背筋の伸ばし方2
【シナモンの祭壇 レイナの断章】
服のたたみ方しまい方は、召使いがみっちりと教えてくれていた。
だから、いざ軍子会の寮に入るとなった時、長持ちに服を入れる時も、自分でたたんで入れて来た。
つまり、寮室に入って長持ちからタンスに着替えを入れ替える時、うっかり服が広がってしまっても、元通りにするのも簡単にこなせるということだ。
「服のたたみ方、しまい方なんて簡単ですよ。人様の体は腕二本に足二本、胴の上に頭が一つ。これに着せる服なんて、色や飾りが違っても、そんな大きな違いなんてありません。いくつか覚えてしまえばみ~んないっしょ……っと」
熟練の召使いが、流れるような手つきで服をたたんで見せながら口にしていた言葉を呟けば、広げてしまった服も元通り。
それをタンスに入れれば、長持ちの中は空っぽだ。
よし、と頷いて立ち上がる。
部屋の中を見渡せば、二つある机の片方には、軍子会のお祝いにと親族から贈られた羽ペンとインク、文鎮などが綺麗に整列している。
花瓶には、冬の今はドライフラワー。
春になったら、生花を活けよう。
二段ベッドの下段には、つい昨日まで実家で使っていたクッション。
……本当は、お母様がユイカ様から頂いたというヌイグルミも持って来たかったのだけれど、そちらは実家に置いてきた。
子供っぽすぎると思われたらいけない。わたしは寮監となるお母様の娘として、一分の隙も見せられないのだから。
大きいとはとても言えないベッドが、空いて見えることに、もう一度よしと頷く。
あとは、荷物を運んで来た長持ちを、ひとまず隅っこに寄せる。後日、実家から人が取りに来てくれる手はずだ。
もう一人分の家具、もう一人分の空間を使う同居人は、入寮が遅れる見込みと聞いている。
その方が良いだろう。
わたしやお母様が、この寮をきちんとまとめ上げる時間が取れる。
これから二年間、わたしは軍子会の一員として、バティアール家の娘として、サキュラ辺境伯家にお仕えするのだ。
求められる役割は、主家たるサキュラ辺境伯の血を引くお二人の軍子会での生活を、つつがなく回すこと。
そのための軍子会の規律引き締め。まだまだ幼い同期達を、清廉潔白、品行方正、背筋を伸ばし、襟を正して毎日を送らせるのだ。
そのためにも、まずは自分が完璧でなければ。
自分の体を見下ろせば、引っ越し作業で服にシワができている。ひょっとしたら埃もついているかも。
これはよくない。
てしてしと服を叩いて、シワを伸ばす。襟のリボンや髪留めも改めて締め直す。
鏡がないし、問題ないかの確認をしてくれる召使いもいないけれど、それは仕方ない。ここは軍子会、自分のことを自分でできるようにするための修行の場なのだ。
自分はもう、その修行のただ中に放りこまれている。
「よし」
今度は声に出して頷く。
それは、新しいレイナ・バティアールとしての産声のように思えた。
****
自分の仕度が終わって早速、寮館の一階、玄関広間に身を置く。
わたしの入寮は一番手。寮監が母親だからこそ可能な早業だ。
裏技と言った方が良いのかもしれないけれど。
これは、お仕事のために必要だった。
これから入寮してくる他の軍子会の同期全員にご挨拶をして、どんな人物かをしっかり見極めるのだ。
お母様はお母様で見ているだろうけれど、わたしにはまた別な姿を見せる人がいるかもしれない。
人によっては、目上の人間だからこそ話しかけづらいということもあるだろう。
わたしだって、敬愛するお母様に内緒にしていることくらいある。いくつかの粗相は、召使いとわたしだけの秘密よ。
たとえば、そう、嫌いな蜘蛛が顔に張り付いた時の大騒ぎとか、嫌いなネズミから逃げ回って割った花瓶のこととか……。
一番大好きなお母様に知られたら、わたしはもう生きていけない秘密だから、召使いには内緒にしてもらうよう、わたしに出されるお菓子を一緒に食べてもらっている。
そのお菓子を一緒に食べる時間が、ちょっと楽しくて、普段は言わないようなことを召使いに話してみたりとか。
ふと、昨日までと違って、あの楽しいお菓子の時間が簡単に取れないことに気づいてしまう。
胸に冷たい風が少しだけ吹いた。その風が、さびしい、という気持ちだと気づいて慌てる。
わたしはお母様の娘なのだ。
こんな軍子会の一日目……いえ、まだ実質は始まっていないのだから、寮に入っただけで弱気になるなんて、弛んでいるに違いないわ。
背筋を伸ばして、なんでもないという顔を上げる。
寮監であるお母様の前に、わたしと同じ年頃の子女達が並んでいる。
軍子会の参加と、入寮の署名のためだ。
入寮初日に来るのは、領内の有力者の中でも、特に力のある家の手の者だ。少しでも上の方に名前があった方が偉い。
そういう思いが代々各家にあるのだそうだ。
この軍子会を経て、一人前になろうというのになんと子供っぽい……と思ったけれど、実際に一番目に自分の名前を書いた時、なんだか得意な気分になってしまったので、わたしも人のことはあんまり言えないらしい。
流石に、初日に来る人達は見知った顔が多い。領都の執政館で働く家の人達が多いからだろう。
我が家の派閥の子達やラン殿の派閥の子達は、事前の顔合わせも済ませているから、署名後に一言二言の挨拶もしてくれる。
「ごきげんよう、レイナさん」
そのうちの一人、ダーナが声をかけてきた。
「ごきげんよう、ダーナ。いよいよ軍子会が始まりますね。体調などは問題ありませんか?」
「ええ、もちろんです。せっかくの軍子会入りの日に、風邪なんて引いていられませんから、昨日もお腹一杯食べて、ぐっすりと眠りました」
わたしが心掛けているハキハキとした話し方とは違い、おっとりとした口調だけれど、柔らかくて聞き取りやすい。
「レイナさんも、体調はよろしいみたいですね。はりきっているようで……ちょっとお目々が恐いわよ?」
ただでさえ柔らかい声が、友人用の柔らかい言葉で、しかも小声になると、耳に触れたかどうかも怪しい感触になる。
耳ではなく背筋を撫ぜるような囁きに、なにをするのかと見返すが、ダーナはなにもしていませんという顔で微笑むばかり。
「まるでスリを追いかける衛兵さんみたいな目つきだわ。あんな顔で見られたら、お友達のわたしだって恐いのだから、もう少し、肩の力を抜いてくださいな」
「そんなに……」
顔に出してしまっていたかしら。ひたりと頬に手を当てると、指先の冷たさが頬に染みた。
いつの間にか、手を強く握ってしまっていたらしい。
「どうも、そうみたい、ね?」
「ええ、ちゃんと美人さんになって皆さんに挨拶してね。わたし達、そろそろ本格的に結婚について考えるお年頃なんだから。レイナちゃん、婚約者もまだでしょ?」
ダーナの言い方だと、わたしの顔がきついせいで婚約者ができていない、そんな風に聞こえる。
失礼な。我が家にはそれなりの数の縁談が持ちこまれているんだから。しかも、わたしが生まれる前の縁談まである。
「家のこともあるから、簡単に決められないのよ」
「まあ、そうよね。レイナちゃんだものね」
「ちょっと? そこは、バティアール家だから、と言ってくれない?」
我が家は、サキュラ辺境伯家に仕える中でも、古い家の一つなのだ。
だからすごい、だから偉い――というわけではなく。我が家に隙があると、「古くから支えてきたあのバティアール家がグラついて、サキュラ辺境伯家は大丈夫なのか」と周りに思われてしまう。
わたしは、お母様からしっかりと教育された……つもりだから、大丈夫。
だけれど、わたしと結婚する相手が、同じように教育を受けているとは限らない。それがネズミのように我が家の防壁に穴を開けないとも限らない。
やはりネズミはよくないわ。嫌い。
我が家にネズミの侵入を許さぬよう、わたしの婚約も慎重に進められる。
社交で顔合わせする時だけ良い子になる、なんて簡単だもの。それに、一年目に優秀な人が、五年後にも優秀とは限らない。
……と、お母様が言っていた。
まだ幼い頃の優劣で判断するのではなく、一人前になった時に立派かどうかで判断する。
それがわたしの婚約に対する、お母様の方針だ。それなりに縁談の数があるからこそ、強気の姿勢で良いみたい。
「そうね。レイナちゃんのお家は大きいから、色々と大変よね」
「ダーナだって、我が家に問題があったら、関係ないとは言えないでしょ」
まるきり他人事のように言うので、思わず目が細めると、ダーナがわざとらしく背筋を伸ばす。
「関係、すごくあります、未来の派閥長様」
行儀の良い姿勢におっとりとした笑顔は、からかっているとよくわかる。
まったく、柔らかでふんわりした見た目のくせに、意外と強気なのよね。
未来の派閥長だってわかっている相手をおちょくって、嫌われるとは思わないのかしら。お仕事ができるなら、変に扱うつもりはないけど。
「あなたも、婚約者についてはよくよく見て、決めなさいね。相談することができるなら、その時はわたしがきちんと聞くわ」
「頼りにしていますわ、未来の派閥長様。お互いに、良いご縁に巡り合いたいですわね。どんな方が良いご縁なのか、あまりよくわかっていないのが困りものですけれど」
まったくその通りなので、真顔で頷いてしまう。
家柄がよくても能力がなければダメ。能力がよくても性格に難があればダメ。性格がよくても相性が合わなければダメ。
全てを兼ね備えた良縁など、そうそう転がっているものではないので、どれかを重視して、どれかに目をつぶらなければならない。
ではどれを選び、どれを捨てるかとなると、まあ悩ましい。
家柄がよければ人脈や財産がある。能力があれば新たな財産を作れる。性格がよければ人脈を増やせる。相性がよければ互いの能力を高められる。
わたしがバティアール家を背負って立つ時に、果たしてどれが一番必要になるだろう。
あと、多分だけれど……わたしの場合、ユイカ様のご息女である、マイカ様のお相手がどうなるかも大事なのだと思う。
もし、マイカ様がこの領地の上位に立ったら、その側近なんかの男性と縁があれば本当に色々と良い、とか……?
はっきりと口にされたことはない。
でも、お母様のお言葉のところどころに、そういった空気を感じる。
ユイカ様のこと、そのご息女のマイカ様のことを話す時、お母様の冷静な声に、ほんのわずかに熱い風が混ざるのだ。
まだわたしは見たことのないマイカ様に、お母様は期待しているのだと思う。
いえ、期待しているのは、その母であるユイカ様か。
かつてお母様が仕え、次期サキュラ辺境伯として、いつか咲く日を待ち望んでいた大輪の華が、世代を一つ越えて今度こそ咲き誇るだろうという願い。
それと同じ色の期待を、わたしにも見ているのだ。
やはり、気を引き締めないと。
再び手に力が入ったところで、眉間を指先で小突かれた。
「レイナちゃん、また恐い顔になっているわ」
困ったような笑みのまま、ダーナの指先がわたしの眉間を擦る。
「ほ~ら、綺麗なレイナちゃんの恐いシワはこうしちゃいましょうね~」
「わかった、わかったわよ。気をつけるから、もうやめて」
「でもシワがなくなっていないわよ?」
「あなたの妙なお呪いに困惑しているだけだから、やめればなくなるから……」
ならいいけど、と言いながらも、ダーナの笑みから困惑が取れない。
「困ったことができたら、相談するのはレイナちゃんもよ。未来の派閥長様?」
「もうそれはいいわよ、段々とおべっかに聞こえてくるから。それとも、未来の派閥長の右腕を狙っているの?」
軽々しく言葉を連発することをたしなめるわたしに、ダーナはわたしの眉間を擦っていた人差し指を立てた。
「右腕はちょっと言いすぎだけれど、右手の人差し指くらいなら狙っているわよ?」
「右手の人差し指」
また珍妙な表現をしたわね。
野心があると言うべきか、なさすぎると笑うべきか、その、判断に困るのだけれど?
再びシワが寄った眉間を、ダーナの右手の人差し指が擦って来た。
派閥長になった後にこんなことされたら、流石にしばくと思うわよ?




