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フシノカミ  作者: 雨川水海
特別展『断章』

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212/283

火の無い灯

【灰の底 アッシュの断章】

物語が始まる、前の話。

 子供が集まっての自由時間、原っぱで遊ぶ子供達を、ぼーっと眺める。


 これが、六歳にもならない僕の遊びだ。

 十倍年上の老人の日向ぼっことなにが違うのか、と聞かれたら、僕は答えよう。


 なにも違わない。


 少ない食料から得られるエネルギーを温存し、日々をなるべく穏やかに過ごす方法を追及したらこうなった。

 日向ぼっこする年寄りや、甲羅干しする亀と同じ行動に至るなんて、年の功と亀の甲が合わさった最強のなにかを手にしてしまった……。


「あ、アッシュがまた一人ぼっちしてる」


 通りすがり、遊ぶ子供が呟いて行った。

 そうだよ、ぼっちを満喫しているから、気にしないで向こうへお行き。


 同世代からも別世代からも、「アッシュは変な奴」と言われていることは知っているが、そんな評判よりご飯の少なさの方がつらい。

 他の子達みたいに遊び回っていたら、夜に空腹で苦しむんだよ。


 それは嫌なので、僕は遊び時間はひたすらお座りしている。

 木陰を提供してくれる頭上の樹木さんみたいに、光合成で生存エネルギーを補充できればいいのに、と思いながら。


 ぼーっとしていると、子供達の元気な声が段々と大きくなって来た。

 やや刺々しい空気の震え方が気になって、ちらりと視線を向けると、男子の集団の中に、ティーレ君の姿がある。


 ああ、喧嘩になるな、と察した。


 ティーレ君は悪い子じゃないんだけど、熱くなりやすいから、揉め事の中心になっている。

 年下の子が絡まれていると飛んで来て、絡んでいる子にぶつかっていく。そういうタイプ。


 今回もなにか、ティーレ君が見咎めるようなことがあったんだろう。

 口喧嘩で終われば良いけどなーと見つめる先、願いも空しくティーレ君が取っ組み合いを始めた。

 うん、知ってた。

 僕の淡い希望なんてどこの神様も聞いちゃくれないのである。


 仕方なく、僕は省エネモードを解除して立ち上がり、お腹に力をこめて叫んだ。


「あー! クライン村長、こーんにーちわー!」


 ああ、エネルギーの浪費だ。きっと今晩はベッドの中でお腹が鳴ってしまう。

 母さんに聞かれると、申し訳なさそうな顔をするから、すごく、すごくつらいのだ。

 あ、想像しただけで悲しい。


 僕の悲しみを代償に、取っ組み合いの喧嘩がぴたりと止んだ。やっべえ、とか言いながら、男の子達が散って行く。


「あ、待て! 逃げるな、お前等!」


 ティーレ君だけが、その場で喧嘩の続行を叫んでいる。逃げれば良いのに。

 クライン村長は来ていないけど、恐い叱り役はもうすぐそばに来ているのだ。


「なにやってんのバカティーレ!」

「うわ姉ちゃん!?」


 ティーレ君のお姉さん、サミー姉だ。

 喧嘩の多いティーレ君を止めているうちに、他の揉め事の時も呼ばれるようになってしまった、可哀そうな人である。


「いつもいつも喧嘩すんなって言ってんでしょうがこのバカはいつもいつも!!」

「だ、だって、あいつらが!」

「あいつらがなにしたって!」

「悪口とか……」

「でもあんたから手を出したんじゃないの!?」

「それは、その……でも、あいつら……」

「相手が怪我したら大変でしょ! 悪いことしてる奴にあんたが悪いことしてどうすんのって言ってるでしょいつもいつもいつも!」


 サミー姉にすごい剣幕で叱られて、ティーレ君、涙目である。

 大体、ティーレ君はこんな感じである。

 悪役怪人が暴れる物語なら、問題なく拍手されるヒーローになるんだろうけど、子供同士の言い争いから殴り合いになっちゃうと、まあ、理由がどうあれ、面倒を見る人にとっては頭が痛い問題だよね。


 サミー姉がきつい口調になるのもわかる。

 わかるけど、俯いてだんまりモードに入ったティーレ君に、これ以上のお説教はどうかなーと思うので、僕ももうちょっとエネルギーを使うことにした。


「サミー姉! あっち、あっちの子達、川の方に行ってないかなー!」

「え? あっ、こら、あんた達、川に近づく気じゃないでしょうね! アッシュ、ありがと!」


 こっちの呼びかけに反応したサミー姉が、慌てて駆け出す。

 元気の良い叱り声が遠のいて、穏やかな静けさが木陰に戻って来た。


 はあ、これで省エネモードに戻れる。

 よっこいせ、と腰を下ろして、静けさを楽しもうとすると、隣にどっかりと静かな感じのしない音に座られた。ティーレ君だった。


「村長、来てたんじゃねえの?」


 ぶっきらぼうな問いかけに、なんのことか、と首を傾げる。


「ただ挨拶の練習をしていただけだよ。挨拶は大事だって、母さんに言われているもの」


 僕は親の言うことを守るとても偉い子なんだ。

 なのに、ティーレ君ときたら、「自分はベジタリアンなんだ」と主張する蛇を見たような顔になった。


「お前、それ嘘つき……」

「挨拶の練習をしていただけなのに、どこに嘘があるの?」


 純度の高い真実を掲げると、ティーレ君はその威光の前に屈服したのか、仰向けに倒れこんだ。


「はああぁ……。あいつらをやっつけるのを邪魔したことに文句言おうと思ったけど、どうでもよくなった。お前、やっぱり変だよ、アッシュ」

「色々と失礼じゃない? サミー姉に叱られているところを助けてあげたのに」


 サミー姉とのことを持ち出されて、ティーレ君が唇を尖らせる。


「姉ちゃんもさぁ、もうちょっと俺の味方してくれたら良いのに……。あいつら、姉ちゃんの悪口を言ってたんだぜ。可愛くないとか、魔物みたいに凶暴とか」


 ふうん、悪口ね。でもそれ、あの子達の照れ隠しなんじゃないの。

 ここからぼーっと眺めていると、さっきの男の子達って、サミー姉のことよくちらちら見てるんだよね。

 自覚ないかもだけど、結構意識してるんじゃないかな。


「てことは、お姉さんの悪口を言われて、怒ってたんだ?」


 家族思いだなーと笑うと、ティーレ君は僕を睨んで来た。


「姉ちゃんには言うなよ……」


 そう脅してくるティーレ君は、耳まで赤い。

 可愛いので、いつかそのうちサミー姉に教えてあげよう。


 もちろん、僕は偉い子なので約束を破るようなことはしない。

 最初から約束を交わさなければ、結果的に約束は破られないので完璧だ。


「それはそれとして」

「おい、アッシュ?」

「それはそれとして! サミー姉のことを好きなのはわかったけど、それで喧嘩してサミー姉を怒らせたらダメだよ」


 やんわりとたしなめると、ティーレ君の唇は尖った。それはもう、キツツキみたいな尖り方だ。


「じゃあ、あいつらに言わせたままにしてろってのかよ」


 ご立腹のティーレ君に、そんなこと言わないよ、と首を振る。


「喧嘩をしなければ、サミー姉だって怒らないでしょ?」


 法に乗っ取らない制裁は喧嘩に分類される。つまり、合法的に制裁を加えれば良いのだ。



****



 次の日の早朝、僕はティーレ君を叩き起こして井戸に連れ出した。


「こんな朝っぱらから、なにするんだ?」


 眠そうに目を擦るティーレ君に、僕も目を擦りながら答える。


「井戸ですることなんて決まってるでしょ。水汲みだよ」


 もうちょっと言うと、水汲みのお手伝い。

 これから村のご婦人方が、毎朝の憂鬱な日課である井戸の水汲みにやって来る。

 つらい重労働だ。でも、男性陣は畑での重労働をがんばらないといけないので、ご婦人方もこれは自分の仕事と割り切っている。

 ご婦人以外に、力の強い子供や、奥さんと喧嘩して負けた旦那さんもやって来ることがあるけど、まあ、多いのはやはりご婦人である。


 で、僕とティーレ君は、これからそのお手伝いをしようと言うわけだ。

 非力な子供だけど、二人がかりで体重をかければ、多少はお手伝いになれる。


「なんでそんなことしなくちゃいけないんだ……」

「大好きなお姉さんのためなんだから、がんばって」

「だ、大好きってわけじゃ!」

「あ、ほら、最初の人が来たよ。おはよーございまーす」


 どうも、期間限定の水汲みお手伝いサービスだよ。今だけなんと無料、無料だよー!


 というわけで、朝のご婦人方に偉いね良い子ねとたくさん褒められながら、水汲みの重労働に勤しむ。


 ああ、エネルギーがどんどん消費されていく。

 ほら、ティーレ君、もっとがんばって。僕より年上でしょ。ほらほら、がんばって。

 もっと、もっと力をいれて! おお、すごいすごい。流石お兄さんは違うね!

 次もやって?


 負担を多めにティーレ君に押しつけながら――いや、だってそもそもティーレ君の問題だし。

 僕はその解決策を提示したわけで、労働力の配分は適切だと自負している――ご婦人方の井戸端会議に自然に参加する。


「ねえ、お姉さん達に、ちょっと聞きたいことがあるんだ」


 そう声をかけると、ご婦人方は「あらまあ」なんて嬉しそうに高めの声で笑った。

 お姉さんというのは、年上の女性に使う三人称であるので、年上の女性は全てお姉さんである。

 辞書にそう書いてある。


 どれくらいの年の差まで使えるか、なんて不毛な議論はしなくてよろしい。


「ええ、なにかしら! お姉さん達で答えられることなら、なんでも教えちゃうわ。うちの旦那の弱みでもいいわよ」


 あ、それもちょっと興味ある。

 そそられたけど、ぐっと我慢して、ティーレ君のための質問をする。


「やっぱり、お姉さん達も、男の子に悪戯されたり、意地悪を言われたりした?」


 ご婦人方は戸惑った顔を見合わせた後、質問の中身を理解して、ほろ苦い笑みを浮かべたり、明るい笑い声を上げたり、ちょっと剣呑すぎる目つきになったりした。


「あった、あった。嫌だって言ってるのに虫を持って追いかけ回されたりしたわぁ」

「お前なんか誰が嫁にするかーとか言われたっけねえ。今の旦那なんだけどさ」

「お気に入りのリボンを破いたあいつ、死んでも許さん」


 最後の人は、飢えた狼の唸り声だってもうちょっと優しく響くのでは? ってくらい低い声で呟いた。

 その台詞のお相手は、今もご存命なのだろうか、ちょっと心配になった。

 でも、深くは突っ込まない。飢えた狼の前にのこのこ出て行くような趣味はないよ。


 そうなんだーとご婦人方のそれぞれの思い出話にひたすら頷き続けると、そのうちの一人が、ふと僕を見て口を開く。


「でも、なんでいきなりそんなこと聞いたの?」


 その質問を待っていたからだよ。にっこり笑顔が出ちゃうね。


「遊んでいる子達を見ると、女の子に意地悪する男子が目について。あれ、大丈夫なのかなーって。女の子に嫌われたら、将来のお付き合いはどうするのかなーって、心配になったんだ」


 田舎の農村である。

 結婚はするのが普通だし、結婚相手は村内の人間が多い。もちろん、近隣の農村をお相手にすることも多いが、それでも将来のご近所付き合いにも影響が残るんじゃないかな。


 僕は、そんなことを考えてとても心配になってしまったんだ。

 でも、お姉さん達がそういうことされても、笑って許せているなら、大丈夫なのかな?


 小首を傾げて独り言を呟くと、井戸端会議の空気が変わった。


「全然大丈夫じゃないよね? これっぽっちも大丈夫じゃないね? 少なくともあたしはダメ」

「この年になれば照れ隠しだったんだってわかるけど、だからってあの時に嫌な思いをしたのは消えない。なんなら今でも旦那の顔を見ると腹が立つ時がある」

「死んでも許さんってことは絶対に許さんってことだ」


 お姉さんの顔ではなく、自分の娘や息子達がどうしているかを案ずる母親の顔を寄せ合って、あっという間に方針は固まった。


「ちょっとうちの息子を締めあげてバカやってないか吐かせて来る」

「こっちは娘から、誰が誰に意地悪しているか聞いて来る」

「他の奥さん達にも声かけて来る」


 厳しい刑吏の顔になったお姉さん達は、足音をそろえて、それぞれの一歩を踏み出した。

 お姉さん達の行く先々で、どれくらいの男の子が泣くことか。想像すると胸が痛む気がする。

 でも、僕は、それを止める立場にないので、涙を呑んで見送るしかない。


「はい、いってらっしゃ~い」


 笑顔で手を振っていたら、ティーレ君が、「自分は肉を一度も食べたことがない」と主張するワニを見たような目をしていた。


「なあ、アッシュ……今のってさ、ずるくない? 告げ口だろ……」

「水汲みに来たお姉さん達と楽しく会話しただけだよ」


 告げ口ってつまり密告でしょ?

 そんな冤罪が次々に生まれそうなこと、僕はしてない。


「近頃の僕達は、こういうことしているよって井戸端でお話ししただけ。これからなにがどうなるか全然わからないけど、それはそれぞれの家族の問題だよね。全然わからないけど」


 各家庭の検察官であるご婦人が罪状を捜査し、裁判官であるご婦人が罪の軽重を判断し、刑吏であるご婦人が処罰する。

 完璧なまでに合法的な流れだ。独裁政権下なら。


 人口一名のアッシュ民主主義帝国の僕の胸のうちには、一片のやましさもない。


「相手が悪いからって、自分まで叱られるようなことをしてたらもったいないよ。せっかく良いことしているんだから、最後まで良い人って言われるようにしないと」

「お、おぉ、そうだな? そう、か?」

「なに? ここは素直に頷いて良いところだよ。ほら、そうだね、って言ってごらん」

「え? えぇ? 今のアッシュのやってること、良い人って呼んでいいのかよ……」

「ティーレ君と違って、サミー姉に怒られないから良いんじゃない? サミー姉が怒るの、別に間違いとか、悪いことじゃないでしょ。だって、サミー姉は良い人だし、ね?」


 お姉さんを引き合いに出すと、ティーレ君は言葉が出なくなった。これに文句をつけたら、大好きなお姉さんが悪い人になっちゃいそうだもんね。

 納得いかねえ!って顔をしているけど、表情を気にしなければ問題ない。


「ま、そういうことだから、次からは取っ組み合いなんて危ないことしないで、こういう風にすればいいよ。サミー姉も笑ってくれるから」

「いや、無理だろ。こんなのお前しかできないって」

「できるできる。やればできる。やらねばできぬなにごとも」


 それに、これができないと毎度毎度サミー姉に怒られるだけなんだから、無理でもやるの。

 冬の井戸水に匹敵する熱をこめて応援してあげているのに、ティーレ君は困った顔をするばかりだ。

 若いのに気合いが足りない。若さに任せて無謀な挑戦とかすればいいのに。若いうちに苦労しておけってよく言うでしょ。

 あ、僕はそういうの、疲れるから遠慮するね。


 謙遜の美徳を山盛り使って、すっと距離を取る。

 とりあえず、大変なサミー姉への援護はした。


 あの人はよくがんばっているからね。苦労性っていうのは、サミー姉みたいな人を言うんだろうな。

 あの年で苦労性だなんて、不憫で涙が出て来そうだ。目元を押さえると水気が手に触れる。

 さっき井戸水を汲んでいたから、指が濡れていた。

 冷たい。


 明日からまたのんびり省エネの日々がやって来るだろう。

 そのうち光合成を成功させたい。僕の大いなる野望だ。


「あ、そうだ! アッシュがこれからも力を貸してくれたらいいんじゃん!」


 ティーレ君? 僕、それについては、いいよ、なんて言わないからね?

 絶対に言わないから、肩組んで来るのやめて?

 そんなことされても手伝わないからね!

 絶対手伝わないから!


 僕の静かな日々に、友達が一人、強制的に増えた。

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― 新着の感想 ―
めっちゃいい話だったけど。 そりゃアッシュも絶望度が深くなるよ。 こんな元気だったはずなのに。
微笑ましいエピソードなのに、泣けそう。 サミー姉とティーレくん、どちらも亡くなってそう。
[一言] 掘り下げ嬉しいけど、くるものがあるなぁ。 苦しいなぁ。生きててほしいなぁ
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