背筋の伸ばし方4
【シナモンの祭壇 レイナの断章】
恐い母親役なるものにはどんな態度が良いか。
一日考えることにして、玄関広間の見張りを休んで部屋にいると、なんだか一階の方が騒がしくなってきた。
お母様……リイン寮監殿はどうしたのかしら。
わたしがいる時は、わたしに対処させるためにあえて見逃していたのでしょうけれど、今日はそんなことをされないと思うのだけれど。
気になって部屋を出て一階に向かうと、玄関広間で入寮者の物らしい荷物を中心に、男女入り混じって顔を突き合わせている。
なにか問題が起こったらしい。
しかし、リイン寮監殿やその手伝いの召使いの姿がない。寮生が持て余した問題に、対処できる人がいないようだ。
「なにがあったのか、お聞きしてもいいかしら?」
階段を下りながら声をかけると、助かった、という表情がいくつか咲いた。
「レイナさん、来てくれてよかった。この荷物をどうしたら良いと思います?」
「それは持ち主が判断すればいいことだと思うけれど……寮監殿やその手伝いがいらっしゃらないことと関係あるのかしら?」
そうなんです、と一番に声をかけてきた女子が頷く。
荷物自体に問題はなく、今日入寮する女子の荷物なので、ここまで実家の人間が馬車を使って運んできてくれた。
ところが、寮に運びこむ時になって、馬車が壊れて荷運び人が負傷してしまった。
「その怪我人の対応のために寮監殿は外出されて、荷物だけはとりあえずここに下ろされたというわけですね」
「そうなんです。入寮される方も、怪我人に付き添って行ってしまいました。いつまでもこの荷物を玄関に置いておくのもどうかと思って、運ぶべきだとは思うのですが……」
女性の荷物なのだ。男子もよく通る場所に置いておくのは、確かにはばかられる。
しかし、つい先日、住人の許可もなく部屋を開けるなとわたしが怒鳴ったばかり。
動いたら規則違反、動かなかったら礼儀違反。どちらもよろしいとはならない状況に、全員困ってしまっていたようだ。
「事情はわかりました。まず、この荷物の持ち主が入る部屋は、誰かわかっている? あるいは名前だけでもわかれば、どの部屋かわかりますけれど」
それはわかっている、と何人かが声を上げる。
寮監殿が、誰々の荷物だ、ときちんと言い置いていたらしい。それならば簡単だ。
「誰の荷物か、わざわざ寮監殿が言い置いたということは、そちらに運んでも良いということでしょう。この荷物は、わたし達の手で部屋の方に運びましょう」
わたしの決定に、不安そうな顔が出るのは仕方ない。
「責任はわたしが取ります。問題があると思う方は、手を出さなくても結構よ。その方達は一度下がって頂ける?」
何人かが下がったのを見て頷く。
残って荷物を運ぶ意思を見せた男子には、悪いけれど手伝わせられない。
「男子の手伝いは遠慮して頂くわ」
「む、しかし、力仕事ならば手伝った方が良いのではないか?」
一際大柄な、確かグレンという男子が、親切心しか感じさせない口調で首をひねる。
「男子の力があれば助かるのは実際そうなのだけれど、年頃の女性の荷物よ。人によっては異性に触られると恥ずかしいものだし、もしも彼女に婚約者がいたら――」
「それは……それはとてもまずいな」
かなり上の方にあるグレンの顔が、真剣な面持ちで何度も縦に振られる。
婚約者に手を出されたという理由で行われた決闘は、ここサキュラ辺境伯領ではかなり多い。主に、ユイカ様を婚約者としたクライン卿がその数字を一人で跳ね上げたせいだ。
「そういうことなら、俺達は遠慮した方がよさそうだ」
「そうして頂戴。それに、二階に男子が足を踏み入れるのは禁止されているわ。こういう事態だから、これくらいは見逃されると思うけど、破る前に寮監殿の許可を取れないのだから、守れる規則は守っておいた方がいいわ」
「わかった。もっともな話だし、レイナの指示に従おう。……なるべく荷物に近づかないようにした方がいいな?」
そうね。持ち主がどこまで気にする性格かわからないけど、男子が囲んで荷物を見ていた、というのはあんまりいい気がしないでしょうね。
グレンが、そういうことだから、と残っていた男子も下がらせる。両腕を広げて、ただでさえ大きな体をさらに大きく使って、柵のように人を遠ざけていく。
これで荷物の周りに残ったのは女子だけだ。
「ということだから、荷物を運びましょう。まずは二階の部屋の前まで。そこまで運ぶだけなら、誰も規則違反にはならないわ。荷物は重いでしょうけれど、皆で運べば大したものではないはずよ」
女子を見回してそう促すと、男子の方からからかいが飛んで来た。
「か弱い女子だけで大丈夫か~。それともか弱い女子はその中にいないのか~?」
グレン達、荷運びを手伝おうと最後まで残った人達ではない。
最初に手伝わないと下がった連中、いやひょっとするとその前から遠巻きに、ただ様子を見ていた連中かもしれない。
気に障る笑い声まで続いて、しかも荷運びを手伝わないと下がった女子の声まで混じったので、手伝いを申し出た女子の表情が変わった。
ちょっと面倒だけど仕方ないわね、という顔をしていたのが、すっと真顔になったのだ。
何人かの女子が目を合わせて頷き合うと、さっさと長持ちを持ちあげてから、にっこりと笑う。
「これくらいの重さを心配してくださるなんて、随分と軽い荷物しか持ったことがないんですのね。これからの軍子会でしっかりと鍛えないと、将来赤子を抱くのも苦労しそうですわよ。おほほほ」
素晴らしいやり返しだ。
男子には「お前達の赤子を抱くのはごめんだわ(夫の候補として減点)」という牽制になり、女子には「お前達に赤子が抱けるかしら(妻としてまずいんじゃない)」という嫌味になる。
これならお母様の下で働いてもやっていけるだろう。
もちろん、わたしもそんな彼女達の意気に応じて、長持ちに手をかける。
すかさずダーナが寄って来てくれて、にっこり笑顔で荷物を持ちあげることに成功した。
「さあ、二階に運びましょう。足元に気をつけて。手が空いている人は、つまずいたりした時に支えられるよう、横について頂戴。ゆっくりでいいわ。怪我をしたら間違いなく叱られるわよ」
荷運びに参加したのは、大体わたしのバティアール家か、ラン殿のタチバナ家の派閥の人間なので、わたしが一声かければ息を合わせて動ける。
全員、派閥長からそうするように命令されている。
派閥のやり方もおおよそわかっているから、こうした規則破りは大丈夫、と信じている。
逆に、今手伝っていないところは、派閥の関係が微妙なところか、関わりの薄いところ。やっぱり軍人の家のところが多いようだ。
だから、か弱い女、なんて悪口が出てくるのだろう。
でもお生憎様、文官の一族にだって武闘派くらいはいる。侍女は主家の方々の後ろに控えているのだもの、いざという時に護衛として振る舞う者もいる。
……わたしは、そういうの苦手だけど。すごく、苦手だけど。
わたしの十倍は強いダーナなんか、非力なわたしの代わりにほとんど全部の重さを平気な顔で支えてくれている。
こうしてみると、わたしはか弱い女って言われてもよさそうね。とりあえずダーナよりは。
「なに、どうかしたの?」
「婚約について少々――ぅっ、ちょっと、いきなりこっちに重さをかけないで……!」
別に悪口に聞こえるような部分は言っていないでしょう!
「バカにされた感じがして力が抜けちゃったわ~」
どうしてバレたの。
ずばり本当のことだったので口をつぐむと、ダーナの笑顔が冷たくなった。
「やっぱりそうだったのね」
「言っておくけど、最初にそっちから言って来たんだからね」
言い返すけれど、ちょっと目が泳いでしまう。
いえ、先に口を出したのはダーナよ、ダーナ。恐い母親役になれと言っておいて責任を取ってくれないっていう……。
そんなことを潜めた声で言い合いながら、長持ちを部屋の前に運び終える。
「この中に入る人数は少ない方がいいわね。他人の部屋だし、もし叱られることになっても被害が少ないし」
「まあ、そうね。そもそも二人部屋だから、何人も人が入ると狭くて大変だもの」
「もちろん、責任を取るわたしが入るわ」
目線をダーナに送って主張すると、さっきと打って変わって温かい苦笑いが返って来た。
「はいはい、お付き合いしますよ」
流石は未来の派閥長の右手の人差し指。
理解が早くて助かるわ。
「残った人は、廊下から部屋の中を見張って、わたし達がなにも問題を起こさないか確かめておいて。言いがかりをつけられたらたまらないからしっかりと――っ」
ドアを開けたら、足元をナニかが駆け抜けていった。
ナニかってナニ。ナニかって言ったらナニかなのよ。決してネから始まるアレではない。
だってはっきり見ていないもの。見ていないからネとは限らない。もしもネだって言うならわたしは悲鳴を上げなくちゃいけないけど、軍子会の規律を正す側としてそんな無様はさらせないから、ナニかのままでよかった本当によかったー!
安心したら腰が抜けた。
決して、ネに恐れおののいて腰が抜けたわけではない。そのままへたり込みそうになったところで、ダーナが抱き留めてくれた。
「あっ、ぶなかったわね! レイナちゃん大丈夫? なにかいたから咄嗟に床を踏み損ねたのね反応が早かったわ足首を捻ってない?」
大丈夫。
大丈夫すぎて声がでないから首を振って頷く。
「あ~もうなんだったのかしら~。中に誰もいないはずよね、ちょっと見てみましょうレイナちゃん」
そのまま、わたしを抱えるようにずりずりと部屋の中に入っていく。
ダーナの方が背があるから、他の子達からはわたしがふにゃふにゃになっているのはほとんど見えていないだろう。
ありがとう、ダーナ。
あなたとわたしの友情は永遠ね。
責任取らない発言も今許した。
「あ、ダーナさん、レイナさん、今の多分ネズミですよー。ここの寮、結構出るみたいなんですよねー」
親切な誰かの声が真冬の烈風のように襲いかかってきて、わたしの全身を鳥肌が覆う。
悲鳴は、なんとかあげずに済んだ。耐えたのではなく、ダーナの手でふさがれたおかげで。
暴れることもなかった。腰が抜けて動けなかったおかげで。
だだ、大丈夫、わたしももう小さくないもの。
ネ、ネジュッ、ネズミくらいで、ぎゃん泣きしたりなんかしないわ!
でもダーナ、もうちょっと抱きしめておいてくれる。
あ、もうちょっとぎゅっとしてくれると早く立ち直れると思う……。




