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フシノカミ  作者: 雨川水海
特別展『断章』

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201/281

灰の子

【灰の底 アッシュの断章】

 風の冷たさで、浅い眠りから揺り起こされる。

 川岸という立地のせいか、それともまだ冬の名残がある季節のせいか、絶賛遭難中の夜は冷えこむ。

 疲れと眠気で重い体をもぞもぞと動かして、小さくなりかけた焚火に枯れ枝を放りこむ。


 これで、ちょっとは温かくなって、もう少し眠れるだろう。

 うとうとと、眠れそうで眠れない不快な待ち時間を耐える。その最中、肩にかけたケープを抱くように掴んでいる自分に気づいた。


 心まで冷えるような遭難の夜、このケープだけが温かい。

 この一枚の外套が、夜の冷たさから小さな体をかばうように守ってくれている。


「帰ったら、母さんにお礼、言わないと……」


 この外套は、母上がくれたものなのだ。あの日は、もっと寒い冬の日だった。

 焚火の熱を顔に感じながら、意識がまどろみに沈んでいく。



****



 目を開けると、白く色づいた吐息が目の前にあった。

 厚かましい居候の隙間風さん(複数形)が悠々と出入りする我が家は、冬の朝が大変寒い。


 そんな中、今日も一番早くに目を覚ましたのは、面倒見の良い働き者である我が母上だ。

 温かい布団から抜けるのは想像を絶するほど億劫であろうに、竈に火を入れて家を温めるため、今日もいそいそと起き出したようだ。

 まったくもって、尊敬に値する。この冷え切った空気の中、いつも母上にばかり朝支度をさせるのは心苦しいので、私ももぞもぞと起き上がる。


「あら、おはよう、アッシュ……。まだ寝てても良いのよ」

「ありがとうございます……でも、起きます」


 そう言ってくれる母上だからこそ、朝の苦労を一から十まで任せっきりになどできませんよ。

 胸に灯った孝行心で暖を取りながら、ベッドから抜け出す。最後の一人が父上なのは、もはや我が家のお決まりである。

 まあ、この人が早起きしても、水汲みくらいしか朝は役に立たないんですけど。


「ふふ、偉いわね、アッシュは……」

「もっと偉い母さんの子供ですからね」


 しかし、流石の母上も冬の寒さで寝不足なのか、いつもより声がふわふわしてらっしゃる。


「とりあえず、火を起こしますね。水汲みは後で行きますから、母さんは朝食の準備をお願いします」

「あら、ありがとう。そうね……お願いしようかしら……」


 夜のうちに準備してあった細い枝で、竈の灰をかき回す。

 灰の底から、まだ十分な熱を持った炭、埋火を掘り出す。この熱い奴に、これまた準備しておいた麦藁をかぶせると、冬の長い一夜を耐え忍んだ火種が、すぐに火を起こしてくれる。


「おい、シェバ?」


 母孝行をしていると、ようやく父も起きたようだ。

 振り向くと、父は恐い顔をしていた。寝起きの、いつものぐうたらな父ではない。

 嫌な予感がして父上の視線の先を追う。そこには、働き者の母が、なにをしようとしていたのか忘れたように立ち尽くしている。

 ふらりと、その頭が頼りなげに揺れた。


「シェバ! 危ない!」


 咄嗟にベッドから飛び出した父が、倒れこんだ母を抱き留める。

 父よ、珍しく偉いですね! 私は安堵したが、父の表情はさらに青くなる。


「アッシュ! やばい、こいつ熱があるぞ!」

「風邪ですか!? それはまずいですね!」


 青ざめた父の鏡写しのように、私も血の気が引く。

 まずい。どれくらいまずいかと言うと、医者も薬師もいない村では死ぬことも珍しくないくらいまずい。


「父さん、とりあえずベッドに寝かせて下さい!」

「わかった! あ、アッシュ、薬! クイドから買った薬があっただろ! あれどこにしまった!」

「今持って行きます! 父さんはお水を用意して下さい!」


 男二人でバタバタと駆け回る。

 とりあえず、我が家に常備してある薬のうち、解熱剤と言われているものを父上に渡す。

 効き目があるのか怪しいので、期待は薄い。だから、看病に力を入れねばならない。


「ええと、そうですね。とりあえず、薪をもっと燃やして部屋を暖めましょう。あと、お湯を沸かして飲み水をちょっとでも安全にして、ご飯は食べやすくて栄養のあるものを……と言いたいのですが」


 栄養価の高い食べ物なんて、冬の我が家にはちょっと期待できない。

 今の村で手に入る食材から、せめて食べやすいレシピを考えこむ。が、選択肢がなさすぎですよ!


「食べ物か? どんなのがあれば良いんだ?」

「え、ああ、そうですね……。牛乳とか、卵とか? 肉なら鶏肉が、比較的食べやすくて体に良いと思います。あ、蜂蜜とか、果物もあれば……」


 風邪でも食べやすいものが作れるのに、どれもこれもない!

 ほんと私の故郷ってば絶望集落!


「よし。牛乳と鶏のやつ、蜂蜜とか果物だな。任せろ!」

「任せろって、父さんにですか?」

「都市まで走って買って来る! 今から行けば日暮れには間に合うだろ!」

「都市ならあるかもしれませんが、どこでそれらが手に入るか、わかってますか?」

「わからん! が、都市に親戚がいるんだ。そいつに頼んで教えてもらえば良い!」


 なんたる行き当たりばったり。

 とはいえ、もしも手に入るなら風邪で弱った我が母にはとてもありがたい。一縷の望みをかけて、母上が管理している(父上には内緒の)我が家の財産を取り出す。


「父さん、これお金です。使い切って良い、とは言えませんが、母さんの命には代えられないので使い切ってもやむなしです。後で母さんが怒ったら一緒に謝りましょう」

「おう、そん時はマジで頼むぞ。俺はすぐに行って来るから、お前はシェバのそばにいてやってくれよ」

「お任せ下さい。こちらはご心配なく。いざとなったらご近所さんにも手伝ってもらいますから」


 握った拳を、父の大きな拳にぶつける。久しぶりに父上が父らしくてちょっと感動しましたよ。

 走り出した父の背を見送って、さて、とベッドの上、苦し気に細い息を吐く母上に振り返る。


「母さん、母さん。これからちょっと外に水を汲みに行って、薪を取って来ますからね。すぐに戻りますから、心配しないで、ゆっくり寝てて下さいね」


 これから母上には、温かいところでゆっくり睡眠を取って、水分も栄養もたっぷり取ってもらわないといけない。

 そのための準備ができるのは、我が家ではもはや私だけだ。


「アッシュ……待って……」

「はい、なんです? 寒いですか?」

「そうね、寒いわね……。だから、外に行く前に……」


 母上が、自分の肩に羽織っていたケープを外して、私の首に回す。


「温かい恰好を、しないとね……。アッシュが、風邪を引いたら、大変……」


 今、大変なのはあなたでしょうに。思わず、大声で言い返したくなる。


 これが母か。


 高熱で意識が薄れているだろうに、そんな状態でなお、私なんかの心配をするなんて。

 丁寧にケープの紐を結んで、これで大丈夫、と母が微笑む。


「お下がりで悪いけど、アッシュにあげるわね……。これで、わたしになにかあっても、アッシュを、寒さから守ってあげられるわ……」


 それは、今にも崩れてしまいそうな灰のように、綺麗だけれど、見ていられない笑い方だった。


「大丈夫ですよ、母さん。なにかなんて、起こさせませんからね」


 背伸びして、母さんを抱きしめる。それから、急いで水汲みと薪運びのために飛び出す。

 冬の寒空の下だと言うのに、ちっとも寒くなかった。



****



 目を開けると、そこは我が家ではなく、村でもなく、森の中の川岸だった。

 目の前では、焚火が頼りない小ささで揺らめいている。慌てて枯れ枝を焚火に食わせてやりながら、ケープの結び目に手をやる。


「ありがとうございます、母さん」


 おかげで、遭難中の野宿だと言うのに、温かく眠れました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 昨日徹夜で最初から読んで追いついたぜ…面白すぎかよ
[良い点] 猪突猛進なとこアッシュ君にそっくりだなあ(逆)
[良い点] 「なにっ? 第一章のタイトル回収だと!?」 [一言] 子供の頃、自分が高熱出してて何も食べられない状態でも朝食をきちんと作って送り出してくれてました。「母は強し」 出産後に大病患って入…
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