まだ風は吹かない2
【シナモンの祭壇 ユイカの断章】
近頃、クイドさんが行商にやって来る頻度は随分と増えた。
ノスキュラ村の特産品、アロエ軟膏の仕入れを領都の女性達にせっつかれているので、それも当然だろう。
移動が増えた分、大変そうだけど、馬車も、それを引く馬も、良いものにしてこなしているようだ。
「ユイカ様、本日もお時間ありがとうございます。こちら、つまらないものですが」
今日も、行商に来たクイドさんが、すっとお土産を差し出してくる。
あら、今日は干し柿だわ。好きなのよね、これ。
ニコニコしながらお礼を述べると、好物だと伝わったのか、クイドさんもしっかりと頷いた。
表情を確かめる癖がついたし、表情を読めるようになったみたい。上流階級の相手をする時は大事な能力よ、がんばって。
「それとこちら、イツキ様からお預かりいたしました」
「あら、イツキから?」
クイドさんがさらに差し出したのは木箱だ。サイズ的にはワイン用らしい。
目線で、なにか言伝があるかと伺うと、はっきりと答えが返って来た。
「中身については知らされていません。ユイカ様に贈り物とだけ」
「そう、わかったわ」
とすると答えは中にある。
木箱を開けると、ワインと、しっかり封をされた手紙が入っていた。
封蝋は、サキュラ辺境伯家の家紋、五枚花弁。領主代行としてイツキが手紙を送って来た、ということね。
なにか悩み事かしら。
イツキが、あんまりわたしに頼り切りだと、次期領主としてどうのこうのと騒がれてしまうから、わたしへの相談は最低限にするようにといつも言っている。
重要な案件の文書なら、情報の漏洩を恐れて信頼のおける騎士に運ばせるもの。
だからこそ、イツキがわたしと連絡を取っている、ということが隠せず、連絡を疎にするしかなかった。
ただ、今回は持って来たのがクイドさんだ。
クイドさんなら、イツキともわたしとも、定例で商談があるので、密かに連絡を取っても周囲に知られる心配が少ない。
その分、クイドさんが中身を探る心配はあるのだけれど、この行商人を、弟もそこまで信頼したということだろうか。
もし、そうだとしたら、今後はもうちょっと、弟とのやり取りがしやすくなるかもしれない。それは喜ばしいことだ。
「確かに、イツキからの贈り物は受け取りました。ひょっとしたらお礼の手紙をお願いするかもしれないわ」
「はい。行商の後、アロエ軟膏を受け取りに来ますので、その時に頂ければと思います」
「ええ、ありがとう。お願いするわね」
返事を預かることを想定して、村について一番に挨拶に寄ってくれたようだ。
嬉しい気遣いのお礼に、帰りの馬車で食べられるようなものをお土産に持たせましょう。
それは後で考えるとして、まずはイツキからの手紙を読んでみないといけない。場合によっては、クラインにも相談する必要がある。
ペーパーナイフを取り出し、封を切る。
中から出て来た手紙には、随分と面白いことが書いてあった。
「ふうん?」
王女様をサキュラ辺境伯家が預かる。これは一騒動だ。
わたしの頭の中、王国貴族達の情勢図は大分古くなってしまったが、それでも大きな勢力は十年くらいでいきなり変わったりしない。
数代に渡って評判のよろしいダタラ侯爵が、とうとう王族に噛みついたようだ。
王族の求心力はさぞ低迷することだろう。
なにせ、王女を自分の手の内で守り切れず、外に出すというのだ。自分の娘も守れない人物に、誰が一族郎党、領地領民の世話を頼めるものか。
これまで中央の勢力図は緩やかに変わって来ていたが、ついに一線を越えたのかもしれない。
徐々に増えていた川の水が、土手を越えて溢れだしたのだ。一気に時代が流れていく。
どこがこの流れを御するのか、まだわからないけれど……王女という手札を得たサキュラ辺境伯家は、中心になれる立ち位置にいる。
「もっとも……父上もイツキも、そんなこと全然考えていないでしょうけどね」
あの二人のことだ。「年端もいかない娘が可哀そうだ」の一言で、厄介事を抱えた王女殿下を受け入れたに違いない。
それは、笑みを伴う確信だった。
そうでなければ、野心の欠片もないような我が家でなければ、国王は娘を預ける先に選ばなかったろう。
そうでなければ、我がサキュラ辺境伯家は、これまでこの地に立ち続けられなかっただろう。
そうでなければ、実家とその家族のことを、わたしがこんなに愛することはできなかっただろう。
くすくすと笑って、返事の手紙を考える。
まずは、王女の受け入れについては、もちろん反対なんてしない。しっかりと守ってやりなさいと、アマノベの女として言ってやらなければ。
次に、軍子会への受け入れ。これは私も判断に困るところだ。
イツキは外側、例えばダタラ侯爵からの密偵などにしか対処を考えていないようだが、王女自身がどんな人物か知らないことが抜けている。
内側に入れた王女が、悪心を抱いた時にどう対処するのかが、弟の頭の中からすっぽり抜けているのだ。
王女自身は不幸な境遇にいる。それは間違いない。
もし、そのせいで心が歪んでしまっていた場合、王女自身にも警戒がいる。
外の見張りと同時に内の見張りが必要だ。サキュラ辺境伯家が身を守るために、そして王女自身の心のためにも。
丁度よいことに、マイカが入る予定だ。
あの子は、わたしとクラインの血を引いて、人を見る目がある。おかしな動きを見れば、すぐに気づくだろう。
ただ、マイカもこの村のことしか知らないし、なによりまだ幼い。
なにか危険に気づいたとして、適切に動けるだろうかと聞かれると、そこまで自信をもって頷けない。娘に対する親の心配性もあるかもしれないけれど。
それを補完する手もある。
それが使えれば完璧だ。完璧すぎて多分やりすぎてしまうと思うけど、それは良い。やりすぎてもらおうとさえ思ってしまう。
でも、流石に本人に黙って、貴族の問題に巻きこむのは気が引けるわね……。事が事なので、迂闊に説明もできない。
悩んでいたら、外でマイカの声がした。大変に元気な我が娘だけれど、特に元気が良い声からして、どうやら娘の想い人が来たらしい。
良いところに来たわ。
ちょっと誤魔化しながらになるけれど、本人に直接聞いてみましょう。
ドアを開けると、アッシュ君が木槍――というより、ただの木の棒――を手にしている。
領都に行くことを勧めてから、クラインが簡単な武芸を教えているけれど、今日はマイカと稽古に来たらしい。
良いことだ。
軍子会では武芸の時間もあるから、というよりも、農民出身の参加者ということで、アッシュ君への風当たりが強いことが予想される。
その時に、ある程度の腕っ節があれば、手出しも減ることだろう。
いえまあ、軍子会ぐらいの年代の子がちょっかいを出す程度で、どうにかなるアッシュ君だとは思わないのだけれど。むしろちょっかいを出した子がどうなるか心配だものね。
事故が起きないよう、アッシュ君のわかりやすい危険度を上げておくのは良いことよ。本当に。
「アッシュ君、ちょっと良いかしら」
「はい、なんでしょう」
「う……なぁに、お母さぁん……?」
マイカとアッシュ君の挨拶が終わったところに声をかけたら、アッシュ君は相変わらずの良いご返事で、マイカは頬を膨らませた。
二人きりの楽しい時間を邪魔してごめんなさいね。ジト目で睨まないで、可愛いだけだから笑っちゃいそう。
「ちょっとね、アッシュ君に質問があるんだけれど、お時間をもらってもいいかしら?」
「はい、どうぞどうぞ、それくらいでしたらいくらでもお答えしますよ」
アッシュ君がにっこり快諾した後ろで、マイカの頬がさらに膨らんだ。突っついたら破裂しそう。
ふふふ、悪いわね、マイカ。
やっぱり、アッシュ君はお母さんに甘いのよ。いつもの彼なら、マイカにも確認してから答えただろうに、わたしのお願いなら即答してしまう。
がんばってこの悪いお母さんからアッシュ君を奪い取ってみなさい。
「じゃあ、マイカとの約束もあるだろうし、手短に聞くけれど……。物語にあるようなお話として」
アッシュ君にぼかした説明をするなら、この言い訳が一番よね。
実際、物語と聞いてアッシュ君の目が輝いた。
「可愛い女の子が、周囲の人間からいじめられている話ってあるわよね? 継母とか、引き取られた親戚の家族とかが、女の子に意地悪したり、重労働させたり……最終的には、王子様に見初められたりして幸せになるっていうの」
「ああ、灰かぶり系ですか? 苦労が報われ、善人が成功する。日陰者にさせられていた人物が、徐々に明るく輝いていく。この手の話には、王道の爽快感がありますよね」
「そうそう、そういうお話なんだけれど……。アッシュ君は、もしもそういう女の子――ヒロインがそばにいたら、助けてあげようとする?」
こう聞けば、若い子の答えなんて決まっている。
「もちろん、できる限りのことはしますとも! かぼちゃの馬車を用意する魔法使い役ですね! 徐々に輝いていく女の子を見るのは面白そうですからね!」
あ、王子様役ではないのね。ちょっとびっくりすると共に、納得もする。
どうしてか、その答えはすごくアッシュ君らしい。
綺麗になったヒロインの手を取りたいのではなくて、綺麗になっていくヒロインを見たいだなんて、言われてみればその方が趣深い。
「うんうん、流石はアッシュ君ね」
期待通りの返事をしつつ、予想の斜め上の辺りが特にそう感じる。
「じゃあ、もう一つ質問。そのヒロインが、とってもわがままで意地悪な……そう、実は悪い女の子だったら、どうする?」
見て見ぬふりをするだろうか。
それとも止めるのだろうか。
前者の傾向なら、王女様を任せるのにちょっと不安が残る。
後者の傾向なら、安心して任せても良いだろう。
「えっ、それはもったいないですね! せっかく灰かぶり姫になれるポテンシャルがあるのに、それを活かさないなんてとんでもない! 是非とも改心して頂いて、どこに出しても恥ずかしくないヒロインにして差し上げなくては!」
「……ヒロインにして差し上げるの?」
「もったいないですからね! 大丈夫ですよ。性根がわがままで意地悪でも、状況に合わせて本音と建前を使い分ければ良いんですから。大体の人間なんてそんなものですし」
まあ、それはそうなんだけれど……。
う、う~ん? 止めた上でヒロインにしてしまうのね。そう、そうしちゃうの……。
う~ん……アッシュ君は難しいわね!
けど、うん、とにかくアッシュ君なら、王女様を相手にしてもどうにでもしそうだなと思った。
アッシュ君だものね。
「じゃあ、アッシュ君にお願いして良いかしらね」
「はい?」
「アッシュ君にお願いしたいことがあるの。アッシュ君でないと任せられそうにないことなのよ」
「なんだかよくわかりませんけど……ユイカさんにそこまで言われたら、できる限りのことはしますよ!」
はい、とっても元気で良いお返事です。
「じゃあ、お願いしちゃうわね」
王女様のこと――とは心の中だけで付け足しておく。
ひょっとしたら、サキュラ辺境伯家と王家を巻きこんだ大騒動になるかもしれないから、気をつけながら好きなようにやっちゃって頂戴。
細かいところは、イツキやリイン、それにお父様がなんとか良いようにするでしょう。
さて、わたしはニコニコご機嫌だけれど、マイカがさらに不機嫌になってしまった。
でも丁度良いことに、わたしには娘の機嫌を取るための用事がある。
「さっき、クイドさんが実家からのお手紙を届けてくれたの。これからその返事を書いて届けてもらうのだけれど、なにかお礼の食べ物を持たせてあげたいと思って……アッシュ君、任せるから、なにか作ってくれる?」
「それなら、私にもできそうですね。ええと、材料とか……こういう食べ物、という希望はありますか?」
「家にある物ならなんでも使って。あとは、そうね、甘いお菓子が良いかしら? マイカも食べたくない?」
わたしが甘い餌で誘うと、マイカの尖った唇がもにょもにょと柔らかくなる。
「……食べたい、です」
「そういうことだから、お願いできる? もちろん、わたしも食べたいから、多めにね? 手紙の返事を書くから、手がしばらく空きそうになくて……」
「はい、では、お引き受けしますね! 前振りがなんだか壮大だったので、どんなお願いが来るのかちょっと身構えましたよ……? ひょっとしてかぼちゃの馬車型のお菓子とか、面白いのを期待されています? ううん、道具もなしにできますかね……」
あら。ひょっとして、最初のお願いの内容が、お菓子作りだと思っちゃったかしら?
そうね、ちょっとだけ、紛らわしい言い方になっちゃったかもしれないわね。隠さないといけないことが多いから、仕方ないわね。うふふ。
わたしが口元を押さえて笑っていると、マイカの目がなにかを察知して細められた。
明らかに警戒している。良い反応だ。
そうよ、お母さん、実は若い子を騙しちゃうような悪い魔女なのよ。
だから、あなたはアッシュ君を守って、この悪い魔女からアッシュ君を助け出しなさいね。
ひっそりと口元の笑みを見せると、マイカの警戒は厳戒態勢になったらしい。
アッシュ君の手を繋いで台所の方へと引っ張って行ってしまう。
「アッシュ君、いこ! あたしもお菓子作り手伝うから!」
「あ、そうですね。お願いします。それではユイカさんまた後でー!」
ぐいぐい引っ張られながらも、平気な顔でアッシュ君も去って行った。
さて。アッシュ君が無事、わたしのお願いを聞いてくれるようなので、イツキへの返事が決まった。
マイカと一緒にアッシュ君を送りこめば、マイカが気づかない部分まで手が届くだろう。
例えば、なぜか農民の子と領主一族の末弟が同室になったとか。あの子なら絶対に訝しみ、興味を持つだろう。
そこからどう動くかは……わからないわね!
こればっかりは、実際のアッシュ君の動きを見てみないことには、さっぱり。
でも、悪いことにはならないと思う。
あの子は、変わり者であっても疫病神の類ではないのだから。本人の自称だけれどね。
それでも自信がある。
我が家の末弟になるという王女様が、悪い人物でなかったらば、その時、あの子はできる範囲で手を差し伸べるだろう。
もしも、王女様が悪い子だったら? その時は良い子になるまで、アッシュ君に振り回されてしまうみたいだ。
あの子はわたしが惚れこむほどの怪物だから、悪い子くらいでは歯が立たないだろう。
どちらにせよ、サキュラ辺境伯家には良いことだ。
顔も知らない王女様に、得体の知れないアッシュ君をぶつける。
全く予想がつかないけれど、不思議と安心感しかない計画だ。
さあ、どんなことになるかしら。
面白い物語の続きを伺うように、わたしは手紙を認める。
わたしの可愛い末弟になる王女様を軍子会に入れ、わたしの愛しい怪物と同室にするように、イツキに申しつけてやるのだ。
うーん?
流石にこれだけだと、イツキも渋るかもしれないわね。
客観的に見たら、わたしだって意味がわからないもの。クラインからも一筆入れてもらいましょう。イツキもクラインに懐いているから、不審に思っても飲みこんでくれるはず。
あとは、アッシュ君と同室になれば、欺瞞がもっと完璧になるとか、それっぽい理由を全部くっつけてしまおう。
嘘は言っていない。
一番の本音である、アッシュ君の能力に期待している、という部分が通じにくいだけなのだ。
こればっかりは、実際にアッシュ君の被害――もとい、アッシュ君に巻きこまれてみないことには、信じられまい。
その時になって、イツキがどんなに慌てふためくか、流石のわたしも心配でくつくつと笑ってしまう。
そばで見ていたい事件になるだろう。
ちなみに、アッシュ君の作ったお菓子は、蜂蜜漬け木の実入りのクッキーだった。
アッシュ君とマイカが森に出かけるようになって、いつもより多く採れた木の実を、ターニャちゃんの蜂蜜に漬けて保存しておいたものを使ったみたい。
木の実がしっかりと甘くて、クッキー生地に砂糖を使わなくても十分に美味しい。この味わいなら、領都で一緒に甘味を楽しんでいた侍女も納得するだろう。
実は大の甘党だったリインなんか、夢中になりそう。
近頃、村の甘味が充実してとっても嬉しいわ。やっぱり、養蜂を復活させてよかった。
そうだ。
これからは、木の実の蜂蜜漬けも村の売り物にできるかもしれない。森に行けば木の実はたくさんあるし、蜂蜜だけで売り出すよりも価値が上がる。
使用例としてこのクッキーもつければ完璧だわ。
うん、うん。
アッシュ君に今度相談してみましょう。マイカとアッシュ君を軍子会に送るのは、流石にちょっと負担だもの。少しでも売り物が増えるのは良いことだわ。
ほくほくとした笑みを浮かべて、クッキーをかじる。
本当に美味しい。
これ、クイドさんに持たせる分を残しておかないといけないのよね。……我慢できるかしら?




