右手の人差し指3
【シナモンの祭壇 ダーナの断章】
武芸訓練の時間、素手で戦わなくちゃいけない時にどうするか、というのが今日の課題だった。
つまり、わたしの得意分野だ。
得意なので、わたしはどっちかっていうと教える側になった。
そういったことを教わっていない第二陣の人達の前に立って、さあかかって来いと受け止める役である。
「あ~、ダメですよ~。慣れてない人がグーパンしたら、手を痛めちゃいますからね」
で、そうしたらまあ、ひどい。
いや、習ったことがないとこうなるんでしょうね。
これが普通なのねーと、やる気満々に握り拳を作って不思議な動きで突っ込んできた子を、手首を取って受け流す。
「素手で戦わなくちゃいけない時は、掌で打つ方がいいです」
言葉だけではわかりにくいだろうから、こんな感じですよ、とお腹に軽く掌底を当てる。
「ぶぎゅえっ」
肩を叩くような強さにしたつもりだったんだけど、相手の子が面白い声を上げて蹲った。
おかしいわね、力加減を間違っちゃったかしら。
「ごめんなさい。思ったより強く当たっちゃいました?」
「い、いやぁ、強いとかそういうんじゃなくて、反撃されるって聞いてないです……」
「ああ、見本を見せた方がいいかと思って……驚かせてしまって、ごめんなさいね」
強く当たったというより、びっくりさせてしまったみたいだ。
それはまあ、打たれると思っていなければ、軽く触るだけでも効くわよね。
「でも、ダメですよ。相手を攻撃しようと思ったのなら、相手から攻撃されると覚悟しないと」
「ええ……初心者の、こういう練習でも、その覚悟って必要なんですか?」
はい。
そうとしか答えられないので、そうとだけ答えたら、相手の子もハイと答えてくれた。
引きつった顔してどうしたの? そんなにお腹、痛かった?
「えーっと、ケイさんでしたね? ちょっとお休みします?」
「い、い~え~、落ち着いたらそんなに痛くはなかったので、できると思います。残念なことに……」
「そう、それはよかったですね~。では、続けましょう」
「残念なことにっ!」
よかったですね~と繰り返しながら、ケイさんのお相手を優しくじっくりと務めてあげました。
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「ダーナさんってほんとにあれですね。なんか言われていることに納得しました」
最終的に関節を極められるとどうなるかを教えてあげたら、ケイさんと打ち解けることができた。
「言われていることって?」
「見た目詐欺ってやつですよー。お耳に入ってますよね?」
打ち解けているから、わたしにそんなこと言ってくるのよね? それ、男子は悪口のつもりで言っているのよ?
ケイさんこそ、可愛い顔して良い度胸してるわねえ。
別にいいんだけど、詐欺って言われる割にはさっぱり儲からないのはなんでかしら。
お小遣いがちっとも増えない。お砂糖を使ったお菓子、もうちょっと食べたいのに。
「ちなみに、ケイさんは、いかほどわたしに騙し取られたのです?」
「あははー、わたしは右手の骨なんぞを一本二本ほど」
「骨だと、お金になりませんね~。詐欺して損しました」
「あははー」
あははーの笑い声の調子が、ずいぶんとこう、色々下がった感じがする。
「やあ、ダーナさんの見た目は立派な凶器ですよ。可愛らしくてふんわりふわふわして見えるのに、動きがめっちゃ速かった。予想外すぎてびっくりしましたよ」
軍子会でも無事、見た目詐欺と言われ始めたダーナです。
そんなにわたし、見た目は優しそうなのかしら?
お世辞なんて言えそうもないレイナちゃんが、ダーナは可愛らしいわね、と言ってくれるので、ある程度はそうなんだとわかってはいるものの、詐欺呼ばわりされるほどなのかと毎度思う。
「可愛さならレイナちゃんの方が、わたしなんかよりずっと上じゃないですか? それこそ世界樹の上くらい?」
「あー、レイナさんも確かに可愛いと思いますけど……う~ん、レイナさんは綺麗って感じですかね? ほら、こうキリっとしてるっていうか、真面目~な人じゃないですか? 可愛いっていうより綺麗系の魅力、みたいな?」
うんうん。ケイさんはよ~くわかっている。
レイナちゃんは、とっても真面目な良い子ちゃんだからね。そこを綺麗だと感じるのか。
もちろん、レイナちゃんは綺麗だ。
「でも、そこがレイナちゃんの可愛いところだと思うんですけどね~」
あの一生懸命になって真面目であろうとするところが、とっても可愛いと思う。
たくさんの我慢を押し隠して、あの澄ました顔をしているんだと思うと、抱きしめて頭を撫で撫でしてあげたくなる。
そんなことしたら、レイナちゃんが立場上困っちゃうから、絶対にやれないけど……。
レイナちゃんは、わたしの、バティアール派閥のお姉様なんだものね。
ちょっと残念。
溜息をつくと、ケイさんがほへーって顔で呟く。
「ダーナさんって、大人なんですねえ」
「え~? わたしが? どこが?」
「だって今の、なんだかレイナさんのお姉さんみたいでしたよ。真面目なところが可愛い、とか。年上っぽい褒め方ですし」
お姉さんみたい。
わたしの中で、それはとびきり変な言葉だった。まるで真昼間に月が昇ったような場違いな台詞だ。
「ないわ~。それだけはないわ~」
わたしが大人っぽいところなんてどこにもない。
今だってほら、ケイさんが意外なことを言うから、言葉遣いがあっさり崩れた。ちゃんと年月を積んだ大人なら、こんなことにはならない。
そういう大人になろうとしているレイナちゃんなら、すぐに自分を叱咤して気持ちを持ち直す。
まあ、よく食べよく動いているから、体の発育なら多少? でも、それくらい。
レイナちゃんのお姉さんみたいに見えるところなんて、わたしの内のどこにもありはしない。
「そうですか? でもほら、レイナさんが空回りしそうな時に手助けしてますよね? うるさい男子をレイナさんが叱る時も、ダーナさんが一言添えた方が効果あったりとかして。あれ、大人っぽいなー、ちゃんと人の上に立つ勉強してるんだなーって感じしますよ」
「あ~、あれ。あれでそう見えるのね~」
とんだ勘違いだった。
思わず、鼻で笑ってしまうくらいに間違っている。
怪訝な表情になったケイさんに顔を寄せて、いいことを教えてあげる、と囁く。
「そもそもだけど……わたし、と~っても悪い子なのよ」
レイナちゃんをお姉様と心の中で慕い始めて、もう数年。
未だにお姉様みたいな良い子ちゃんにはなれていない。それどころか、まるでなれる気がしない。
逆に、わたしはどんどん悪い子になっていっていると思う。
「わたしは悪い子だから、他の悪い子をわざわざ叱って、自分が嫌われてまで更生させてやろうだなんて、そ~んな良い子ちゃんなこと、頭の中にないの。これっぽっちも、そんな気ないの」
お姉様のようにあっちもそっちも面倒を見てやろうなんて気持ちは、ちっとも湧いてこない。
言うことを聞かないならそのまま落ちて行けばいいし、ムカつくからむしろ蹴落としてやる。
そういう気持ちならいくらでも湧いてくる。
「わかる? わたしが、レイナちゃんの後に乗っかって一言を添えているのは、叱っているわけじゃないの。あれね、脅してるの。さっさとリイン様やその上にまで告げ口して、追い出してやりたいでしょう? 邪魔だものね」
軍子会から追い出されたら、そいつの将来は一体どうなることやら。
わたしが笑うと、ケイさんも笑い返してくれた。それが引きつった愛想笑いなので、わたしがどれだけ悪い子か、ちょ~っとだけわかってくれたらしい。
わたしの一言に効果があるのは当然だ。本気なんだもの。
レイナちゃんは態度をきつくしても、やっぱり優しいから、「なにをしたって見捨てない」ということがなんとなく伝わってしまうのだろう。
叱られる側に、理想的な身内に対するような、謎の信頼をされている。
その優しさは、わたしの言葉のどこにもふくまれない。
レイナちゃんと違って、わたしにはどうしても、ふくませることができない。
「大人っぽさには、色々あるかもしれないけど……こんな器の小っちゃい自分のこと、わたしは大人っぽいとは思えないわねえ」
他人のわがままを許していないのだ。
気に入らない他人を放り捨てているのだ。
限られた少ない相手だけに集中しているのだ。
わたしが持っている器は、底の浅い一人用。
あっという間に水が一杯になるから、苦労もなく水を飲める。
その代わり、すぐそこで誰かが渇きに苦しんでいても、分け与える余裕はない。
「ケイさんも、気をつけた方がいいわよ。あなたが悪い子になったら、わたしなんかす~ぐ見捨ててしまうから」
「ア、ハイ、ソーナンデスネ、キヲツケマス……」
「うんうん、よ~く気をつけてね?」
まあ、わたしが見捨てたところで、器の大きなレイナちゃんが拾うだろうけど。
底の深い何十人分も汲める器を持っているお姉様は、その大きさに見合った苦労をして水を溜めている。
それを、他の人に分け与えることができるようにと、自分の得にはならないだろうに、必死になっている。
わたしにはとても真似ができない。
自分の苦労を他人のために背負いこむだなんて。
本当、お姉様ったら、自分の特別を他人に与えてくれたあの頃と、ちっとも変わらない良い子ちゃんなんだから……。
悪い子のわたしには、それが誇らしい。
「あ~あ……」
溜息と一緒に、苦笑いが溢れてしまう。
「お姉様がもうちょ~っと悪い子だったら、わたしもこんな苦労しなくて済むのにな~」
ちょっと一癖ありそうなケイさんの面倒を見てみたり、問題起こさないように釘を刺しておいたり。
ほ~んと、器の小さなわたしならやろうとも思わないんだから、もう……。
でも、しょうがないわ。
お姉様が当たり前にやる気なんだもの。
わたしもちょ~っとだけ手伝う。
お姉様は、わたしにとって特別だからね。




