右手の人差し指1
【シナモンの祭壇 ダーナの断章】
見た目詐欺、と言われることがある。
割と、よくある。
多分、わたしの顔、垂れ目がちなところが、なんとなく穏やかそうに見えるんでしょうね。
あと、髪質がふわっとしていて、軽い巻き毛であることも、なんとなく柔らかい印象を与えていそうだ。
それと、わたしの喋り方。のんびりというか、ゆったりというか、聞いていて眠くなるテンポなんだそうだ。
周りの友達からそう言われる。
足して合わせると、わたし・ダーナは、他人から見るととてもおっとりした女の子に見えるようだ。
わたし、下にやんちゃ盛りの弟二人いますけど?
生意気な弟に姉を敬う心をしっかりと叩きこんでいますけど?
家の中での立場、お母さんに次いで二番目のつもりですけど?
そんなわたしがおっとり?
うん、まあ、ある意味そうかもしれない。
「お姉様は喉が渇いたなー」って呟けば、弟が気を利かせて飲み物を持って来てくれるもの。下っ端と違って、偉い人はゆったり構えているものですよ、ええ。
ほら、おっとりしてる。
んまあ、そう思われることは悪くはない。
たまに、「はあ~? わたしのこと舐めてんですか~?」ってイラッとすることはあるけど、悪いことばかりではない。
だって、舐めてかかってくるから、とてもぶっ飛ばしやすい。
「ん~?」
寮館の食堂までの廊下、後ろからやって来た足音が急に速度を落としたなと思って振り返ろうとしたら、スカートの中にふわっと風が吹きこんできた。
同時に、横を男子が駆け抜けていく。
ニヤニヤと笑う顔が振り向いて、ダサイ。
スカートめくりだ。
こんのスケベ男子ども。
まあ、めくってきても太股ちらり程度。
下着が見えるほどまくりあげてこないところは、最低限の良心があるような――いや、ないよね。単に、そこまでやる度胸がないってだけでしょ。
通りすがりに風が起こってまくれただけだ、とか言い訳ができるところで手を止めているのだ。
はあ~。
でっかい溜息が漏れる。
淑やかさと反対のこの振る舞いは、レイナちゃんが見たら眉をひそめるでしょうね。
ダーナさん。気持ちはわかるけど、淑女として今のはどうかと思うの。
嫌がらせに悲鳴を上げる必要はないけれど、だからといって大きな口を開けて溜息だなんてはしたないわ。
あなた、せっかく可愛らしい顔をしているんだもの。わたしみたいに可愛げのない態度を取る必要はないのよ?
う~ん、耳の奥にできたタコから、心のお姉様レイナちゃんのお説教が聞こえてくる。
でも、しょうがないでしょ。
だってスケベ男子どもときたら、やってることも、やり方も、せこくてしょうがない。本当にもう……。
――てめえ、絶対に、絶対に、許さんぞ~。
腰を落とし、床を蹴っ飛ばして体を前に投げ出す。
わたしの横を駆け抜け、そのまま食堂まで逃げ込もうとした男子に追いつくため、まくられた以上にスカートを翻して全力疾走だ。
足音に気づいた男子が振り返り、ニヤついたダサい顔を引きつらせる。
スカートをはいた女子に追いつかれると思わなかった?
ほんと、油断は嬉しいけど、舐められすぎるのはイラッとする。
こちとら侍女・侍従を輩出するバティアール家の派閥において、護衛を担当する武闘派のお家の長女である。
スカートはいて武芸のお稽古なんて、物心ついた頃からやらされている。動きに不自由なんてあるはずない。
驚いて止まった男子の手首を掴み、そのダサい顔に狙いをつけて、思い切り右手を振り切る。
「きゃー、えっちー」
羞恥を訴える乙女の悲鳴は、我ながらわざとらしく、そして小さかった。
その代わり、激怒を吠える乙女の平手打ちは、時を知らせる鐘のように大きな音を立てた。
スカートが下着のラインまでめくられていたら、グーでいったんだけど、太股ラインだったから仕方なく平手打ちに手加減してやった。
根性なしめ、やるならもっとガッとやりなさいよね。
文句を言ってやろうと、ぶたれた頬を押さえて目を潤ませている男子の胸倉を掴んで顔を寄せる。
「ずいぶんと舐めた真似をしてくれるじゃないですか。あれですか? うちの未来の派閥長が目立つから、ちょっとバティアール派閥の女子に嫌がらせをして、勢いを落とそうって指示でも出されました?」
そんな嫌がらせを受けたと訴える子が出たら、レイナちゃんは悩むだろう。
我らがお姉様は優しいから、自分のせいじゃないのに、責任を感じて苦しむに違いない。
大好きなリイン様から言い渡されたお仕事と、守るべき派閥の子達の安全に挟まれて、真面目で、一所懸命に思い悩む姿が目に浮かぶ。
あ~、腹が立つ。
きったない手でレイナちゃんを傷つけようなんて、絶対に許さない。
「これくらいでバティアール派閥の女が泣きを入れるものですか」
泣きそうな子はいる。太股だけでも淑女として一生の不覚と思う子達はいる。
だからこそ、そんなことで傷つくもんかと啖呵を切る。
レイナちゃんなんかは、淑女らしく悲鳴も上げずに毅然とお説教して、後でこっそり一人泣くだろう。
真面目だから、未来の派閥長として、絶対に人前では意地を張るけど、あの子はわたしと違って本物のお嬢様、箱に入れて大事に大事に育てられた、バティアールのご令嬢なのだ。
そんな、わたし達のお姉様を傷つけようだなんて、うちの派閥を舐めてんじゃねーぞ。
レイナちゃん一人におんぶにだっこの赤ん坊ばっかりじゃねーんだよ。
「次に手を出したら、ボッコボコに、それはもうボ~ッコボコにして、泣かせてやりますからね。今のあなたみたいにね?」
胸倉を掴んだ手で押して、食堂のドアに男子を押しつける。
このまま突き飛ばしたらどうなると思う? 頬っぺたに真っ赤なお花を咲かせて、涙目になってるのを皆に見られちゃうの。
それって、どれだけ痛いのか、その空っぽの頭でもわかる?
うんうん、ますます泣きそうな顔して、ちゃんとわかったようで偉い。
男の子だもんね。面子は大事よね。よーくわかってるのよ、これが。
うちの弟もカッコつけたがりだもの。わたしに怒られても、召使いの女の子の前だとプルプル震えながら泣くの我慢したりする。
まあ、その召使いの女の子に悪戯してるから、弟はわたしに怒られてたんだけど。
弟にもよく言って聞かせる脅し文句を、こいつにも使ってみる。
「ビンタ一発でそ~んな可愛い顔しちゃう弱虫ちゃんで泣き虫ちゃんだってこと、皆に知られたくなかったら、大人しくよい子にしてなさい」
わかった?
そう問いかけるために、背中をさらに食堂のドアに押しつけると、慌ててがくがく頷きが返って来た。
判断が早くて偉い。ちょっとだけお利口になったみたいね。
「お仲間にも、よ~く言っておいてください。バティアール派閥を舐めるな~、ってね」
これでよし。
うちの弟みたいに大人しくなった男子を、ぽいっと横に捨てる。食堂に入るには邪魔だから、脇に避けておかないとね。
はあ~、お腹空いた。
ご飯の前に力仕事するのは、いくら軽いものでもつらい。
食堂に入ると、レイナちゃんがバティアール派閥の子達に目を光らせている。
わたしを見て、ほっとした顔の後に、目元を釣り上げて「めっ」て顔を向けて来る。
遅れてごめんって。
そんな恐い顔したら、ま~たキツイとか刺々しいとか言われちゃうのに、叱り役を自分から引き受けちゃうんだから、ほんと真面目で損な性格しているわよね~。
婚約者できそうにない、とか悩んでるんじゃなかったのかしら。
まあ、大丈夫よ。
レイナちゃんが叱り役でモテないんだったら、わたしは暴れ役でモテないから、婚約者ができないのは一緒一緒。
この右手の人差し指は、ちゃ~んと最後まで付き合ってあげますからね。
だから、良いご縁があったら紹介よろしくお願いしますよ、未来の派閥長様。




