背筋の伸ばし方7
【シナモンの祭壇 レイナの断章】
軍子会が休みの日、実家に一度戻って、夕食で顔を合わせたお母様に報告をする。
「第一陣と第二陣の軋轢ですか。年々ひどくなりますね」
寮館では、周囲の目もあって深く話せないところまで話すと、お母様が嘆息した。
「そうなのですか?」
「ある程度の波はありますが、代々の寮監の記録を読む限りはそう感じます。いくらか、中央貴族にも似た傲慢さを持つ家が増えているようですね」
珍しく、お母様の口調に突き刺すような棘が生える。
「サキュラ家は代々、領民に寄り添うことを誇りとしているのです。当代ご当主のゲントウ閣下、その子であるユイカ様、イツキ様も、それぞれ形は違えど、領民に寄り添っています。己が貴族だからと、職人や商人、農民を侮辱したりはしません。あなたも、主家の方々と同じようになさい」
「はい、わかっています」
役職上、命令を出す立場であっても、下で働く者達には敬意を。
お母様が常々口にしていることだ。それが領民全体に広がっただけだ。
「ユイカ様やイツキ様が参加する軍子会であれば、そのような輩もすぐに肩身が狭くなるのでしょうが……」
それは、一体どんな手を使えばそうできるのか。わたしでも真似ができるのならばしてみたい。
そう思ったことに気づいたのか、お母様が口元に小さな笑みを浮かべて頷いた。
「お二人は、自分から進んで第二陣の者に声をかけに行くのです。一番権力のある者が、自分から声をかけて親しく、礼儀をもって接すれば、それより低い権力の者は小声にならざるを得ません」
「なるほど。領主一族ならでは、ですね」
「ユイカ様は、そのことをよくおわかりでした。まあ、イツキ様は普通に会話を楽しんでいただけという面が強いでしょうが……良いのです。結果的によければ、ええ」
お母様は、ユイカ様への評価が高い分、その弟であるイツキ様への評価がちょっときつい気がする。
しかし、そういうことなら、わたしも多少は似たことができるかもしれない。
本当なら、領主一族ということになっているアーサー様ができればいいのだけれど……。
「お母様、アーサー様なのですが、やはり色々と声をかけられているようです。中には礼儀の足りない人もいるようですが、その名前は口にはされませんでした」
もっとも、名前を出されなくても「大体あの辺の者」という予測は簡単だ。お母様もそうだろう。
ただし、名前を出さなかった、アーサー様の態度がこの場合の大事な点だ。
「あの方は……もう少しサキュラ家の末弟として振る舞われてもよろしいのですが」
わずかに眉を寄せたお母様は、心配そうだ。
「とても慎み深い方ですね」
「それは間違いないでしょう。失礼ながら、サキュラ家らしいとは言えないほどです」
サキュラ家を表する時に、慎みなどという言葉を使った記憶がないものね。
「わかりました。アーサー様のことはわたくしの方で気にしておきます。ヤエ様にもご相談いたしましょう。ですから、第一陣と第二陣の軋轢のことは――」
「はい。そちらについては、わたしが第二陣の人に声をかけるようにします。アーサー様ほどではなくとも、少しくらいは効き目があるはずです」
サキュラ家の子息であるアーサー様の権力が使えないなら、その下の権力を使えばいい。
そうなると、今期の軍子会ではわたし、ということになる。
同世代の人達と楽しくお話をする、ということに慣れていないので、すごく不安だ。
けれど、わたしがやるしかないのなら、そうも言っていられない。
お母様には、より重要なアーサー様のお世話があるのだ。
不安を呑んで頷くと、お母様はなにを呑みこんだのか確かめるように見つめてくる。
「ダーナにも相談しつつ、進めなさい。レイナ、無理はしないように」
「大丈夫です。これくらいやってみせます」
言い切ったところで、肩になにかが圧し掛かって来たような気がした。
気のせい、気のせい。自分にそう言い聞かせる。
これくらいのこともできないで、お母様のように立派な侍女にはなれないのだから。
強がるわたしに、お母様はもう一度、無理をしないように、と口にした。
「予想はしていましたが、それでもあなたにかかる負担はやはり大きい。マイカ様がいらっしゃれば、軽くなると思うのですが……」
「マイカ様は、まだ?」
「ええ。どうやら村で手にかけている仕事の引継ぎに時間がかかっているそうで、ギリギリになりそうだと連絡がありました」
「マイカ様は、もうお仕事を? 引継ぎに、そんな時間がかかるようなものを?」
そのようだと頷くお母様は、どこか自慢げだ。
「この年でそれほど動いているとは立派なこと、レイナとも話が合いそうです。立場的にも、レイナが相談してもおかしくない血筋。早く来られると良いですね」
わたしの同居者であり、将来仕える主人になりえる、マイカ様。
果たして、どんな方なのだろうか。想像すると、緊張が胸を震わせた。
****
「あ、レイナさん! レイナさん!」
寮監室に呼び出された後、廊下を歩いていると声をかけてくる……というより、駆け寄って来る少女がいた。
「ケイ」
咎める眼差しを向けて名前を呼ぶと、商人の娘であるケイは、慌てて背筋を伸ばしてから、許して欲しそうに可愛らしい笑みを浮かべる。
その笑みに、なんとなく怒りが和らいでしまうのを感じながらも、じっと睨む。
「叱られるのが嫌なら、最初からちゃんとなさい」
「はい、ごめんなさい! 気をつけます!」
返事は良い。とても良い。
「大変反省いたしましたので、レイナさんが寮監殿と一体どんなお話をしたのか、聞かせて頂けたりとかしませんか~なんて思うのですが? いかがでしょう? 聞いたらダメなやつです?」
でも、きっと大して反省はしていないのでしょうね。
わくわくした笑顔に、小さく溜息が漏れた。
まあ、いいわ。
モルド達と違って、明らかに人を馬鹿にするつもりで態度が悪いわけではないし、この子が色々と情報を集めているのは、商人の家に生まれた娘としては当然のことなのだと思う。
もうちょっと、礼儀作法が備われば、わたしが小言をつけたくなることもなくなる、はずだ。
「まあ、いいでしょう。今日、マイカ様が到着されました。もう一人のノスキュラ村の子も。夕食の時に、紹介があるでしょう」
寮監殿がわたしを呼び出したのはその連絡のためだ。
現在、執政館の方で、領主代行のイツキ様へ挨拶をされているとのこと。間もなく、こちらにやって来るので、挨拶のために部屋の方で待機しておくようにと言われている。
「おお! ようやくですね! やあ、マイカ様にご挨拶できるのが楽しみだったんですよー!」
「ケイ、騒がない」
大声を上げるケイをじろっと睨むと、また背筋がピンと伸びる。
これ、目を離したらすぐ気を抜くんでしょうね。
「浮かれる気持ちもわかるけれど、今日は大人しくしていなさい。マイカ様がどんな立場のお方か、わかっているでしょう? マイカ様が到着したその日に騒ぎを起こしたりしたら、いつもよりずっと厳しく罰せられるわよ」
マイカ様は、次代の領主候補と目されているのだ。
その評判に傷でもつけようものなら、一生冷や飯食らいである。
「は、はーい。そんなに熱く見つめなくても、大丈夫ですってー。ガーネシ商会のケイ、今日は洒落にならないってことくらいはわかっていますから」
あなたがわかっているのは、わたしもわかっている。
あなたの場合、「わかっていること」がしょっちゅう飛んでいくから恐いのよ。飛んでいくのはケイばかりではないけど。
「本当にお願いよ? 他の人達に伝えるのは良いけど、その時は騒がないようにと注意もしておくこと。今日は寮監殿も目を光らせているから、本当に、お願いよ」
肩に手を置いて、ぐっと力を込めて依頼すると、ケイもか細い声で、はい、と頷いてくれた。
これで、第二陣の女子には伝わるだろう。
「後はダーナに声をかけて……男子の方はグレンに言っておかないと。部屋の掃除は済ませてあるけど、マイカ様のお荷物の量によっては、わたしの荷物は一度実家に戻す手はずも……」
「あー、その、レイナさん、大変そうですね……?」
「そうでもないわ。お母様に比べたらなんてことないもの」
お母様は、執政館の方とやり取りしながら、アーサー様とその周辺の動きに注意を払っているんだもの。
寮館の内部だけで良いわたしはずっと楽だ。
なんといっても、アーサー様と同室になる人物はなにもわからない相手であるし、アーサー様は訳ありだし……。
お母様は、わたしの何倍くらいの重さを感じているのかしら。
流石に、それを代わることは未熟なわたしにはできないのだから、その分、自分の役目は完璧に果たさないと!
「ん、ん~? なるほど……。ええと、じゃあ、グレン君の方にはあたしから言っておきましょうか? ついでにサイアス君にも。今日はマジで騒ぎを起こすとヤバイ、マジヤバイって」
「ケイの言い方だと妙に軽く聞こえるから不安なのだけど……」
「や、ちゃんと伝える時は、もっとこう、厳かな感じに言いますって! 家で商売のお手伝いしていたので、使い分け的なあれは大丈夫、ばっちりです。それにほら、あれですよ、グレン君は真面目なんで、多少あたしの伝え方が砕けてても、ちゃんと受け取ってくれますし」
多分、と最後に付け加えられたところが不安をあおるけど、確かにグレンなら軽く受け取ったりはしないと思う。
「まあ、そうね、それなら……」
お願いしようと考えたら、ぐっと胃が重くなった。
「いえ、やめておきましょう……。なにかあった時、あなたの責任が問われたらかばいきれないもの」
ケイの評価が悪くなれば、実家のガーネシ商会の家業にも影響が出る。軍子会に娘を送りこめるほどの商会だ。
その経営が傾いたら、働いている人や商品を売る人買う人、どれほどの人が迷惑をこうむるか、わたしではちょっと想像がつかない。
「うう~ん、レイナさんはちょ~っと気にしすぎだと思いますけど……。まあ、そう言われたらこっちも恐いんで、甘えちゃいます」
「ありがとう。もう少しわたしに力があれば、ケイにも動いてもらえたのだけれど」
「いやいや、レイナさんは十分すごいと思いますよ? まっ、あたしでお役に立てることがあれば、このガーネシ商会のケイに、いつでもご用命をくださいな!」
軍子会支部は今とっても暇なんでーす、と笑いながら、ケイが去っていく。
「って、こら! 走らない!」
「うひゃあ、ごめんなさーい!」
これだから、ケイはちょっと信用できないのよね。
でも、あの子をこうして叱るのは、時々楽しくもある。
やれやれと思いながら、ダーナとグレンの姿を探す。
時間はあるけれど、のんびりしているほどはない。急がなくては。




