灰の底23
そして、春がやって来た。血の気の失せていた大地に、緑の血が戻り始める季節だ。
冬を越した麦が、春の日差しに向かって精一杯背伸びをして、畑へ戻ってきた農民達を出迎えてくれる。
その畑を、本格的に世話をする前に行われるのが、春迎祭だ。
春になり、新たな収穫が見込めるので、備蓄していた食料を使って英気を養うお祭りだと私は思っている。
同時に、保存限界を超えた備蓄食料を残さないように、という意図もありそうだ。
今年のお祭りは、それが一際盛大だ。
なにせ冬の病人看護に放出してもなお、倉庫の中身は例年より多かったためだ。
これは、冬の間に葬儀が一件も行われなかったことが原因の一つだろう。葬儀の席では、故人を慰めるため、また残された遺族を慰めるために、相応の宴会が催される仕来たりだ。
そう。記念すべきことに、今年の冬は誰も見送らずに済んだのだ。
村人達が、いつもよりはしゃぎたくなるのも当然と言える。
普段は堅物な人も、お祭りの時は羽目を外すことが多い。冬の内職で溜めたお金で、お酒を買いこむためだ。
当然、酒好きのダメ人間に属する我が父上は、冬の間も飲んだくれたというのに、それを忘れたように酔い潰れる――去年までは、そうだったのだが。
「今年は、あまり飲まないのですね?」
村の広場で騒ぐ一団から距離を取り、静かにお酒を嗜んでいる父に、そう疑問を呈す。
「うむ。俺ももう若くない。父親として、分別をもたないといけねえだろ」
「ほほう。立派な父上で、息子として鼻が高いですね」
「ふんっ」
父は鼻を鳴らしてそっぽを向いたが、耳が赤くなっているので、照れているのだろう。
「良いことだと思いますよ。お酒を程々にすれば、体の調子も良くなるはずです。もっと畑の面倒を見られる、良い男になってしまいますね」
「そうなのか? そういや、最近はなんか目覚めも良いんだよな」
肝臓に負担がかかっていないから、体調が上向いているのだと思われる。
その分だけ力強く労働に励めますね。
「私はまだまだ力が弱いので、父さんが頼もしいと嬉しいですよ」
「そりゃ、当たり前だ! まだまだお前にゃ負けないぜ!」
ガハガハと父が胸を張って笑いだす。おだてるのが簡単で良い。
ぜひ、その調子で仕事を張り切って頂きたい。多分、その単純なところが可愛くて、我が母上も、良い妻をやっているのだ。
この冬、本人から聞いたので間違いない。「上手く転がしてあげてね」と助言された。
程々に飲んだ父が、母と二人で家に戻っていく。なんだかんだで仲の良い夫婦なのだ。
私はしばらく戻らない方が良いので、燻製肉を求めて、バンさん一家(未婚)に声をかける。
「あ、アッシュだ」
「アッシュ君? 今日は良い祭り日和ね」
ジキル君とターニャ嬢が声をかけてくれる。だが、二人より先に、バンさんが一番に気づいているのだ。
この辺りは、ベテランの猟師の技量の高さがうかがえる。
「こんにちは。余っている燻製肉を狙ってご挨拶に参上しました」
私がにっこり笑うと、ジキル君がさっと炙った燻製肉を差し出してくれる。
「ほらよ、どうせ来ると思って、取っておいてやったぞ」
「ありがとうございます。このご恩は必ずお返しします」
早速、串に刺さった肉を頬張る。
貴重なたんぱく質だ。
成長期のたんぱく質は正義である。
「美味い。幸せです……」
「こういうところは、普通の子供よねぇ」
ターニャ嬢がくすくす笑う。隣のバンさんとは肩が触れ合う距離だ。
どんどん仲良くなっていっているのは良いのだが、まだ正式にお付き合いしていないと聞いている。
ジキル君が情報源なので、間違いない。
最近ジキル君から、「男女の付き合いって、あんなもん?」と相談されている。
前世でも今世でも、人それぞれとしか答えようがない。
「バンさん、今年もそろそろ森に山菜取りに入る季節ですが、森の様子はどうでしょう」
お肉をもぐもぐしながら尋ねると、バンさんはやや険しい表情で首を傾げる。
「いつもより、騒がしい」
良くはわからないが、察するに、あまり良い傾向ではないようだ。
「困りましたね……。養蜂の件もあるので、森での作業に危険が多いと厄介です」
「あたしとしては、養蜂もそうだけど、バン兄さんやジキルのことも心配かなぁ」
家族が森を中心に仕事をしているのだから、ターニャ嬢も不安顔だ。
それを見て、最近少し顔立ちが大人びてきたジキル君が、明るい声をあげる。
「そこは大丈夫だって、姉ちゃん。な、兄貴?」
弟子の言葉に、ん、とバンさんは頷く。
悩んでばかりではろくなことがないので、私も二人の猟師に協力する。
「バンさんはいつも慎重で、警戒を怠りませんからね。ジキルさんもついていますし、大丈夫ですよ」
無口な猟師の用心深さは、私も良く知っている。
何か違和感があると何時間でも様子をうかがうし、得体の知れない時はすぐに撤退する。野生動物並だ、と思うのは、相手にしているのが野生動物ゆえ間違っていないかもしれない。
「あたしも、信じてはいるけど、ね?」
信頼とは別に心配なのが人情というものか。明るい表情になりきれないターニャ嬢の気持ちも、納得できる。
どんなに文明が発達しても、お守りやらお呪いがなくならないわけだ。
「そこは最大限に気をつけて、ターニャさんを安心させてあげるしかありませんね。手が足りないようでしたら、お声をかけてください。森が騒がしいのは、私としても落ち着きませんし、春の野草をあれこれ仕入れたいですから」
「足手まといになるなよ、アッシュ」
ジキル君が挑発的に私の肩を叩いてくるが、まだ私の方が森での活動能力は高い。余裕の笑みで返しておく。
まあ、それも夏くらいには逆転してしまいそうですけどね。
私は現在、農家兼猟師見習い兼、えーとあとは、薬学研究者兼古文書研究者兼生産力向上研究者兼……とにかく、興味あることあれこれに手を出してしまっているので、猟師一本のジキル君に成長度ではとても敵わない。
特に、なんだか張り切っている父上が、養蜂業に乗り出すために畑から離れがちなターニャ嬢一家の畑を引き受けたため、そこの管理も増えて農家の比重が増えた。
ごく簡単な実験をそこでやっても良いと言われているので、実に楽しみだ。
胸の奥から笑いがこみあげてくる。
「くっくっく……今年も、とっても忙しくなりそうです」
バンさん一家がそれぞれ視線を交わした後、無口なバンさんが、私に言った。
「程々にな」
何でそんなに不安そうなのだろう、この一家は。