教会の正式業務
【シナモンの祭壇 フォルケの断章】
「なあ、フォルケ神官。領都ってどんな感じなんだ?」
教会の聖堂に顔を出すと、ジキルからそんな質問が飛んで来た。
漠然とした質問だが、その後ろに集まった連中の顔を見れば、どうしてそんな質問をジキルがして来たのか、察するのは簡単だ。
それこそ、俺のようにありがたい神官様でなくてもわかるだろう。
どいつもこいつも、アッシュに懐いていた子供ばかりだ。
アッシュはどこに行ったのか。どんなことをしているのか。気になって気になって、ジキルに問い詰めて、答えられないジキルが、俺なら知っているだろうと声をかけてきた。
そんなところか。
「領都か。あんまり村人は出かける機会もないし、わからんか。いいぞ、ちょっと話してやるよ」
ただし、行儀よく席に着けばな。
ジキルの後ろにぎゅうぎゅうに詰まった幼い顔に言いつけると、あっという間に聖堂内の長椅子に散って行った。
背後からの圧力が消えて、ジキルがほっとした顔になる。
「助かったよ、フォルケ神官……。あいつら、勢いがもうすごくて」
アッシュへの熱そのままに詰め寄られたんじゃ、ジキルも苦労する。
それでも、こうして頼られているってことだから、いなくなったアッシュの代わりとして、教会での集まりの中心になり始めているんだろう。
良い調子だ。
このままジキルがアッシュの代わりになれば、俺の手間が増えずに済む。ジキルががんばれるように、後で三神にお祈りしてやろう。
「さて、領都についてだったな」
長椅子に座った子供連中に、演台に立って話しかける。
期待した大きな目で見つめて来るところ悪いが、実は俺も領都はよく知らん。
「俺は、元々は王都ってところに住んでいて、この村にやって来る時にちょっと挨拶で寄っただけだから、領都をほとんど見たことがない」
えー、という悲鳴が上がった。
あっという間にお行儀が崩れて、子供特有の高い声で罵られる。嘘吐きとかなんとか、可愛いもんだ。
アッシュの辛味の強い皮肉が懐かしいな。
「ほぉん? それでも知っていることとか、アッシュが行った軍子会のこととかを話してやろうと思ったが、大人しくしてないってことは、聞きたくないんだな?」
ぴたっと罵声が止んだ。
この年頃の子供なんて、これくらい単純なのが普通だよな。アッシュは例外、やはり悪魔だった。
確信を深めながら、大人しく言うことを聞くご褒美に話してやる。
「まず、ここの領都はイツツって名前だ。聞いたことあるだろうが、ぐるりと石の壁で囲まれていてな。この村に恐い魔物が来たら、お前等もあそこに逃げることになるんだ」
王都の市壁を見慣れた俺からすると、かなりボロイ市壁だったが、そのことは絶対に言うなと、領都の神殿で教えられた。
あれがこの領地の自慢で、数々の魔物の群れから領地領民を守って来た誇りそのものなんだと。
俺は素直にその教えを守っている。
ケチつけるほど興味はないし、ここサキュラ辺境伯領の噂はよく知っている。
王都ではもうおとぎ話になりかけている魔物が、今でも普通に出て来る冗談みたいな土地だ。その守りの要にケチをつけたらどうなるか、試してみるほど俺は暇じゃない。
「領都は村よりずっと人が多いぞ。百倍ぐらい……あー、倍って言っても、乗算がわかる奴がまだいないか? この村が百個あるくらいの人が住んでいる」
村百個分の人と言われても、見たことがなければ想像もできないだろう。
ふうん、という感じの軽い反応しか返って来ない。領都にある広場の人だかりを見れば、絶対に混乱するんだろうな。
それだけ人がいるから、建物も大きくてたくさんあって、店も色々、品も色々と、まあそんな話をしてやる。
女子が多いだけあって、服飾関係の話に食いつきが良い。生憎と俺は興味がないから、詳しくはユイカ様にでも聞いてくれ。
「でだ、領都はそれくらいとして、軍子会だ。こっちの方が、話せることも多いし、質問にも答えられるだろう」
といっても、あれもあれで地域差があるらしいからな。
王都暮らしの俺の常識と、この辺境の常識だと食い違いもあるんだろう。
「とりあえず、根っこから話すと、軍子会ってのは領主が、自分の下で働く人間を鍛えるための場所だ。この村の村長も領主の下で働いているから、村長の娘のマイカが軍子会に入ったわけだな」
「アッシュ兄も、村長さんになるの?」
アッシュに懐いていた女子の一人から質問が飛んで来た。
名前は、確か、ルカだったと思う。
「そこはちょっとわからんな。他にも領主の下でやる仕事は色々あるんだ。わかりやすいのだと、騎士か? あれも普通は軍子会に通わないとなれんぞ」
「そうなのか?」
これまで興味ない風で――つっても、聞き耳立てていたのは丸わかりなんだが――聞いていたジキルが、驚いた声を上げる。
「なんだ、騎士に興味あるのか?」
「いや、別に、今はもうないけど……なんか、昔、そういやちょっと、大きくなったら騎士になるとか、皆言っていたなって思い出したっていうか」
皆の中に自分も入っていたんだな。
にやりと笑うと、わかりやすく照れてやがる。
男子ならそう珍しいことじゃないだろうから、実際に村の悪ガキ達の間で流行ったんだろう。
ジキルなんか真っ先に言い出しそうなことだもんな。
「軍子会ってのは、元々が騎士を育てるための場所だったらしいから、軍子会が終われば騎士になれる可能性はあるな。今は騎士以外の教育も兼ねているから、絶対ってわけじゃないが」
俺の知っている王都の軍子会はひどいからな。
宮廷貴族がやっているから軍事訓練があまりないのは、環境的に頷けるところもあるとして、実力より賄賂の多寡で成績が決まっている。
これは噂というより公然の秘密だ。
軍子会の成績がそのまま将来の役職に繋がっているから、宮廷を筆頭に王都の役人や騎士の仕事ぶりはろくなものじゃない。
「じゃあ、本当に、アッシュが騎士になるかもしれないのか……」
「まあ、そういうこともあるかもなって話だ。難しいことだとは思うが、気になるか?」
「気になるって言えばそうだけど……う~ん、なんていうか、俺もほとんど忘れかけてたんだけど」
一丁前に腕組みなんかして、ジキルが顔を上げて、聖堂の天井、その向こうを見つめる。
「皆が騎士になりてえって騒いでいた時、アッシュはそんな乗り気な感じじゃなかったんだよ。それなのに、アッシュと一緒に遊んでた奴は騎士ごっこに夢中で、アッシュはそれに付き合わされてたな~って、そんなことを思い出してさ」
おかしな動物が足元をくすぐってすり抜けて行ったような顔で、ジキルが首を傾げる。
「そんなアッシュが、ひょっとしたら騎士になるかもしれねえって聞いたら、あいつどんな顔すんだろうな……なんて、まあ、ふと気になってな。ほんと、すっかり忘れてた話なんだけどな」
俺の知っているアッシュと一緒にいる奴は、まずマイカだ。
男だとジキルくらいしか知らない。ということは、俺があんまり知らない頃のアッシュの話らしい。
それに、口ぶりから察するに、どんな顔するかもう確認しようのない相手……つまり死人か。
珍しくもない話か。肩をすくめる。
「まあ、アッシュが騎士になるならないは、まだまだどうなるかわからん話だから、あんまりあちこちで言うなよ。あいつ、農家の生まれだしな」
王都の常識で言えば、絶対に騎士にはなれない身分だ。
文官として下っ端役人になることも難しい。頭のよさで勝っても、賄賂の額で勝てない。
こっちならその辺どうなんだ?
そもそもあいつ、政治なんて面倒な世界に関わる気があるのかよ。
神殿に潜りこんで神官になるんじゃねえの? 神官なら、平民出身もいるから話が通りやすい。地方ならなおさらだろう。
俺はそっちをお勧めするね。本を読むならこっちだ。
つーか、ヤエ神官にもよろしく言っておいたけど、あいつのやったことをどこまで信じられるか。
あのちみっこいガキが、文献から薬を作りましたーって言われたら?
俺なら絶対に信じないね。自信がある。
「アッシュ兄が騎士になったら、カッコイイだろうなぁ……。いつ帰って来るの?」
こっちがこっちで考えごとをしていたら、あっちはあっちで色々考えていたらしい。
ルカが、嬉しそうな顔でアッシュの帰りを待ちわびている。
おい。誰かあのチビッ子に教えてないのか。
いや、教えたはずだが、忘れたか、よくわかってないのかもしれない。
「あ~……軍子会は二年だからな。次の冬の、そのまた次の冬まで……」
次の冬と言った時点で、ルカの表情に悲しみが滲んだ。
そのまた次の冬で、絶望に染まった。
いくら人付き合いが下手くそな俺でもわかる。これ、このまま泣き出す奴だろ。
「いや、途中で一度は帰って来ると思うがな? 教える側の都合で七日とか十日とか、休みの時があるはずだから、その時には村に顔出すくらいはするんじゃないか?」
アッシュのことだから本に夢中になって帰って来ないかもしれない。
ありえそうな予感が頭に浮かんだが、口から出る前にぐっと飲みこむ。
一応、俺だって良い年だ。これくらいの気遣いはできる。
おかげで、ルカも寂しそうに唇を尖らせながらも、それくらいなら我慢する、と無言で頷いた。
危ないところだったが、火事になりそうなところを無事に防火できた……と思ったんだ。
「でもさあ、アッシュが騎士になったとしたら、二年でも帰って来ないんじゃねえの?」
ジキル、お前、後でぶん殴る。
ほら見ろ、せっかく我慢しようとしたルカが俯いて泣き出した。
言って良いことと悪いことの区別ってもんができてねえ。
アッシュは好き放題に言っているようで、相手と状況で言葉を選んでいたし、そもそも余計なことは言わなかった。
そんなんだからお前、アッシュよりモテねえんだよ、このバカ。
つまり、ジキルに何が言いたいかっていうと、俺の仕事を増やすんじゃねえ。
参ったな。
ルカに釣られて他のガキどもも泣きそうになっているし、犯人であるジキルは黙っていた方がマシだ。
なだめるのは俺しかいない。
「まあ、なんだ、そういうこともあるかもしれないのは確かだ。嫌か?」
やだぁ、という返事は、涙と鼻水に濡れていた。
ハンカチが欲しいと思うなんて何年ぶりだ。
「だったら、とりあえず勉強しとけ。勉強ができるんなら、アッシュを追って領都に行くこともできるだろうよ」
「んぐぅ……お勉強で? 本当?」
「少なくとも、領都に行けるように俺が声かけてやるよ」
読み書き計算ができれば、神殿や領主のところで面倒を見てくれるかもしれんし、そうでなくとも働き口くらい簡単に見つかるだろう。
領都に行かなくても、村の中でも役に立つだろうしな。
「じゃ、じゃあ、お勉強、がんばる」
「おう、まあ……手が空いている時はちゃんと教えてやる」
勝手にがんばれ、とはもうできねえな。
アッシュがいれば丸投げしてやったんだが、仕方ない。
教会つきの神官として、真面目に仕事をせにゃならなくなるとは、人生わからんもんだな、本当。




