂くなんて光栄です。では、私もマイカさんの目標に相応しいよう、がんばらないといけませんね」
向上心のあるマイカ嬢に刺激を受けて、私も微笑み返す。切磋琢磨する友人とは、心地いいものだ。
二人で仲良く談笑しながら土いじりをしていると、甲高い金属音が村に響いた。
マイカ嬢の表情が、さっと変わる。
「今の……」
「非常用の鐘ですね」
村に備え付けてある、緊急事態を告げる鐘の音だ。
鐘は、森の野獣や盗賊の襲来、また火事などを報せるために設置されている。
子供達の中には、悪戯で鳴らそうとする者が必ず出るが、一度でも鳴らせば二度と近づかないほどに叱られる、大事なものだ。
鐘に気づいた村人達が、次々に家や畑から飛び出し、神殿教会へと急ぎ足で向かい出す。鐘の音が鳴った場合は、まずそこに集まるよう決められているからだ。
道中、村人達が顔を合わせて、どうして鐘が鳴ったのか情報を伝達していく。
「今回はなんだ、盗賊の類じゃないだろうな。村長がいない今、盗賊はまずいぞ」
「いや、どうも熊らしいぞ」
「熊か。盗賊よりは大分マシだな……誰か襲われたのか?」
「それは大丈夫だ。山菜取りに行った子供達が、遠くから熊を見かけて、慌てて戻って来たらしい」
思ったより状況が軽いことに、ひとまず村人達に安堵の色が見える。
だが、楽観はできない。最悪ではないが、悪い状況には違いがないのだ。
「熊が相手ですか……。マイカさん、先に教会に行っていてください。私は一度、家へ寄ってきます」
「え? え? そ、それなら私も行くよ!」
「いえいえ、それには及びません。というより、先に教会へ行って、私が自宅へ寄って支度してから来ることをお伝えください。行方不明だと思われると、ほら、去年の遭難の時みたいに、知らないうちに葬儀が整えられてしまいますので」
安心させようとして口にした冗談だが、逆効果だったようで、マイカ嬢が泣きそうな顔をする。
「あ、いえ、冗談ですよ。ただ、私の家には狩りに使う槍と弓、それに毒がありますからね。それを用意して教会へ行った方が良いと思うのですよ」
おり悪く、バンさんとジキル君は、先日森に入ったばかりだ。運よく、すぐに獲物を捕らえたとしても、明後日までは帰って来ないことになる。
ということは、今この村で、狩りの技術と道具を持つのは私一人ということになる。
「大丈夫ですよ。私はバンさんの一番弟子ですからね。熊の扱いも教わっています」
「そ、そうかもしれないけど」
「マイカさんは皆さんと一緒にいて、騒がないようにお知らせして下さい。熊を必要以上に興奮させなければ、精々倉庫の食料を漁られるだけで帰っていきますから。大事な役目ですよ」
実際は、何度か熊や猪が村に出没した経験があるはずなので、村人達もわかっている。教会へ向かう道中も、比較的声を抑えているのがその証拠だ。
私の意見は、マイカ嬢を納得させるための方便だ。私一人なら熊と遭遇しても何とかするし、できなかったとしても仕方ないで済む。
けれど、それに村長家の大事な一人娘を巻き込みたくはない。
まだ私についてきたそうなマイカ嬢の肩を押して、それだけはさせまいと私は強い口調を使う。
「良いですね、教会で皆さんにお知らせするのがマイカさんの役目です。お願いします」
「う、うん……アッシュ君も、すぐ来るよね?」
「もちろんです。マイカさんを、熊から守らないといけませんからね」
再び安心させようと、今度は冗談ではなく、きざったらしい台詞を選んでみた。効果はあったようで、マイカ嬢は真っ赤になって聞き分けてくれた。
私の内心としては、鳥肌が立ちそうなくらいベタで照れ臭いのだが、女性視点では中々に嬉しいものだったようだ。
まあ、相手にもよるのだろうが、その点、私は一応合格点には乗っていたようだ。少し嬉しい。
「では、行ってきます」
「絶対だよ、絶対すぐ戻って来てね! あと、気をつけて!」
私は駆け出しながら、了解の代わりに手を振って応えた。