降伏宣言(ぐだぐだ)
【灰の底 ダビドの断章】
アッシュに説教された。
息子のくせに生意気な。
なんで説教されたかというと、「シェバのことを褒めてない」だと。
バカ言え、まだまだ小さいお前にはわからないかもしれないが、そんな軽薄なことができるか。
しかも、あれだ、褒めろと言われたのが、シェバの手が綺麗になったことについてだ。
確かに、確かにそれには俺も気づいていた。
アッシュが変な葉っぱから作った、ぬめっとした薬をシェバが使うようになってから、あいつの手は綺麗になった。
それを褒めてやれとアッシュは偉そうに言うのだ。
まあ、それくらい……できるか! こっ恥ずかしい!
大体だな、あいつの手は確かに荒れていたけど、それは働き者の手であって、それもあいつの魅力なんだ。
昔っから世話焼きで、よく家事の手伝いもしてて、悪戯ばかりだった俺とは違って良い子だった。
まあ、ちょっと気が強くて、男どもが女子にちょっかい出して泣かせたりすると、ホウキ片手に殴りこみに来るとかもあったけど……。
とにかく、シェバの手が綺麗になったのは確かだけど、それでわざわざ褒めるほどあいつの魅力が増えるってわけでもなくてな……。
色々考えながら、家に帰る。
竈からはスープの煮える良い匂いが漂う。シェバは、今日も料理を作ってくれている。
「今戻ったぞ。畑は問題ないな」
俺の言葉に、シェバは、そう、と一言だけだった。
振り返りもしない。
うん、めっちゃ機嫌が悪い。
これが、アッシュが俺に説教した理由だった。アッシュが言うには、手のことを褒めないから、シェバの機嫌が悪くなったんだとか。
いやいや、まさか、それくらいでシェバが怒るわけが……。
あいつはユイカ様に憧れてお淑やかに振る舞うようになったし、子供もできて落ち着いた。
それが、俺の褒め言葉一つで、ここまで怒るわけがない。
でも、今朝は俺の分のスープを、皿に取ってくれなかったんだよなあ……。
「あー、シェバ?」
呼びかけに、今度は返事もない。
狭いこの家で、声が聞こえないなんてあるわけないだろうから、構わず声を続ける。
「ええとだな、まあ、こんなこと言っても、別になんてことないと思うんだが……いや、それなら言わなくてもいいだろって話なんだが、それでもまあ、ちょっとな、気になったっていうか、気づいたからにはっていうか?」
うん。なにを言おうとしてたんだっけ。
どういう風に切り出せばいいのか、俺は会話の迷子になった。
ひどい話の流れに、シェバが呆れた顔をこっちに向けた。
「いや、ちょっと待て。わかった、よし、簡単に、言いたいことだけ言う」
つまり、あれだ、そう。
「お前は、綺麗だぞ」
そう、綺麗だぞ、シェバ。
でも、俺よ、大分おかしな話にならなかったか。
手が綺麗だと褒めるっていう目的があったはずだ。手はどこに行った?
まあ、ちゃんと腕の先にくっついているから、どこにも行ってないんだけど、そういう話じゃないよな。
ふーん、とシェバが素っ気ない吐息を漏らして元の姿勢に戻った。
「いや待った。もうちょっと待ってくれ。あれだ、言葉が足りなかった。お前は綺麗だけど、手がほら、あれだろ、アッシュの変なの使ってから、調子よさそうで、なによりだな。うん。でも、その前からも綺麗だったからな!」
いかん。なに言ってるかわからなくなってきた。
いや、最初からわかってなかった気がする。
案の定、シェバの背中は、どうでもよさそうに「ふーん」と頷いただけだ。
くそ、だからこんな恥ずかしいことしたくなかったんだ。
男は黙って働いてればそれでいいんだ。
荒れた手だって、働いた証拠、わざわざ薬を使う必要なんてないんだよ。
まあ、それは、ひび割れとか、ささくれとか、特に水に触ると痛いから、治るんならその方が良い気はするけど……。
他にできることも思いつかず、一人で壮絶にすっ転んだ心地でテーブルに突っ伏す。
疲れた。
緊張した。
俺、ほんとこういうのダメだ。
変なことさせやがって、後でアッシュに文句言ってやる。
「ダビド」
「んあ?」
呼ばれて顔を上げると、シェバが正面に座っていた。
「手を出して」
なんでだよ? 尋ねる前に、テーブルに投げ出していた手を取られる。
俺の手を握るシェバの手は、どきりとするほど滑らかだった。
「ほんと、手も綺麗になったな」
「アッシュのおかげでね」
笑う顔は、昔と変わらず綺麗だ。
喧嘩した後に見るシェバの笑顔が、一番綺麗だと思う。
生まれた時からの付き合いだが、俺が謝って、シェバが笑う。
これがいつも仲直りの合図だった気がする。
「どうせ、ダビドのことだから、荒れた手は働き者の証だとか、そんな変なこと考えてたんでしょう」
あ、はい、その通りです。
図星をぶっ刺されて黙り込む俺の手に、シェバはぬめっとした薬を塗り始めた。
「あなたが働き者なのは、手荒れなんかで示さなくてもちゃんとわかっているんだから」
「いや、まあ……そうか?」
「そうよ。だから、手荒れが治るんなら、あなたも治して」
手を握った時に、ひび割れが当たって痛いのは嫌よと、シェバが笑う。
優しく握られた手が、心地よかった。




