教会の試み
【灰の底 アッシュの断章】
「ご、ごめんくださーい?」
響く前に消えるような、そんな小さな声で呼びかけながら、教会のドアを開けたのはサミー嬢だった。
普段は女子も男子も大声で引き連れるお姉さんが、今は猫を恐れるネズミのごとき大人しさである。
珍しいサミー嬢の姿に、どうしたのだろうかと首を傾げたのは、絶賛お勉強中の私とマイカ嬢だ。
顔を見合わせて、「どっちが答えます?」「アッシュ君がやって?」とアイコンタクト。
では、ここは教会利用の先輩である私めが。
「フォルケ神官にご用ですか? それなら奥の部屋にいますけど?」
「あっ、いた! アッシュ、マイカ!」
途端にいつもの元気な声をあげて、サミー嬢がこちらをビシリと指さした。
どうやら私達に用事がある様子。なんか、マイカ嬢が初めて来た時も、こんな感じだった気がする。
あの時と違うのは、サミー嬢の後ろからひょこひょこっと顔をのぞかせる子達がいることですかね。
引率役らしいサミー嬢が、振り返って後ろの子達に呼びかける。
「よーし、みんなー、アッシュもマイカもいたからねー。安心して中に入りなー? でも、静かにー、静かにねー? 神官様に怒られちゃうぞー?」
はーい、わかったーと返事して、子供達が教会の中に入って来る。
両手で口を押さえているのは、あれが子供達なりの「静かにする」ということなのだろう。微笑ましい所作だ。
「それで、どうかしました?」
私が首を傾げると、サミー嬢がつかつかと歩み寄って睨んで来た。
「どうかするに決まってるでしょ! 二人が遊びに顔を出さないって寂しがってる子達が!」
他の子達に「静かに」と言ったサミー嬢がいきなり大声です。
私とマイカ嬢が、両手で口を押さえて「静かに」のポーズをすると、サミー嬢は真っ赤になった。
「と、とにかくっ……二人がいないとあたしが大変なのよ。懐いてる子達を連れて来たから、ちょっと相手してあげて……」
「それはお手数をおかけしました?」
私達が小さい子達の面倒を見る時間が減ったから、サミー嬢に負担が行ったらしい。お姉さんは大変だ。
「まあ、そういうことなら一日くらいならいいのですが……いいですよね?」
マイカ嬢に声をかけると、大好きなオカズを分け与えるような悲壮な表情で頷く。
「ちょ、ちょっと、だけなら……っ」
ですよねー。今、お勉強が良い感じですもんね。
段々と覚えていることが増えて、達成感とか充実感とかが面白くなって来た頃、楽しい時間が減るのは苦しい。
しかし、サミー嬢も負けずに苦しい。「一日じゃ足りないよぉ」という呟きは、涙が滲んでいる。
「もたない、面倒見なきゃいけない数が多くて、体がもたないんだって……。この子達はアッシュとマイカがさ、見てくれたりとか……?」
おっとー、マイカ嬢が酸っぱくなり過ぎたエールを舐めたように酸っぱいお顔!
「そ、そぉは言ってもぉ……あたしとアッシュ君も遊んでるわけじゃないしぃ……お、お勉強、してるんだけどなー?」
マイカ嬢の、これは実質お仕事宣言。
「小さな子達の面倒を見るのも、大事だよね」
サミー嬢の、これも実質お仕事宣言。
頬を膨らませたマイカ嬢と、頬を膨らませたサミー嬢が睨み合いを始めた。片や自分の時間が欲しいマイカ嬢、片や自分の手間を減らしたいサミー嬢、一歩も譲らない構えだ。
保育所とか児童館とか、そういった子供を預かる、子供が集まる施設があることが、社会に与える影響を伺える光景だ。
……というか、その役目、今世なら教会が果たすべきお仕事なのでは?
パワー系の労働力として大人に劣る子供は、教会に集めておけば託児所代わりにもなるし、そのついでに勉強させれば未来の効率的な労働力として期待できるわけだし。
ここの神官、仕事をさぼって趣味に熱中しすぎ疑惑である。
これはぜひお仕事をさせてあげねばなるまい。
いえいえ、これはありがたい神官様が、神罰に遭うという不運を防ごうという信仰心から発せられる親切ですよ。
遠慮はさせぬ。押しつけてやる。
「アッシュ君だって困っちゃうよね!?」
「アッシュは手伝ってくれるよね!?」
二人の少女が、息ぴったりにこちらに話を振って来たので、私は頷く。
「すみません。ちょっと考えごとをしていまして、話を聞いていませんでした」
「アッシュ君!?」
「アッシュ!?」
正直に打ち明けると、二人の少女はまた息ぴったりに私の不誠実さを叱って来る。
マイカ嬢とサミー嬢は仲良しさんですね。よきかな、よきかな。
「とりあえず、寂しがっている子達をこれ以上は放っておけませんから……ここは朗読会でお相手しましょう」
ユイカ夫人が催した時も、皆さん静かに聞いていたから、これなら大丈夫だろう。
マイカ嬢とサミー嬢の睨み合いの辺りから私のところに来た、ルカ嬢の顔を覗きこむ。
「ルカさんは、なにか読んで欲しい本はありますか?」
「アッシュ兄が読んでくれるの? ええっと、うーんと、うんとね、お姫様のお話がいい!」
「わかりました。……では、お姫様が騎士様に助けられるお話にしましょう」
ルカ嬢の頭を一撫で、マイカ嬢とサミー嬢からなぜか恨めし気な視線を向けられながら、フォルケ神官のいる私室のドアを開ける。ノックなどしない。
不良神官はびっくり……することもなく、机にかじりついて無反応である。
とうとう死体に還ったのかもしれないと思ったけど、時折頭をガシガシかいているので、分類上はナマ物枠だ。
「本を一つ借りていきますからねー」
「おーう……」
このように鳴き声もあげるので、多分生きている。
ええと、あの本は『竜に囚われたお姫様と騎士』でしたっけ。
子供向けの本なので本棚の下段に仕舞っている。本棚の大掃除(後ついでにフォルケ神官の私室の掃除)の時に、どこにどの本があるか、私は完璧に把握している。というか、整理したのは私だ。
子供向けの本が最上段にあるとか、子供が取れないでしょ。もっと考えて陳列したまえ!
「では、借りていきますからねー」
「おーう……」
「後、今日の勉強会が終わったら、ちょっとお話ししますからねー」
「おーう……」
「マイカさんと、サミーさんも一緒ですから、しっかりしておいてくださいねー」
「おーう……」
「しっかりしてなかったらペナルティです。私の言うことを一つ聞いて頂きますからねー」
「おーう……」
言質取った。
まあ、ほぼほぼ死者の呻き声みたいな感じだったけど、仮にも文明人を名乗るなら、あの時の自分は死体だったから返事になってない、なんて意味不明な言い訳はしないだろう。
そう、生きた文明人ならね!
「では、約束しましたよ、フォルケ神官」
「おーう……」
この人、本当に研究のために人間性を捨ててますよね……。
神聖な宗教施設に発生したアンデッド。矛盾のようなお約束のような、そんな不思議な存在について考えを巡らせつつ、私室から聖堂に戻ると、なんだかサミー嬢が心配そうな顔をしていた。あと、ルカ嬢や他の子達も。
「あ、アッシュ、大丈夫だった?」
「だから、大丈夫だってば。フォルケさんは良い人だよ?」
一人だけ平気そうなマイカ嬢が、困ったように笑っている。
「ひょっとして、フォルケ神官ってまだ恐がられているんですか?」
ええと、と言いよどんだのはサミー嬢。そうみたい、と苦笑するのがマイカ嬢。こくんと無言で頷いたのがルカ嬢達。
ああ、だからサミー嬢が入って来る時も、あんな小声だったのか。それと、小さい子達がサミー嬢なしで教会に来なかった理由も察せられた。恐かったんですね。
そうですか。
フォルケ神官、あんなに顔色がよくなったのに恐がられているのですか。
見た目はともかく、中身の方はルカ嬢と大して変わらないのに……。いや、その方が不気味だから正常な反応か。
「この後、サミーさんとマイカさんも一緒に、フォルケ神官とお話ししてもらおうと思っていたんですけど」
「あたしは大丈夫だけど……」
マイカ嬢が、サミー嬢を見やる。
ちょっと顔色が悪くなったお姉さんは、胸を張って答えた。
「だっ、大丈夫よ! アッシュとマイカが一緒にゃんでしょ!」
噛んでいますよ、サミーお姉さん。
なお、『竜に囚われたお姫様と騎士』朗読会は盛況に終わり、続刊に当たる『牢に囚われた騎士とお姫様』の朗読も、近いうちに行われることとなりました。
前者は竜にさらわれたお姫様を騎士が助ける物語、後者は冤罪をかけられた騎士をお姫様が助けるお話です。
戦闘タイプの騎士と、知略タイプのお姫様が、それぞれ困った時に助け合って愛を育んでいく。
得意分野で支え合いましょうね、という互助精神溢れる構成ですよね。
****
朗読会が終わって、二人を連れてフォルケ神官の私室へ向かう。
今度はノックつきだ。お偉い神官様の醜態をバラまくわけにはいかない。
「おーう……」
で、返って来た声がこれである。
中の神官、現在のステータスはアンデッドです。開けたらゾンビパニックになりそう。聖水か死者蘇生アイテムがあれば一撃で倒せそうだけども。
「マイカさん、サミーさん。ちょっとここでお待ちくださいね」
ドアを開けて一人だけ中に入る。
ゾンビモノで、ゾンビが生前の行動を繰り返す、っていうタイプの設定あるじゃないですか? 今、私はそれを思い出しています。
朗読会の前と後でやってることが変わってない。これは完全にアンデッドですわ。
私は溜息を吐いて、持てる限りの徳を手に集めて、フォルケ神官の座る椅子を蹴った。
徳が手に集まっているのに蹴り? 当たり前でしょう。
私の大事な徳を無駄遣いするわけないじゃないですか。
椅子が震度五を観測すると、流石にアンデッドもびっくりして生き返るらしい。
「どわ!? な、なんだ……アッシュか」
「地震が起きても私が原因だったらありえそう、みたいな反応はなんなんですかね?」
「お前が原因だったらありえそうだからな」
そんな神秘的なパワーがあったら、私は今頃もっと楽してますよ。
「で、いきなりなんだ? 飯の時間か?」
「それは後で母さんから頂いてきます。私、さっき言いましたよね? 後で話し合いをしますって」
「え、いやいや、聞いてないぞ」
「言いました。マイカさんとサミーさんを連れて来るから、しっかりしなさいとも言いました。しっかりしてなかったら言うことを一つ聞きなさいとも言いました」
「いやいやいやいや」
「それに対してフォルケ神官は全て、快く肯定しましたよ」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや」
だまらっしゃい、いい年した大人が嫌々言うんじゃありません!
この神官、やっぱり中身はルカ嬢くらいの小さな子供なのだった。
「では、二人を中に入れますね。教会つき神官として体裁を気にされるのでしたら、そのぐしゃぐしゃになった髪を整えて、よれよれの襟も直して、ひどい顔はもうどうしようもないですけど、机の上くらいは…………まあ、できる限り整理した方がよろしいですよ」
机の上を見たらちょっと言葉がつっかえた。顔の方がまだどうにかできそうなくらい。ひどい、ひどい有様だ。近いうちにまた掃除が必要になりそう……。
溜息を吐きつつ、ドアの方に向かう。
「では、二人を中に入れますからね」
「ちょっと待て、お前その後半の完璧に罵倒――いや、それより大事なのはあれだ、俺は絶対そんなこと言ってない!」
待ちません。
悠長にフォルケ神官と話し合いをもったら、せっかくの有利な条件を妥協しなければならなくなるじゃないですか。
どうぞそのまま不平等な違法契約に基づいて、私の言うことを一つ聞くがよい!
私に制止が効かないと知っているフォルケ神官は、悪態を吐きながら椅子から立ち上がって多少身だしなみを整える。
机の上はやっぱりどうにもならなそう。
「お待たせしました、お二人とも……マイカさんとサミーさん、中へどうぞ」
わざと二人の名前を呼んで聞かせる。
この愛すべき研究バカのことだから、サミー嬢の顔を見ても名前が出て来ないんじゃないかという配慮だ。私はフォルケ神官に甘すぎるかもしれない。
「はい、お邪魔します、フォルケさん」
ぴょこりと一礼して慣れた風に入って来たのがマイカ嬢。
「お、お邪魔します」
びくびくしながら入って来たのがサミー嬢。
ここで下手な対応したらまた子供に恐がられますよ、とフォルケ神官にジト目でサインを送る。
「んんっ! あー、マイカも、サミー? も、そう堅苦しくしなくても大丈夫だ。別に説教の最中でもないから、楽にするといい」
やっぱり、サミー嬢の名前を知らなかったな。
やれやれと溜息を吐きながら、メンバーがそろったので、話し合いの本題に入る。
「今回集まったのは、小さい子達の面倒をどれくらい教会で見られるかというものですね」
「なんの話だ?」
発言許可も得ずに会話を遮った行儀の悪い人の足を軽く蹴って黙らせました。いい大人なんだから子供の見本になるべきです。
「これまでは、それぞれの家族が面倒を見られない時は、サミーさんを中心に遊ぶ集団を作ることで面倒を見て来ました。これは今後も続くと思いますが、一部の大人しい子達は教会で面倒を見るのも良いのかなと思います」
なにか言いたそうなフォルケ神官が、こちらをじろりと睨む。
口を出せばまた叱られるとは学習したらしい。私はにっこり笑顔で、マイカ嬢とサミー嬢を見やる。恐い顔をすると順当に恐がられますよ。
笑顔の要求を察したフォルケ神官は、この野郎と怒りをこめてにっこり睨んでくる。
傍目には笑顔と笑顔でとっても仲良しに見えることだろう。世界は平和ですね。
「あ、あたしとしては、そうしてもらえると、助かる……です」
笑顔の効果か、サミー嬢がぎこちないながらも意見を述べる。よくがんばりました。
フォローは任せてください。
「サミーさんが年下の子達の面倒を見る中心になっているのですが、負担が大きいのですよ。子供は予想もつかない動きをしますからね。怪我をしないようあっちもこっちも見ていなくてはいけません」
「その、アッシュが教会に行く時間になると、面倒を見る子が減っちゃって……」
サミー嬢の発言内容に、フォルケ神官が首を傾げる。
「アッシュが面倒を見る?」
おや~? どうしてそこがそんなに不思議なんですかね~?
「年下の子が危ない目に遭わないよう、私はそれなりに力を尽くしていますよ?」
「いや……いやまあ、そういや、マイカの勉強も教えているしな」
それにどこぞの研究バカの身の回りの世話もずいぶんとしていますよ、私。
中身が小さな子と変わらないフォルケ神官の面倒を見られれば、中身も体も小さな子の面倒だって見られるのは論理的に当然のことである。
「まあ、事情……というか、話はわかった。ただ、俺は子供の面倒を見るのはあんまり得意とは言えなくてな」
「自分の面倒も怪しいですからね」
「アッシュは色んな言い回しを知っていて偉いな。よし、撫でてやろう」
本当のことを言っただけなのにフォルケ神官が頭を押さえつけて来た!
暴力反対、言論弾圧反対!
「それで……あれだ、俺だって他の仕事があるから、都合よく時間は取れないぞ」
「命令してくる上司がいるわけでもないのですから、ご自分の裁量で時間調整はできますよね」
あんまり仕事を増やしたくないフォルケ神官がにっこり。
仕事を増やしてあげたい私もにっこり。
お互い一歩も譲らないぶつかり合いだ。
ただ、このアッシュ、力押しより技を好む知能派である。お互い正面から押し合ったところで、すっと力を抜いて相手を転ばせるのとか大好きです。
「ですが、そこまで時間は取られないと思いますよ」
すっと言語的譲歩をして、フォルケ神官にあれっという顔をさせる。
「面倒を見ると言っても、当面は私とマイカさんの勉強会と、小さな子達の遊べる時間が重なった時だけでしょう? その時は私とマイカさんがいるわけです。最近はジキル君……は、外遊びの方が好きですからあれですが、ターニャさんもいることが多いですよ」
フォルケ神官が矢面に立たなくても大丈夫そうですよね。
「ふむ? つまり、俺が面倒を見る必要はなくて、奥に引っ込んでいていいわけか?」
「フォルケ神官、本気で誰かの面倒を見るつもりがあったのですか? 自分の面倒も見られない人間が誰かの面倒を見るなんて、共倒れになる未来しかありえないそんな無謀なことを?」
人は支え合って生きているものだけど、踏ん張る力がない者同士が支え合っても、古典物理学的に考えると倒れるだけなんですよ?
「おーおー、アッシュは本当に難しい言葉を知ってるなー? また頭を撫でてやろーなー?」
純粋な疑問に首を傾げたら、頭をまたぐりぐりと押さえつけられた。
これを撫でると言うなら、確かに子供の面倒を見るなんてフォルケ神官には高等芸に該当しますね!?
「っとに……。でも、そういうことなら、教会を使ってもいいけどな……。ただし、教会は村の共有財産だぞ。他に行事やらなにやらで使う時は――」
「未だかつてそんな使われ方をしたことがあるんですか、この村の共有財産は?」
「……冠婚葬祭の時とか、あるだろ」
「その時は私達も参加者ですよ」
小さな村なので、祝う時も悼む時も皆一緒です。
「ああ、とにかく! そういう条件なら、まあ、いいだろう。壊したり汚したりには気をつけろよ、村の共有財産だからな」
私、フォルケ神官よりこの教会の掃除や整理整頓に力を入れている自信があるので大丈夫です。
教会の最高にして最大の備品である本、それが虫とカビにやられかけていたのを防いだのは私だ。本棚を一旦片付けて掃除して、本は虫干しにして、再び整理した。
つまり、教会における私の権力はとても高い!
「では、そういうことですから、次から教会に来たい子はこちらへ回しても大丈夫ですよ、サミーさん」
嬉しいお知らせだろうに、サミー嬢は笑顔を見せてくれなかった。
隣で頬を膨らませたマイカ嬢を、必死に慰めている。
「うぅ、アッシュ君と二人のお勉強の時間が減っちゃう……」
「ご、ごめんって、マイカ。でもほんと、お願いだから……」
「でも、でもぉ……ええと、あの……やっぱり、教会ってお勉強するところだからぁ……遊びに集まるのはよくないとかあ……」
勉強時間が減るのが心配なんですね。マイカ嬢はすっかりお勉強好きになって、私も嬉しいですよ!
「マイカさん、マイカさん、大丈夫ですよ」
「ほんと……? それじゃあ……」
ぱぁっと晴れ間が広まるように笑顔になったマイカ嬢に頷く。
「ええ、皆でお勉強できるよう、がんばりますよ!」
そうじゃない、ってマイカ嬢に泣かれました。
あと、サミー嬢にも、そうじゃない、って叱られました。
さらに、フォルケ神官にも、そうじゃない、と説教をされました。
なんでですかね?
サミー嬢とフォルケ神官に言われたことをまとめると、どうやらマイカ嬢と二人の勉強時間が減るのがよろしくないようだ。
なるほど、把握しましたよ?
ターニャ嬢やジキル君が参加するようになってからもそうだけど、一番に勉強を始めたマイカ嬢は、新しい参加者が出るとちょっと勉強が滞る。
確かに、一番に始めた人が、後から始めた人の都合で足踏みするのは不公平かもしれない。
ここでマイカ嬢が勉強を進んでいるんだからと我慢させるのは、子だくさんの家で長男長女が弟妹のために我慢なさいと言われるようなものだ。
それは確かに、不満も出ようものだ。
「わかりました。マイカさんとのお勉強の時間は、なんとか、別に確保しましょう」
さっきフォルケ神官に言った通り、あんまり頻繁ではないだろうから、それくらいの手当てはできるだろう。計算上は大丈夫。
計算が外れた時は、私の時間をいくらか削ることになるんだけど、どれ削ろう? やっぱりモルモット君との時間だろうか?
「ほんと?」
頭の片隅で悩みながら、マイカ嬢が涙目で見上げてくるので、紳士レベルを上げるべく微笑んで手を取る。
「お約束します。ユイカさんともご相談が必要だと思いますけど、埋め合わせはちゃんとしますから」
「……じゃあ、我慢しても、いいよ?」
「ありがとうございます」
マイカ嬢のご機嫌が回復傾向にあるのを見て、ところで、と探りを入れる。
「マイカさんにお手伝いをお願いしたいことがありまして」
「あたしに?」
「はい、マイカさんに手伝って頂けるととても助かるのですが……」
「え、そ、そうなの? ふ、ふーん? アッシュ君を、あたしが、お手伝い……ふーん!? そそ、そっかー? アッシュ君のお願いじゃ、しょうがないよね! がんばるよ!」
ニヨニヨと笑うマイカ嬢が快諾してくれた。
大変助かります。流石に私一人と道連れフォルケ神官だけではちょっと面倒なので、マイカ嬢の手助けが頼もしい。
「でも、なにを手伝えばいいの?」
そういう確認は、快諾の前にしましょうね?
後で、マイカ嬢のお勉強ポイントとして、ユイカ夫人にお伝えしておきます。
「手伝って欲しいのは、遊びながら文字を学べる……そうですね、玩具作りです」
教会で子供を預かるべきでは、と頭に浮かんだ時から考えていたのだ。
小さな子が楽しみながら勉強ができる方法。
マイカ嬢くらい勉強熱心になると、もうそれ自体を楽しむことができるのだけれど、やっぱり小さな子達にとって勉強は退屈なものだ。
マイカ嬢だって、最初は勉強が(ユイカ夫人がこそっと教えてくれたところによると)ずいぶんと苦手だったらしい。「わかんなくてつまんない」とのこと。
なにかを学ぶ時、最初の「わかった」という達成まで喜びは少なく、次の「わかった」まで興味が持つかどうか怪しい。
この「わかった」と「わかった」の隙間をいかに支えるか。
前世でも多くの教育者が苦労したのだろう。私もこの難題に挑もうと思う。
前世の知識を使い倒して!
****
はーい。こちら教会で使っていた壊れた長椅子を解体した木材になりまーす。
こちらをですね、掌サイズの木板にさらに分解します。この木板に、バンさんから頂いたタヌキの毛で作った筆で、文字をちょいちょいと書きます。
あ・り・が・と・う……と。はい、これで一枚完成。「ありがとう」の木札です。
ちょっとインクの定着が悪いのはご愛敬、別に商品ではないのだから細かいことは気にしない!
やっぱり素材の加工段階とか、インクの性質とかあるんでしょうね。
うーん、将来的にはもっと出来の良いものが欲しいところ。
「ねえ、アッシュ君、これって、結局なに?」
教会の聖堂、突然の木工を始めた私に、マイカ嬢が首を傾げる。
なお、「あ」で始まる言葉でなにが思い浮かぶ? と質問をされて、「ありがとう、とか?」と答えたのはマイカ嬢である。
最初に「アッシュ君!」と元気よく答えてくれたんですけど、それはちょっと使えなかったので、次点の「ありがとう」になった。
「これはですね、カード遊びの一種でして……」
ぶっちゃけカルタである。
本に載っていたんです、と言いたいところだけど、今まで読んだ本にカードゲームっぽい記述はあっても、カルタそのものはまだ見ていない。
多分、似たような遊びはあると思うんですけどね、少なくとも古代文明にはあったでしょう。
「とりあえず、文字取りゲームとでも呼んでおきましょうか」
ええと、「あ」の次は「い」ですね。
「い」の言葉……「いのちおしむな」とか?
「マイカさんは、『い』で始まる言葉でなにを思い浮かべます?」」
「う~んと、イチゴ!」
「ああ、それはいいですね」
少なくとも「いのちおしむな」よりはずっと子供に受けそう。春の野イチゴ狩りは子供達の大事な遊びであり、お仕事である。
ということで、「い」は「いちご」に決定。
「こういう風に、言葉をたくさん板に書いて用意します」
「ふむふむ?」
「で、これを床に並べて、ゲームマスターが一人、『ありがとう』と読み上げたら」
「読み上げたら?」
「遊びに参加している人が、『ありがとう』の板を素早く取ります。他の参加者が取るより早く、誰より早く! 板を取った人が勝ちです」
「ほほーう!」
きらりとマイカ嬢の眼が光る。
勝負事、結構好きですよね。騎士ごっことかでもすっごい負けず嫌いなこと知ってます。
「ありがとうは、『あ』の板ですね。イチゴは『い』の板。次は『う』の板を作ります」
「あ、なるほどー? 全部の文字を覚えなくても、最初の文字だけ覚えれば、札を取れるんだね?」
「そういうことです。これなら、遊びの中でちょっとずつ文字を覚えていけるかなと思って」
ええと、「う」はなにが良いですかね。
子供が使うことを考えると、食べ物とか覚えやすそうですけど、「うどん」はないし、「卯の花」もないし、「ういろう」も今世で聞いたことないな。
あ、お腹空いてきた。
「ということで、マイカさんには板に使う言葉を一緒に考えて欲しいんです。できれば、小さい子達も知っているようなもので、短い言葉がいいです」
「わかった! じゃあ、馬!」
「おお、なるほど! それにしましょう! 流石ですね、マイカさんにお手伝いをお願いしてよかったです!」
やっぱり、こういうのは一人で考えていると時間がかかっていけません。
「そう? アッシュ君の助けになれてよかった~」
嬉しそうにゆらゆらと上半身を揺らすマイカ嬢が、ふと止まって板を手に取る。
「でも、これだとあたしがやると簡単すぎるかな?」
「やっぱり、そう思います?」
「うん、これをルカちゃんと一緒にやったら、全部取っちゃいそう……」
ですよね。
これ、短い単語を使って、まだ文字を覚えられてない子向け用に難易度下げてますもんね。
裏面に絵を入れて、正しく文字を読めたか自分で確認できるようにしたいなーなんて思っているくらいだ。
その場合は、カルタの前に、裏と表で文字当てクイズもできる。カルタよりも先に、まずはそこからですかね?
まあ、文字も覚えていない子達が、この板で上手く遊べるかどうか自体、やってみないとわからない。
なので、それはそれとして。
「文字を覚えた人は、さらに上級者向けの板で遊べますよ」
「じょーきゅーしゃ」
「ええ、そちらはフォルケ神官に作ってもらっています」
なんかめっちゃ文句言ってましたけどね。
そっちの方は聖句を使って、上の句・下の句方式になる予定です。
作るのがかなり難しい?
えー、とってもありがたい教えを三神様から受けている、とっても大きな組織なのに、小さな子の遊び道具くらいも作れないんですかー?
って温かい言葉で励ましたら、フォルケ神官も大変やる気になってくださいました。
なんか、都市の神殿の神官のお知恵も拝借するそうですよ。流石、大きな組織は人手が豊富ですね。拝むかいもあるってものです。
「聖句の方は、文字を覚えているだけでなくて、聖句を覚える必要もありますからね。完成したとしても、当分遊べるのは私とマイカさんくらいでしょうか?」
「そ、そうなんだ? じゃ、じゃあ……できたら、二人で遊ぼうね?」
「ええ、勝負しましょう」
その後、マイカ嬢もとってもやる気で協力してくれて、無事に文字学習用のカルタは完成した。
****
そしてこの秋、ノスキュラ村の教会ではカルタ大会が開かれる……ことはなかった。
識字率向上のハードルは高かった。
小さい子達は意外とすぐに文字に慣れてくれるのでは、と期待したのだけれど、そこまで簡単ではなかった。
マイカ嬢の勉強ペースは、本人の才能と事前に勉強した分が噛み合ってのことだと、もっと認識すべきであった。無念である。
ただ、せっかく作ったカルタが、全く役に立たなかったわけではない。
「んーと、この字は、さっきリンゴの絵のお札に書いてあったやつだよね……?」
ルカ嬢が、自分がめくった読み札の文字を見て、ちょっと自信なさそうながら、リンゴの絵が描かれた取り札に手を伸ばす。
「あっ、当たった! ふふ、このリンゴのお札はあたしがもらうね!」
なんとこの子達、読み札と取り札を全て裏返しに並べて、神経衰弱みたいな遊び方を始めたのだ。
まだ文字は読めてないけど、記号としてなんとなく違いはわかるようで、じっくり時間をかけられる神経衰弱ルールの方が遊べるらしい。
すごい柔軟な発想だ。見習わなければ。
取り札の裏面にはイラストをつけているから、やや変則的な神経衰弱になっているけど、難易度が下がって丁度いいかもしれない。
これを見ていると、計算のお勉強の時には、トランプが有用な気がする。
「じゃ~、次は……これ! あ、やった、これ『はなかんむり』のお札だ! あたしこれ知ってるもんね!」
ルカ嬢が華やいだ声で、いそいそと花冠の絵が描かれたお札をめくる。迷いのない動きに、つい確認をしてしまう。
「ルカさん、ひょっとして花冠は文字を覚えたんですか?」
「うん! 花冠と魚はちゃんと覚えたの、大好きだから!」
おぉ、なんと素晴らしい学習能力。
やはり好きなものは覚えやすいということか。まだバラバラの文字を覚えているわけではないかもしれないけれど、着実に学習は進んでいるようだ。
「すごいですね、ルカさんはとってもすごいです」
「ほんと? えらい?」
「ええ、偉いですとも。お利口さんですね」
褒めて欲しそうだったので頭をぽんと撫でてあげると、ルカ嬢は蕩けるような笑みを浮かべた。
「えへへ、ありがと、アッシュ兄!」
「私でよければいくらでも褒めますとも」
「じゃあ、この勝負に勝ったら、褒めてくれる?」
「ええ、いいですとも。開発者として、この勝負に勝った人を褒めたたえましょう」
約束したら、「いっぱいがんばる」とルカ嬢のやる気が目に見えてあがった。
やはり、人は褒めると伸びるのだ。
ところで、マイカ嬢。
どうしてゲームに参加しようと座りこんだんです? ダメですよ、あなたが参加したら他の子達が勝てなくなっちゃうじゃないですか。
私が、やんわりと参加権がないことを伝えると、マイカ嬢が頬を膨らませる。
「ううぅ、ずるいぃ……。あたしもがんばってるのにぃ……」
「ええ、マイカさんはとてもがんばっていますよ。だから、ルカさん達と同じゲームをすると、ちょっと差が出過ぎてしまうので……」
「ほんとに、がんばってるって思ってくれてる?」
もちろんである。このカルタを本来の用途で遊べるのは、年少組ではマイカ嬢だけだ。
ターニャ嬢とジキル君は、取り札を外国語の単語帳みたいに使って勉強している。まだカルタ取りができるレベルに達していない。
「マイカさんが勉強をがんばっているから、本来の使い方のカルタ取り遊びができるんですよ。とっても感謝しています」
勉強道具として有効に活用されているのは嬉しいんですけど、なんか思惑からズレた使い方ばかりだと悲しいので……。
「じゃあ……その、あとで、カルタ取り、する?」
「ええ、いいですよ。前みたいに、ユイカさんにお付き合いをお願いしましょうか?」
読み役がいるからね。
フォルケ神官でもいいけど、すっごい嫌そうな顔されるから、第三候補かな。第二候補はクライン村長。
「え、ええと、できれば、二人きりがいいなぁって……」
「カルタ取りで二人は流石に難しいですけど……」
「な、なんとかなるよ! きっと!」
「う、ううん? まあ、読み札を交互にめくる形にすれば?」
まあ、遊びだし、そう厳密じゃなくてもいいか。お忙しい村長夫妻の手をわずらわせるのも、気が引けますし。
「いいですよ。とりあえず、後でやってみましょうか」
「うん! あ、ルカちゃん達、終わったみたいだよ」
マイカ嬢は、機嫌が回復した笑顔で、両手を振り上げて勝利を喜ぶルカ嬢を指さす。
「では、ルカさんの勝利をお祝いしてきますね」
マイカ嬢は頷いてから、そっと顔を寄せて来た。
「後であたしが勝った時も、ちゃんと褒めてね?」
「ええ、もちろん、いいですよ」
楽しみだなーと可愛らしく笑うマイカ嬢は、力強く拳を握りしめていた。
やる気、すごいですね?




