ペドラー・クイド3
【灰の底 クイドの断章】
ユイカ様に呼び出された時の、俺の気持ちはどんな感じだと思う?
「死にそうな顔してるぞ、お前」
フォルケ神官が言った通りの気持ちだよ!
お釣り誤魔化し以外、良いことも悪いこともした覚えがないから、呼び出しとか嫌な考えしか浮かんで来ない。
いつもの行商が終わってから、帰る前に村長家に寄って欲しいそうだが、今からなにを言われるかと頭が一杯だ。他のことが手につかない。
すでに三回ほど勘定を間違えて、その度にアッシュ君の笑顔が瞼の裏に浮かんで卒倒しそうだ。
相当顔色が悪いのだろう。
さっきから来る客来る客、皆に「大丈夫か」と聞かれている。ついに、亡者神官とか呼ばれていたフォルケ神官にまで言われる始末だ。
「病気か? まだ若いんだから、しっかり飯を食って、ぐっすり寝るんだぞ。ここでお前が死んだら俺の仕事が増える」
気づかってくれているんだか、自分のことしか考えていないんだか、フォルケ神官の言葉はよくわからない。
ただ、言葉だけでなく、態度を見ればその内心がよくわかる。
この神官の眼差しは、領都の神殿から配達を依頼された本に固定されているので、あんまり俺のことは心配していないはずだ。
うーん、フォルケ神官は本当にこう、よく神官やってるなこの人って感じがする。
領都の(美人で有名な)ヤエ神官とか、まさに神官って感じの人とは真逆だ。
「ふん、やっぱりこの程度の本しかないか。これじゃ、アッシュが満足するかどうか……いや、絶対しねえよなぁ」
アッシュ君の名前を聞くと、びくっとしてしまう。
いや、アッシュ君でなくても、運んで来た物に問題があるのはよくないな! 俺はがんばって真面目な行商人としての態度を引っ張り出す。
「ええと、なにか問題ありました? 神殿の人から受け取った本を持って来ただけなんで、中身についてはちょっとあれなんですけど……」
「ああ、お前さんに問題はないぞ。アッシュが欲しがっている本の内容がな、ちょっと手に入れるのが難しくて……というか、そもそもどういう本かって説明が難しいんだよな。あいつも、面倒な注文だとわかっているから、お前さんが気にすることはない」
「なら良いんですけど……」
神官達がこんなに難しい難しいと口にするなんて、一体どんな本なのか。
俺も文字が読めるから、一応受け取った本のタイトルくらいは見ているけど、さっぱりわからなかった。
畑に関係する本っぽいのはわかった。「農法」とか「農学」とかいう言葉があったからね。
フォルケ神官は、そのなんかわからん難しい本を肩叩きに使いながら、こっちを見た。
「お前さんも、これから大変らしいが、まあがんばれよ」
「あ、はい、ありがとうございます?」
咄嗟に答えてから気づいたけど、俺ってなんか大変なことになるの?
フォルケ神官、なにを知っているの? 俺はなにも知らないんだけど?
疑問を一杯にこめてフォルケ神官を見たけれど、神官っぽくない神官はすでに背中を向けていて、さっさと教会に帰ってしまっていた。
物語で不吉な予言だけしていなくなる魔法使いかなにかなの、あの人。
そんなだから、他の村人から太陽嫌いのお化けみたいな扱いされるんだと思う。
****
さて、残念ながら本日の行商が終了してしまった。
商品を並べている最中は、呼び出しの内容が気になって集中できないから、早く店じまいしてしまえと思っていた。
でも、実際終わって、いざユイカ様のところに足を運ぶとなると、呼び出しの内容が気になって体が重くなる。
もうちょっと、お店を開いていた方がいいんじゃないだろうか。
遅れて来る人とかいるかもしれない。たまにあるんだ、用事があって来られなかった人とか。
だからもうちょっと、と怠け心がのっそりとベッドに潜りこもうとしたのを、真面目心が引き止める。
待てよ自分、あのユイカ様を待たせることになったら、そっちの方が恐ろしいだろう。
そのことに気づいて、体は俊敏に後片付けを済ませて、村長家まで走った。
「あら、クイドさん、そんなに急いできてくれたのね」
肩を上下させる勢いでゼエハア息をする俺に、ユイカ様が微笑む。
「ありがとう。ごめんなさいね、忙しいのに呼び出しなんかしてしまって」
「い、いえいえ、ははは、これくらいなんてこと、ははは! ど、どんな用件か気になって、勝手に急いだだけですんで、ははは!」
とりあえず好感触! だと、思う。
ユイカ様は、こんな小さな村にいるのが不思議なくらい偉い人だから、正直俺なんかだとこの手の人達がなにを考えているか読み取れない。
貴族絡みの偉い人って、口先で言っていることと腹の中が一致しないのだ。
領都の侍女達とか綺麗な顔で微笑みながら、すげえ細かく税金のチェックしてくる。
綺麗なお姉さん相手に、鼻の下を伸ばして余計なこと喋りまくり、揚げ足取られて罰金食らう間抜けな商人は、毎年一人は話題に上る。
たまに、衛兵の兵舎で酒飲んで泊まっていくような、表しかなさそうな貴族もいるけどね。
ユイカ様は、商人が気を引き締めないといけない侍女タイプの人だ。
まあ、この人を相手に鼻の下を伸ばしたりしたら、旦那さんのクライン卿に怒られるから間違ってもできないけど。
いくら綺麗な人だからって、あの首狩りクライン卿に睨まれるなんてとんでもない。
「ええと、それで、どんなご用件でしょう?」
「立ち話をするには立てこんだ話だから、どうぞ上がって」
「あ、はい」
口で即答しながら、腹の中で絶叫する。
長い話になるのかー! 恐い、恐いわー!
帽子を取って、身を小さくして恐れ多くもユイカ様の家、首狩りクライン卿の家へとお邪魔する。
ユイカ様もなんでこんな村にいるんだって人だけど、クライン卿もなんでこんな村にいるんだって人だからね!
俺みたいな、元領軍所属の人間からしたら、むしろクライン卿の方が身近で恐ろしい。
知ってる? あの人、決闘で百人斬りの記録を持ってるんだよ。
今の領軍には、あの人にボッコボコにされた人と、あの人に稽古をつけられた人が山ほどいるんだよ。
その人達でも俺をボコボコにするほど強いんだから、その人達が口をそろえて「勝てる気さえしない」と言わしめるクライン卿がどんだけ化け物かっていう話だ。
テーブルに案内されて、恐る恐る座ると、ユイカ様が苦笑した。
「ええと、悪い話ではないから、肩の力を抜いてもらって大丈夫よ? ちょっとわたしの実家の方に、手紙と品物を届けて欲しいの」
「あ、そういうことでしたか。はは、なにか粗相をしてしまったのかと思って」
用件を知らされてみれば、なんてことないもの、行商人の通常業務だった。
まあ、ユイカ様の実家って領主様の家だから、緊張することはめっちゃ緊張するんだけど、バレアスに仲介してもらえば、届け物くらいならそこまで面倒ではない。
「では、物をお預かりします……あ、大きい物とかですか?」
「今回は、手荷物で済むくらいよ。小分けになっているけど、まとめて布に包んでおいたわ。潰したりしないよう、気をつけてもらいたいの」
「ええ、ええ。ユイカ様からの預り物ですから、大事に扱わせて頂きますとも」
返事をしながら、ユイカ様がちらりと見た方を確認する。
空いた椅子の上に、片手で持てるサイズの布包みが置かれている。これくらいならなんの問題もない。
万が一にも潰れないよう、どういう風に荷物を配置しようかな、と頭の中で考える。
「それでね、クイドさん」
塩とかが売れて荷馬車は軽くなったが、その分、かさばる麦を仕入れたので詰め方が難しい。などと考えながら、ユイカ様の呼びかけに頷く。
「この手紙と品物を届ければ、後日実家の方から返事が来るはずなの」
「ああ、はい。そちらもお届けすればよろしいんですね?」
「もちろん、それもそうなのだけれど、今後の継続的な商売のお話になる予定よ。それで、よければクイドさんがこの商売の仲介してくれないかしら」
「なるほど。わかりました」
「まあ、即答してくれるなんて、判断が早いのね。いえ、とても嬉しいわ」
「ははは、ユイカ様がおっしゃることでしたら、できることならなんでもしますよ」
ところで、俺、今なんの話に頷いた?
頭の中が、荷馬車の整理整頓で半分埋まってて、もう半分が手紙の返事を受け取るってところで一杯になったんだ。その後、ユイカ様はなんて言った?
「ええと……それで?」
今、背中に冷や汗がめっちゃ出て来た。
ユイカ様、詳しいお話をして、俺がなにも考えずに頷いた内容がどんなものだったのか、説明して頂けますか!?
「ええ、ええ。詳しい中身を説明しないとよね。実は……クイドさんも、アッシュ君のことは知っていると思うのだけれど」
「知ってます。よく知ってます」
未だにこう、心臓がきゅってするくらい、よく知ってます。
またアッシュ君か! なんか変なご縁ができちゃってない?
猿神様~! 助けて猿神様~!
「アッシュ君が、新しいお薬を作ったの」
「……どっかで聞いたことあるお話ですね?」
「あら? クイドさんも知っていたの? 今はまだ広めたくないお話だったのに」
ユイカ様の目が、すっと細められた。わあ、恐い。
税金のチェックするお姉さんに似た眼差しは、商人共通のトラウマだよ!
「い、いえいえいえ! ちょっと、あの、この前、アッシュ君が紙とペンとインクを買いに来ましてね!? なんかその、変な葉っぱで薬を作るためとかなんか言っていたなって!」
「そう……。アッシュ君ったら、自分がすごいことしている自覚が薄いのね」
困ったものだわ、と溜息を吐きながら、ユイカ様の眼差しは緩まない。
なんだろう、と俺は焦る。今のユイカ様が、なにかを無言で伝えているのはわかる。
でも、その内容が中々理解できない。必死に考えて、背中の冷や汗の量を増やしながら、恐る恐る口を開く。
「ええと……アッシュ君から聞いた話については、どんなものができるかとか、いつできるかとか、全然知らなかったので、誰にも言ってません、よ……?」
果たして、俺の判断は正しかった。ユイカ様がにっこりと笑う。
「ああ、よかったわ。クイドさん、これからもよろしくね?」
「あ、はい。それはもちろん、こちらこそって言いますか、ははは」
こわーい!
これあれだ、やり口がアッシュ君と同じだ。直接はああしろこうしろと言ってこないけど、あれするなこれするなとブスブス釘を刺されている。
悪い話じゃないってユイカ様言ったじゃないですかー!
ううぅ、お家帰りたい。
可愛い嫁さんの待つ家に帰りたい。
……可愛い嫁さんいないけど。なんなら「可愛い」を外してもいないけど。
「うん、良いお返事ね。そんなクイドさんにだから、このお話をお願いできるわ」
「は、はい、ありがとうございます」
がんばって作った笑顔で、褒め言葉なんだか、釘刺しなんだかわからないユイカ様にお返事する。
なんか、ただの手紙配達では済まない話になっている予感がする。
俺の人生は一体どこに向かって走り出したんだ……。
「それで、さっき言った商売のお話だけれど……アッシュ君のお薬の話をしたんだもの。もう予想はついているかしら」
すみません、話の出だしでいきなり聞き逃してた間抜けなんで、予想は全然ついていません。
とはいえ、正直にそんなこと言えないので、めっちゃがんばって予想をつける。
「そのぉ……話の流れからすると、そのアッシュ君の薬を、領都で売るんですか?」
口に出してみると、それ以外のどんな予想がありうるんだって感じだ。
緊張のせいで、頭が回っていない。心臓がまだきゅってしてる。
「ええ、そういうこと。最初からたくさんは売れないだろうし、この村でもたくさんは作れない。だから、まずはわたしの実家の方に少数だけ売るつもりよ」
「な、なるほど? ええと、じゃあ、今回の手紙と品物というのが、その、それで?」
ユイカ様は、謎かけに答えた子供を見るように、笑って頷く。その手が、準備された布包みを軽く叩く。
「これを弟に見せて欲しいの。もっとも、使うのと買い取り希望をするのは、周りの侍女とヤエになると思うけど」
自信たっぷりの言葉に、中身を知らない俺は「そうなんですか」と頷くしかできない。
女性向けの薬ってことかな? ……聞いてみたいけど、大丈夫かな。女性関係の話には、男が突っ込むと蹴っ飛ばされるようなものもある。
同じ話題でも、バレアスなら許されて、俺だと許されないとかもあるしな!
俺が知る必要があるんだったら、ユイカ様がちゃんと説明するはず。
どうだろうかと視線を向けると、頷きが返った。
「アッシュ君が言うには、傷薬よ。火傷にも、切り傷にも、擦り傷にも、打ち身に虫刺されなんかにも、それはもうたくさんの傷に効くの。それはわたしも保証するわ」
ユイカ様が力強く断言する。なんだかすごそうだ。
アッシュ君が見せてくれた、あの気持ち悪いねばっとしたものを垂らす葉っぱが脳裏を過ぎる。
……すごそうだ!
「でも、そんなすごい傷薬なら、女性でも男性でもよさそうじゃないですか? ほら、衛兵とかよく使いますよね」
俺も元々衛兵だから、そのことはすぐ思いつく。
「そうなのよ。だから、ゆくゆくは、色んなところで、たくさん売れることになるわ」
ユイカ様が、ゆっくりと口にした内容に、俺は手を打つ。
「あ、そうか。最初はたくさん作れないって、さっき……」
「ええ、そういうこと。最初はちょっと用途を絞って販売しようと思うの。その方が混乱しないでしょう? 混乱しなければ、品物についての良い評判も広がりやすいと思うの」
「うわあ、なるほど。すごく勉強になります……」
思わず、ユイカ様の顔を、その美貌とは無関係に見つめてしまう。
すごく色々と考えている人だ。こういうところまでしっかり考えられる人が、成功するのだろう。
少なくとも、考えていない今までの俺よりは。
感心しきった俺は、それじゃあ、と気になることを続けて質問してみた。
「ええと、最初に女性向けとして選んだ理由とか……お聞きしても?」
「傷薬って、傷がない時は使わないでしょう?」
「え? ええ、そりゃ、まあ……傷薬ですから?」
当たり前だよね? 俺がそう答えると、そうよね、とユイカ様も笑う。
「でもこの傷薬、肌荒れにもよく効くの」
「肌荒れ、ですか?」
それがどうしたんだろうか。理解が追いつかないが、笑うユイカ様の顔を見て考える。
さっき、色々考えているこの人に感動したばかりなんだ。なにも考えずに答えだけ聞くのは、なんかもったいないだろう。
あと、偉い人にずけずけ質問しまくるような度胸、俺にはないよ。
「う、ううん……?」
でも、さっぱり思いつかない。
顔を俯かせると、ユイカ様がテーブルに置いた手が目についた。
流石はユイカ様、こんな農村で暮らしていても、指先まで綺麗だ。
働く女性の手、特に水仕事が多い女性達の手は、普通もっと……。
「ユイカ様って、普通に家事してますよね……?」
この人、旦那さんのクライン卿に手料理を振る舞って喜ぶ女性だったはずだ。
流石はサキュラ辺境伯家のお嬢様だと、領民人気が高い逸話である。俺も最初に会った時、家事で荒れた手を見て、あの噂は本当だったんだと感動した記憶がある。
だというのに、今、ユイカ様の手は綺麗だ。
「アッシュ君の薬、肌荒れにもよく効くって、まさかそういうこと!?」
「そう、そういうことなのよ、クイドさん」
正解を教えるユイカ様は、とても楽しげだ。
うわあ、そうなのか。
確かに、それは女性達も喜ぶだろう。
そればかりか、手が綺麗な女性には、男の方にだって、ちょっとした憧れがある。
それは高貴な女性の象徴、綺麗な女性の代名詞みたいなものだ。
「段々と、話の大きさが、俺にもわかってきました……!」
つまり、この傷薬、女性の手を綺麗に保つ効果がある。ユイカ様の手を見る限り、その効果は抜群だ。
一度使えば、女性達の手はこうなるのだろう。
そして、薬は、使えばなくなる。なくなった時、女性達は再び荒れる自分の手を見てどう思うだろうか。
「これ絶対売れるじゃないですか……!」
「そう、これは絶対売れるのよ……!」
「ていうか絶対売れ続けますよね!?」
「そう、絶対売れ続けるのよ!」
うおー! ユイカ様、ノリいいっすねえ!
たまに衛兵の宿舎に転がりこんで酔い潰れてる人の姉君だってこと、俺は今はっきりと感じてるっすよ!
「なるほど、なるほどです! えっと、つまり、最初は小さな取引だけど、これからどんどん大きくなっていきそうだ。だから、今のうちから、どこに売るとか、どれだけ売るとか、しっかり把握しておかないといけないってことですね!」
だから、木っ端の行商人である俺でさえ、ユイカ様が直々に釘を刺してるわけだ! 納得の恐さ!
「そういうことね。そして、この商売は、誰が開発したとか、どうやって作っているかとか、秘密が漏れたら滅茶苦茶になる可能性がとても高いの」
「それも、なるほどです。その辺の、大きい商売につきものの裏話って俺は詳しくはないですけど、その手の話が起こりそうだってのはわかりました!」
ヤバイじゃないですか!
俺みたいな行商人じゃ、大きい商会からの嫌がらせや脅しにはちょっと対抗できない。
スラムのチンピラをけしかけられるくらいなら、なんとでもなる、と思うけど。
「だから、クイドさんへの最初のお願いで、実家に手紙と品物を届けてもらうのよ」
「ということは、その辺の問題をどうやってしのぐか……ユイカ様のご実家の力を借りられるってことですか?」
「領主一族のヤエや領政の実務を担っている侍女達が、この傷薬の効果を味わったら、必ず力になってくれるでしょう。いつか秘密は漏れるとしても、これは今、この村でしか作られていなくて、それを運んでくれる人もクイドさんだけなのよ」
それならなんとかなりそう、というか、なんとでもなりそうだ!
「というわけで、こちらとしてもクイドさんの身の安全や商売に気をつけたつもりよ。引き受けてくれるわね?」
「もっちろんですとも!」
落ちている金貨を拾うような儲け話、みすみす見逃すようなもったいない真似できるかって話だ。
ここで黙って次の人に金貨を譲る性分なら、今でも領軍で地道に衛兵やっていただろう。
「うん、そう言ってくれると思っていたわ。それじゃあ、荷物、よろしくお願いするわ」
立ち上がったユイカ様から、差し出された布包みを、俺も立ち上がって恭しく受け取る。
思ったよりも、軽い。
薬だっていうから、紙とか葉っぱで包んであるんだろう。陶器入りじゃないなら、俺の荷馬車でも大丈夫だ。
そんな軽い包みだけれど、俺は確かに重さを感じた。
きっと、商人になってから一番の商いになる重さだからだろう。
「確かに、お預かりします」
受領の言葉と共に、ユイカ様の手が荷物から離れる。
途端に、全重量が俺の腕に――あ、ダメだ、重すぎてとてもじゃないけど、これを抱えたまま安眠とかとてもできない。
緊張のあまり、寝ている間に心臓が喉から飛び出すぞ。
「領都についたら、真っ直ぐ執政館へ届けます! 場合によっては、領軍の伝手を頼ってでも、絶対すぐにお届けします!」
我が友バレアスを叩き起こしてでも、執政館に乗りこむぞ。
なんなら執政館の玄関先で座りこみも辞さない!
衛兵時代もしたことがないような、決死の表情が浮かんでいる気がする。これが俺の本気か。
自分の中の気持ちが、やたらと新鮮に感じる。
俺の顔に現れた気持ちを見て、ユイカ様もまた、決戦に赴く戦士を見送るように淡い微笑みを浮かべた。
「この村の村長夫人として、クイドさんのその言葉はとても嬉しいわ。この村にとっても、きっと大きな実りになる荷物ですから」
村長夫人として。この村にとって。
こういう言葉が、さらっと出て来るのだ。俺には本音の見えない人だけれど、村全体のことをいつも考えているからこそ、出て来る言葉だろう。
手の中の荷物に、いつも買い物にくる村人達の顔が思い浮かぶ。
ユイカ様も、同じ頭を思い浮かべながら、この荷物をまとめていたのかもしれない。
そう思えば……抱える重さが、さらに増した気がする!
俺は決死の表情から、死人のような表情になっているかもしれない。ここで死んだらフォルケ神官が葬式やってくれるのかなあ?
頭の中で自分の葬式が執り行われていく。
火葬のために薪が積み上げられ、フォルケ神官がケラケラ笑いながら聖句を唱える。
さあ火をつけるぞ、というところで、赤い髪の男の子が横たわる俺を蹴っ飛ばして叩き起こした。
はっ!? そうだよ、俺まだ死んでないよ!
あまりの緊張に、起きたまま変な悪夢を見てしまった。相当にやばい荷物を預かってしまったようだ。
「じゃ、じゃあ! 他になにもなければ、全力で領都に帰ろうと思います!」
一刻も早くこれを手放そう。
なんだろう、呪われているのかな。そういえば、アッシュ君が作った薬って話だもんね。
呪いくらいついてそうだ。
衛兵の行進訓練を受けているかのように、きびきびとした動きで村長家を出ようとすると、恐れ多くもユイカ様が玄関先まで送ってくれた。
「では、クイドさん、お気をつけて」
それと、とユイカ様が軽く手を振りながら別れの挨拶を付け加えた。
「アッシュ君からも、伝言があったの。クイドさんが商売上の取引を引き受けてくれそうだったら、この一言を伝えて欲しいって」
「なんでしょう……?」
嫌な予感しかしないぞ。
「これからも、信用させてくれる、良い商人でいてくださいね……だそうよ?」
「モッ、もちろん、ですとも! はっ、はは、はははは!」
君まで釘を刺さなくても、ユイカ様とその実家まで巻きこんだこの商売、不誠実なことできないよ!




