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フシノカミ  作者: 雨川水海
灰の底
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灰の底19

 忙しく季節が過ぎていく。秋の収穫もひと段落すると、一年前のことを思い出す。

 去年のちょうどこの時期、ユイカ夫人が村の子供達を集めて、本の朗読会を開いてくれたのだ。


 内容は、一人の若者が魔物に苦しめられる地方の人々を助けて奮闘し、その地方を平和にする英雄譚。


 笑いあり涙あり恋ありの中々のエンターテイメントだった。三神の化身である狼・猿・龍を仲間にする辺りは、宗教色を感じる一方で、前世の童話を思い出す。団子で仲間にしたりはしなかったけれど。

 あの物語のおかげで今世を生き抜く覚悟が固まったのだから、人生は何が薬になるかわからないものだ。


 というかちょっと待って。


 あの朗読会の直後からやたら張り切り出した私って、ひょっとして英雄に憧れたお子様に見えてたりしない?

 やだ、恥ずかしい。

 唐突に羞恥を感じると、膝の上から温かいものが逃げていく。

 なんだろうかと思い、確かめようと目を開けると、寝ぼけた吐息が漏れる。


「んむぅ……?」


 そうだった。今日の畑仕事の後、教会に早くついたので、勉強会の前に仮眠を取っていたのだ。

 思ったよりも疲れていたのか、重たい瞼を苦労して持ち上げると、目の前にマイカ嬢がいた。


 びっくりした。


 それはマイカ嬢も同じだったらしく、赤くなってわたわたと離れる。

 可愛い仕草に、微笑ましい気持ちになりながら、とりあえず挨拶をする。


「おはようございます」

「お、おはよう! ご、ごめんね、寝てるとこ起こしちゃって!」

「いえいえ、ちょっと早くついたので、休んでいただけですよ。起こしてもらわないと困ります」


 目をこすって欠伸を噛み殺していると、マイカ嬢の後ろでターニャ嬢がくすくす笑い声を漏らす。


「そっかそっか~、マイカちゃんも頑張らないとねぇ」

「な、なに言ってるの、ターニャさん!」

「ううん、なんにも~」


 寝覚めに女性陣の華やかな戯れというのも、贅沢なものだ。


「私はただ! アッシュ君の膝に猫がいたから、珍しいなって!」

「そうね。猫さんいたね」


 どうやら、起きるきっかけになった逃げていく温もりは、新たな村の仲間である猫のものだったようだ。

 確かに珍しい。

 我らが頼もしき鼠ハンター・猫殿は、気位が高いのか、人にすり寄って来ないのはもちろん、人が近寄ると遠ざかってしまう。

 私は何度か撫でたことがあるが、あれは猫殿に撫でさせてもらった、というべきだろう。あまりストレスをかけても悪いので、私は距離を取るようにしている。

 その猫殿の方から、私の膝に乗って来たらしい。多分初めてだ。


「ふうむ……寒くなってきましたからね。暖房代わりに使われましたかね」


 膝を見ると、確かに猫殿の毛がついている。どうせなら起きている時に上がって来て欲しかった。

 すると、ターニャ嬢が、意味ありげに首を傾げる。


「ん~? そうじゃないと思うなぁ。()()()()、アッシュ君が好きなんじゃないの?」

「そうですか? それなら嬉しいですね」


 もふもふ触感は好きな方だ。できれば懐いてくれると嬉しい。

 ところで、どうしてターニャ嬢はにやにやしていて、マイカ嬢が真っ赤になって身悶えているのだろう。


「そ、それより! お勉強! 今日のお勉強しよう!」


 火照った両頬を押さえながら、マイカ嬢が叫ぶ。


「ん~、それもそうだねぇ」


 女性陣も席について、いつもの勉強会の態勢になる。


「えっと、早速なんだけど……この言い回しが難しくて、説明して欲しいなぁって」


 最近、ターニャ嬢のやる気が目に見えて上がっている。

 最初から意識が低かったわけではないが、とりあえず養蜂のことだけを覚えればそれでいい、という姿勢だった。それが今では、読み書き計算を覚えようとしている。


 どうしていきなり、などとは思わない。

 そんなもの、バンさんと一緒にいる時のターニャ嬢を見れば、考えなくとも理解させられる。

 少しでもバンさんの役に立ちたいし、バンさんに頼られたい。つまり、良き妻になりたいと懸命なのだ。

 なんとも可愛らしい人である。私の応援にもつい熱が入るというものだ。


 ただ、ターニャ嬢が森歩きの訓練をする際、私も手伝いとして付き添うのは、嫌ではないがちょっと気が重い。

 だって、ターニャ嬢は恋する乙女の一途な顔だし、バンさんはバンさんで、ずっと手を繋いで歩いていたい、いや背負って歩きたい、みたいな空気を出すのだ。

 あの無口で無愛想で口下手な猟師が!

 完全に私は邪魔者です。

 新婚夫婦に挟まれる地獄とは、数ある地獄の中でも上位に来ると思う。


 まあ、お二人はまだ結婚していないし、驚くべきことに正式にお付き合いをしていないらしいので、新婚夫婦と言うのは語弊があるのだが。

 甘々な二人に挟まれた私は、渋柿を食べたほど渋い顔になっていてもおかしくないと思う。


 なお、森の中に自生していた渋柿を見つけたのが、この秋で一番の収穫だ。

 早速干し柿ができないか実験しつつ、村の空き地に植えてみた。他にも渋柿は利用方法があると聞いたことがある。

 染め物に使えたり、酢を作れるという記憶があるので、追々調べていきたい。


 しかし、渋柿の利用のような、農村ならば発達段階で自力開発するだろう知識が欠けているのは、不思議なことだ。これもやはり、古代文明の影響ではないかと想像している。

 農法が発達しているので、畑の作物だけで(ひもじさはあれど)最低限の供給ができてしまう。そのため、危険な森や山に分け入って、新たな作物を開拓する必要がなくなってしまったのだ。


 一方で、渋柿を利用している人々はいる。ユイカ夫人に干し柿のことを話すと、都市で流通していたことが確認できた。

 つまり、現状、渋柿の利用方法については、知識・技術が一部の独占状態にあるのだ。

 恐らく、古代文明においては利用されていたもので、それを引き継いだか、何らかの必要から自力開発した地域があるのだろう。


 識字率の割に貨幣経済が発達しているので、今世では知識技術はかなり秘匿される傾向があるように思う。

 秘密がバレにくいし、お金になるからだ。


「アッシュ君、またなにか難しいこと考えてる」


 マイカ嬢に顔を覗きこまれて、我に返る。


「失礼しました。柿についてちょっと」

「あ、あれ? お母さんが楽しみにしてたから、私もちょっと楽しみ」


 ユイカ夫人は、干し柿について上手くいくことを個人的に祈ってくれている。

 干し柿特有の素朴な甘味のファンらしい。気持ちはわかる。私も楽しみで仕方ない。

 野菜や山菜の一部は、保存のために干して乾燥させているので、その手法を流用すれば難しくないと期待している。


「上手く行けば、村に甘味が増えますからね」

「あれ、本当に甘くなるのかなぁ」


 ターニャ嬢は、少し不安そうに苦笑する。

 これも仕方ない。ターニャ嬢は、柿を見つけて思わずかじりついた私の惨状を目の当たりにしているからね。

 渋柿を初めて生でかじった渋さは、一生忘れない。

 渋と名前につくとはいえ、あんなに渋いとは思わなかった……。


「植物図鑑には干し方までは書かれていませんでしたから、上手く行くと良いなぁ、としか」


 甘味はともかく、渋みだけでも抜けて欲しい。毒見は自分でするつもりなので、切実に願う。

 ターニャ嬢は同情的に見つめてくれたが、悶え苦しむ私を知らないマイカ嬢は、別な話題に興味を移してしまう。


「そういえば、ターニャさんも森に入っているんだよね? どう、森ってやっぱり大変?」

「うん、とっても大変。あたしがついて行ってるのは、まだ浅くて安全な方らしいけど、帰る頃にはへとへとで」


 言葉とは裏腹に、ターニャ嬢は実に嬉しそうな表情をする。思わず、マイカ嬢がうらやましいと呟いたのも、無理はあるまい。

 ただ、かなりの疲労が溜まるのは確かなので、心配もしてしまう。


「森歩きは本当に疲れますからね。なにか気になることがあったら、私でもバンさんでも、ユイカさんやマイカさんでも、すぐに相談してくださいね」

「うん、ありがとう」


 案じておいてなんだが、この面子で私に相談が回ってくることは絶対にあるまい。

 異性で良いならバンさんで、同性が必要なら二人もいる。


「んっと……森歩きのこととは、関係ないんだけど。少しアッシュ君に話したいことがあるの」


 などと考えていたら、ピンポイントで私に来た。一体何事だろう。


「あれこれお世話になってるから、その上となると心苦しいんだけど……」

「いえいえ、お気遣いなく。……まだお役に立てるかどうかわかりませんからね。私で良ければ、ひとまずご心配事をうかがいますよ」


 養蜂業を任せる大事な人材だ。できることなら協力をしたい。

 私にできることはすごく限定的だから、内心ちょっと恐いけれど。


「弟の、ジキルのことでねぇ」

「ジキルさんですか?」


 私の隣で、マイカ嬢が渋い顔をした。

 渋柿を食べた時の私ほど渋くはないが、以前のことがあるので、ジキル君に対して相応に隔意があるようだ。


「最近ちょっと、話をしてくれないの。なんだか悩んでるみたいなんだけど、それを聞こうとすると怒ったり逃げたりして」

 それ、反抗期だと思う。と思ったが、反抗期についてはターニャ嬢も心得ているようで、年頃だから仕方ない、と呟く。


「ただ、ほら、ジキルはあたしが親代わりになってるよね? 母さんの代わりは、多少できるかなって思うけど、父さんの代わりは難しくて」

「なるほど。ターニャさんお一人では、目が届かないところがあるかもしれないと」


 普通に育児をしていても不安が尽きないと聞く。

 それが、十六歳にして十歳男子の子育てをしていると思うと、それはいくらでも不安なことがあるだろう。

 特に、最近のターニャ嬢は養蜂のこともあって、ジキル君との時間が少なくなっているだろうから、いよいよ心配なのだ。


「友達もいるから、あんまり心配しなくても良いかもしれないけど、最近は遊んでいる風にも見えなくて。一人で色々抱え込んじゃっていないかと心配なの」

「ご心配はわかりました」


 万一のことがあると、ターニャ嬢の養蜂業も、ターニャ嬢とバンさんとの関係も、こじれてしまうかもしれない。


「そういうことなら、それとなく様子を見てみましょう」

「ちょっと、アッシュ君、いいの?」


 請け負った私に、マイカ嬢が耳打ちしてくる。

 私も面倒だとは思っているけど、今のターニャ嬢を助けられる人が他にいないのだから仕方ない。

 それにまあ、すでに嫌われているのだから、これ以上嫌われても問題になるまい。


「とりあえず、話をしてみるだけですから、大丈夫ですよ」


 すると、マイカ嬢が、感嘆とした吐息を漏らす。


「アッシュ君は、やっぱりすごいね」


 まだ何もしていないですけど?

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― 新着の感想 ―
[良い点] しっかり自分で考えて書かれてるところがいいですね
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