無音の声2
【灰の底 ジキルの断章】
俺とアッシュの仲っていうのは、悪い方だったと思う。
そもそも、そこまで一緒に遊ぶこともなかったから仲良しではなかったし、モテるアッシュは敵だったから。
特にマイカがさぁ……。いや、もういいや。
初めての恋だったけど、破れたんだ。だから、もういいんだ。
狩りの時も、いつまでも同じ獲物を追い続けるか、切り上げて別な獲物を探すか、その辺の判断は大事だ。
でも、マイカ、本当可愛いんだよなぁ……。
マイカの笑顔がちらつくと、やっぱりアッシュの顔が憎たらしく思えてくる。
だから、姉ちゃんから預かったカゴを渡す時、俺の声はちょっと恨めしそうに響いたと思う。
「アッシュ、これ姉ちゃんが作ったパンケーキ」
「ありがとうございます! 甘くて良い香りがしますね!」
姉ちゃんに頼まれたお礼分を渡すと、アッシュは目を輝かせて香りを楽しむ。
こういうところは、俺より年下の子供だ。
「まだ姉ちゃんが考えている味にはなってないみたいだけど、十分に美味かったぞ」
「ターニャさんにもよろしくお伝えください。これは家族で楽しませて頂きますね!」
けど、こういうお礼とか、美味しい物を独り占めしないところなんかは、やっぱりアッシュだよな。俺とか遊び仲間とか、一口分くらいはつまみ食いして多めに食おうとすると思う。
どこでこういう行儀のよさみたいなものを覚えたんだ、こいつ。やっぱり本か?
カゴの中から漂う香りを楽しむアッシュに、面倒な手渡し役を引き受けてまで会いに来た本題を持ち出す。
「ところでよぉ、ちょっと聞いてくれよ、アッシュ」
「はい? パンケーキのレシピのことですか?」
「いや、それは俺が聞いてもなぁ……。あの材料を混ぜて焼くだけだろ?」
俺からしてみれば、姉ちゃんが焼いた今日のパンケーキも十分に美味しいから、文句のつけようがない。
これ、後は姉ちゃんが思い出に辿り着けるかどうかって話なんだろうよ。
アッシュにそう言うと、深い頷きが返って来た。
「ええ、全くその通りだと思います。完全に再現することは難しいでしょうが、そうやってご両親の思い出を追いかけることが、今のターニャさんには必要なのかもしれませんね」
アッシュの声も、表情もすごく優しい。姉ちゃんに対する思いやりが、たっぷりと詰まっていると感じ取れるようだ。
さらっと相手を思いやっているところ見せられると、女子に人気なこともちょっとだけ理解できてしまうのが悔しい。
やっぱり、俺にとってアッシュは敵だ。いや、俺達の世代の男子全員の敵だ。お姫様をさらう魔王みたいなもんだな。
そんな魔王が、今の俺にとって一番の相談先だっていうのは、どっかおかしいよな。
できれば勇者になりたいのに、魔王の配下みたいじゃんか。
「パンケーキじゃなくて、兄貴と姉ちゃんのことだよ」
「ああ、あの二人ですか……」
アッシュの笑顔が苦くなった。
あく抜きを失敗した山菜を食べたみたいな顔だ。「あ、外れひいちゃったなぁ、まあ食うけどさ」って顔。
「やっぱり家まで一緒だとつらいですか。――甘すぎて」
流石、よくわかっているな、アッシュ。やっぱり兄貴と姉ちゃんのことを相談するなら、こいつだよ。
俺も、多分アッシュとよく似た表情になっていると思う。
「今日なんかさ、姉ちゃんがスプーンでアーンって食わせて、じーと見つめ合ってんの。いや、見つめ合ってるように見えるだけで、あれで会話してるんだけどさ。それがまた息ぴったりっつーの? そこまで絶対わかんねえよってレベルで通じ合っててしかも当たり前みたいにしてるからさぁ」
「ああ、わかります、わかります。あれすごいですよね。ターニャさん、最初に森に入った時はもっと普通だったんですけどね」
そうなのか、とアッシュに聞いたら、結構会話が成立してなかったらしい。
アッシュが間に入らないと話が進まないことが多かったそうだ。
「マジかよ。それが今じゃあれか?」
「それが今ではあれなんですよ。森歩きの時は、顔すら見ないで意思疎通できますからね。ちょっと道が悪いところに行くと、バンさんがすっと手を伸ばして、ターニャさんがしっかり握るんですよね」
ああ、申し合わせたようなタイミングで手を取り合うあれな。
しかも、手を離す時に二人とも名残惜しそうに見つめ合うあれな!
「家だと距離が近いから常時あれだぜ。二人して見つめ合ってニコニコしてんの。時々赤くなる。まあ、兄貴の方はそんな表情変わらないけど、姉ちゃん曰く兄貴も表情変わってるんだと」
「すっごい密度で両想いの会話が飛び交ってるんでしょうね、それ」
「絶対それだ」
そういうわけで、アッシュにお礼のパンケーキを届ける役目を引き受ける名目で、ここに逃げて来たわけだ。
甘い物はいくらあっても困らない、なんて思っていたもんだけど、違った。甘い物にもこれ以上は無理、ってラインはあったんだ。
それがわかったことで、俺もちょっとだけ大人になったと思う。
しばらく、アッシュと二人で、「甘すぎてつらかった」ネタを出し合う。
あ~、さっぱりする。これが話せるの、アッシュだけなんだよな。他の連中は、兄貴のこと恐がっているし、姉ちゃんと一緒にいるところを知らないから。
結構な時間話しこんだ後、アッシュが話をまとめる。
「何はともあれ、バンさんとターニャさんの仲が良いのは良いことですよ」
まあな、と相槌を打つ。被害は割と甚大ですが、とアッシュが続けたので、それにも「まあな」と笑っておく。
姉ちゃんは、俺の面倒を見るために、同い年の奴より大人として振る舞っていたところがあるから、その分だけ兄貴に甘えたいって気持ちが今になって出ているんだろう。
だったらまあ、俺も面倒を見てもらった分、ちょっとくらい我慢するのは当たり前ってもんだろう。
つらいのはつらいけど、アッシュが話を聞いてくれるし、姉ちゃんの苦労より大分マシだ。
「ん~、でもなぁ」
それでもな、と思ってしまうことが一つだけある。
「バンの兄貴の、あの無口っぷりだけはどうにかした方が良いと思うんだけどさ」
姉ちゃんはばっちり通じ合ってるから、何も問題ないって感じだけど……むしろ、自分が代わりに伝えれば良いなんて言い出してたけど。
それでも、やっぱり完璧じゃない。
どっかで食い違ってたり、足りなかったりしている。
「別にアッシュみたいにペラペラと喋る兄貴を見たいわけじゃないけど、あの姉ちゃんにすら伝わってない時があるんだから、やっぱりどうにかした方が良いと思うんだよ」
「バンさんが無口なのは今さらですが……私ってそんなに口数が多い印象あります?」
「特に勉強中とか。盛り上がって来ると一人でずっと話してるだろ。よくあれだけ話すことあるよな、お前」
なんか不満そうに言って来たので、鼻で笑って言い返したら、アッシュがなるほどって顔で黙った。自分でもわかってたのか。
「それより兄貴だって。なんかもうちょっと普通に話をさせる方法ってない?」
「う~ん、あの人はあれで今まで暮らして来たわけですからね。本人がそれで支障がないと思っている以上、中々難しいのでは? ああいうのは、本人が問題を意識しないと改善はちょっと」
「周りの人間が困ってるんだけどな……」
大体は俺な。
姉ちゃんと兄貴が一緒にいるところを見ても心配になるが、狩りのことを教わるのも大変なんだ。
野営中とか、一応声に出して話してはくれるんだけど、あの倍は話してくれても良いと思う。
俺がアッシュと話すようになった一番の理由は、兄貴がなにを言っているかわからない時、アッシュに聞くのが一番早かったせいだ。
「そういや、兄貴のあの態度で、アッシュはなんで言いたいことがわかるんだ?」
「慣れました。コツは、こちらがひたすら話すことで、バンさんが首を縦か横に振るだけで返事が済むようにすることです。答えを一つ得るために十の質問を重ねるのです」
すげえ、そんなことやってたのかお前。いや、マジですげえよ。
でも、そんなことしてるアッシュなら、今回の相談は意味がなかったかもしれない。
こいつも兄貴の無口っぷりを改善しようとは思わなかったらしい。姉ちゃん側の人間だ。
いや、そのために取った手段がすげえのは変わりないけど。
「これじゃあ、アッシュに協力を頼んでも無駄かぁ」
俺の呟きに返って来たのは、そうですね、という無情な頷きだった。
「改善に時間かかりそうですし、私もバンさん、ターニャさん同様に困っていないので、あんまり力は入らないですね」
姉ちゃんと兄貴のことなら、アッシュに相談すれば解決すると思ってたのに、当てが外れた。
どうするかな。
頭をかいていると、アッシュが肩を叩いてにっこりと笑ってくる。
「バンさんのこととはいえ、問題だと捉えているのがジキルさんなら、ジキルさんが労力をかけて改善を試みる、というのが一番早いでしょう。問題が解決してまず嬉しいのは、ジキルさんのはずでしょう?」
「え~? でも……あ~、でも、そうか、そうなるのかぁ」
兄貴のためになる、とか。姉ちゃんもその方が助かるだろ、とか。色々と言いたいことはあるが、言われてみればアッシュの言う通りだ。
あの二人は、今のままで良いと思っている。
思っていないのは、今のところ俺だけ。
「ちょっと納得いかねえけど、俺が頑張るのが筋ってものなのか……」
「ジキルさんがやらなくては、と思ったことなら、ジキルさんが頑張るのが当たり前のことですね。皆のためになるのに、と腑に落ちない気持ちもわかりますけど、そういうものです」
「そういうもんか」
それにしても、やけにアッシュが機嫌よさそうに笑っているんだが、なに考えてるんだこいつ。
「誰も解決しようとしない問題を見つけて、解決する。これができれば、立派なものですね」
「これくらいでか?」
「問題を起こして周りに解決してもらうのは子供。問題を見つけても解決する力がないのは未熟。では、問題を見つけて解決までできれば? それはもう、自分で立つ力があると考えて良いと思いますよ。一人前の条件です」
「ふうん。まっ、そうかもな」
そういう風に言われると、なんだかやる気が湧いて来る。
兄貴と姉ちゃんは俺のことをやっぱり弟として扱うから、立派だとか、一人前とかそういうのは言われ慣れてなくて、グッとくる。
ようし、やってやるぞ!
と思う前に、ちょっと深呼吸する。
アッシュは口が上手いから、こいつと話をする時は気をつけないといけないんだ。
アッシュと話してソウダソウダと頷いてばかりいると、気がついた時には小麦粉を作る力仕事を俺一人でやっていたりするからな。
アッシュのよく回る口は危ないんだ。
一度落ち着いて、アッシュの言ってることをようく考え直す。
問題を解決する。うん、なんかカッコイイ響きだよな。できる大人の感じがする。
「いや、でも、それって言い方ってやつじゃねえ? 問題解決って言うとなんかカッコイイけど、これ家族の話……それも、割としょうもないってタイプの話だろ?」
「言い方によっては、そうかもしれませんね」
なんかその切り返し、俺が今言ったことをそのまま返してないか。
お前の言い方がちょっと罠張ってる感じだから、俺がその言葉を使ったんであって、それをお前がまた使うとかずるくない?
俺がじとりと睨むが、アッシュは素知らぬ顔で朝の小鳥みたいに清々しくさえずる。
「少なくとも、解決できずに川原で膝を抱えていた頃より成長したと言えるのでは?」
「んな、あれは別に! 膝を抱えてたわけじゃねえだろ!」
「そうでしたっけ? 夕暮れ時の川原で石を投げながら黄昏ているなんて、コッテコテの青春式落ちこみ方ですよね。ジキルさんは中々レベルが高いです」
「お前それ絶対バカにしてるだろ!」
そうだ、お前はそういう奴だ。
あの川原での話し合いの末、職人を紹介するって約束した時もそうだった。
あれ自体はありがたい限りだったけど、その職人が兄貴だってんなら最初に言えよ。
あの口数の少ない兄貴が突然やって来て、話がすんなり通じるわけないだろ。結局姉ちゃんの前で洗いざらいあの日のことを話す羽目になってどれだけ恥ずかしかったと……!
お前あれ絶対にわざと黙ってたんだろう! 真面目な顔して意外にそういうところあるよな!
あれから積もりに積もった恨み、今日こそお前を捕まえて思い知らせてやる!
「待てコラ逃げるなアッシュ!」
パンケーキ入りのカゴを抱えているのに、アッシュはそれでも速かった。
****
「兄貴、もうちょっと声出して話してみない?」
森での野営中、今日の狩りでよかったところ悪かったところを教えてくれた兄貴に、そう持ちかける。
アッシュの態度は気になるけど、やっぱり俺としてはなんとかしたい問題なんだ。
「いや、兄貴が声出すの苦手なのはわかってるし、必要があれば今みたいにちょいちょい話してくれるんだけどさ」
もっとこう、普通に挨拶交わすとか、声出して笑うとか、それくらいで良いんだけど。
まあ、狩りの説明ももっと言葉を多くしてくれると嬉しいけど、そこまで贅沢は言わないよ、俺も。
そう思って見つめると、じーっと見返される。無言で。
これが、兄貴が恐いって言われる理由。慣れてない人からすると、この沈黙が重いんだ。
そりゃそうだろう。日々野獣と向き合ってる眼光だぞ。
俺だって、昔からちょっと苦手だった。狩りに付き合うようになって慣れたけど。
ちなみに慣れて来ると、兄貴がただ困っているだけだってのがわかるようになる。
多分、「声出すのかー。難しいんだよなー。でもそう言われるってことは喋った方が良いんだろうなー。でもなー。中々それがなー。嫌とは言いづらいけど、うんとも言えないなー」みたいなことを考えているんじゃないかと思う。
口調とかは大分違うだろうけど、中身はそんな感じのはず。兄貴は言いよどむと黙りこむんだ。
「ま、まあ、ちょっとずつで良いからさ。家にいる時に、おはよう、とか。こういう野営の時に、おやすみ、とか。そんなところから、どう?」
兄貴が、こくっと頷く。
どうやら、俺のわがままに付き合って頑張ってくれるみたいだ。
これなら、意外と簡単にこの問題は解決するんじゃないか?
そう思ってから、気づいた。
いや、簡単に解決するなら、そもそも今の問いかけに「わかった」とか声出して返事するよな。
「え、えーと、じゃあ、兄貴……今日はお疲れ。明日も、油断せずに狩りを頑張るからさ」
にっと笑って、明るく聞こえるように声をかけてみる。
我ながらぎこちないけど、すごく返事をしやすいように話しかけられたと思う。
アッシュが言ってた、首を縦か横に振るだけで返事ができるように会話する、というテクニックを、俺なりに使ってみたんだ。
これなら、「おう、お疲れ」とか「明日もしっかりな」とか、兄貴の返事も一言で済む。
――だって言うのに、兄貴はこっくりと大きめの頷きだけで返事をした。
俺、結構いい感じに会話を促せたよなあ!?
「兄貴、兄貴、そこで声だしてくれると嬉しかったなぁ……」
がっくりして呟くと、兄貴がこくこくと小さく何回か頷く。
だが喋らない!
兄貴……! あんた、すげえわかってくれてるんだけど、全然わかってねえ!
悪い人じゃないんだよ、兄貴は。よく面倒を見てくれるし、この無言の中身を読み取れるようになれば、本当に良い人なんだ。
でも、この問題に関してだけは、兄貴はダメな人だ!
何度叱られても服を汚して帰って来る俺みたいに、ダメな人だった……!
あのアッシュが、兄貴のこの癖を直そうともせずに、自分を合わせにいったわけが、本当に分かった気がする。
ちなみに、首の振りが大きい時の兄貴は、普通の人で言うところの、笑顔で返事をしたのと同じ感じ。何度も小さい首振りをする時は、引きつった顔になっていると思えば大体合っている。
何度見ても兄貴の表情は動いているようには見えないけどな。
視線が泳いでいたり、目元や口元がちょっと動いてるなっていうのはわかるよ。
兄貴の顔にあるのは木に空いた洞じゃないんだから、流石にそれくらいは動く。それ以上ではないけどさ。
姉ちゃんは、これでよくあそこまで兄貴の言いたいことがわかるよな……。
やっぱ、好きだからか? 愛の力は世界を救うって誰かが言ってたもんな。
****
その日から、俺の長い戦いの日々が始まった……!
とにかく俺から声をかけ続けて、ちょっとずつで良いから兄貴が声に出して返事ができるようにするんだ。
まずは朝の挨拶。
「兄貴、おはよう!」
すっと視線を向けるのが、兄貴のいつもの返事だ。
しかし、声を出して行こう、と俺がお願いしたことを覚えていたらしく、兄貴もちょっとだけ気をつけたらしい。
視線を向けた後に、こっくりと頷いたのだ。
声は出なかった。
次は日常会話。
「兄貴、今日はうちに飯を食いに来ない? 姉ちゃんが待ってるって言ってたぞ。どうだ?」
ハイかイイエだけで済む会話に、兄貴はいつもより深く頷いたように見えた。
嬉しい誘いだったらしい。よかったな、姉ちゃん。
でも、声は出なかった。
今度は仕事上の会話。
「兄貴、道具の点検が終わったぞ。槍は大丈夫だと思うけど、罠はまだ不安だから、一応兄貴も確認して欲しいんだけど、いいかな?」
軽く頷いた兄貴が、俺の三倍は素早く道具の点検をしてくれる。
一つだけ、罠がちょっと痛みの激しいやつがあって、これは念のため交換した方が良い、ということを教えてもらった。
なお、声は出なかった。
もういっちょ日常会話。
「兄貴、アッシュとはどんな話をするんだ? 野営の時、俺とするみたいに話をするんだろ?」
思い切って、ハイかイイエだけでは済まない話題にしてみた。
兄貴は、しばらくじーっと俺を見つめて(多分)思い悩んだ後、俺の肩を叩いた。
…………?
ああ! 俺と同じって言いたいのか、ひょっとして!
「へ、へえ? 俺と似たようなこと話すんだ?」
こっくりと頷かれる。
「てことは、狩りのこととか、その日の森歩きで見たこととか?」
こっくりと頷かれる。
「いやぁ、でも、ほら、アッシュのことだから、俺より色々聞くんじゃない?」
こっくりと頷かれる。
「そ、それがどんなんか、聞いてみたいなぁ……?」
軽く首を傾げられ、またじーっと見つめられながらの沈黙がやって来る。
………………………………。
兄貴のことは好きだけど、さすがにこれだけ視線もそらさずに見つめられると嫌になるぞ! 目をそらしたら襲ってくる獣を前にしているような気分になるのはなんでなんだ!
あー!
ダメだ!
俺がダメだ!
俺がこの沈黙に耐えられない!
「あ、あれか、アッシュのことだから、やっぱり姉ちゃんの絡みで蜂のこととかの話になるかな?」
ひときわ大きい兄貴の頷き。「そう、それ!」って感じが伝わって来る。
なんで兄貴はそんなに嬉しそうにしてんの。こっちは今の無言の間にどっと疲れたよ!
「お、おー、そっかー……。蜂かぁ……」
まあ、今のアッシュがなにやってるかって言ったら、姉ちゃんと養蜂のことを色々やってるからな。
同じ知り合いの姉ちゃんの繋がりで、自然と兄貴とその話になるんだろう。
俺はあんまり思い出もないけど、うちの親が養蜂家だったらしいから、その後を継ぐんだって姉ちゃんが張り切っている。
マイカとか、村長のところも一緒になって、なんかすげえことになってた。
俺も姉ちゃんも、養蜂のことなんてなにも知らないから、皆で協力してやり方を勉強するんだって。
教会の勉強会でも、養蜂の本を抱えたアッシュを中心に、俺達は蜂とその蜂蜜のことを話している。
「そういや、姉ちゃんが勉強しているの脇で聞いてたけど、蜂の巣箱を置く場所? あれって結構、色んなことを考える必要があるんだな」
熊が蜂蜜を食おうと巣箱を襲う、くらいは簡単に想像がついたけど、湿度とか日当たりとか花の種類とか、考えることはいくらでもある。
後、蜜蜂の飛び回る範囲の広さ!
あれにはびっくりした。「え? そんな遠くまで一日で飛ぶの!?」って皆して驚いたもんだ。
勉強会で耳に入って来たことを考えていると、兄貴がなんかめっちゃ見つめて来た。
なんだなんだ、今度はなんだ。いきなりすぎて見つめられてもなにを言いたいのか全然わからないぞ。
俺が戸惑っていると、兄貴は一度瞼を伏せて、じっくりと黙りこんでから、その目をゆっくりと開く。
「詳しく」
――――――――喋った。




