背筋の伸ばし方6
【シナモンの祭壇 レイナの断章】
軍子会参加者の入寮業務は、第一陣が終わり、第二陣の受け付けに入った。
第一陣が、サキュラ辺境伯家に仕えている一族の者達。
第二陣が、都市有力者や近隣の村長だ。
一般的に、第一陣が上流、第二陣が裕福な中流と言われる。
入寮がわざわざ二段階に分けられているのは、その優位をはっきりさせるため、と一部の人間は言うが、実際は歴史的な経緯と、管理上の事情による。
軍子会は、元々第一陣に所属する人間の教育として始まった。
つまり、領主に直接顔を合わせて仕える人材の育成だ。
そこに、後から第二陣の者達にも教育の機会を、とすそ野を広げる形で対象が増えたのだ。
これが歴史的な経緯。
次に、軍子会の参加者全員が一度にやって来るのは、寮の受け入れ上、非常に困る。
それぞれの荷物を運びこむにも混雑するし、一時に人が増えればそれだけ目の届かない部分も出る。
監督者の負担軽減のため、なんらかの基準で入寮段階を分ける必要がある。
これが管理上の事情だ。
歴史的な経緯による区分を、管理上に都合が良いため、そのまま使用していると言うのが正しい。
それに、各農村からやって来る人達は、どうしたって移動に時間がかかる。
秋の収穫作業の時期が後ろにずれるなど、畑の事情が重なればなおさら入寮は遅れても仕方ない。
なるべく後にしておいた方が、収穫作業で疲れた後、慌てて準備して駆け足で移動せずに済む。
だから、なにを言いたいかというと、別に第一陣だからといって、第二陣を相手に威張り散らしていい、などということはない。
決して、そういうことではないのよ。
少なくとも、我が誇らしきサキュラ辺境伯家では。
わたしがバティアール家で習ったところ、信じるところでは、そのはずなのに、聞こえてくるのは嫌な粘り気のある言葉だ。
「おい、お前。あんまり調子に乗るなよ」
「そうだ、職人の生まれなんだ。家臣一族の俺達への礼儀をきちんと弁えろ」
それなりに人数が集まったため、神殿での座学が始まった。
その途端にこれだ。
第一陣の受け付けが終わる時には落ち着いたと思ったのに、人が増えたらすぐ問題を起こすのはなぜなのか。
やっぱり、すごく小さな子供だからか。子供だからなのか。
何度も叱って、あれもダメ、これもダメと一つずつ理解させないといけないのかもしれない。
溜息を漏らしつつ、声が聞こえてくる本棚の間を覗きこむ。
そこにいるのは、声から予想できた通り、モルドとその取り巻き。
やたら周囲に威張るため、揉め事の中心にいることが多いので、すっかり要注意人物として覚えてしまった。寮でも何度か注意しているのに、全く懲りない。
そんな厄介者に囲まれているのは、金髪を一本にまとめた男の子だ。
さっきの座学で、文字の読み書きに全く躓く様子がなかったので、よく覚えている。
名前はヘルメスだったはず。
そこまで確認できたところで、モルド達の声も止んだ。
覗きこんだと言っても、別に姿を隠していたわけでもない。堂々と体を出したわたしを連中が見て、邪魔が入ったという顔で舌打ちをした。
「あなた達、そんなところでなにをしているの」
問いかけには、別になにも、というあからさまな言い訳が返って来た。
「それとも、なにかしているように見えたか?」
いじめているように見えた。
そう言ってしまえば、証拠がどうのこうのとさえずるのだろう。ひょっとしたら、親が出て来て言いがかりをつけられた、とかそういう話にするのかもしれない。
だから、そうは言ってあげない。
「そうね。あなた達がヘルメスを囲んでいるから、彼から勉強を教えてもらいたいのかと思ったわ。さっきの座学で見た通り、彼はよく勉強ができるようだもの。あなた達がそういうお願いをしたいのもわかるわ」
「誰がこいつに教わるか!」
ヘルメスはモルド達より勉強ができるわね。そう言ったらすぐに癇癪を起こす。
こんな調子だから、いつも揉め事を起こすのよね。
え、これを軍子会で矯正するの?
それって親の仕事じゃないの。あ、母親役をするって話になったんだっけ。
溜息が出てしまうわ。
溜息のついでに、モルド達への注意も吹きつけておく。
「それなら、こんな物陰でなにをしていたの? ここは神殿よ。迷惑になるようなことはしていないでしょうね」
絶対にしないでよ。
寮館でやらかすよりひどいことになるわよ。
神殿は、大抵そこの為政者と協調路線にあるが、別の組織ではある。
一方、軍子会は、領主の責任下に置かれている。神殿での座学は、お願いして開いてもらっている形だ。
当然、神殿で問題を起こせば、領主に責任が及ぶ。
「ただちょっとこいつと話をしていただけだ」
そう答えたモルドも、それは当然わかっている――と思うのは危ないことだ。
寮館に入ってからわずかの間にこれだけ頭痛を味わえば、わたしもいい加減に覚える。
わかっていないものとして、弩砲をバシバシ打ちこんで矢を刺しておかなければいけない。
「そう、なら良いけれど、あまり騒がないようにしなさい。話をするだけだとしてもよ。揉め事が起きている、なんて神官の方々が勘違いしたら、神殿から寮監殿に直接ご意見が寄せられるから面倒なことになるわよ」
神殿の人目は多いからバカな真似はしないでよ。
そう言っているんだけれど、これで伝わるかしら。全部が伝わらなくても良いけど、神殿で騒ぐのはまずい、くらいは伝わって欲しい。
「わかっている。あまり偉そうに言うな。お前は寮監じゃないんだぞ」
「ええ、そうよ。寮監はリイン殿よ。だからわたしも、あからさまな問題が起きた時は、寮監殿に知らせなければいけないわ」
寮館でダーナが言ったけど、叱る権限を持っている人が叱るっていうことは、それはもう正式な罰がつくことになる。
軍子会だから鞭打ちだの、減俸だのと厳しいことはないが、経歴に罰が記される意味は大きい。
権限を持っていないわたしなら、まだ成績評価に減点がつく程度で済む。
微妙に、モルド達はその違いがわかっていない。
わたしが小言を言うと、権限を持っている寮監でもないのに口を出すな、という論調で対抗してくる。
今日もそうだった。
親の権威をかさに偉ぶっていると、憎々しげに睨んで去って行った。
これはそのうち、正式なお叱りを受けることになりそうだわ。
いえ、大きな問題を起こす前に、早めに叱られてまずいことを自覚してもらった方が良いのかしら。その方が、経歴につく傷も小さくて済む。今期の軍子会全体の名誉にも。
今度、お母様に相談してみよう。
やれやれと思いながら、モルド達に囲まれていたヘルメスに目を向ける。
囲まれていたせいか、眉根を寄せて不機嫌そうだ。
「あなた、大丈夫?」
「ん、別に。あれくらい慣れてる」
それは大丈夫なのか。こっちも眉根が寄ってしまう返事だ。
「大変だったと思うけど、なにかあったら――」
言いかけている途中で、ヘルメスが本棚から本を探し始め、すぐに見つけたのか一冊を引っこ抜く。
「わたしや寮監殿に、相談――」
そのまま、一切止まらない動きで、ヘルメスはわたしの隣をすり抜けて行った。
「するのよ……」
その背中に、なんだあれ、と視線を送りながら、ごにょごにょと台詞を言い終える。
聞こえていたわよね。わたしの声、そんなに小さくはない。
通り過ぎる時に、ぺこっと頭を下げたのは、一応はお礼なのだろうか挨拶なのだろうかなんなのだろうか。
今回、ヘルメスが悪いことをしていたようには見えないけど、あれはあれで、注意が必要な気がする。
これからの軍子会では、あの子の相手も必要なの?
軍子会って二年間あるんだけど、その間もずっと?
ちょっと足元が怪しくなってきた。
後ろについていたはずのダーナの方を振り返って、どうしよう、と見つめる。
わたしの右手の人差し指は、その指で丸印を作って、笑ってみせた。
「今のはバッチリだった! 今後も基本的にあの叱り方でいきましょう!」
今の問題はそっちじゃない!
朗らかなダーナの笑顔とは裏腹に、こっちは別な問題に頭が痛い。
「ヘルメスについては、バッチリではなかったと思うの……。モルド達への対応がよかったのは、わたしもホッとするけど」
「あっはっは、あれにはわたしもびっくりしたね。まあ、レイナちゃんが綺麗だから照れてるんでしょ」
「本当にそんな風に見えた?」
「ううん、全然」
とダーナに即答されて、がっくりとうな垂れる。
つまらない冗談なんか言わないでよ。
「まあまあ。そっちは別に、レイナちゃんが解決しなくちゃいけない問題でもないでしょ?」
「そうでもないわ。軍子会は礼儀作法を学び、実践する場でもあるもの。この場にいる以上、あんな……あんな……?」
あんな態度は、一体なんて言えば良いのかしら。
無礼というには、それ以前のような気がする。一応、通り過ぎる時に頭を下げたようだし?
「ちょっとこう、一言で表せない感じの……問題? を抱えたままではいけないわ」
「わたしだって、あの態度は問題があるとは思うわよ? でも、軍子会の全員の問題を、レイナちゃんが解決する必要はないでしょって言ってるの」
「それはそうよ」
当然のことだ。
「でも、別にわたしがなにもする必要がない、というわけでもないでしょう?」
それもまた当然のこと。
そう告げると、ダーナはびっくりした顔で飲んだ息を、苦笑と共に吐き出した。
「レイナちゃんは、本当に面倒見が良いわねぇ」
「わたしは軍子会の一員で、未来の派閥長だもの」
同じ軍子会の一員として、わざわざ同世代が集められているのは、互いに教え合い、競い合うためでもある。
特に、わたし達のような第一陣の参加者は、勉強や礼儀作法において実家で教えられているのだから、それを第二陣に教える立場にある。
そうやって第二陣と関係を作り、実力者を育てあげれば、後々派閥の力、領地全体の力になる。
軍子会は、やっぱり一人前になる直前の最後の段階であり、社交の練習の場として、半ば一人前としての振る舞いが求められる。
「うんうん、未来の派閥長様の仰る通り。こんなしっかり者が後継者なら、バティアール派閥も安泰ね。嬉しい嬉しい」
ダーナが、なんだか急にご機嫌になってしまった。
「未来の派閥長様のお考えはわかったので、こっちでもあの子のことは気にしておくわ。見た感じ大人しいみたいだし、自分から揉め事を起こすようには見えないけどね」
「周りがちょっかい出すのが問題よ。あの調子だと、なにをされても黙ってそうだわ」
「そうね。男子側にも声をかけておいた方が良いかもしれないわね」
「グレン辺りかしら?」
相談相手の名前を出すと、ダーナは当然だという顔で頷いた。
今のところ男子で一番信頼できるのは彼だ。
武芸の腕としても、実家の関係としても、人柄としても、文句なし。
実家の派閥が違っても、困ったことがあれば助けてくれる。わたし達の評価ではそうなっている。
彼くらい同世代で飛び抜けて力が強ければ、もうちょっと調子に乗ったところがありそうなのに、逆に力を振るわないように気をつけている様子に好感が持てる。
家の方で、その辺りをしっかり躾けているのだろう。
「このままいくと、男子側はグレンが中心になるわね」
「女子側はレイナちゃんね。あと、全体の中心もレイナちゃん。流石、未来の派閥長様だわ~」
「今のところは、ね」
普通、こうした中心人物になるのは第一陣の人間だ。
先に寮館に入り、第二陣の前におおよその力関係が決まり、そこに第二陣を取りこんでいく。
領政の仕組みからしても、これは自然な形だと思う。
第一陣の家柄の者達が決定し、第二陣の者達はそれに従う。そういう関係だからだ。ただ、今回は第二陣の方に、将来第一陣の家に命令を出せそうな、大物がいる。
「マイカ様がいらしたら、どうなるかわからないわよ」
お母様は、マイカ様が中心になるだろうと考えていて、口にしてもいる。
わたしはそれを支える役目になるだろう、と。
主家の血を引く人物の名前に、ダーナは、そういえばそうだった、という顔をした。
「ああ、噂のマイカ様ね? もちろん、ユイカ様のお話は聞いたことあるけど……どんな人なのかしらね?」
実のところ、わたし達子供世代にとって、ユイカ様のお話はちょっと遠い。
お母様達が熱中していることは、聞かされて知っているけれど、実際に目にしたことがないので今一つ想像ができないのだ。
いえ、ご挨拶させて頂いたことくらいはもちろんあるのだけれど。
「あ、そうだ。マイカ様といえば、一緒に来るっていう農民の子にも注意が必要じゃない?」
「ああ、そうね。まさか第二陣にあそこまであからさまに攻撃する人がいるなんて……」
裕福な職人や商人、各村の村長家の人間にまで、モルドはああなのだ。
マイカ様と一緒に来るという男子、ただの農家の子である彼なら、もっと面倒なことになるかもしれない。
「彼のことも気をつけないと……」
それについてもグレンに相談を……いえ、本人が来ていないうちに相談しても、大して中身のあるものにはならないか。
正直、グレンはあまり先の物事を考えるタイプではなさそうなのよね。
男子の方に、先々のことを考えられてる人がいれば良いんだけれど……流石男子というべきか、剣を振ることばかり考えている者が多い。
その時点で相談相手としては不適格だ。
わたしは文官の家系だから騎士のことは詳しくないけれど、それでも騎士に必要な能力は、ただ剣の腕が強いとかではなく、集団をきちんと動かす頭脳的な力だと思う。
それなのに、そういう力を持っている相手が思い当たらないってどういうことなの、男子……。
シワの寄った眉間を揉んでいると、嗅ぎ慣れない香りを感じた。顔を上げると、金髪が目につく。
「アーサー様、そちらも休憩ですか?」
「うん、ヤエ様が、少しくらい他の子と話をする時間を取った方が良いって」
色々と事情のあるアーサー様は、読み書き計算が完璧だということで、ヤエ様と二人で自習を行うことにしている。
少なくとも、軍子会が落ち着くまでは、下手に他の子と絡ませないようにという配慮だ。
今も、金髪の向こうに目をやれば、ヤエ様がちゃんと見える範囲にいる。
これは見張られているようで、少し落ち着かないかもしれないわね。
「その相手に選ばれたとは、光栄ですわ。他に、アーサー様はどんな方とお話を?」
「あまり多くはないかな。ボクも話すのが得意ではないから」
困った顔で笑って、それでもアーサー様は何人かの名前を挙げた。
「ケイなんかは、中々積極的だね。商人らしいって言っていいのかな? 逞しい子だよね」
「あの子ですか……」
ガーネシ商会の娘だ。
軍子会には人脈を作りに来ました、と言わんばかりにあちこちに声をかけて回っている。
わたしのところにもお菓子を持ってやって来た。お菓子を食べたい気持ちを隠して、きちんと断ったが、その後もよく声をかけてあれこれ聞こうとしてくる。
あの年なのに商魂逞しいとは、わたしも思う。
「問題があれば、わたしから一言、釘を刺しておきますが……」
「ううん、平気。下心はあるんだろうけど礼儀は払ってくれるし。あれくらいなら可愛いものというか……ちょっと面白い、かな?」
「そうですか、アーサー様が気にならないのでしたら……。それに確かに、あの子、ケイはなんというか、憎めない感じはありますね」
いきなりお菓子を差し出す辺り、下心はあるし、色々考えているのは察したのだけれど、なんていうか結局大それたことはできなさそうな安心感はある。
わたしに出した後のお菓子、食堂で広げて他の人達と分けてわいわい言いながら食べていたものね。わたしが通りかかったら、やばって声を上げて小さくなっていた。
そうね、そういうのを使い回すなら、贈った相手に見えないところでやりなさい。両方に失礼だから。詰めが甘いのよ。
見なかったふりをしてあげる、と手を振ると、真面目な顔で祈りの所作をしてきた。
わざとらしいんだけど、多分、あれ本気なのよね……。
「レイナもそう思う? ケイみたいな子を、愛嬌があるっていうのかな。それに、ケイよりもっと礼儀のない人もいるからね」
「アーサー様、そちらの方々のお名前もうかがってもよろしいでしょうか」
わざと、声音を改めたわたしの求めに、アーサー様は困ったように微笑むだけで済まされた。
処罰するまでは望まない、ということだ。
この方は、ご自分のお立場をよくわかっていらっしゃる。表向きのものも、その裏側のものも。
アーサー様が名前を挙げて不快を訴えるということは、それだけ周囲に気を遣わせるものなのだ。
正式に寮監が叱責すること以上の重みがある。
表向きのそれだけでも、わかっていない人が軍子会にいるのが問題なのだ。
「承知いたしました。ただ、過ぎた態度が目につけば、わたしから寮監殿にお伝えいたします」
アーサー様があまりに我慢されるようなら、わたしがけじめをつける。
そう伝えても、やはりアーサー様は曖昧に笑われるだけだ。
その笑い方が、失礼だけれど、痛々しく見える。
自分がどれほど傷ついているのか、わかっていないような顔なのだ。
それからいくつか言葉をやり取りしても、最後までアーサー様の笑みは変わらない。
お母様が言っていた、この方ご自身のことも気をつけなければいけない、その言葉の意味がようやくわかった気がする。
あれも気をつけないといけない、これも気をつけないといけない。
どれが一番大事で、どれが一番危険なのか。
どれが一番に手をつけるべきか、どれが一番時間がかかるか。
気をつけることが多すぎて、どうすればいいのかわからなくなってくる。




