まだ風は吹かない1
【シナモンの祭壇 イツキの断章】
次期領主になることが決まってから早十年を超え、領主代行になってからも数年が経った。
辛いこともあり、それなりの厄介事もしのぎ、毎年の冬の地獄期も乗り越え、次期領主としてなんとかやっていけそうだ、と自信が芽生え始めた。
そんな折に、王都の父から届けられた報せは、まだまだ自分が若造であると思い知らせてくれた。
『王女殿下を預かることにした。俺の末っ子にすることにしたから、お前の弟だ。受け入れ準備を整えておけ』
父、サキュラ辺境伯ゲントウからの手紙に、簡潔に書かれていたのはそんな内容だった。
あっさり理解できると思うか? 無理だよ、こんなの。
あたま、まっしろ。
おそら、きれい。
「イツキ様。イツキ様? ……失礼いたします」
スッパーンと頭を叩かれた衝撃で、綺麗な青空に見えていたものが、机の木目に切り替わった。
「お目覚めですね?」
声に顔を上げれば、いつも冷静な態度を崩さない侍女のランが、振り抜いた平手を楚々と組み直しているところだった。
「う、うむ……。久しぶりにお前に気付けをもらったな……」
領主代行になったばかりの頃、目の前の仕事に対処できなくて、俺はよく机に突っ伏した。
その度に、ランがしっかりしろと気付け――平手打ちをして叩き起こしてくれた。
いや、くれた、と言って良いのか。
ありがたくはあるのだが、もうちょっとやり方があるのではないかと思わないでもない……。でも、頭が真っ白になる俺が悪いからな。姉上ならこんな醜態さらすまい。
未熟をたしなめてくれるのだから、あまり強くも言えない。
「はい。わたしも久しぶりのことでしたので、少々感慨深く思います」
「平手打ちで浸れる感慨ってなんだ……?」
「この平手打ちの痺れが久しぶりだと思い至りましたら、近頃のイツキ様は次期領主らしくご立派になられたのですね、などとなにやら温かな気持ちが……。これが母性というものでしょうか」
「お前、年下だろう……」
もちろんそうですよ、とランは自分の年若さを主張してから、俺の右手に握りしめられた手紙をちらりと見やる。
「それで、わたしに母性を感じさせるほど成長したイツキ様が机に突っ伏すなど、どのような厄介事なのです?」
「あぁ、うむ。なんと言うか……。なんと言えばいいのか……。ほんっと、なんなんだ、これ」
いかん。
この問題に対して頭が働かない。全然対処法がわからない時の流れだ。
こういう時は、周りに相談するのが一番だ。
小さい頃は姉上が相談に乗ってくれて、その後は友人や妻、侍女が支えてくれた。
「とりあえず、ランもこれを見てくれ」
「イツキ様がここまでになるなんて、相当ですね……。では、拝見いたします」
握りしめたせいでシワが増えた手紙を受け取って、一文目からランの動きが硬直した。
普段、あまり表情の動かないランが、目をパチパチさせ、首を振って頭から読み直し、首を傾げてもう一度頭から読み直し、大きく溜息を吐いた。
「遺憾ではございますが、これはわたしの手には余る案件です」
「俺の手にだって余るって言いたい……」
領主代行と領主代行付き侍女が、そろって手に余る、と言い出したら大問題なんだが、いきなり過ぎてそれ以外の言葉が出て来ない。
「とりあえず、この苦悩に巻きこむ人を増やしましょう」
「あー、でもな、これ、相当な極秘案件になるぞ。……なるよな?」
人を多く集めて意見を募りたいところだが、そんなことをしたら後が面倒になるのは予想できる。
王族が継承権で揉めて、死人が出ているという話は、ここまで聞こえている。
その王族の一人を、サキュラ辺境伯家の末弟にして預かるって言うんだから、大声で言えない話だ。
「極秘になりますので、人は選びます。リイン先輩と、ヤエ様をお呼びして、相談いたしましょう」
「そうだな。その二人ならまず間違いない」
リインはサキュラ辺境伯家の重鎮の家だ。
リイン自身、ユイカ姉上の筆頭侍女として、次期領主のお付き侍女になる人物と見込まれていたほど、信頼も厚い。
姉上のやり方を知っている彼女から助言を得られるのは助かる。
ヤエは領主一族の出だから、身内だ。
突然増える末弟の相談をすることは当然であるし、神殿関係者として、俺とは違うところの手当ても期待できる。
それに、昔からユイカ姉上と比べられている妹分だけあって、俺より頭が良い。
「うむ。良い助言だ、流石はラン。その二人と相談の上、どう手をつけたものか判断が……できればいいなぁ」
できて欲しい。
できろ。
がんばれ、ちょっと未来の俺とリインとヤエとラン!
ほんっと頼む。
「あ、そうだ、バレアスも巻きこもう。あいつも呼んで良いよな?」
「ジョルジュ卿ですか? まあ、あの方でしたら秘密と言えば墓まで持って行くでしょうし。そうですね。軍部として、警備の問題もありますので、最初から呼んでおいた方がよろしいかと」
「では、至急連絡を回そう。俺はヤエとバレアスに声をかけて来る」
「わたしがお声がけして回るので、その間に残りの仕事を……と言いたいところですが」
ふふん。お前なら、俺がなんと答えるかわかっているはずだぞ。
果たして、期待通りにランは察してくれた。
「手紙の内容が片付かない限り、落ち着かずに他の仕事が手につかないのですね? 最優先の案件には間違いはないので、仕方ありませんね」
呆れておいて、リイン先輩のところに行ってきますと、ランもさっさと動き出す。
働き者の侍女は頼もしいが、それでも今回の案件はどうして良いのか見当がつかない。
姉上と連絡を取ることも視野に入れないとダメだろうな、これは。
****
全員が捕まったのは夕刻だったので、話し合いは執政館ではなく、領主館で夕食をしながら行うことになった。
色々と丁度よかったと思う。
父からの頭の痛い手紙を回し読みしてもらって、夕食を食べながらそれぞれの意見をまとめ、それから話し合いを始められる。
手紙を読んだり悩んだりしている間、手持無沙汰にはならない。
ヤックの料理の美味しさが半減してしまったのは、素直に申し訳ないし、もったいないと思うが。
「さて、我等がサキュラ辺境伯閣下の意向は、それぞれわかってもらえたと思う」
息子とはいえ、領主からの命令――と言うには大雑把だと思うが、我が家だとあれが立派な領主命令――なので、きちんと役職へ敬称をつけて、厄介事をぶん投げて来た父を呼ぶ。
「王都から王女殿下をお預かりする。その場合の立場は、俺の弟、閣下の末の子とする。つまりは身分を隠して保護をする、ということだな」
そこまでする理由は、手紙の二枚目以降、父についている侍女からの丁寧な事情説明によって把握できた。
中央の業突く張りが、王女殿下を使って権力闘争を仕掛けているらしい。
「イツキ様、確認をさせて頂きますが」
最初に声を上げたのは、リインだ。
「その王女殿下を利用している権力闘争とやらに、サキュラ辺境伯家はなんらかの利害関係があるのですか?」
「うむ、その辺の確認は大事だな。とはいえ、答えはわかりきっているとは思うが、そんなものない」
あるわけないのである。
サキュラ辺境伯家の初代は、確かに王都生まれ――というか、王宮生まれの王族だ。
中央貴族の中心に生まれた初代様は、当時は今よりずっと魔物被害で悩まされていた辺境に防壁を築くべく、先頭に立ってここサキュラにやって来た。
その末裔である俺も、数えるのが面倒なくらいの遠さだが、王位継承権があったりする。
だからまあ、王位継承争いが王都で起こっているとなれば、なんか口を挟むくらいの立場なんだとは思う。
でも、うちはそういった中央での利権は、とっくの昔に手を切っている。
辺境での仕事が忙しすぎて、中央のごたごたに付き合ってられるか。
それが、歴代のサキュラ辺境伯の正直な言い分だったのだろう。
実際、王都の社交場でそう言い放った当主も、歴代にはいる。一人とかじゃなくて数人。
俺の父も言ったらしい。王宮のパーティ会場、それも国王陛下の前で。
そんなサキュラ辺境伯家なので、王族の誰が国王になっても関係ないって態度だ。
実際、父もこれまで、王子王女の誰かを支持して派閥に参加している、なんてことしていない。
王女殿下が亡くなったとしても、生き延びたとしても、サキュラ辺境伯領の麦一粒ほどの増産もない。
……いや、流石に手助けすれば、いくらかの謝礼ぐらいは期待できるだろうか。
「つまり、王女殿下を預かったとしても、これといって得はないわけですね」
多少の謝礼があったとしても、大体リインの言う通りだ。
精々、国王陛下の覚えがめでたくなる程度だが、それくらいでこの辺境にどんな利益があるのやら。
元々、国王陛下と父はなぜか仲がよかったが、これといってなにかがあったと聞いたことはない。
これが中央貴族なら、「じゃあ、そんな面倒な話は断りましょう」となる。
でも、うちは辺境貴族なのであった。
「なら、王女殿下をお預かりしても、当家が探られるのは大分後回しになるはずですね」
それは結構、とリインがしっかりと頷く。
利害関係がないという事実は、防諜的に大変に安心できるというわけだ。
これといって得もないのに、すでに王女を受け入れる前提のリインに対し、同じ角度からヤエも同意を示す。
「油断はできませんが、リインの考えは妥当でしょう。中央貴族なら、まず利害関係のあるところから探しますから。あちらの方々は、儲けがなければ動かない、という本能をお持ちで、他の人間もそうだと思いこんでいます」
この二人が同じ意見なら、サキュラで匿うという父の突飛な話は良い案だ、と言えるんだろう。
中央貴族の意表を突いて、王女殿下に安全に過ごしてもらえる。
もちろん、俺も二人と同意見だ。
父の命令は、突然すぎて頭が痛いが、断ることは一度も考えていないし、考えるような者に声をかけたつもりもない。
幼気な娘一人を匿ってやるくらいできずして、この辺境で領民を守ることなどできるものか。
これは、サキュラ辺境伯家の意地である。
利害だの儲けだのの話ではない。貴族だ貴族の従者だと飾った身なりをしているなら、大人の都合で傷つけられた子供一人を守ってみせるくらいできなければ、みっともないではないか。
そりゃあ、利益もあればあるだけ嬉しいが、なくたって意地を張る身代ぐらい、この田舎者にだってある。
「この段階で、軍部としてはどうだ?」
騎士のバレアスに話を向けると、好戦的に受けて立つ、といった女性陣とは異なり、やや難しい顔をしている。
「防諜の意味で、そう簡単にここまで辿り着かれない、というのは良い話です。無論、いざという時は領軍が黙ってはいませんが、裏から手を回されるとなると、王女殿下に不自由をさせると思いますので」
「ああ、そうか。それは少し可哀そうだな」
暗殺がどうのとなると、護衛対象の動きを制限しなければならなくなる。遊びたい盛りの年頃にそれは辛かろう。
守るだけならどうとでもなるからと、そこには考えが及んでいなかった。
手紙にあった王女殿下の年は、十歳とあった。
同じ年頃の自分は、軍子会でバレアスと気持ちよく遊び回っていたな。
そう思えば、護衛のためだからと部屋に押しこめておくのは、罪悪感がある。
「正面からならなんとでもなるんだがなぁ」
「なので、正面から来ない場合を考えるべきでしょう。どのようにすればより安全に過ごして頂けるか、準備はできる限りしなければ」
「うむ。それは確かに、預かる以上は気を遣ってやりたいところだ」
軍子会かー。楽しかったな。人生の素晴らしさを学んだ、我が青春の日々だ。
あそこで、俺は最高の友と最愛の人を得ることができた。
ううむ、いかんな。
あまりに自分の軍子会が楽しかったものだから、お預かりする王女殿下にも軍子会を体験して欲しいと思ってしまう。
王女殿下の年は十歳、十歳か。
下限に近くはあるが、参加可能ではある。
そういえば、次の軍子会には、ユイカ姉上とクライン義兄上の娘であるマイカが参加する年だからと、リインの娘を始めとして有力な家から子供が参加する。
当然、運営や警備には力を入れなければならない。
そこに王女殿下が身分を隠して入るというのは、それほど無茶なことではないのではないか?
中々悪くない……いや、むしろ良い案に思えて、俺は顔を上げた。
「次の軍子会に、王女殿下を参加させるとしたら、どうだ?」
この思いつきに、真っ先に頷いたのはヤエだった。
「それはわたしも考えました。年頃からすると、軍子会に参加するのは当然の流れです。軍子会に入れる年になったので、教育のためにゲントウ閣下が隠していた子を認知したとすれば、いきなり子供が増えても不自然ではない、というか、わかりやすくなります」
おお、中々の良い感触ではないか。思わず頬が緩む。
しかし、ヤエは甘いことしか言わないような人物ではない。少し前までは辛口というか、毒舌で知られていた奴である。
「王女殿下の身分を隠す欺瞞工作としては、軍子会に入れた方が良い、とは思います。そうしないと、隠しているのではないかと探られる可能性が増すでしょう。ですが、実際に軍子会に入れて、問題がないかとなると、やはり不安はあります。そこはよく話し合わなければ」
この話し合いの席の面々は、いずれも軍子会を出ているから、それぞれの経験から問題を推測することはできる。
その中でも、軍子会の寮監を経験しているリインに視線が集まった。
「そうですね。軍子会は若い……いえ、幼い子供達の集まりです。王女殿下に不適切な態度を取る者、よからぬことをしでかす不心得者も心配せねばなりません」
リインの懸念することは、一同それぞれに思い当たる節がある。
礼儀作法が基礎教養であるはずの上流階級であっても、どうしても一定数の相応しからぬ輩はのさばっている。
分別の浅い若者ならなおさらだ。
「無礼なら罰して済ませることができても、王女殿下の秘密を興味本位で暴いて、軽率に広めてしまうこともありうると思うと、やはり慎重に考えざるを得ませんね」
一度秘密を暴露してしまえば、なかったことにはできない。
猿神様曰く、焚いた薪は戻らない、というやつだ。
「リインは軍子会に入れるのは反対か?」
尋ねると、難しい顔をしながら首を横に振る。
「反対、とまでは考えておりません。軍子会に入れない場合の問題も多々ございましょう。どちらがより王女殿下のためになるかと言われると……判断に迷います」
「そうか」
ちょっとだけ、俺はリインのような侍女が我が家に仕えてくれていることを自慢に思った。
リインは、王女殿下のためになるのはどちらか、と悩んでいる。
その身の安全だけではなく、未来の多い少女の人生において、このサキュラで過ごす日々が少しでも良いものになるようにと願っているからだろう。
昔、姉上の隣にいたリインは、よく俺を叱ってきた恐い存在だったわけだが、この年になってから思い起こせば、リインの面倒見の良さというか、世話焼きっぷりというか、苦労性ってこういうことかと感想が漏れて来る。
だって、家の関係でユイカ姉上の付き人になっていたのに、弟の俺のことまで叱れるほど、よく見ていたってことなんだぞ。
そのまま成長したんだから、そりゃあ現役侍女の中でも仕事ができる人物に名前が上がるわけだ。
ともあれ、リインも反対とは言わないようだ。
「バレアスの意見はどうだ?」
「警備の観点から言いますと、軍子会は同じ年頃の、限られた人数内の集まりですから、部外者が接触すればすぐわかる、という利点もあります。逆に、軍子会の他の人間を巻きこむ恐れがあるわけですが……」
なるほど。領の未来を担う人材が巻きこまれるというのは、許容できるものではない。
簡単に頷けるものではない懸念だ。一方、別な懸念もすぐに思いつく。
「かといって、軍子会に入れなかった場合、例えば領主館の個室にこもりがちにさせて隠したとして、顔を知っている人間がいないと気づかぬうちにいなくなって……などということもありえるよな?」
想定される厄介な事態を告げると、バレアスは眉をしかめた。
「そうなれば、顔を知る者が少ない分、捜索も難しくなりますね。やはり、どちらもどちらです。いずれにせよ、それに応じた対策を取るしかない」
どちらでも良い、という意見の後、ちなみに、とバレアスはさり気なく付け足した。
「サキュラ辺境伯家は、裏で動くより、表で動く方が得意だと自負しています」
こいつめ。
俺がニヤリと笑うと、我が友も同じように笑みを返して来た。
俺が王女殿下を軍子会に入れてやりたいと思っていることを察して、それとなく援護してくれたのだ。
もちろん、サキュラ辺境伯家の戦士達の本音でもあったのだろうが。
あと、近くの席でヤエが顔を真っ赤にしているが、まあ、惚れた男の良い顔を見ればそうなるものだろう。
こいつもすっかりお年頃だからなぁ。
早くバレアスと結婚してくれないものか。俺もばっちり応援するんだが。
「ともあれ、反対意見がないのなら、ひとまず王女殿下は軍子会に入れるという方向で検討していきたい。良いだろうか?」
最後に全員に確認すると、頷きがそろう。
「よし。では、今日はここまでとしよう。それぞれ考えて意見を持って来てくれ。ある程度溜まったら、また集まって話し合うぞ」
とりあえず俺は、姉上に手紙を書こう。
王女殿下を預かるのは良いけど、いきなり過ぎてとてつもなく不安だ。
こういう時だけでも、ユイカ姉上が領主になってくれないかなー、ほんと。




